家族。その言葉を聞くと私はいつも気まずい気持ちになって、あいまいな笑顔を浮かべて押し黙ってしまう。家族仲が悪かったわけじゃない。ただ、同じ志も持ってないのにその恵みを享受する狡さを責められているような気がして居た堪れなくなるのだ。
私は家族の期待に応えられなかった。そのうえ彼らの手をはねのけてイギリスにまで逃げてきた臆病者だ。
ハリー・ポッターを迎えるためにしもべ妖精を一日雇った。イギリスに来て六年放置していた屋敷も私がグリンデルバルドだから用意してもらえたもの。私が自分自身の手で得たものなんて何もなかった。
ハリーはまっすぐと育った『いい子』だった。私はてっきり孤児院で特別扱いされて増長しているのかと思っていたのだが、その真逆。謙虚で慎み深く、他者への労りを欠かさない子供だ。私が適当に作ったポトフをおいしいと言って食べてくれた。絶対普段孤児院で食べていた食事のほうがうまいはずなのに。子供はここまで気遣いができる生き物だっただろうか。
私が魔法史を教えているというと、彼はマーリンについていろいろとたずねた。安心した。その時代に嘘は少ないから。
ホグワーツのことも聞かれたので、私が6年前に赴任してから今までにあった面白いことや、とんでもないハプニングなどを話した。これまでは魔法を使うことは制限されていたなかで、全てが魔法使いのための学校というのはさそ心が躍るだろう。キラキラした目で私の話に相槌を打っていた。
私は彼にちゃんと夢を見せられていたのだろうか。ホグワーツには確かに、伝統と自由がまだ残っている。そう見える。イギリス全土にある公立魔法学校にあるのはそれぞれの魔法の実力に合ったカリキュラムと、適性に合った職業訓練、そしてこの理想郷を維持するための道徳教育くらいだ。
私たちの魔法が社会を豊かにする
それはまあ、その通り。
その点ホグワーツはいわばエリート養成学校。水準以上の魔法使いでなければ入学は許可されない。昔は素質のある子どもの名はホグワーツの校長室にある名簿に自動で名前が記されていたらしいが、魔法族の人口増加と政治的理由により、入学者の選定は人材評価局教育部により決められている。
この時点で察しはつくだろうが、入学リストの透明性について議論することは無駄だ。水準以下の子どもは毎年何人も紛れ込んでいる。もちろん、私に何か言う資格はないが。
ホグワーツ魔法魔術学校という名が持つ歴史的、象徴的な意味合いは、そのまま将来の政治の中枢を担うであろう人材に特別意識を持たせると同時に、強い仲間意識を芽生えさせる。そして『より大きな善のために』優れた魔法使いの育成は不可欠だ。自由なくして創造性や革新性は生まれえない。
そして、自由という言葉の裏で私は嘘を教えている。
彼らの物の見方を歪めている。
事実を捻じ曲げている。
情報を操作している。
不穏な芽を摘み取るために、彼らを監視している。
ホグワーツ特急はマグルが蒸気機関を発明し、産業革命でロンドンの大気を汚染し、巨大な建造物を建てるようになってからずっと線路の上を走っている。
重要なのは、線路という発明は魔法使いが与えたものなのだと強調すること。マグルに革新や発明といった才能がないと、それとなく信じ込ませること。世界のすべてを魔法使いが作ったかのように見せなくてはいけない。なぜなら魔法は偉大だから。
キングス・クロス駅にある線路は旅客用よりも輸送用のほうが多い。魔法使いは姿現しや煙突で移動するが、物資やマグルはそうはいかない。食料や兵器の大量輸送は陸路で運ぶ方がはるかにコストが低い。マグルが泥まみれになって線路を引き、煤まみれになって汽車を走らせる。これが本当のエコノミークラスということ。はは。
ホグワーツ特急はそんな煤けたホームの中でピカピカに輝いている。私たちは特別なのだと示すかのように。
「フレイも一緒の席に座ってくれる?」
ハリーはすっかり私になついていた。もともと誰にでも親しみやすい子なんだろう。もしおじい様が本当にこの子を次世代のリーダーに育成したいのならば、この子はこれから学校で狡猾さと冷徹について学ばねばならない。それがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからない。
「いいや、誰か新入生の友達を作るべきだ。それと、ここからは人前では先生と呼びなさい」
「はい、グリンデルバルド先生」
「よろしい」
私はやっと肩の力を抜けそうでほっとする。ここ一週間はハリーのための学用品や教科書をそろえるのにドタバタしていたし、学校外で子供と過ごすなんて初めての経験でいろいろと気を使いすぎた。
先頭車両のコンパートメントを陣取り、コートを脱いで一息ついた。移動時間というものは物思いに耽ることのできる貴重な時間だ。学期が始まってからしばらくは夜中に必要の部屋でゆっくりと読書をすることすら難しい。魔法史なんて退屈な教科であったとしても、規範から外れぬように調律していくには細心の注意が必要なのだ。
何も疑わずに生きていられたらよかったのに。そう思わない日はない。
私たちの社会は善くなっている?本当に?
なにと比べて?いつと比べて?
コンパートメントのドアがノックされた。まだ出発前だが、いったい何だろう。ドアを見ると、ターバンを巻いた特徴的な人物がたっていた。同僚のクィリナス・クィレルだ。私は話しかけるなというオーラを出しながらもドアを開けた。彼とは2歳差で私が年上だが、一番歳が近い。そのためか名字グリンデルバルドだからと言って遠慮せず、色々相談を持ちかけてくることが多い。(たいていの場合、杞憂なのだ。彼は心配性だから)
「クィリナス…君も汽車で行くとはね。知ってたら席をとっといてあげられたんだが」
私の早く出ていってほしいオーラに気圧されながらもクィレルは去ろうとはしなかった。
「ああ、ああ、フレイ。その、すまないが…す、すこしいいかな…」
深刻そうな顔だった。それになんだか以前よりも挙動不審だ。ただでさえ生徒からバカにされているというのに、よりひどくなってどうする。
彼はマグル学の教鞭をとっており、これは公立魔法学校では必須科目なのだがホグワーツでは選択科目だ。官僚はまずマグルの影すら見ることはないのだから当然だが、そのせいで生徒たちから軽んじられている。
私は嫌々クィレルを招き入れ、向かいに座らせた。
クィレルはつばをのみこみ深く息を吐いてから口を開いた。
「実は……もう知っているだろうか。わ、私は今年…闇の魔術の教師にえ、選ばれてしまって」
「ああ…それは……なるほど」
闇の魔術は
「でも死ぬわけじゃない。ほら、確か記録じゃ10年前にそれを教えていた教師はその後数占いを教えてるし」
「私にはッ………」
クィレルの声は裏返っていた。なんだか思い詰めているようだった。なんだ?以前は多少小心なきらいあったとはいえ、ここまで怯えていることはなかった。
クィレルは大声を出してしまったことにハッとしてからまたすぐ縮こまり謝罪した。
「………すまない。…君にどうにかできるようなことではないのに」
尋常ならざる様子に私は先ほどの冷たい態度を少し反省した。表情を和らげ、クィレルの肩を軽く叩く。
「まあ私に愚痴をこぼして気が晴れるならそれでかまわないよ。…君、様子が変だぞ。なんだか変な臭いがする。妙な薬でも煎じたのか」
「あ、ああ。夏にちょっと問題があって…体調が、お、思わしくないんだ」
「問題?」
「ああ。旅先で…………妙な病気にかかってしまったのかも」
「ふうん。ならセブルスに頼った方がいい。魔法薬学に関しちゃ私はからきしだから」
「あ、ああ。そうだね。そういえば君が前作ったかゆみどめ軟膏は本当に酷かった…」
クィレルの顔がほんの少しほころんだ。
「あ…あれは作り置きして劣化してたんだよ!…それで、あとはもう私を揶揄うだけか?悪いが疲れててね。移動時間は寝ていたいんだよ」
「悪かった。最後にひとつだけ…」
「なんだい」
「ハリー・ポッターはどんな子なんだね」
噂は毒よりも回るのが早いな。しかしクィレルまでもが思わず訊ねてしまうほどハリーの注目度は高いらしい。まあ当然か。彼の『生き残った男の子』という名前に変な虫が寄ってこないといいのだが。多少忠告してやるべきだった。
「今この列車にいる新入生と変わらないよ。憧れ、期待、不安…普通の子と同じだ」
「特別な力も感じない?」
「感じないよ。君が世間で言われてるような噂を信じてるなんて意外だな」
「しかしフレイ、れ…例のあの人を打ち滅ぼしたんだ。赤ん坊がだよ。特別な力がなくては説明がつかない」
「いいや、説明はつく。きっとつまらない顛末だよ。彼の両親がなんらかの防護魔法をかけた。それがたまたま炸裂。そして…って感じさ」
「…君は夢がないな」
「そりゃどうも」
クィレルはコンパートメントから出て行った。私はようやく1人になれる。
ちょうど汽車が発車した。ゆっくりとすぎていく景色を眺めながら、私はほんの少しの平穏を、もうあまり残されていない心の自由を噛み締めた。