去年の冬。
ハリーにとって多分二度目の…いや三度目の人生の転換点となる出会い。運命的だが、ある種の必然的出会い。
魔法生物飼育学のライアル・ルーピンに言われ、授業の道具があるという小屋へ向かった。するとその小屋の前では大きな黒い犬がお行儀よく座っていた。
ハリーを見るとわん、と鳴いてじゃれついてきた。死神犬のような見た目のくせにやたらと尻尾を振って飛びついてくるものなのでハリーはついその犬に構ってしまった。
ライアルの用事は急ぎではなかったし、こんなに大きな犬と遊んだことがなかったのでハリーは夢中になってしまい、その犬に引っ張られるままに森の奥の方へと進んでしまった。
少し開けたちょっとした池のある場所で、犬は唐突にハリーのところから離れて行った。その犬の向かう先には誰かがいて、犬に飛びかかられて小さな悲鳴をあげていた。
見知らぬ男だった。犬の飼い主だろうか?ハリーと目があうと軽く手を上げて挨拶をした。
「はじめまして、ハリー・ポッター。私はリーマス・ルーピンだ」
ハリーは名乗ってもないのに自分を知っていることに戸惑った。苗字からしてライアル・ルーピン先生の家族だろうか。そう考えてるとリーマスは懐かしそうに目を細めて言った。
「お父さんそっくりだね」
その横で、犬が長身の男に変身したからハリーはかなり驚いた。
「ふう、すまない。驚かせたかな…。動物もどきでね」
「あの…父の知り合いですか?」
ハリーは混乱しながらもなんとか聞くことができた。リーマスと犬から変身したハンサムな男はちら、と視線を合わせてから優しく微笑んでいった。
「親友さ」
シリウスは魅力的な人だった。特にジェームズとの悪さを話す時の笑顔が子供っぽくて、少しキザっぽい出立とギャップがあった。時に皮肉たっぷり、そして時に真剣に、いまのグリンデルバルド政権下で多くの人はどう生きているのかを教えてくれた。
決して自分たちの目には入らないように閉じ込められた人々。たとえ入ったとしてもそれが自然なことであると教育する世界。少しでもはみ出せば容赦なく秘密警察がやって来て矯正施設へ送られる。
そしてアメリカでの生活について聞くと、シリウスは遠い目をしていった。
「アメリカに逃亡して驚いたよ。まず、マグルと魔法使いは全く対等の権利を持っている。住む場所も職業も選択自由。当然結婚もね」
「すごい。自由な国なんだね」
「そう、自由だ。けど実際に暮らしてみて驚いたよ。ほとんどの場合、魔法使いは魔法使いの暮らしている地域から滅多に出ないし、マグルもそう。仕事も同じように、交わることはない」
「え?どうして。自由なんでしょう?」
「自由だから、かな。1960年代にマグルが魔法使いに銃をぶっ放したんだが…銃ってわかるよな?」
「うん。本で読んだ」
「教えてるのか、よかった。とにかくそれで魔法使いが死んで、すぐに銃の所持を禁じる法律ができた」
「それはいい事だよね。そんな危険な武器はなくなるべきだ」
「そうだな。だがマグルからしてみりゃ、私たち魔法使いは常に彼らに銃を突きつけているのと同じなんだと。どういうことかわかるかい」
ハリーは少し考えた。人の命を奪う武器、それを魔法使いから向けられているのと同じ。
「…それは、ぼくたちが魔法使いだから?魔法で彼らを…攻撃するかもしれないから?」
「その通り。馬鹿げた話だが…実際にそういう事件は魔法使いとマグルの共生が始まってからは相次いでいた。だから自分を守る手段を奪われることにマグルはかなり抵抗した」
「それで…どうなったの?」
「多くの血が流れた。だがまあ…結果はやはり魔法使いの勝利だ。政治家のほとんどは魔法使いで、反対する奴なんていなかった」
「そんなことがあったんだ…」
シリウスはシニカルに笑う。
「結局やり方が違うだけでこの国も、グリンデルバルドも大して変わらないのさ。もしかしたらそれが本質で、私たちの理想の世界は妄想に過ぎないのかも。だがね、それでも…私たちは世界を良くしたいと心から願っている。そして…君の両親を殺したヴォルデモートは、その願いから最も反した存在だ」
ヴォルデモートは、全てを壊していく。
踏み躙っていく。
秩序も混沌も。
正義も悪も。
彼はどんなイデオロギーよりも揺らがない。
リーマス・ルーピン曰く、だからこそ邪悪だった。だからこそ強かった。そしてだからこそ敗北したと。
「純血主義は彼にとって真の理想ではない。彼の理想は、もっと単純だ。彼こそが最も偉大で邪悪な闇の帝王として君臨すること、君臨し続けることにある」
ダンブルドア軍団の最終目標はグリンデルバルド政権の非倫理的で人道に反するマグルの扱い、洗脳教育や検閲などと言った人の精神の自由を踏み躙る行い、これらを行う独裁政権をどうにかして打倒すること。
だがヴォルデモートについては軍団内でも意見が割れている。
「彼と一時的に手を組むべきだという人もいてね」
リーマスはため息をついた。シリウスは呆れたと言いたげに地面に落ちていた枝を投げた。
「ありえない。奴はジェームズを殺した。他にもダンブルドア軍団のメンバーが奴に何人殺されたと思う?グリンデルバルドの配下に殺された数より多い」
「けれどもグリンデルバルドよりタチが悪いやつを敵に回して戦っていけるほど我々も余裕はないのも事実だ」
「奴に理性的な話し合いなど通じるわけがない!」
この話はいつも平行線だった。たしかに二度相対したものとしては(一度目は赤ん坊の頃だが)あんな…人に取り憑いてなお生に縋るものを同じ人間として説得できるとは思えない。そしてなにより、両親の仇なのだから。
「フレイ・グリンデルバルドはやなやつだろ?」
フレイに会う前、シリウスはフレイを敵視していた。
ハリーは時々フレイではなくシリウスと過ごしていた世界のことを少し考えた。きっと自分はすこしやんちゃで、シリウスの話す父親とよく似た悪戯好きになっていたんだろう。ちょっとマグル趣味があったかもしれない。
全く別の世界の自分。
「まさか。確かに時々偉そうというか…カッコつけてるところはあるけど、可愛げのある人だよ」
「可愛げ?…だめだな。どんな人物か全く想像できない…」
もし両親が生きていたらと想像できないのが不思議だった。初めからずっとハリーは孤独だった。もちろんみんなが優しかったけれど、それは孤独じゃないってことではないと思った。
「逆にどんな人だと思ってるの」
「そりゃゲラート・グリンデルバルド同様の残忍なやつで…いかつくて、支配的で…君を洗脳しようとしていると」
「フレイが洗脳なんて絶対ないから安心して!むしろあの人、タバコも吸うしお酒も飲むしの悪い大人の見本みたいだよ」
「そんなに素行が悪いのか?私の方がまだ上品かもしれないな。時々犬になる以外は」
自分のことをそう振り返れるようになったは、きっと今が孤独じゃないからだ。保護者、友達、先生、自分を嫌う人、自分が嫌っている人。心配してくれる人、ずっと想っていてくれた人。いろんな人を知ることで自分を知っていく。
シリウスは元気にしているだろうか。リーマスと無事アメリカに戻れているんだろうか。
…ライアル・ルーピンは、生きているんだろうか。
ハリーは、そんなことを思い出しながら湖の周りをぐるぐると歩いていた。面談でフリーダ・グリンデルバルドから向けられた悪意。そしてフレイの隠していること。母親のこと。いろんなことがぐるぐると頭の中を回っていて目が回りそうだった。
はっきりと感じるのは孤独だけ。
湖のそばに生えている大きな木から雪の塊が落ちた。この間まで凍りついていた水面は溶けていて水飛沫が上がった。その先にハーマイオニーがいた。
「面接が終わってすぐどこか行っちゃうのを見たって、ロンが」
「そうなんだ。別に、いいのに」
「ねえ、何かあったの?」
ハーマイオニーの心配そうな顔を見て、ハリーは何もかも話してしまいたい気持ちになった。
フリーダが言ったフレイの過去。今の世界、外の世界。
フレイがマグルの命をたくさん奪った。フレイはグランデルバルドの孫ではない。フレイはぼくに嘘をついている?本当のことを言わないのは嘘と同じ?
聡明な彼女ならこのなにもかもが絡まり合った中からほしい言葉を見つけてくれそうな気がした。だが今必要なのはほしい言葉よりもこの気持ちをどうにかする方法だった。
「面接で言われたんだ。ぼくはフレイのこと何も知らないって」
「え…?何も知らないわけないじゃない」
「うん。でも言い返せなかった。最近…ちょっと色々思うところがあって。ぼくが今まで信じてたものが正解なのかわからなくなっちゃったんだ」
「信じていたものって…?」
「たとえば…そう、そうだな。……君の…」
「私の?」
ハーマイオニーの顔が曇った。ハリーは危うく自分がとんでもないことを口走ろうとしていたことに気がつく。ハーマイオニーの家族について。この世界でマグルがどんなふうに扱われているかなんて。そんなことを彼女に聞いてどうしたいんだ。それは八つ当たりだ。
ハーマイオニーは自分を心配してきてくれたのに。聡明な彼女がこの歪な枠組みに気が付いてないわけないじゃないか。それでも、彼女は何も言わずに戦っている。自分が突然土足で踏み込んでいいはずがない。
「……いや…。フレイの、家族のこととか…本当のことを教えてくれなくて」
「だからフレイ先生のことを信じられなくなった?」
フレイを信じられない。やっぱりハーマイオニーはさすがだ。ハリーはやっと自分の感情が言葉になったのに安心した反面、そんなことを思っていた自分が少し嫌になった。
「そういうことだね。…うん」
「ハリーに何があったのかは聞かないわ。でもそれちゃんとフレイ先生に話したの?」
「面談でのこと?」
「違うわ。フレイ先生を信じられないってところよ」
「それは…無理だよ。面と向かって信じられないって言ってどうするの?」
「ちがう、そうじゃなくて…なんで信じられないのよ?そこをちゃんと話せばいいんじゃないかしら。だってハリーはそれでもフレイ先生のことが好きでしょう?だから悩んでるんじゃない」
ハリーは言葉に詰まった。フレイのことは好きだ。でも信じられない。フレイは本当のことを話さないから。
どうして自分のことを話してくれないのだろう。罪の告白になってしまうから?言えないことをしているから?それをハリーが許さないと思っているからだろうか。
「…前に私、夢があるって言ったわよね」
「うん」
「私…あの時あなたに全部正直に話せなかったわ。…あのね。あなたが私の夢の内容を聞いて、変に思われるんじゃないかって怖かったの」
「君の夢って…?」
「あのね…私、本当の家族と普通に暮らしたいの。だって、魔法使いの家庭に預けられる必要なんてないと思わない?マグルも魔法使いも壁なんてなくして暮らせる世界を作りたいの。…だから私は努力しなくちゃいけないの」
ハリーは胸を打たれた。自分が感じて胸に溜めていたものを、彼女はとっくの昔に飲み下し、そして現実を変えようと勉強という努力で武装してきたのだ。ただ眺めて、勝手に思い悩んでいた自分の何歩も先をいっている。
「立派な夢だよ、ハーマイオニー」
でも。
そんな事、叶うと思えない…。
ハリーは脳裏によぎった考えを飲み込んだ。
「ありがとう。…ね、ハリー。フレイ先生だってきっと真摯に向き合えば答えてくれるはずよ。ハリーが私にしてくれたようにね」
「でも…それで何も話してくれなかったら?本当の気持ちも真実も全部誤魔化されてしまったら…」
「ハリーはそれが怖いのね」
「そうだ…」
「…大丈夫よ。フレイ先生はいい先生ではないけど悪い人じゃないわ。ハリーのことを大切に思ってるのも見てたらわかるもの」
「わかってる。わかってるよ…。でも、それでも…フレイがなにも話してくれなかったらぼくは…」
「そしたら私がいるわ」
「…ハーマイオニー」
「あッ…私だけじゃなくて、ロンもね。要するに一人で抱え込まないで。ね?」
ハーマイオニーはちょっと照れながら付け足した。ハリーはふふッと笑い、ハーマイオニーもそれを見て微笑んだ。
「ありがとう。なんだか話したらスッキリした」
「いいのよ。助けになれてよかった」
2人で少し散歩して寮に帰った。寮ではフリーダ・グリンデルバルドのモノマネが流行っていた。ハリー以外にも圧迫面接をしていたことが判明して笑ってしまった。
そして3月になる直前の土日、ハリーはクィディッチの練習を休んでフレイをピクニックに誘った。フレイは二つ返事で了承し、当日は一年生の頃と同じようにバスケットと水筒を持って現れた。
二人は城から坂を下り、魔法生物飼育学用の建屋から森の中へ進んだ。はじめは予選の感想なんかを言い合っていたが、だんだんお互い口数が減っていった。
シリウスたちと出会った池の辺りまで来て、ハリーは倒木に座った。フレイも横に並んで静かな池を眺めていた。
フレイはどこかつかれた顔をしていた。三大魔法学校対抗試合の準備で忙しいのだろうか。それとも別のこと?
「すまなかった…」
と、突然フレイが謝った。ハリーには心当たりがなく少し焦る。
「え?なにが?」
「フリーダが…」
「ああ…」
今朝最終予選、面談の結果が出たばかりだった。フリーダの宣言通りハリーは落ちていた。
「いいんだ、通ってもゴブレットに選ばれるとは思ってないし」
「でも私のせいだ。あの悪魔のような女を来させないように努力すべきだった。本当にごめん」
「頼むから謝らないで」
フレイはかなり落ち込んでいるらしく、美味いサンドイッチを食べても表情はかげったままだった。紅茶を飲んでようやく表情が和らいできたところで、ハリーは切り出した。
「フリーダ・グリンデルバルドから、フレイのこと何も知らないって言われちゃった」
「ああ、あいつはそうやって決めつけて見下すんだ」
「でもぼくその時は反論できなかった。実際、フレイのことよくわからなくなってたから。フレイがどんな子供だったのかとか、教師になる前に何をしていたのかとか、これから何をしたいのかとか…今のフレイのことはよく知ってるつもりだけど、今以外の何も知らない」
「…フリーダから何を言われたんだい」
ハリーはフレイの顔を見ることができなかった。背中を向けたまま、少し震えた声で言った。
「フレイはぼくに言ってないことが沢山ある、よね。もちろん言いたくないことなんだと思う…。ただ、知りたくて。フレイ。フレイは…何をしたかったの?」
フレイはしばし黙った。その沈黙はやたらと長く感じた。
「…何を言われたかだいたい想像ついてしまったよ」
沈黙を破り、フレイがため息をつくのがわかった。どんな顔をしているんだろう。気になったけれど、振り返れなかった。
「フリーダが言うことは全て事実だ。あいつは嘘はつかないからな。主観で捻じ曲がったことは言うが…」
「…たくさんの人の命を奪ったっていうのも」
「事実だ」
「…嘘だ」
「本当だよ」
ハリーは振り向いた。フレイはいつも教職員テーブルでしてるようなぶっきらぼうなへの字の口をしている。
「フレイはそんなことできる人じゃない」
「…まあそりゃ自分の手で死の呪文をかけたとかではないよ。だが私のしたことの結果数百で済む死人が何万にも膨れ上がった。それは私が殺したのと同じだろう」
「…フレイはフリーダと同じだね。嘘はつかないけど主観で捻じ曲がったこと言う」
「うわ、嫌味」
「一体何をしたの…?」
フレイはやはり少しだけ黙った。普段より慎重に発言しようとしているのが見てとれた。
「何をしたのかは…言えない。手段を知っても意味がない。重要なのは、私がこの世界を無かったことにしようとして失敗したと言う事実だけだよ」
「この世界を無かったことにする…?」
一体何を言ってるのかわからなかった。フレイはそんな曖昧なことをいうような人ではない。しかしはぐらかしたり嘘をついているという気配もなかった。ハリーはますますわからなくなる。
「そう。そういう意味では…成功した方がもしかしたら犠牲は多かったかもな」
フレイは自嘲気味に笑った。
「それは…グリンデルバルドと血が繋がってないことと関係ある?」
「ああ、あいつそこまで話したのか」
フレイは少し考えるような素振りを見せた。今回は言葉を選ぶというよりも自分の気持ちをよく咀嚼しているような、そんな間だった。
「いや、それは…関係ない。のかな。直接の動機ではない」
「じゃあどうして?」
「どうしてか…」
フレイは天を仰いだ。表情は少ししか読み取れなかったが、どこか懐かしそうに目を細めているのはわかる。見たことのないフレイの顔に少し戸惑う。
「五歳の時かな…私はグリンデルバルドの一族に選抜された。そんな制度があるなんて知らなかったから、正直かなり嬉しかった。これが私の運命なのだと思った。グリンデルバルドの孫にはね、特別な才能を持つものだけが選ばれるんだ。私にはそれがあった。だから別に運命なんかじゃない、必然だったのさ。でもそれでもよかった」
フレイは少し笑っていた。でもその笑みは冷たくて触れ難いようなそんな歪な笑顔だ。
「なのに…いざ彼を前にしたら、思っていたのと全然違った…」
笑顔は一瞬で消え失せた。ハリーはその変容を見てすこしたじろぐ。無表情だが、とても感情的だと思った。普段のフレイから色んなものを剥ぎ取って裸にしてしまったような、剝き身の感情。
フレイが今まで一度たりとも見せなかった顔にハリーは引きそうになる。自分から言ったのに酷い話だ。でもこんなのはハリーの知ってるフレイとかけ離れていて、すごく怖い。
「その失望をどうにかしようとして、結果的に多くの命を奪った。そして私は逃げ出したんだ」
こんな話をさせたのも自分なのに。
「君は去年シリウスとリーマスと出会った帰り道、私に心はちゃんとここにあると言ってくれた。覚えてる?」
「うん」
「でも私にはずっと大きな空洞に感じるんだ」
こんな話をしてほしくないと思ってしまう。本当に矛盾している。
結局のところ、自分の願望通りのフレイであって欲しかったのだ。
グリンデルバルドの孫なのに厭世的で、優しくて、自分を守ってくれて、自分と同じようにこの世界を愛しているからこそ怒っている。
そんなフレイを期待していた。そのことに気づいて恥ずかしくなる。
「そんな悲しいことを言わないでよ」
じゃあ、これまでもずっとそんな気持ちで過ごしていたの?
無かったことになればいいと思った世界で。
空虚な気持ちで。
笑ったり、怒ったり、踊ったり、楽しそうにしていたのも全部その空洞に響いた残響?
そんなことないでしょう、フレイ。
そんなことないと、言ってほしい。
「言わないで…」
「……ハリー…」
「フレイにどんな過去があっても関係ない。ぼくはフレイが今そんな悲しい気持ちでいることが悲しい」
フレイは驚いたように目を開いた。多分本人に言っても認めないけれど、それは少しだけ泣きそうな顔に見えた。
初めて会った時のどこか物寂しげな美しさを感じた。そう、まるで知らない他人みたいな顔をした。
「……そうか、悲しい気持ち。ハリーは可愛らしい表現をするんだね…」
「え…?」
フレイはふいにハリーを抱きしめた。体はすっかり冷たくなっていたけど、息だけが温かい。ハリーの耳元で、フレイのやけにはっきりとした声が響いた。
「ハリーが悲しいのは、私も悲しいな…」
「そう…」
「きいて」
フレイの唇がグッと近づき、頭の中いっぱいに響くようにフレイの声がした。いつもより低くて、どこか逆らいがたい気持ちを沸き起こすような声だった。
「最近、それを埋める方法がわかったんだ」
「そ…それって…?」
「君がいれば、きっとうまくいく気がする」
ハリーを抱きしめる手の力が強くなった。それはなんだか縋るようでもあり、この場に釘付けにするためのようでもあった。ハリーはなんだかその場で溺れそうな気分になる。
心が乱れる、のではない。むしろ抱きしめる腕の強さが心を深い場所へ落ち着けるような。
そうだ、グリンデルバルド。あの老人を思い出した。
あの人間離れした魅力は、フレイのもつ美しさとほとんど同じだと気がついた。
そして同時にフレイを美しいと感じた理由が分かった気がした。
美しさとは、絶対に詰められない距離があること。触れられないものに憧れること。決して分かり合えないこと。
心の底にある孤独がフレイを美しく見せていたのかもしれない。
どうして本音で話してくれないんだろう。
恐れていたことが的中した悲しみと、今ここにある孤独な人への恋しさが混じりあっていく。
その美しさを剥ぎ取ってしまいたいよ。
自分にできることはきっと一歩近づこうと足を進めること。それが罠の中だと分かっていても。
「ぼくに…できること…ある?」
「協力してくれるかい」
「うん…いいよ」
「…ありがとう、ハリー」
三月になって。ボーバトン、ダームストラングがいよいよホグワーツへやって来てそれぞれの予選突破者が炎のゴブレットに名前を入れた。大会関係者全員が見守る厳粛な場で、ゴブレットは煌々と光り輝き彼らの名前が書かれた羊皮紙を飲み込んだ。
翌日、ゴブレットにより各校1人ずつ、計3名の代表選手が選ばれる…はずだった。
しかしゴブレットは4人目の名前を吐き出した。
ハリー・ポッター。
でてきた羊皮紙の名前をファッジが読み上げた時、ハリーは聞き間違いかと思って反応しそびれた。
ハーマイオニーが名前を呼んで、周りの生徒たちが全員ハリーを見つめていてようやく何が起きているのかわかった。
「……え?」
職員席ではフレイが口の周りに野菜ジュースをつけたまま呆然とこちらを見ていた。
「ハリー…ポッター。こちらへ」
バーティ・クラウチ校長がもう一度ハリーの名前を読んで、手招いた。ハリーは鉛よりも重い尻をなんとかあげて、立ち上がった。