嫌な出来事は連続して起きるものだ。それからの数年は、私にとって一番無かったことにしたい出来事だらけだ。結果的にそれを実現させたことは…わざわざ言うまででもないかな。
とにかく、セバスチャンは蘇りの石がゴーント家に代々指輪として受け継がれていることを突き止めた。そしてオミニスを説き伏せて、その指輪を盗み出した。
私はそんなことも知らず、神秘部の逆転時計の実験に立ち会っていた。砂つぶの量産は結局大した成果も得られなかったが、それでもなんとか数時間分遡るくらいの量はできた。主な目的は時間遡行した使用者が無事でいられるか、というごく初歩的なものだった。
実験はおそらく成功だった。おそらくと言うのも、1時間ぽっち遡って変えた出来事の影響はたかが知れていたからだ。だが成功は成功。1人の死者も出さずに終えることができた。
私はクローカー教授と改善案をいくつか考えてからホグズミードの三本の箒へいった。イギリスに帰る時は大抵そこに泊まっていたから。そこへ帰った途端、店主のシローナ・ライアンが青ざめた顔で私を待っていた。
シローナは急いでサロウ家へ向かうように言うと煙突飛行粉を押し付け、私を暖炉に追いやった。何が何だかわからないままフェルドクロフトに飛び、セバスチャンとオミニスのいる家へと走った。
家の中は荒れていた。まるで熊でも暴れたようだった。流れる空気が重かった。疲れ切って開けた宿のドアみたいだ。居室へ足を踏み入れると、部屋の中央にあるソファーにセバスチャンが寝かされていた。その横の椅子でオミニスがぐったりと眠っていた。私の来訪にも気づかないほど深く眠っている。
セバスチャンの顔色は今にも死にそうなくらい蒼白だった。一体何が起きたのか、よく見るとソファーの周りには血のついた布と包帯が散乱していた。
テーブルの上を見ると、ボウルの中に指輪の嵌った指が入っていた。黒く輝く石を頂く古めかしい指輪。そのすぐ下はすっかり血の抜け切った肉。
いったい何があったのか、オミニスを叩き起こして聞き出した。
「どこにいたんだ!」
オミニスの頬には涙の跡と引っ掻き傷があった。こんなに取り乱した彼はスリザリンの秘密の書斎への道のりで閉じ込められた時以来だった。
「神秘部にいたんだ。一体セバスチャンに何があったの?あの指はなに?」
私とオミニスの怒鳴り声でセバスチャンはうめいた。オミニスはハッとしてから立ち上がり、台所へ移動した。オミニスは小声で事の顛末を私に語った。
蘇りの石を欲したセバスチャンは、まるで取り憑かれたようだったと言う。ペベレル家の末裔であるゴーント家。その一員であるオミニスに鬼気迫る様相でその石を探すように頼み込んだ。オミニスがどれだけゴーント家の気質にうんざりしていたか最も身近で目にしていたにも関わらず、だ。
その異様さにオミニスは驚き、セバスチャンの元を離れようかとも思った。しかしセバスチャンが闇の魔術に手を出し、取り返しのつかない過ちを思い出した。あの時オミニスが手を離さなければ、セバスチャンはここまでおかしくはならなかったのではないか。
妹を救うため、闇の魔術にまで縋ったセバスチャン。
そして罪を犯し、妹に見放され、それでも世界を放浪し救う術を探し続けたセバスチャン。
そこまでしても、結局妹は救えなかった。
愛すべき親友。そんな言葉で飾れるほどセバスチャンに寄り添えていたのだろうか?自分の正義を優先するあまり、彼と一緒に踏み外すことができなかった。
オミニスは壊れかけているセバスチャンの手を今度は離さなかった。
オミニスは実家から蘇りの石が嵌った指輪を盗み出した。ゆくゆくは彼の指に嵌るものとはいえ、ちょっとした罰に闇の魔術を使うような家からよく盗み出せたものだ。ホグワーツでの悪戯の日々が幸いしたのかもしれない。
とにかく、オミニスはセバスチャンの望みを叶えた。ここまではよかったのだ。
セバスチャンは指輪を嵌めてしまった。
その指輪には、ゴーント家の人間以外が着けると作動する罠が仕掛けられていた。
指輪を嵌めてすぐに彼は苦しみ出した。磔の呪いをかけられた時よりも壮絶な苦しみに暴れまわり、オミニスも吹き飛ばされたと言う。目が見えないオミニスは杖を探し、セバスチャンがのたうちまわる音を頼りに彼を押さえつけた。
指輪が原因なのは明らかだったので、なんとかそれを外そうとした。しかし指輪はセバスチャンの指を締めるように食い込んでおり、どうがんばっても外せなかった。
そしてやむなく指を指輪ごと切断した。
セバスチャンは呪いを受けた。癒者も駆けつけたそうだが、お手上げだと言ったらしい。どうやら指輪の呪いは古く、現代の魔法では一体何が起きたのかすらわからないらしい。ただ一つ確かなのは、呪いは全身を駆け巡り、苦しみを与えながらじわじわと盗人を殺すだろうと言う事だ。
私は絶句した。そしてすぐにサロウ家を飛び出し、神秘部へ戻った。
逆転時計。私の頭にあったのはそれだけだった。
「しかしその段階で逆転時計が遡れるのはせいぜい6時間程度だった。セバスチャンが指輪を嵌める前には戻れない。セバスチャンがどれだけ生きてられるかわからなかったが、開発を急ぐ必要があった。完成が伸びれば伸びるほど、逆行する時間も長くなる。私は結局はじめにクローカーが行っていた砂つぶの量産をしなければならなかった。…逆に言えば、初めから彼の依頼に素直に応じていればこの時セバスチャンを救えていたかもしれないわけだ」
私は三杯目のウィスキーをいれた。セブルスは何も言わなかった。
「前の世界でも逆転時計に深く関わっていたとは…」
「ああ。だからクローカーと会うと気まずいんだよ。2回も研究を大失敗させてしまったからな」
「…ということは、君はセバスチャンを」
「そう。救えなかった」
時間遡行に関しては理論は完璧でも実用化にはいくつもの障壁があった。逆転時計は砂時計の形をした魔法の道具だ。
本体である透明なくびれのある管の素材からくびれの太さ、そもそもの容器の大きさ。本体を支えるフレームの素材、形状。そこに刻むべき魔法。クローカーは根気強くあらゆるものを試作し続けていたが、長時間の完璧な制御はまだ難しかった。
彼の完璧主義も災いして、時計はなかなか完成に至らなかった。
私はたとえどんなに不格好でも雑でも一刻も早く逆転時計を完成させたかった。しかし遡らなければいけない時間はどんどん嵩んでいった。
週に一度、セバスチャンの様子を見にいった。セバスチャンはほとんど意識がなかった。手を握ると、痛そうに呻くだけ。奇しくも彼の妹、アン・サロウが受けた呪いと似ていた。
苦しみを取り除く魔法が使えたら。何度かセバスチャンに杖をかざし、迷った。しかしオミニスの言葉が私を思いとどまらせた。
ああ。私の古代魔術が癒しの力を持っていれば。ニワトコの杖があれば。逆転時計が完成すれば。たら、ればだけが頭に浮かんでは消えていく。
そして、セバスチャンはあっさり死んだ。
逆転時計の研究は大詰めだった。しかし、間に合わなかった。
葬式にはほとんど人が来なかった。かつての旧友はみな仕事を持ち、家庭を持ち、闇の魔術に傾倒したセバスチャンと関わりがあると知られるのを恐れた。
項垂れるオミニスの背中は小さかった。苦しむセバスチャンと長く一緒にいたせいか、彼も疲れ切っていた。
セバスチャンを弔って、家主のいなくなったサロウ家のダイニングで私とオミニスは膝を突き合わせていた。無言でハーブティーを飲みながら、暖炉の音を聞くだけの時間が流れていた。
「フレイ、頼みがあるんだ」
「なに?オミニス」
「この悲しみを消してくれ…」
愛した結果が常にいいものとは限らない。寄り添うことが最善でないことなんていくらでもある。愛することが苦しみを伴うことはとっくにわかっていた。
私はただオミニスを抱きしめて、空が白む頃にようやく眠りについた彼に毛布をかけた。
私は外へ出て、小高い丘の上にある廃墟へ向かった。もうずいぶんと緑に侵食されているが、ここでかつてセバスチャンと小鬼相手に戦った。
そこからフェルドクロフトの朝焼けを見ながら旅先で手に入れたタバコをふかした。
この景色を、きっとイシドーラ・モーガナークを見たのだろう。私と同じ才能を持って、間違った方向へ使った魔女。愛した結果が破滅だった、私の先輩。
どんなに悲しいことがあっても夜は明けて季節は巡る。繰り返しと積み重なりが心の傷の痛みを和らげるのだろう。痛みを忘れることができたなら。イシドーラの願いが今更身に沁みてきた。
一筋の涙が頬をつたった。泣くのは久々だった。
逆転時計が何年もの時間を遡れるようになればセバスチャンを助けることができる。しかし1人の死を無かったことにすることが世界に一体どれほどの影響を与えるかわからない。
過去を変えること、すなわち因果を変えることは現在に致命的な結果をもたらす。これは数時間単位での時間遡行実験でも如実に結果として現れていた。セバスチャンを助けることで一体どれほど世界に歪みが現れるか予想がつかない。
そしてその行為がセバスチャンが妹を助けようとして闇の魔術の深みにはまったのと全く同じ轍であることを、私はもうすでに気がついてしまっていた。
紫煙が朝に溶けていく。この光景はいつかの思い出を蘇らせた。憧れに輝く瞳を持った、あの少年の声や姿を。
ふと前を見ると、1人の青年が立っていた。
ゲラート・グリンデルバルドが運命みたいに私の前に立っていたのだ。
「…今日はここまでかな」
「なぜだ。全て話してもらうと言っただろう」
「君のお願いだろう。それに私ばかり話して疲れた。もし君がなぜ私に協力するかを語ってくれるなら、その間に回復するかもしれないが」
「そんなことを知ってどうする」
「別に。ただ知りたいんだよ。君がおじいさまを裏切る理由」
「…ありふれた…話だ」
「教えてよ、セブルス。もうすぐなかったことになるこの世界だけど…君のことちゃんと知りたいんだ」
セブルスは深く息を吸って、吐いた。
そしてグラスにのこった酒を一気に煽るとぽつりぽつりと話し始めた。
セブルス・スネイプがゲラート・グリンデルバルド直属の諜報機関、不死鳥の騎士団に入れたのは偶然だったと言う。
セブルスの子供時代はまだ今ほどグリンデルバルドの統治が行き届いていなかった。イギリスはヴォルデモートというテロリストのおかげで不安定であり、マグル特別区建設が遅れる地域が相次いだ。
そういった地域は魔法使いとマグルの居住区をわけ、公共施設や交通機関も魔法使い用、マグル用を徹底的にわけた。マグルたちは身分証明のために腕章をつけた。
セブルスは腕章をつけたマグルが怯えながら道を足早に通り過ぎる姿をよく見かけたという。
魔法使いと結婚したマグルは腕章をつけることを免れていた。セブルスの親世代はマグルと結婚することはごく普通のことだった。
だがそんな配偶者マグルのほとんどは家から出ることを恐れていた。魔法使いに出くわせば蔑まれ、マグルに出くわせば裏切り者と罵られるからだ。
セブルスの父親のマグルもその典型で、家で沈鬱な顔をして酒を飲み、しょっちゅう母親と大喧嘩していたと言う。
セブルスはそんな家にいるのは嫌で、人気のない遊び場のそばにある木の下で時間を潰していた。遊び場にいかないのは、そこにたまたま人が来た時自分を見て眉を顰めるあの瞬間が嫌だったから。
誰かがブランコで遊ぶ声を聞きながら本を読んでいた時、楽しげな声がした。ふと目をやると、そこには腕章をつけたマグルの女の子が2人いた。なんと片方は魔法を使っていた。
当時はまだ魔法力検査がなかった。その子は5歳をとっくに過ぎていたが家族と暮らしていたらしい。
マグル分離政策が本格化したのはセブルスが14歳になってからだ。セブルスはグリンデルバルド政権の実力が評価される社会の恩恵を受けていた。闇の魔術に長けていて、魔法薬では天才と称されるセブルスはホグワーツで主席も間違いないと期待されていた。
分離政策により、セブルスの父親は銀の腕輪を嵌めることになった。父は大いに嫌がり母を殴りつけようとした。しかし母は父に服従の呪文を使った。服従の呪文は、マグルに使う分には犯罪にならない。そう、ならないのだ。
これまで隣人だったものが、人として扱われなくなる倫理の転換点だった。
そして死喰い人にならないかという勧誘がきた。
セブルスは過激な死喰い人の理念にすっかり共感していた。ヴォルデモートの思想はマグル分離政策を先鋭化したものなのだから、グリンデルバルド政権下のエリートが踏み外すにはちょうどよかったのだろう。
あとはよくある転落話。セブルスは無事死喰い人に。しかし任務でヘマをして不死鳥の騎士団に捕まってしまう。
不死鳥の騎士団は内通者を欲しており、そのままセブルスは内通者になった。
「なあ、死喰い人になるにあたって君のマグル出身者のお友達について、考えなかったのかい」
「彼女は魔法使いだ」
セブルスの表情は固かった。これまでの話で嘘はついていないが、本心ではない。何かを言うまいとしているのは明らかだった。
「結局わからなかったな。そんな君が、死喰い人も騎士団も裏切るのはなぜ?」
「…‥失望したのだ。フレイ、君と同じように、ゲラート・グリンデルバルドに。失望したままこのホグワーツで過ごしていたところに…‥ポッターがあらわれた。君と同じだ」
「なるほどね、道理で気が合うわけだ」
失望した理由はどうしても話したくないらしい。
「…まあ、私も全てを語っているわけではないからな」
私は立ち上がって伸びをした。時計を確認するともう朝と言える時間だった。
「続きはお互いまた今度だな」
「……今度があるのか?」
「ま、あるだろ。もうだめ、私は眠気が限界だ。明日は君が持ってきた例のあれを回収しに行かねば」
セブルスも話し疲れたせいか、粘られることはなかった。私は校長室に戻って寝室へ行き、そのまま眠った。どうせ数時間で起こされるのだが、徹夜が堪える年齢になってしまった。ああ、肉体の方がね。
うとうとすると、セブルスに話してなかったフェルドクロフトでの再会の続きの夢を見た。もう、私の中にしかない思い出は夢と同じくらいに不確かで都合が良くて、嫌になるな。
「フレイッ!」
ゲラートは笑いながら私の名前を呼んだ。そして間髪入れず、杖を振ってきた。
デパルソだった。
私は吹っ飛ばされ、地面に大の字に倒れた。唐突な攻撃に唖然としてしまい、何もできなかった。
茜色の空と消えてゆく星が視界いっぱいに広がっていた。そして足音がして、ゲラートが私に覆い被さってきた。手首をしっかり押さえて逃げられないように。
「捕まえた。不意打ちでも勝ちは勝ちだろ?」
ゲラートの目は相変わらず輝いていて、生意気そうな笑顔はずいぶん成長していたが変わらなかった。どうしてかわからないが涙が溢れてきた。
「え…何?そんなにショックだった?」
ゲラートは戸惑っていた。彼は本当に純粋に私を見つけて捕まえにきただけなのだ。そのしがらみのなさと純真さになぜか心打たれてしまった。
ゲラートは手を離して私の涙をぬぐうか助け起こすかしようとした。私はすかさず彼の手を掴み返し、引き寄せた。
抱きしめた体はずいぶん大きく筋肉質になっていた。
「油断大敵」
私の囁きに一瞬気を取られたゲラートを抱きしめたまま転がり上へ跨り、彼の杖を奪って突きつけた。
「あっ…!ずるいぞフレイ!」
「私の勝ちだな。ゲラート」
「あんたほんっと負けず嫌いだな…!」
私は笑う。ゲラートも笑った。
こうして私は約束を果たすことになってしまった。