私は喪服のように真っ黒なローブに身を包み襟を正す。普段セブルスが着ているような曇徴な黒とは違うもっと上品に洗練された黒だ。近くで見ると死の秘宝のシンボルがほんの少し違う明度の糸で刺繍されている。安月給の君と違って私は校長なんだぞ。と言うとセブルスは半ばバカにしたように笑った。悔しい。
そんなセブルスもいささか緊張気味だ。それも当然。私たちがこの後会わなくてはいけないのはヴォルデモート卿なのだから。
セブルスはいつもよりもぎゅっと眉根を寄せて校長室の入り口に立っていた。めかし込んで来た私を見ると一瞬だけ視線を向け、また前を向いてしまう。トムだったら何か一言皮肉を言うだろうに。こういうところでかわいげがないから彼はずっと陰日向で辛抱強さを強要されるんじゃないだろうか。
「行こうか、ワクワクしないけど」
「…ああ」
私とヴォルデモートが落ち合うのは禁じられた森の奥にある洞窟だった。アクロマンチュラの巣のすぐそばで、ケンタウルスも近づかない危険地帯だ。我々は禁じられた森の中、監視の目が届かないくらい深くまで行ってからそこへ姿くらましをする。もちろん姿くらましできるのは校長特権を持つ私だけだ。
ヴォルデモートにはセブルスを通じてポートキーを渡した。その行き先を洞窟に設定し、さらにそこから出られぬように巨大な檻を置いた。と言っても外見は納骨堂で、格子は一切ない石棺のような建物だ。
外へ出るためには私が新たにポートキーを作るか、共に姿あらわしをするしかない。中で私を殺せばヴォルデモートはその石棺に閉じ込められることとなる。安全対策だ。最悪私とヴォルデモートの棺になる。オエ。
「行ってくる」
「…くれぐれも礼儀正しく」
「まかせろ、得意分野だ」
「……」
私はセブルスの顰めっ面を見て笑って、その石棺の中へ姿あらわしした。
密閉された空間にある灯りは四隅に灯る銀色の光のみ。そしてその下で、黒い影がその石の壁を指でなぞっていた。
「見事な石だな」
理性的な声色だった。ヴォルデモートの纏う黒いローブは私の夜のような重厚な布地と違って不吉な霧のように闇に溶け込んでいた。影武者でも立ててくるかと舐めていた節があったが、この存在感は間違いなく闇の帝王本人だった。
あの全てが辿り着く死と腐敗の積み重なった場所で感じたものとは全く違う。静謐な石の檻の中で対峙してようやくこの男の恐ろしさを痛感した。人から遠ざかりつつあるものから発せられる肌を逆撫でするような緊張感。それが私の背筋に走っている。
「あんたの墓石に使いたいなら、どうぞご自由に」
「減らず口を」
ヴォルデモートはフン、と鼻を鳴らす。そして血のように赤い目がフードの下から私を睨め付けた。
「すまない、ようやくあんたと冷静に話し合えそうで少し浮かれすぎていたようだ。まず初めに、散々な別れ際にも関わらずに招待を受けてくれて感謝する」
私は頭を下げる。ヴォルデモートは私の上っ面だけにしろ謙る態度をみて多少苛立ちが和らいだように見えた。
「はじめに言っておくが、俺様がここにきたのは貴様のクーデター計画とやらに聞く価値を見出したからだ。見当違いだと思い次第、交渉は決裂する」
「ああ。要は私の兄弟たちが総帥ゲラート・グリンデルバルドを倒そうとしているんだ。首謀者は魔法警察庁長官のガブリエルとドイツ魔法軍参謀本部のジークフリート。彼らは祖父を捕えて政治の実権を握ろうとしている」
「ほう。なんとも捻りのない裏切り行為だな」
「彼らは自分たちで世界を変えたいだけだ。純粋なんだよ」
「では貴様は?」
「私はただ世界を滅茶苦茶にしたいだけだ。あんたと同じ」
ヴォルデモートの目が私を見つめる。以前クィリナス越しに開心術をかけられた経験からあまり目を合わせたくないが、かといってそらせば弱腰と捉えられる。ヴォルデモートの見た私の過去はどれも不可解に映っただろう。
だからこそ言葉選びには慎重にならなくてはならない。
「決行場所はヌルメンガード。ゲラートはほとんどそこにいるからな。そしてここからが重要だ。私は秘密裏にダンブルドア軍団もこの計画に組み込んでいる。クーデターの混乱に合わせて、ダンブルドア軍団がヌルメンガードに潜入し、アルバスを救出する手筈だ。孫連盟が祖父を捕らえようとするその瞬間に、救出が起きる」
「ダンブルドア軍団がその話に乗るであろう事はわかる。だが貴様のメリットはなんだ?まさかダンブルドアの信奉者だとか抜かすまいよ」
「ダンブルドアを取り戻せばおそらくイギリス内でもファッジ政権に対する反乱が起きるはずだ。ここはアメリカとの戦争における前線。結果として帝国内の混乱は最大化する」
「あくまで目的は混沌、と?フレイ・グリンデルバルド。俺様がそんな安い動機の作戦に乗ると思うのか」
「………確かに、あんたは血筋だけは高貴だものな。私のような下賎な人間の気持ちなんて理解できるはずもないか」
私は大きくため息をつく。ヴォルデモートは今のところ話を聞いてくれている。
「私はゲラートの理想を、信念を、夢を貶めるこの世界が許せないだけなんだよ」
「何をいう。この世界を作ったのがそもそもゲラート・グリンデルバルドではないか」
「そうなんだよ。だから私は許せないんだ」
「会話を成立させる気がないようだな」
「私の記憶の中で死んでいた男はゲラート・グリンデルバルドだ」
ヴォルデモートは黙って私を観察する。私は慎重に言葉を選ぶ。嘘をついてはいけない。こいつは見破る。だが本当のことを言わないことはできるから。
「私はダンブルドアとの決闘で死ぬはずだった彼の命を救った。その結果、世界はこんな形になってしまった」
ヴォルデモートはしばし沈黙する。
「時、か?」
「そうだ。さすが闇の魔術マニアだな」
「神秘部で何をやっていたかと思ったが、『時』の部署にいたとは」
正確には違う。
私は前の世界で古代魔術を使い、時をめちゃくちゃにした。それを取り返すために神秘部に入り、悪あがきをしていたのだ。だがヴォルデモートには勘違いをさせておく。大丈夫、嘘はついていない。
この貪欲に力を求め、不死を望み、魂までも八つ裂きにするような男にニワトコの杖が目的であることは知られてはならない。
「…だが解せんな。この世界はそもそもゲラート・グリンデルバルドの作り上げた理想の世界だろう。それを『夢を貶める』と言うのは一体なんの根拠がある」
「…だって普通に考えてみろよ。ここがあいつの理想の世界なら、私がこんなに苦しいはずないだろ」
私の中に湧き上がるのは怒りか、それとも未練だろうか。もう判別することも難しい。
幼少期、魔法の力を自覚したその時に変わる前の世界の記憶が蘇った。そこからずっと突きつけられてきたこの世界の現実。本当の親の顔を初めて知れた。一年中暖かい家、子供のために作られたおもちゃ。母親の笑顔。
そして数えきれないほどの残酷。
「どうしてすべてが管理されてるんだ?
ここでは生まれた瞬間、生き方がほとんど決まってる。
なんで命がこんなにも軽いんだ?
ささやかな夢を、秘密を持つことがどうしてこんなに難しい。
この世界が完全だと言うのなら、どうしてこんなたくさんの嘘をつかなきゃならないんだ」
グリンデルバルドに選ばれた時、私は運命を確信したよ。ああ、生きる時間は違ってしまったけれどゲラートはやはり私を見つけるのだと。
その時私に見えていたのはこの帝国の光だけだった。だがゲラートは私に見せてくれた。このシステムの下に積み上がる死体の山。脱臭された支配の構造。隠された監視の目。
これが、おまえが語った夢の果て?そんなはずないだろ。
「ゲラートが生きていれば私はそれでよかった」
本当だよ。私の知らない時を重ねた老いたおまえの姿を見た時、私は本当に嬉しかったんだ。この世界がクソを積み上げたハリボテでも、もうおまえが私を忘れ去られた名で呼んでくれなくても、それでもいいと心から思った。
「でもそれは違った」
あの城だ。あの高い城の男の存在を知った時、私はもはやこの世界を信じることができなくなった。それは同時に、私のした行いの正当化が不可能になったことを示していた。
その瞬間、私が呪った数多の残虐は全て私に還ってきた。だから私は逃げたのだ。
「私は、私の思う形をしていないあいつが憎い」
私の独白にヴォルデモートは心底バカにしたような笑顔を浮かべた。
「やはり、貴様は大馬鹿者だ。誰かのために犠牲を払い、その結果思い通りにならなかったなど当然のことだろう。それでいじけて世界をめちゃくちゃにする?呆れを通り越して笑えるな」
「笑ってくれてどうも。あんたの忖度のない感想は心に沁みるね。うっかり好きになってしまいそうだ」
私の皮肉めいた本音にヴォルデモートはますます嘲笑的な顔を浮かべる。そこにあるのは残虐と、僅かばかりの人間性。どうかな、私はいかにも御し易そうだろ。
「フレイ・グリンデルバルド。いいだろう、貴様の案に乗ってやる」
私は心の中でガッツポーズをした。
「しかし、ハリー・ポッターはこの作戦が終わり次第、殺す」
ああまったく。頭の硬い闇の魔法使いは本当に嫌いだ。
私は頭の中でこいつをボコボコにするイメージを浮かべた。しかし古代魔術の残滓しか使えない私では勝算は低い。悔しいことにヴォルデモートはこれまで戦ったどの闇の魔法使いよりも強い。
しっかりしろ。
私は、ハリーを利用すると決めたんだ。
「……いいだろう。その時は全力で戦おう」
「…では、交渉成立だな」
私は頷いて手を差し出した。ヴォルデモートと私の視線が交じわる。思いのほか澄んだ瞳の奥にはほんの少しの戸惑いがあった。手を差し伸べられるなんて久々か?私の心の中の挑発を感じたってか、ヴォルデモートはすぐに手を握り返した。
私はヴォルデモートの手にポートキーを握らせる。彼はあっという間に石棺から消えた。
「…はあ」
私はやっと緊張が解けてため息をつき、杖を振った。石壁は地面へとゆっくり沈み、天井は壁に吸い込まれるように消えた。
何もない暗い洞窟に私だけが残った。かつてはここに古代魔術によって作られた迷宮が広がっていた。哀れなジャック・ドウの遺体も。しかしここには小動物の死骸以外何もない。
空っぽだ。バカな私と同じくらい。
そして私は、誕生日プレゼントを抱えて夏のグラストンベリーにいた。記憶をほんの少しばかり改ざんされたハリーに会いに。
チャリス・ウェル孤児院は何度訪れても変わらない。美しい緑と花々が古い石垣を彩って、ついさっき遣った水の滴りが私の靴底を濡らしている。
敷地の中に入ると美しいイングリッシュガーデンが広がっていて、子どもの声が聞こえてくる。庭の隅には誰かが屈んでいて花壇の花を摘んでいた。
「こんにちは」
声をかけるとその人物が立ち上がる。銀の腕輪をはめた女性だった。ペチュニア・エバンズ。ハリーの実の叔母にあたる人物。
「グリンデルバルド様…」
彼女は驚き、自身の泥まみれの姿を恥じるように一歩下がり顔を伏せた。歓迎だのなんだので1日の予定を台無しにしないようにアポ無しで来たのだが、かえって悪かったかもしれない。
「お気になさらず。ハリーはいますか?」
「あ…あのこは今日、友達と出かけています…」
「そうですか。じゃあこれ渡しておいてください。誕生日プレゼントです」
「もうそろそろ帰ってくるはずですが、お待ちになりますか」
「いや、遠慮しておきましょう。せっかく素敵な1日なんだし」
「…あの子はあなたに会えたらきっと喜びます」
「…そうかな」
「ッ………差し出がましいことを申し上げました。どうかご容赦くださいませ…」
「いや、そんな。…そうだな。エバンズさん、あなたはハリーをよく見てらっしゃるようだ。ねえ、あの子を愛していますか」
「は…」
ペチュニアは唐突な問いかけに一瞬戸惑った。しかし暫し口を閉じると、慎重に言葉を選びながら答えた。
「この家の魔法使いの子どもは、みな特別です。私はマグルで決して対等ではありませんが…愛を持ってお仕事をさせていただいております」
ああ。だからそういうのはもううんざりなんだってば。
「あなた、ハリーの叔母さんですよね」
「…ええ。そうです」
「ちょっとした答え合わせだ。母の愛が死してなおなぜ今も有効か。それは血族のあなたがずっとあの子を愛していたから。あの子を守ってくれていたからだったんですね」
「…?それは…どういう…」
「いえ。だから私は…要するに私なんてものは、あの子にとって余計な試練を呼び込むだけの疫病神なんです」
私はプレゼントをペチュニアに押し付けて背中を向けた。だがペチュニアは私の腕を掴んで引き留めた。私は驚き、振り向く。彼女は私に怯えていたはずなのに、その手の力は強く、また私を見つめる眼差しも力強かった。
「あの子は、あなたを愛していますよ」
有無を言わせない口調だった。ハリーが私のことを愛してるなんて、私にだっていやと言うほどわかっているんだ。そして私も、おそらく。
「会ってやってください」
私はそれでも食い下がろうとした時、後ろから「あー!」と言う声がした。
「フレイ、来てくれたんだ!」
ハリーは私の姿を見るや否や懐に飛び込んできた。一年生の時からうんと背が伸びたくせにほとんど同じ勢いで飛びついてくるものだから私もよろめく。スポーツをやっている分もうハリーの方が私より筋肉がついてそうだ。
「驚かせたくてね」
「驚いたよ!言ってくれればいたのに」
ハリーはにこやかに笑う。私はうまく笑えているかな。
ハリーに施された記憶処置はゲーム終盤、セドリック・ディゴリーに襲いかかって以降だ。もとより気絶していたため大した記憶はないのだが、偽の記憶を植え付けられた。ハリーはクラムにやられて脱落したことになっている。記録上とハリーの記憶上は。
そんなことをする必要ないはずなのに、魔法省のやつらはどうしても嘘で上書きしなきゃ気が済まないらしい。
そのせいで私の一連の怪我がグラップホーンのせいになっており、変なところで気を遣われるのが一番納得できてない。
私はハリーを虚構から守れなかった。ほんのわずかとはいえ、ハリーはこの世界に都合がいいように記憶を改竄されてしまった。このクソみたいな世界を形作る嘘の一つにされてしまった。
利用すると決めておいて、私はそんなことでショックを受けてる。本当に矛盾している。
「誕生日おめでとうって言いたかっただけなんだ」
「毎年ありがとう、フレイ」
ハリーはペチュニアから手渡されたプレゼントの包みを掲げて笑った。
その笑顔に嘘がないから、私はますます苦しいんだ。
夕食を取らないかという誘いは丁重に断った。多分私が突然来ることで肝を冷やすか首が飛ぶやしきしもべがいるだろうから。代わりに、出会った時と同じように古井戸のそばのベンチにハリーと2人腰掛け、少し話すことにした。
「懐かしいね」
「ああ。あっという間に大きくなった。…ベンチが狭い」
「あはは、確かに」
出会ったばかりのハリーは大人しくて小さな男の子だったが、今はもうすっかりスポーツ青年で背が伸び筋肉もついて随分いかつくなってしまった。
「今年は校長先生か。フレイの授業が受けられないのは悲しいよ」
「嘘つけ。内職していたくせに」
「バレてた?」
「バレバレだ」
ハリーはくすくす笑う。
「今年は大きなお祭りもあるし、忙しいんだね」
「…そうだな。クリスマスになるまで毎日駆けずり回らなきゃならん」
「大変だね。フレイはそういうの苦手なのに」
「うん…」
「しょぼくれないでよ。僕でよかったらいつでも話を聞くからね」
「…はは。慰められる立場になってしまった」
「いいじゃん。言ったでしょ?フレイ。なんでも協力するって」
「………そうだったな。生意気なガキめ!」
私はハリーの頭をわしわしと撫でた。ハリーは大笑いしながら対抗して転がった。私も調子に乗ってハリーと一緒に庭を転げ回ったせいで、帰ってから脱いだ服は呆れるほど泥まみれだった。
時間について考えたことは山ほどある。私がゲラートの運命を変えてしまったあの瞬間、世界が私の変えた筋書きに全て書き変わったのか、それとも私だけが違う世界へ飛んだのか。
これはなかなか難しい問題だった。だって証明する術なんてないのだから。
私が生まれる時期が大幅にずれ込んでいることを考えると、
そう考えると、やはり世界は書き換わった、と解釈するのが正しいのかもしれない。
しかしそうすると不都合なことが一つある。
私は元いた世界に帰りたい。しかし帰りたいと思えるのは、帰る場所が存在している者だけだ。
上書きされた世界に「元」を求めるのは、自分で燃やした手紙の続きをあとから読み返そうとするようなものだ。
それでもやり直しを願ってしまう私は、きっとイシドーラやランロクよりも愚かだ。