SAO//G.U.  黒の剣士と死の恐怖   作:夜仙允鳴

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読者のみなさん、お久しぶりです!

三か月以上間が空いてしまい申し訳ありませんでした;


大変遅くなりましたが、Vol.1 剣界包囲の最終話とエピローグをお送りします


Fragment12 《黎明》

2024年 7月

 

「ん~あ゛~……締切がぁ~」

 

「なーにこの世の終わりみたいな声だしてんの、智香」

 

昨夜から徹夜で原稿を書き続けているあたしに、同居人こと、仁村潤香がそう言いながらコーヒーを差し出してくる。

 

「あ~、ありがと、潤香」

 

「まったく。仕事でもないのに毎日毎日よくやるよ」

 

「仕事じゃない趣味だからこそ、毎日出来るのっ……て熱っ!」

 

呆れたように言う潤香に言い返して、コーヒーに口をつける。

思っていたよりも熱くて驚いちゃったけど。

 

「そういえば、今日も行くの?」

 

「うん。休日くらいしか行けないからね。入社一年目で休んでばっかもいられないし」

 

「そうかい。ホント、ソッチの方も毎週毎週よく行くよ」

 

「まぁ、ね。そうだ、潤香も一緒に行く? どうせ今日も暇なんでしょ?」

 

「ん~……そだね。偶には智香の愛しの彼でも見に行きますか」

 

「い、愛しのって……何言ってんの!」

 

「照れない照れない。それよりも、出かけるんだったら、その寝不足でヒドイことになってる顔と髪を何とかしてきなさいって」

 

「うっ……そんなにヒドイ?」

 

「うん、まぁ、とても人様に見せられるものじゃないかな」

 

「……シャワー浴びてくる」

 

あんまりな言いようだったけれど、たぶん潤香の言う通りになってることは想像に難くないので、素直にシャワーを浴びることにした。

顔を洗って髪を整えるだけなら洗面所で格闘するんでもいいけど、この季節だ。

夜中も徐々に蒸し暑くなってきていて、当然汗も結構かいているわけで。

 

ぱっぱと洗面所兼脱衣所で寝間着――タンクトップに短パン――と下着を脱いで洗濯機の中に放り込み、浴室へ。

少し熱めのシャワーを頭から浴びる。

 

「ふぅ……」

 

眠気と疲れ、おまけに汗がお湯と一緒に流れ落ちていくのを感じながら一息つく。

 

既に築十年近くが経とうとしているらしいこのアパートにあたしが住み着き始めたのは、今から五年前。コッチ(東京)の大学に通い始めてからだ。

どうしても《アイツ》の近くに行きたかった当時のあたしは、大学受験に(かこつ)けて

東京の大学を志望。無い頭を総動員し、死に物狂いで勉強してどうにか念願叶って合格した。

が、いざ東京での住居を探してみると、これが中々に見つからない。

そんなさなか、東京での下宿先で悩んでいたあたしに救いの手を差し伸べたのが、一年先に東京へ繰り出していた仁村潤香だった。これが切っ掛け。

The Worldで《カール》、《揺光》として知り合ったあたし達は、互いの高校が同じだったこと、そして同じ図書委員であったこともあって、リアルでも交流を持っていた。

そういう訳で、潤香が東京に行ってからも、ちょくちょく連絡を取っていたんだけど、夏に入ってからはあたしの方が忙しくなってしまって碌に会話もできていなかった。

久しぶりに、受験の結果報告も兼ねて電話を入れた折、会話の中で思わず『東京での下宿先が見つからない』と愚痴をこぼしたあたしに、潤香は『なら私と一緒に住めばいいじゃん』と言ってくれたのだ。

最初は遠慮したのだけれど、『ルームシェアした方が家賃も半分で済むし、家事も分担出来て楽』という潤香の主張に後押しされて、同居と相成ったわけだ。

 

あれから五年。無事に大学を卒業したあたしは、今は出版社の社員として働いている。決して大きな会社ではないけど、元々読書が好きだったあたしには結構合ってる。しかも担当しているのは三國志などを取り扱った歴史系雑誌の編集だ。あたしの趣味とドンピシャなだけに楽しくやっている。

まぁ、今あたしが締切に追われているのは、潤香とも話した通りソッチじゃないんだけども。ここ何週間も必死扱いて書き連ねているのは、所謂同人活動という奴だ。早くしないと来月の夏コミに間に合わな…………って、あたしは一体誰に言い訳しているのか。

 

よく判らない方に流れて行った思考を切るように頭を振って、シャワーをお湯から水に変える。

火照った体が丁度良く冷ましてから浴室を出る。

下着――勿論取り替えた――だけを身に着けてドライヤーで髪を乾かしていると、ノックもなしに洗面所のドアが開いた。

 

「智香、アンタ何着てくの?」

 

「……あのさ、潤香。いつもノックしてって言ってるじゃん」

 

「ゴメンゴメン、今度は気を付けるよ」

 

「そう言っていつも直さないくせに……」

 

「判ったって。で? 何着てくの?」

 

悪びれた様子もなく、おんなじ質問をする潤香。

五年間言い続けて直らないのは、もはや態とやってるとしか思えない。酔ってキスしてくるような女だし。

 

ま、それは置いといてだ。何を着て行こうか。

シャワーを浴びる前にちらっと見た外の天気は快晴。暑くなることは判り切っているから涼しめの恰好で行くのは確定。問題はキャミワンピに何かひっかけて女の子っぽくするか、Tシャツにショートパンツでボーイッシュにするか。

ちなみに、《揺光》の時はあんな喋り方だったけど、別にリアルのあたしはあんな男勝りな口調じゃないし、女の子っぽい服だって着る。あんまりひらひらしてるのは恥ずかしいけど。

 

「んー……潤香はどうするの?」

 

取り敢えず、あんまり褒められたことじゃないけど、質問を質問で返してみる。

 

「それを悩んだから智香に聞いたのさ」

 

「被らないように?」

 

「いや、むしろペアルックで行こうかな、と」

 

ニヒルに笑って言いながら、流し目を送ってくる潤香。長身で可愛いというよりも綺麗と言える部類に入り、まさにお姉様といった感じの潤香がそういうこと――所謂百合的なこと――を言うと、割とシャレにならない。最近では耐性がついてきたけど、昔は一々ドギマギしてしまって大変だった…………今でも酔った時にやられると流されそうになるけど。

 

「……冗談言ってないで、真面目に答える」

 

「ざーんねん。フラれちゃった」

 

努めてジト目で見遣ると、くすくすと笑いながら肩を竦める潤香。

 

「まぁ、そうだね。今日も暑くなりそうだし、シャツにデニムってとこかな」

 

「ふーん……なら、Tシャツにショートパンツかな」

 

「おや、彼に会いに行くのに、もっと可愛らしい恰好で行かなくていいのかな?」

 

「うん……どうせ、そんな恰好してっても、見てくれるわけじゃないしね」

 

「……そうだね。なら、やっぱりここはペアルックで行こうか」

 

「なんでそーなんの」

 

少し暗くなってしまった雰囲気を打ち消すように言う潤香にツッコミを入れる。

なんだかんだ言って気を遣ってくれるのが、潤香のいいところだと思う。

 

まぁ、あたしもそんなこと言うなら最初から悩むなって感じかもしれないけど。そこは女の子――いい年して女の子とか、なんて言う奴はブッタ斬る――、着ていく服は悩むもの。

 

そんなこんなで、髪を乾かし終えてからは二人してそそくさと準備をする。別段他に予定が入っている訳じゃないから無理に急ぐ必要はないけど、まだそれほど日が照っていない内に出てしまった方が良いことに間違いはない。

幸い、あたしはもとより、潤香も化粧にそれほど頓着する方ではなく――自慢じゃないけど、素体が良い、という奴なんだと思う。潤香ほど容姿良いと思えないから強く言えないけど――、最低限身だしなみを整える程度にするだけなので、準備にはそれほど時間も掛からない。

 

三十分も掛からすに準備を終えて玄関へ。

 

「じゃ、行こっか」

 

「うん」

 

そして今日も、毎週恒例になっている場所へ向かう。

 

「まったく。いつになったら起きるのかね、あのとーへんぼくは」

 

「それは判んないけど……けど、絶対目を覚ますよ。だって――」

 

ずっと、去年の冬から眠り続けている――

 

「――亮だもん」

 

――《彼》の元へ。

 

 

 

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2024年 11月 6日

 

「……単刀直入に言うぞ。お前らに招集がかかった。勿論、ボス戦に参加するかどうかを決めるのはお前ら二人だ。俺も強要する気はねぇ」

 

ヒースクリフの所から、メッセージを送ることもなく直接キリトたちのいる二十二層に来た俺は、ことの詳細は何も言わず、ただ明日のボス戦へ招集とその是非だけを口にした。ヒースクリフが言った通りの言葉も付け加えて。

それを聞いた二人の表情は、俺の予想とは異なり、ただ納得の色だけが浮き出ていた。

 

「キリト君」

 

「ああ……。ハセヲ、その招集、引き受けるよ。俺も明日のボス戦に参加する」

 

「当然、私も」

 

「……いいんだな?」

 

互いに頷きあってから、了承の返事をする二人に再度問い直すと、アスナが小さく笑った。その隣を見遣れば、キリトも苦笑を溢している。

 

「なんだ?」

 

「いえ、ハセヲさん、なんだか納得いかないって顔してるから」

 

そうアスナに言われて、眉間に皺が寄っているのに気が付き、目頭を軽く揉んだ。

実際に筋肉の硬直が解けるわけではないが。

 

「まあ、な。わざわざ前線から離れたお前らが、そうあっさりと招集に応じるとは思ってなかったってのはある。ましてや、俺は詳細について何も話しちゃいねぇしな」

 

気付かない内に張っていた体の緊張を解いてそう言うと、キリトは一つ頷いた。

 

「ああ。俺たちも、もし俺たちの所に来たのがアンタ以外だったら、きっと承諾してはいなかったよ」

 

「は?」

 

突拍子もないキリトの言葉に呆気にとられていると、アスナがくすくすと笑ないながら、キリトの言葉を引き継いだ。

 

「私たち、話してたんですよ。たぶん、私たちを前線に呼び戻しに来るのはハセヲさんだろうって」

 

「《KoB》の関係者で、俺とアスナの両方にまともな交友が有るのはアンタくらいだからな。戦闘前に下手に波風立てないようにしたいなら、団長殿にアンタが起用されるのは間違いない」

 

「それに、ハセヲさんのことだから、私たちの力が要らないと判断したなら、団長に何を言われたって私たちの所に来ることなんてしないと思いますから。だから話を聞かなくても、今ハセヲさんがいるっていうだけで、今回のボスがどれだけ危険なのかは判ります。私たちの力が必要だってことも」

 

「詳細を言わなかったのだって態とだろ? ホント、変なとこで義理堅いというか、御人好しというか」

 

「うっせぇ。つか、それだけの理由で頷いたのかよ……」

 

二人が語った理由が理由だけに、呆れちまう。

こいつ等が何でそこまで信頼とも呼べるようなものを俺に向けているのか、皆目見当がつかない。

 

「バカだろ、お前ら」

 

掛けていたソファの背もたれに体を預け、二人から目線を外しながら言う。

 

「バカとはなんだバカとは。人が折角協力してやるって言ってんのにさ」

 

「フフ。こんなこと言ってますけど、キリト君、本当はきっと嬉しいんですよ? ハセヲさんに認められてるって」

 

「ちょ、アスナ、何言って……!?」

 

「だってキリト君言ってたじゃない。『俺はアイツに認め――」

 

「あーあーあー!! ストップ! ストーップ!!」

 

むくれていたキリトだが、アスナの言葉に急に慌てだした。

どーでもいいが、人前でイチャつくとか喧嘩売ってんのかコイツ等は。このバカップルが。

 

「オイ、痴話喧嘩はその辺にしとけ。つーか止めろ、即刻止めろ」

 

「ち、痴話って……」

 

「な、なに言ってんだよ!」

 

「ああ、夫婦喧嘩の方が良かったか?」

 

「変わんないだろソレ!」

 

「夫婦漫才も可だ」

 

「だから同じじゃないですか!」

 

「うっせぇな。言われたくなかったら端から見せつけんじゃねぇよ。一人身に対する当てつけかっての」

 

「「…………えぇーー…………」」

 

率直な感想を投げつけてやると、何故か不満の声と共に白い目を向けられた。

なんだってんだ一体。

 

「……流石はハセヲさんというか、なんて言うか」

 

「ここまで来るといっそ清々しいよな」

 

「……キリト君も人のこと言えないって判ってる?」

 

「……え?」

 

何かそこはかとなくバカにされた気分なんだが、まぁいい。取り敢えずは、再開したこいつらの痴話喧嘩を止めんのが先だ。

 

「いい加減にしやがれ。こっちはテメェらのバカップルっぷりを見に来たわけじゃねぇんだよ。とっとと本題に移らせやがれ」

 

「「……す、すみません……」」

 

やっと自分たちの醜態を理解したのか、二人そろって頭を下げる。

その全くズレのない動作が余計に二人の以心伝心ぶりを語っているが、今はそこをツッコむべき時ではない。

 

「ボスに関してだが――」

 

そう切り出すと、さっきまでの緩んだ空気は一瞬で霧散し、真剣なものへと変わる。

この切り替えの速さこそ、コイツらが最前線のトッププレイヤーであることを証明する一つだろう。

 

「これに関しては、一切情報なしだ。昨日先遣隊が偵察に出張ったらしいが、部屋の入った奴らは誰も返ってこなかった」

 

「つまり……」

 

「今回のボス部屋も、結晶無力化空間ってことか」

 

俺の話から情報を確認し、冷静に判断しながらも、先遣隊が死んだという事実に顔をわずかに顰めるアスナとキリト。顔に出なかった二人の激情――或いは不安だろうか――が、互いの手を強く握り合うという形で発露している。おそらく無意識の行動だろうが、それ故に二人の絆を深く感じた。

 

「集合は明日十三時、《コリニア》のゲート前だ」

 

「おう」 「はい」

 

二人の不安の混じった、けれど揺らぎのない返事に瞑目して頷く。次いで、開いた目でキリトの瞳を見る。その瞳の奥に宿った感情をなんとなくだが察して、言うべきことを言うために再度口を開けた。

 

「キリト」

 

「うん?」

 

「今回のボス戦は、さっき言った通り結晶が使えないうえ、ボスが出現した瞬間、扉が閉まる形で退路が完全に断たれる。先遣隊が殺られたのも、そいつが原因の一つだ。それだけ厳しい戦いになる、だから――」

 

「…………」

 

「何があっても、例え、知り合いの誰が死んだとしても、誰に迷惑をかけてでも、他の何よりもアスナを優先して、命を懸けてアスナだけは守り抜け。言うまでもないことだろうが、な」

 

「判ってる。何に、命に代えてでも、死んでもアスナだけは守る」 

 

「ハセヲさん!? それにキリト君も!」

 

キリトが決意の言葉を言い終えたのと、アスナが抗議の声を上げたのはほぼ同時だった。

 

「命に代えてもなんて、死んでもなんて言わないで!! 私、キリト君が死んだら自殺するよ? キリト君がいなかったら、生きてる意味なんか、価値なんか、もう無いんだよ? だから――」

 

「アスナ、お前もだ」

 

「「――え?」」

 

感情のままに言い募ろうとするアスナを遮り、今度は彼女へ視線を移す。

 

「お前も、命を懸けてキリトを守れ。全てを(なげう)って、キリトだけを守るんだ」

 

「……はい!」

 

その言葉に確りと頷いたアスナを見て、今度はキリトが驚愕の表情で俺を見た。

 

「ハセヲっ! アンタ何言って――」

 

「お前らはっ!!」

 

キリトの言葉を、強い語調で遮る。いきなり声を荒げたことに驚いたのか、二人は都合よく黙ってこっちを見る。

 

「お前らはもう、二人で一人だ。どっちが欠けても生きていけねぇ。だからこそお前らは、生きてる限り互いを守れ。そうすりゃ、お前らは絶対に死なない。生き残れる。それだけの強さを生むことができる。守りたい、守らなくちゃいけない存在がいる奴ってのは、それだけで強く在れるからな」

 

言って立ち上がる。言外に話は終わりだと態度で示すためだ。

 

「ありがとうございました。でも、どうして?」

 

そのまま帰ろうとしたところにアスナから声がかかった。

言うつもりはなかったが、聞かれたからには仕方ない。

 

「言ってやらないと、お前の旦那が、お前を置いてくとか言いだしそうな感じがしたからな」

 

キリトの目を見て思ったことを素直に言ってやると、キリトはバツが悪そうに態とらしく頬を掻いた。ジト目で睨むアスナから視線を外して。

一頻り誤魔化すと、今度はキリトが言葉を投げかけてきた。

 

「なあ、俺からも一ついいか?」

 

「ああ」

 

「さっきのあれは、何かの受け売りなのか? それとも実体験?」

 

「なんで、んなこと気にすんだよ」

 

「いいじゃないか。それとも、言えない様な出所なのかよ?」

 

はぐらかしたことが癪に障ったのかは判らないが、何か拗ねたように問いただしてくるキリト。

 

まぁ、隠すようなことでもねぇか

 

「知り合いがそうだったってのが一つ、実体験が一つ」

 

妹のために、全てを、あらゆるものを敵に回して、自身を犯し苛むモノまで利用した(大馬鹿野郎)

 

関わった、手にしたモノ全てを守りたいと、失いたくないと願った俺自身。

 

どっちもエゴ丸出しで、傲慢で、他人から見たらしょうもない理由だったかもしれない。だけど、それが、事を成すための原動力に、強さになったのは事実だ。

 

「これでいいか?」

 

「……ああ、十分だよ」

 

「そうか、んじゃな」

 

俺の言葉で何を思ったのかは判らないが、キリトが何か納得したように頷いたのを見て、今度こそ立ち去った。

結果的に、アイツらを二人とも死地に送り込む役目を果たした俺は、やはり死神なんだろうと、自嘲しながら。

 

 

 

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「ねぇ、キリト君」

 

「うん?」

 

去っていくハセヲの背が見えなくなるまで外を眺めていた俺に、アスナが声をかけてきた。

 

「さっきハセヲさんも言ってたけど、何であんなこと聞いたの?」

 

「んー……言わなきゃダメかな?」

 

「ダメです。明日私を置いていこうとしてた罰も含めて、話してもらいます」

 

恥ずかしくて誤魔化そうとしたけど、真っ向から一刀両断されてしまった。こうなったら素直に話すしかないのはこの二週間の生活で身に着けた知恵だ。尻に敷かれてるなんてことはない。断じてない。ないったらない。いや、亭主関白を気取るつもりもないけども。

 

「どこから話せばいいかな」

 

「初めから、だよ。全部聞いてあげるから」

 

「ん、判った」

 

微笑みを浮かべながら促してくるアスナに、意を決して話を始めた。

 

「……俺さ、ホントは二人でこのままずっとここにいたいって思ってたんだ。だから、ハセヲの言った通り、アスナには明日の戦いに来てほしくないし、俺自身も行きたくなかった。でも、ハセヲの言葉で考えが少し変わったんだ。今でもこのままでいたいって思うし、弱気になってるのも認める。でも、二人で一人だって言われて、ここ(仮想)じゃなくて現実でアスナと一緒にいたいって…………本当に結婚したいって思ったんだ。その想いが、俺の中で勇気に変わった。ハセヲの言葉に勇気を貰ったんだ。

まぁ、つまり、なんて言うか……俺は弱くて、アイツは強くて……でもそれは力とかそんなんじゃなくて、心の強さっていうのかな。こう言うとなんか恥ずかしいんだけど、前からさ、アイツの強さに憧れてたんだ。アイツに認められたいっていうのも、そういう所から来てたんだと思う。

それで、なんでってことなんだけど。アイツが『守りたいモノがある奴は強く在れる』って言った時に、なんか判んないけど、“ああ、コイツの強さはここから来てるのかなって”なんとなく感じたんだ。それが判れば、俺も少しだけアイツの強さに近づけるんじゃないかとも思った。だから聞きたかった。たぶんアイツの実体験なんだろうなって思ったんだけど、少しでいいから具体的なことが聞きたくて、あんな風に聞いたんだ」

 

「そっか」

 

俺の独白を、唯々やさしい微笑みを浮かべて聞いてくれていたアスナは、それだけ言って抱きしめてくれた。

俺も、目の前の大切なヒト(アスナ)をもっと強く感じたくて、抱きしめ返した。

弱い自分が、少しでも多くの勇気を貰うために。

 

 

 

「大丈夫だよ」

 

それから、数分か、数十分か、或いは数時間か……正確な時間は判らないけれど、経ってから、互いに抱きしめたまま、アスナが俺に語りかけてきた。

 

「今はまだ、キミも、私も弱いけど。一緒に強くなろう? ゆっくりでいいから、二人で強くなろう。それまでは……ううん、その後も。いつまでも、私がキミを守るから。キミが私を守ってくれるから。そうして、ずっと、一緒にいよう。まやかしの世界じゃなくて、現実で。ちゃんとお付き合いして、本当に結婚して、齢を取って……二人の(とき)が止まるまで、ずっと一緒に。だから、そのために――」

 

「――ああ、今は闘おう。二人で、一緒に」

 

胸に閊えていた迷いが、恐怖が、ゆっくりと解けていく。

 

…………なんだって、どんなことだって、乗り越えられる。二人一緒なら…………

 

 

 

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2024年 9月

 

「すいません、遅れました」

 

「おう、遅かったじゃねぇか」

 

「そうは言っても、まだ決めた時間から10分位しか経ってませんけどね」

 

待たせていた二人に声をかけて席に着くと、既に呑み始めていた緒方さんから早速とばかりに酒を注がれる。それに合わせて錦涛も自分の猪口に酒を注ぐ。

 

乾杯と、互いに猪口を掲げて一口。

こうして彼らと――頻繁に、とはいかないが――呑むのは、七年前からのことだ。とは言え、ここ二年は私自身が多忙であったために、実際に会うのは二年振りになるのだが。

 

とある理由からアクセスしていたMMORPG《The World》で知り合った仲間。当時の名(PC名)

で呼ぶのなら、《大火》と《天狼》。本名をそれぞれ、緒方幹久、民錦涛(ミンジンタオ)。そして《太白》こと私、黒貝敬介。

 

「……やはり大変ですか、例の事件に脳医学の観点から着手するというのは」

 

私の顔色から疲労を感じ取ったのか、それとも二年間会わなかったせいか、錦涛がそう問いかけてくる。

 

例の事件……一昨年の11月に起こった事件。VRMMOの中に囚われた者たちが、仮想空間で死ぬことで、現実でもマイクロウェーブによって脳が破壊され死に至る。その事象を防ぐための手段を模索するため、日本中の脳医学者の中でも特に特殊な電子機器系統を専門にしている者達でチームが組まれた。七年前の件からネットワークウィルスと脳、延いては精神との関係を研究していた私も、その一員に抜擢された。この二年間の多忙もそれに尽きる。

 

「まあ、な。それでも、実際に患者たちを看ている看護師たちに比べれば負担は少ないさ。特に精神的な負担は」

 

「それでも相当キテんのはかわんねぇだろ。この二年間でどっと老けたぜ、お前さん。ま、ぶっちゃけお門違いな難題押し付けられちゃ、そうなっちまうのも無理ねぇか。はっきりいや、技術屋の領域だろそりゃあ」

 

「勿論技術者チームも相当頑張ってますよ。私たちのチームは、多角的にアプローチするためのモノですから」

 

確かに、最近白髪の量が頓に増えたなと納得しながら、苦笑と共にそう口にした。

実際、ある種私たちよりも期待をかけられている技術者チームの面々にかかっている負担はかなりのものだろう。事件解決のために奔走している警察機関や、共同で動いているNABの調査員達など言うまでもない。

 

「チームが置かれているのは横浜の病院でしたか、たしか」

 

「ああ、横浜港北総合病院だ。当時、首都圏内で最も高度な特殊電子医療機器研究……VR技術を医療に転換する研究を行っていたのがそこだったようでな。初めは混乱が落ち着くまでの予定だったようだが、結局今もそこを使っているよ。研究の被験者たちの協力を仰ぎながらね」

 

「それで、どうなんだよ。上手くいってんのか?」

 

「はっきり言って、脳医学(こちら)側からの解決はほぼ無理でしょう。技術者チームの方もお手上げ状態のようで、安全な解除方法が見つかるより内部解決の方が早いだろうと愚痴をこぼしてましたよ」

 

ため息を吐きながら、それにと付け加える。

 

「どちらにしても、あまり時間は残されていないですしね」

 

「そりゃ一体?」

 

「現在被害者達は皆、言ってしまえば植物人間と同じ状態です。個人差はありますが、皆一様に衰弱していっている。特に高齢の被害者や、逆に幼い小学校低学年の被害者ほど衰弱は顕著です。このままでは、数年、早ければ数か月以内に重篤な状態に陥る被害者が出ても不思議じゃない」

 

「……刻一刻と、タイムリミットは迫っているということですか」

 

私たちの間に言いようのない沈黙が落ちるが、場の空気を払拭するように、緒方さんがフッと笑う。

 

「逆に言やあ、だ。つまり、被害者……未帰還者の連中が自力で戻ってくりゃ万事解決って訳だ」

 

「それはまぁ、そうですが……」

 

「流石に楽観が過ぎるのでは?」

 

「当事者でもねぇ俺たちが悲観してたってどうにもならねぇんだ。だったら、少しでもいい方に物事を考えた方がマシだ。それによ――」

 

勿体ぶった様に間をおいてから、そして不敵な笑みを浮かべた。

 

「――あの《バカ弟子》はまだアッチにいるだろ?」

 

その言葉に、錦涛と共に一瞬唖然として、今度は釣られた様に、口元が自然と笑みを作った。

 

「そうだ、そうでしたね」

 

「不思議な奴ですよ、本当に。アイツがいるってだけで、何とかしてしまいそうな気がしてくる」

 

「そんな奴だからこそ、あの時も、多くのプレイヤーが集まったんだろうさ」

 

既に、さっきまでの沈黙はどこにもなく、妙な高揚感が場に満ちていた。

 

「うっし! 折角話題に上ったし、ちょうど都内にいんだ。バカ弟子の面でも拝みに行くか!」

 

上機嫌に笑いながら酒を呷っていた緒方さんが、そんなことを言って立ち上がろうとする。

 

「何言ってるんですか、酔っ払いが。そんなんで行ったら、七尾さんや久保さんに追い返されるのがオチですよ」

 

「そもそも何時だと思ってるんです。真っ当な病院なら、面会時間はとっくに過ぎてますよ」

 

「んなこと知ったこっちゃねぇ! 師匠には弟子を見に行く権利があるんだよ!」

 

そんなことを言って、懐から携帯を取り出して――緒方さんは甚平に下駄でここまで来ている――どこかに電話を掛ける。

 

「……よう志乃ちゃん! 今からバカ弟子に会いに行こうと思うんだが、構わねぇよな?」

 

大声で会話をする緒方さんを傍目に、錦涛と二人顔を合わせてため息を吐く。迷惑をかけてしまった七尾君には後で詫びを入れるとして、今は緒方さん(酔っ払い)を止める術を考えなければなるまい。

 

 

 

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2024年 11月 7日

 

「……はぁ」

 

昨日、二十二層から帰ってきた後、装備を整える以外特にすることもなく、飯を食ってさっさと寝た。あれほど自己嫌悪に陥ったのはそれこそ七年前振りかもしれない。これが現実なら自棄酒でもしていたところだが、幸か不幸か、所詮仮想空間でしかないここでは酔うことなんて出来ない。

 

そして、いつも通りの時間に起きてから早三時間以上、飯も食わずにベッドの上でボーっとしている。今更何か準備するものもないが、それにしたって非建設的だ。

 

いい加減この暗雲に覆われたような感情をどうにかしなくちゃなんねぇとは思うんだが、中々うまくいかない。そんな最中、不意にドアがノックされた。

 

「はい?」

 

「やー、ハセヲっち。陣中見舞い?に来たヨ」

 

「アルゴ?」

 

特に会う約束はしていなかったはずなんだが、と思いながらドアを開ける。と、そこにはバスケットを持ったアルゴの姿が。

 

「どうしたんだよ、一体」

 

「言ったじゃないカ。陣中見舞いだヨ、陣中見舞い! 今日の午後からボス戦だって聞いてたからネ」

 

言いながら、ホイっとバスケットを突きだしてくるアルゴ。

俺がそれを受け取ると、そのまま我が物顔で部屋に入ってソファに座った。

 

「とゆー訳でハセヲっち。お茶かなんか貰えるかナ?」

 

「オイ、テメェは俺を見舞いに来たんだろうが。何で俺がお前を持てなさにゃなんねぇんだよ」

 

「ほら、オレっちはそれ持ってきたわけだから。ギブアンドテ~イク。お茶ぐらいだしてくれたっていいんじゃないかナ?」

 

さも自分の言っていることはどこも可笑しくないと言わんばかりの笑顔で催促してくるアルゴ。仕方なしに、ため息一つ吐きながら肩を竦めて、お茶の準備――まぁストレージから必要なものを取り出してキッチンでクリックしていくだけだが――をして持っていく。

 

「ほらよ」

 

「どうも~」

 

受け取って茶を飲むアルゴ。俺も対面に座って同じように茶に口を付ける。

そうして幾分か経ち、アルゴが徐にこちらを窺った。

 

「ん~……なんかあった、ハセヲっち?」

 

何かあったか、とそう聞きながら、アルゴの目は“何かあったのは判ってんだから話せ”と悠然と語っている。本当、人の機微によく気が付く奴だ。

 

「別に、なにもねぇよ」

 

かといって、ただただ自分の不甲斐なさに苛立っているだけのことを言う気にもなれない。

が――

 

「ウソだネ。ん~……今日のボス戦にキー坊とアーちゃんを呼んだことに罪悪感~ってところかナ?」

 

――この野郎……人の事情を的確に読んできやがる。

 

「……それも、仕入れた情報か?」

 

「まー、直接って訳じゃないけどネ。二人が参戦するっていうのは簡単に耳に入ることだったし。オレっちもヒースクリフに張り付いてたわけだしネ。彼が呼んだんじゃなければ、あとは消去法でってことサ」

 

「なるほど、今日来たのもそれを察してってことか」

 

「ま~ネ。でも……」

 

手に持ったカップをテーブルに置き、俺の前に来て視線を合わせるように顔を寄せてくる。

 

「お、おい……」

 

「まさか、ここまで参ってるとは、思わなかったかナ」

 

言って、首を傾げながら微笑みを送ってくる。なんだってんだ一体。

 

「あれだネ。“二人を戦場に連れ戻した俺はまさに《死の恐怖》の名に相応しい死神だ~”ってところかナ。今のキミの心情は」

 

「なっ!」

 

こ、この野郎……! 今度はコッチの内心まで読みやがっただと!?

 

情報収集・処理能力だけじゃなくて、読心術でも会得してやがんじゃねぇのかオイ。

 

「ちなみに、オレっちは別に読心術なんて使えないから悪しからず」

 

「……どこがだよ」

 

「ハセヲっち、自分では割とポーカーフェイス出来てると思ってるかもしれないけど……はっきり言ってかなり顔に出る方だよ?」

 

「っ!!」

 

そして知らされる新事実。一言で心情を表すなら“なん……だと!?”って感じだ。

 

 

 

「……ま、惚れた相手だからってのも、あるんだけどさ」

 

 

 

「なに?」

 

「なんでもないヨ! ま~つまり、それだけハセヲっちが判りやすいってことサ。そうそう隠し事が出来ないくらいにネ」

 

俺が軽く呆然としているところに何かボソッとアルゴが言ったような気がしたが、はぐらかされた。このまま追求すると、なんとなく地雷を踏み抜きそうな気がするのでスルーだ。判りやすいって言われたことにショックを受けていたわけでは断じてない。志乃やら千草やら智香やら、その他知り合いの女性陣に軒並み嘘が看破されていたのもそれが原因かと今更に驚いてもいない。

 

「で、二人の件だけどサ」

 

からかいが、俺の目を見る彼女の瞳から消える。

 

「二人を呼び戻した責任や罪悪感が有るってい言うなら、はっきり言ってそれは傲慢だヨ?」

 

「傲慢?」

 

「そ、傲慢」

 

そして、新たにその瞳に宿るのは、不出来な弟に教えを説く姉の様な雰囲気。

 

「キー坊もアーちゃんも、キミが思ってるほど弱くないヨ?」

 

「んなこと、言われなくたって……」

 

「判ってるなら、罪悪感なんて抱かないと思うけどナ?」

 

「うっ……」

 

言われていることが正論なだけに言い返せない。

 

「たぶん、ハセヲっちが何もしなくたって、二人は彼らなりの答えを出してコッチ(前線)に戻ってきてたヨ。仮にキミが昨日何かしたのなら、それは彼らの背中を少しだけ押しただけダ」

 

そう言いながら、俺の頬に手を当てるアルゴ。

 

「……ん~、これだけ言ってもまだそんな顔するなら――」

 

そして、徐々に顔を近づけてきて――

 

 

パァァンッ!!

 

 

――思いっきり両頬を引っ叩かれた。

 

「痛ってぇ! なにしやがる!!」

 

「フフフ、何を期待してたのかナ?」

 

悪戯の成功した子供のように、ケラケラと笑いながらクルクルと回るアルゴ。

 

ったく、何が面白いんだか……

 

取り敢えず言っとくが、別に動揺して動けなかったわけじゃねぇ……って、誰に言い訳してんだか。

 

「ハセヲっち、キミが彼らを守ってあげればいい」

 

一頻り笑ったところで、もう一度俺と目線を合わせるアルゴ。

 

「誰かを守る人は強いって、よく言うからネ」

 

そうでしょ、と言いたげな笑顔で、そんなことを言う。

 

『お前らはもう、二人で一人だ。どっちが欠けても生きていけねぇ。だからこそ、お前らは互いを守れ。そうすりゃ、お前らは絶対に生きられる。生き残れる。それだけの強さを生むことができる。守りたい、守らなくちゃいけない存在がいる奴ってのは、それだけで強く在れるからな』

 

アイツらに俺が言った言葉を。

 

「……ハハッ」

 

笑いが零れた。

全く、本当にお笑い草だ。自分が偉そうに言ったことを、自分が忘れていたんだから。

それを他のヤツに言われて、今まで胸に閊えていたモノが、一瞬で取れたんだから。

 

「……ありがとよ、アルゴ」

 

おかげで、また前を向けた。

 

「いいってことだヨ。そのために来たようなもんだし、今度何か甘い物奢ってくれるだろうしネ?」

 

「判ったっての」

 

「ウンウン、じゃ、今はコッチを食べようカ」

 

コクコクと頷いてから、スッと俺がキッチンに置いたバスケットを指さすアルゴ。

 

「アルゴさん謹製の特別ランチだヨ。滅多に食べられるものじゃないかラ、心して食べナ!」

 

「とか言いながら、なんでテメェはソファに座ってやがる」

 

「そりゃ勿論、オレっちも一緒に食べるからだナ。という訳で、ハセヲっち。ちょっと早いけどお昼の準備をヨロシク!」

 

「持ってきて並べるだけで準備もクソもないんだから自分でやれっての」

 

そう文句は確り言いつつ、バスケットを持ってくる。

さっきはアルゴに励まされたわけだから、まあ、このぐらいやることに異論はないわけだ。

 

「フムフム、アレコレ言いながら、きっちり出してくれるあたり、ハセヲっちはツンデレだよネ~」

 

「誰がツンデレだっての」

 

何言ってやがんだ、たくっ。男のツンデレとか気持ち悪ぃだけだろうが。そして俺はツンデレなんかじゃねぇ。

 

 

それから、二人でアルゴの飯――普通に美味かった。コイツが地味に料理スキル上げてたことに驚きではあったが――を食って、時刻は12時半。頃合いだな。

 

「そろそろ行くわ」

 

これもアルゴのおかげだろうか。特に気負うこともなく、そう自然と言葉が出た。

 

「ん、じゃあ、待ってる」

 

「は?」

 

てっきり出ていくと思っていた俺は、予想の斜め上を行くアルゴの返事に、立ち上がりながら素っ頓狂な声と疑問符を上げてしまった。

 

「な、なんて?」

 

「待ってるって、言ったの」

 

何時ものロール口調もなりを潜め、俺を励ましていた時とは一転して、弱々しい態度で俺の服を掴むアルゴ。

 

「だから、きちんと帰ってきて。君が帰ってくるまで、ここで待ってるから」

 

まったく、これじゃさっきと立場が逆じゃねぇか。

 

「なんでお前がそんな弱気になってんのかは判んねぇけどよ」

 

今にも崩れ落ちちまいそうなくらい弱気になっているアルゴの頭に手を乗せて軽く撫でてやる。

 

「帰ってくるに決まってんだろうが。今日のボス斃したって、まだ上には二十層以上有んだ。こんなとこで死ぬわけねぇだろ」

 

「…………ん、そうだね」

 

そう言ってやると、やっとアルゴは顔を上げて笑顔を見せた。

 

「……いってらっしゃい、ハセヲ」

 

「おう、行ってくる」

 

アルゴが服から手を放したのを見て、俺も手を彼女の頭からどける。

そうして、今更ながらに恥ずかしさが込み上げてくるのを何とか押さえつけて部屋から出た。

 

「さて、行くか」

 

向かうは七十五層主街区《コリニア》。

 

 

 

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「待ってる……か」

 

いつもの(アルゴ)らしくない態度、キャラ崩壊も甚だしい。

けど……

 

「なんか、言わなくちゃって気がしたんだよね……」

 

それが理由。それだけが理由。

確証なんてどこにもないし、言ってしまえば勘以外の何物でもない。

 

(アルゴ)じゃなくて、(栞里)として、彼と向き合わなくちゃって、唐突に思った。

 

普通に考えれば彼の言う通り、まだまだ上に階層があるんだから、あんなことを言う必要はどこにもない。今日の戦いが危険だってことは重々承知だけど、それを含めてもあんなこと言うのは変だった。いつもみたいに、(アルゴ)らしく飄々と見送ればいいだけの話だった。

 

そう理性では理解していたけど…………それでも私は、皇栞里は、気付けば行動を起こしていた。

 

「ま、いっか」

 

過ぎてしまったことはうじうじ理由を考えても仕方ないし、そもそも言ってしまったことを後悔しているわけでもない。

 

それに――

 

「死なないって、帰ってくるって言ってくれたもんね」

 

あんな風に言ったのに、こっちの気持ちに気が付いてないっぽかったのはアレだったけど。

彼は確かに、帰ってくると言った。約束してくれた。

 

だったら私は、自分で言った通り待っていよう。この部屋で、彼の帰りを。

 

そして帰ってきたら、いつも通りの(アルゴ)

 

“お帰り、ハセヲっち”

 

って、出迎えよう。

 

 

 

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2024年 10月

 

「……はぁ……」

 

「ん? どうしたのリーファちゃん」

 

「なんや、しけた顔しとるやん。ため息までついとるし」

 

「なにか悩み事?」

 

特に意識していなかったため息が、PTの仲間に聞かれてしまったらしい。

ダメだな、気をつけなくちゃ。二人……いや三人か。境遇はあたしと同じなんだから。

 

「ううん、何でもないの。てゆーか、朔。しけた顔はひどくない?」

 

「そうだよ朔。女の子にそんなこと言っちゃだめだよ」

 

「そうね、はしたないわよ朔」

 

「かぁ~! 望もアイナもカタいっちゅうねん。大体、女しかおらへんのやから何ゆーてもええやんか!」

 

「さぁ~くぅ~……ボクは男だよぉ……」

 

「せやからそぉゆーところが男らしくないっちゅうんや! 男やったら、もっとビシッとせんかい!!」

 

「いいのよ朔、望はこのままで。それとも何? 私の彼に文句があるの?」

 

「大アリや! 弟にしっかりしてもらいたいっちゅう姉心や!」

 

「……プフっ」

 

三人のやり取りに思わず吹き出してしまった。いつものことだけと、彼らの掛け合いはいつみても可笑しくて仕方がない。

 

なんて考えていると、いつの間にか口論は終わっていて、あたしの方を見る瞳が六つ。

 

「やっと笑ったね、リーファちゃん」

 

「やっぱり、貴女には笑顔の方が似合うわ」

 

そう言って優しく微笑みかけてくれる望とアイナ。

 

「せやせや。リーファは元気娘なのが取り柄なんやから、そうやってニコニコ笑っとき」

 

朔は朔で、あたしの頭の上に乗って、その小さな手で励ますように頭をポンポンと撫でてくれる。

いつもの掛け合いを見てるとそうは見えないんだけど、こうして元気づけられると、皆あたしよりも年上なんだろーなーって思えてくる。

 

「うん、ありがと、皆」

 

そうお礼を言うと、アイナが笑顔を崩して苦笑いになった。

 

「まぁ、何考えてたかは大体予想つくから、ちょっとblau……ブルーになっちゃうのは判るけどね。お兄さんのこと、考えてたんでしょ?」

 

「……うん」

 

やっぱり、気付かれてた。あたしがALOを始めてすぐからずっとの付き合いだ。隠し事は、中々できない。はぐらかしても仕方ないから、素直にうなずく。

お兄ちゃんが目を覚まさなくなってから、もうすぐ丸二年が経つ。去年もだったけど、この時期になるとどうしても気持ちが暗くなってしまう。

 

「前にも言ったけどね、大丈夫よ。貴女のお兄さんも、勿論私たちの知り合いも、絶対に戻ってくるわ。だから貴女は笑ってなくちゃ」

 

「……“笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生”だったっけ」

 

「そ。“Die Lebensspanne ist dieselbe, ob man sie lachend oder weinend verbringt.”ね。泣いてちゃ勿体ないわ。それに、お兄さんが起きたとき、笑って出迎えてあげなくちゃ。貴女のお兄さんは、まだ生きてるんだから」

 

そう少し困った様に笑うアイナ。

初めてのMMOに戸惑うあたしを、たまたまシルフ領に来ていた――彼女たち三人は領地争いに全く興味がないらしく、領土に関係なく遊んでいるそうだ――彼女たちに色々教えてもらってからしばらくして、今と同じようなことがあった。その時、お兄ちゃんがSAOにいることを口にしてしまったあたしに、彼女たちの知り合いも同じだと語ってくれた。何年も前にアイナのお兄さんが亡くなってしまったということも。

その時、アイナがあたしを励ますために教えてくれたのが“笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生”と言う言葉だった。

 

『泣いてたって、笑ってたって、過ぎてく時間は一緒なんだから。だったら、悲観的に考えるより、前向きに考えて笑って時間を過ごした方がずっといいわ。そうすれば、絶対に目を覚ましてくれるって信じていられるしね』

 

そう言葉を添えて。

その後、それにと付け加えて。

 

『そもそも私たち、それほど心配していないのよ。彼なら絶対何とかして戻ってくるって判ってるから』

 

『うん。おにいちゃんはすごく強いし、頼りになる人だから。たぶん、何にもなかったみたいに目を覚ますと思うんだ』

 

『せやな。どっちかゆーと、あのタラシがオンナ引っかけんかどうか方が心配やな』

 

『もう朔。おにいちゃんはそんな人じゃないっていつも言ってるじゃない。あ! もしかしたら、おにいちゃんとリーファちゃんのお兄さんも、ボクたちみたいにPTを組んでるのかもしれないね』

 

『あのタラシが男とPT組むかいな』

 

『だから朔!』

 

そんな風に、さっきみたいな掛け合いが始まった。

その人に彼女たちが強い信頼を寄せているのがよく判った。

だからあたしも、お兄ちゃんを信じて待とうって決めたんだ。

 

「うん。お兄ちゃんが起きたとき、恥ずかしくない妹でいなくちゃね」

 

「そうそう、その調子よ」

 

「じゃ、元気娘が元に戻ったことやし、冒険の続きといこか」

 

「そうだね。目的地までもうすぐだし」

 

「よしっ! みんな、行こう!」

 

あたしの声と共に、一斉に飛び立つ。

 

お兄ちゃんのことは、やっぱりまだ心配だけど……信じるって決めたから。

 

だから今は、翼を広げて羽ばたこう。

笑顔で飛んで行こう。お兄ちゃんが好きなこの世界(MMO)の空を。

感じよう。大好きなお兄ちゃんと同じモノを。

 

 

 

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2024年 11月 7日

 

「こんにちわ、リズさん!」

 

「あれ? いらっしゃい、シリカちゃん」

 

正午を少し過ぎた頃合い。そろそろお昼の休憩にしようかなって思っていた時に、見知った顔が店を訪れた。

 

「すいません、一回閉めるところでしたか?」

 

あたしが既に作業用の前掛けを外しているのに気付いて申し訳なさそうに聞いてくるシリカちゃん。主の感情を読み取ってか、肩に乗っているピナも心なしかシュンとしている。

そんな恐縮することなんてないのに。知らない仲じゃないんだから。

 

「うん、まぁね。そうだシリカちゃん。お昼もう食べた?」

 

「え? いえ、まだですけど」

 

「それじゃ一緒に食べない? 勿論先約とかが無ければだけど」

 

この時間に(ウチ)に来るくらいだから、多分約束はしてないだろーなぁと考えながら聞いてみる。

 

「そういうのは特にないんですけど……ご迷惑じゃありませんか?」

 

ふむ、予想通りね。こう控えめなところは、シリカちゃんの美点ね。

 

「ぜーんぜん。一人よりも、誰かと一緒に食べた方がよっぽどいいしね」

 

「そうですね、やっぱりご飯は皆で食べた方がおいしいです」

 

笑顔でそう返事をするシリカちゃんに頷き、少し待っててと断りを入れて店仕舞いの準備をする。とは言っても、一時的に閉めるだけなので、やることは炉の火を消して作業台に転がっている道具をストレージに入れてしまうだけだ。都合三分も掛からず全部終わる。

 

「よし、じゃあ行こっか」

 

「はい!」

 

二人で工房を出て、《リンダース》の街に繰り出す。ちなみに店は決めてない。適当に話しながらぶらついて、シリカちゃんが興味有りそうな目線を送ったところにしようという魂胆だ。

 

「そういえば、今日の用事は? 武器の整備?」

 

「はい、それもあるんですけど……」

 

何かモジモジし始めるシリカちゃん。

 

「もう一本、今使ってるのと同じ感じの短剣が欲しいなぁ……なんて」

 

恥ずかしそうに、伏し目がちに言うシリカちゃん。

 

「武器の新調ってこと?」

 

「い、いえ、そうではなくて……その……」

 

「…………まさか、キリトとハセヲの真似事しようとしてる?」

 

なんとなく剣を欲しがって理由を推測して聞いてみると、小さくコクコクと頷くシリカちゃん。こういうとこ見ると、小動物チックですごい和むのよねぇ。

 

「う~ん……欲しいっていうなら、見繕うけど」

 

「けど?」

 

「あんまり……というより絶対にお勧めはしないわよ?」

 

確かに、キリトとかハセヲが二本の剣を振ってるところを見ると強そうだし、真似したくなるっていうのは判る。特にこの娘は、アイツらを兄みたいに見てる――というか懐いてる?――節があるから、その感情も一層強いんだろうけど。

 

やってみれば判るけど、二本の剣を振るっていうのはすごく難しいことだ。重心はぶれるし、速く振るのもちゃんと動きを組み立てないと腕が絡まりそうになる。その二つの所為で何もない所でも振ってるだけで転びそうになるんだから、戦闘でまともに使えているあの二人は化物としか思えない。しかもハセヲに至ってはスキルなわけでもないと来てる。全くどういう運動神経してるんだかって感じ。

ちなみに、何であたしがそんなこと判るかっていうと……まぁ、ご想像の通り。

鍛冶士(スミス)という職業柄、同質の剣を見繕うくらい訳ないわけで。

ええ、そうよ。試したわよ。剣なんて碌に振ったことがない戦棍使い(メイサー)の分際で二刀流やら双剣やら試してみたわよ。見事にすっころびましたけどなんか文句ある!? 文句ある奴は鍛冶用のハンマーでぶっ叩くわよ!?

 

閑話休題(そんなことはどうでもいいのよ)

 

そんことを考えていると、シリカちゃんは顔を赤くして両手をぶんぶんと振っていた。

 

「い、いえ違うんです! その、わたし、別に本気であの二人みたいにできるなんて思ってなくて、その、ただ真似してみたいなーってそれだけで!」

 

必死に否定するシリカちゃん。あぁ、ホント可愛いなシリカちゃん。癒されるわぁ。

 

「はいはい、判ったって。それじゃ、ご飯から戻ったら早速探しましょうか」

 

「は、はい……」

 

そんな一幕が有って、それから少し歩いたところの小奇麗なカフェテリアで食事と相成った。そこで全く知らない女性プレイヤーが食べていたパフェにシリカちゃんが釘付けになったからだけど。

 

食後、シリカちゃんはお目当てのパフェを、あたしはタルトをつっつきながら、話が件の二人のことに自然と移っていたのは、今日が七十五層のボス攻略だって昨日来たハセヲたちから聞いていたからかもしれない。

 

 

 

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俺がコリニアのゲートに着いたとき、《KoB》の幹部以外は全員揃っていた。

 

「おっ! 俺らが《錬装士》様が重役出勤してきたぜ?」

 

いち早く俺のことを見つけたクラインがそう囃し立ててくる。

 

「うっせぇな。別に時間前なんだからいいだろーが。つか、今回はお前も参加すんのな」

 

言いながら、珍しく戦線に加わっているエギルに目をやった。コイツがボス戦に参加するのは四十層辺り以来だ。その後はずっと前線支援の方に回ってたはずだ。

 

「無私無欲の精神だとさ」

 

エギルが大仰に何か言う前にそう言ったのは、アスナと寄り添ったキリトだ。コイツ等の姿を見ても、もう罪悪感は湧かない。在るのは、守ってやるという決意だけだ。まぁ、本人たちに言うつもりは毛頭ないが。

 

「なるほど? んじゃお前は報酬分配なしでいいわけだな」

 

「おいおい、お前までキリトみたいなこと言うのかよ。そりゃないぜ」

 

意地の悪い笑みで言ってやると、ガックリと肩を落とすエギル。

 

「もう、キリト君! それにハセヲさんも! エギルさんが折角来てくれたんだから、そんなこと言っちゃダメじゃない」

 

「「はいはい」」

 

アスナのお叱りをテキトーに流す。

ボス戦前だというのに、俺たちに無駄な気負いは一切なかった。

いや、それが伝播したのか、集まった全員の緊張が解れていた。

 

そして13時丁度、ヒースクリフと幹部四人がゲートから現れた。

彼らは二つに割れたプレイヤーたちの間を悠然と進んでいき、俺たちの前で立ち止まった。

威圧された様にクラインやエギルが数歩下がる中、キリトは気にした風もなく、アスナは涼しげに敬礼をしている。

俺たちの顔をスッと伺ったヒースクリフは小さく頷き、集団に向き直った。

 

「欠員はいないようだな。よく集まってくれた。状況は既に知っていると思う。厳しい戦いになるだろうが、諸君の力なら切り抜けられると信じている。……解放の日のために!」

 

奴の宣言に合わせて皆が鬨の声を上げる。全く以て、奴のカリスマ性には頭が下がる。それこそ、“コアなネットゲーマーとはとても思えない”そのカリスマに、不信感が募る程に。

 

と、不意に奴が俺たちの方に振り向いて、フッと笑みを浮かべた。

 

「君達には期待しているよ。《二刀流》に《処刑鎌》、存分に揮い、勝利に貢献してくれたまえ」

 

それだけ言って視線を集団に戻した。

 

「それでは出発しよう。ボス直前の場所まで、コリドーを開く」

 

言って、濃紺色の《回廊結晶》取り出し、コリドー・オープンと言葉を発した。

 

「では皆、付いてきてくれたまえ」

 

ぐるりと全体を見回してから、紅い外套を翻し、率先してコリドーに入っていった。

それに幹部たちが続き、さらにその後を続々と他のプレイヤーが続いていく。

 

「んじゃ、先行ってるぜ」

 

クラインが《風林火山》の面々を率いて行き。

 

「あっちでな」

 

エギルが重斧を担ぎ直しながら入った。

 

残ったのは、俺とキリト、アスナの三人。

 

二人の方に向き直り、

 

「キリト、アスナ」

 

名を呼びながら、昨日のように二人の瞳を見た。

 

「守れよ」

 

それだけ言う。それだけで十分だった。

二人が手をつないで、しっかりと頷いたのを見て、俺も振り返り、コリドーへ入る。

 

アイツらは、大丈夫だ

 

それでも足りないなら

 

俺が、守る

 

そして…………生きて、必ず帰る

 

これは、誓いだ

 

 

 

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「うそ……だろ?」

 

身体も、思考も、硬直して動かない。唯一、口を突いてそんな言葉が出るだけ。

 

戦闘開始直後、上空から飛来したボス《The Skullreper》の鎌のような手足による奇襲で切り飛ばされた三人のHPバーが、その一撃で消し飛んだ。

 

「こんなの……無茶苦茶だわ……」

 

隣でアスナが息を詰め、掠れた声を絞り出す。

本当に無茶苦茶だ。これのどこが七十五層レベルだというのか。攻撃の威力だけなら、地下でシステムコンソールの守護をしていたあの死神に匹敵するレベルだ。

 

「ぼんやりしてんな!! 次来んぞ!!」

 

近くで発せられたハセヲの声でハッと我に返る。

その間にも骸骨百足は新たな標的を定めて突き進む。

 

固まっていた五人ほどの集団に向けて振り下ろされた鎌はしかし、特大の火花と共に弾き返される。凄まじい速さで割って入ったヒースクリフが、その巨大な盾で受け止めていた。

 

が、奴の腕はもう一本ある腕で、再び攻撃を敢行する。

 

「くそっ!」

 

気付けば俺は飛び出して、両の剣を交差させてその鎌を受け止めていた。

けれどその勢いは強く、剣を押しのけて俺の身を刻もうと迫ってくる。

 

駄目だ、重すぎる!!

 

今にも俺の頭に鎌が迫ろうとしたその刹那、新たな衝撃と共に鎌が真上に押し上げられた。

真横に立ったアスナの一撃だ。

 

「行けるよ、キリト君! 私たち二人なら!!」

 

「ああ!」

 

アスナがいる。それだけで身体の底から力が湧いてくる。

再び迫る鎌を完全にシンクロした二人の剣で弾く。

 

しかし更に二本、俺たちとヒースクリフが捌いているのよりは小振りだが、速度はその分速くなった鎌が俺たちに迫った。

 

「畜生っ! まだ有るのか!?」

 

「キリト君っ!!」

 

一本を対処するだけで手一杯な状態じゃ、迫りくる斬撃に対応することなんてできない。

 

「任せろっ!!」

 

最中、後方から声が掛かり、俺たちに迫っていた鎌が弾かれる。

自身も長大な処刑鎌を手にしたハセヲが、空中で一薙ぎして防いだのだ。

 

「小せぇ方は俺がやる! お前らとヒースクリフの三人はデカい方を捌け!」

 

ハセヲの言葉に、アスナと二人で強く頷き、声を張り上げた。

 

「鎌は俺たちが食い止める!! 皆は側面から攻撃してくれ!!」

 

「クライン! エギル! 他の連中はお前らが指揮しろ!」

 

「応っ!! 了解だ!!」

 

「やってやらぁ!! そっちも無茶すんじゃねぇぞ!!」

 

俺に続いてハセヲがクラインとエギルに指示を出す。

片や少ない面子ながらトップギルドの一角にまで仲間をひっぱてきたギルマス。

片や商人のくせに俯瞰的な目線で臨機応変な対応が取れる重斧使い。

 

付き合いが長いというのもあるだろうが、一瞬でそこまで判断して且つ簡潔に指示できるハセヲには頭が下がる。これで今までギルドに入らずソロプレイヤーだったんだから、なんでだよとしか言いようがない。

 

二人の指揮の下、側面から突撃していく。それで初めて、ボスのHPが少し減った。

が、直後、尾先についた槍の様な骨に薙ぎ払われて幾人かが倒れた。

 

大鎌を捌く俺たち二人やヒースクリフにはそちらに割く余裕は一切ない。

俺たちへの攻撃を弾いているハセヲが、隙を見てそちらも対応しているが限度がある。俺たちが倒れれば間違いなく戦線が維持できない為に、どうしてもこちらを重視せざるを得ないからだ。

 

――キリト君っ――

 

――気を取られるな! やられるぞ!――

 

――……うん。来るよ、キリト君!――

 

――ああ! 左切り上げで受ける!!――

 

アスナと目線だけで……否。もはやテレパシーでダイレクトに思考をやり取りしているかのように意思疎通をこなし、確実に大鎌を捌いていく。

迫りくる猛攻の中、場違いにも今までにない高揚感と満足感を得て、そして一体感に酔いしれていた。

 

 

 

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「オォォラァアァァッッ!!」

 

キリトたちに迫る凶刃を薙ぎ払い、返す刀でヒースクリフの方に行った鎌を弾き飛ばす。

すると、ダメージが蓄積したかのように小型の鎌が崩れ去った。

 

それを確認する間も惜しみ、着地と同時に駆け、突撃部隊に振われた尾を勢いのままに押し返す。それが終わればすぐに前方に戻り鎌の対処。

 

一瞬でも判断を誤れば、俺自身が、もしくは大鎌を捌いている三人が斃れ兼ねない、氷の上を歩くかの様なギリギリの往復をずっと続けている。

 

せめて小さい方の鎌が無くなってくれれば格段にやりやすくなるのだが、壊れる代わりに十数秒後には再生するという厄介な代物の所為でそうもいかない。

或いは、瞬時に武器を切り替えられるマルチトリガーが使えれば多様な戦術が取れるが、所詮は無いもの強請りだ。クイックチェンジでは換装前の武器を置き去りにしちまう。どう考えても拾いに行っている時間を与えてくれる状況じゃない。大剣では重すぎて咄嗟に対応するにはどうしてもラグが出る。双剣じゃ軽すぎて強力な攻撃に耐えられない。結果的に使い勝手は悪いがどちらにも対応でき、広範囲をカバーできる処刑鎌を使わざるをえないことも、余計に神経を擦り減らしている。こんな状況で仲間の誰かを巻き込みましたなんざ笑い話じゃ済まねぇ。

最初に破壊し、再生したときには本当に危なかった。紙一重でどうにか間に合ったが、それからは鎌の耐久値と、再生までの時間をカウントしながら対処している。

はっきり言って、情報処理の量は脳のキャパシティを超え、併せて繰り広げている綱渡りの攻防が酷い頭痛を引き起こしているが、そんな泣き言も言ってられない。いつ終わるともしれない狂乱の宴に惑わされている暇は、どこにも無ぇ。

 

弱音を吐いている暇があるのなら、コンマ一秒でも速く状況を判断しろ

 

頭痛で意識が混濁してくるのなら、一閃でも多く鎌を振るって覚醒しろ

 

思考が無限地獄に囚われるのなら、友を、仲間を、皆を信じ耐え続けろ

 

脚を、腕を、思考を、何より身体を動かし続ける力の奔流を止めるな、停滞するな

 

動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動けっ!!

 

もっと疾く、もっと強く!!

 

クールになれ! 全ての感覚を、全神経を研ぎ澄ませろ!!

 

今はそれこそが、俺を、友を、仲間を生かすための術だ!!

 

「アアァァァアアアァアァアアアァアアァアアッ!!!!」

 

 

 

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一時間――体感時間は倍以上だったが――に及ぶ戦闘の末、骸骨の刈手は断末魔を上げて四散した。

 

生き残った者は皆一様に座り込むか倒れるかで、勝鬨を上げる余裕の有るものはいない。

 

スッと、キリトとアスナに視線を向ける。緊張の糸が途切れたようにへたり込む二人の姿を確認して、少しだけ笑みが零れた。

 

守り抜いたみたいだな、互いを

 

最中、近くにいたクラインが、掠れた声を発した。

 

「……何人、殺られた?」

 

その言葉に促されて周りを見渡し、生き残った人数を確認して……その数を疑った。

 

「……十四人、死んだ」

 

「うそ……だろ?」

 

「……クソがっ……!」

 

呆然と返したキリトの言葉に、エギルは愕然と声を漏らし、俺はやり切れない想いを吐きだすことしかできない。

約三分の一。それだけの人数が、この一戦で斃れた。皆、ここまで生き抜いてきた歴戦の猛者達だったのにも関わらず。

 

これから先の戦闘のことを思い、場の空気が更に消沈していく中、ただ一人だけそれに逆らうかのように悠然と立つ男がいた。

 

騎士団長ヒースクリフ。

 

俺と同等、もしかしたらそれ以上の疲労を感じていてもおかしくない筈だが、そんなものはないかのように振舞っている。

 

ふとなにか気になって奴に目を凝らし、そのHPバーを確認する。

これだけの激しい戦闘だったにもかかわらず、奴のHPは未だグリーンゾーン維持している。つまり半分を割っていない。直撃を受けていない俺のHPバーが、《戦闘回復》スキルと回復ポーションを飲みながらであってもイエローゾーンも終盤に差し掛かっているのに、だ。

 

『ボス戦であってもHPバーをイエローまで持って行かれたことはない』

 

アルゴの言葉を思い出す。それでもだ。

少なくとも、俺は奴が回復ポーションを飲んでいるのを一度たりとも見ていない。猛攻の全てをあの盾で捌き切っていたとしても、いくらレベルが高いとはいえ前線プレイヤーのHPを一撃で全損させる攻撃を受け続けて、《戦闘回復》のスキルだけでそこまで耐えきれるものだろうか。

どう考えても、答えは否だ。

 

以前から募り続けている不信感を更に強くしながら、奴の顔を注視して――

 

「……っ!」

 

――その表情が、俺の中の記憶とぴたりと重なった。

 

まるで、子の成長を待つ親の様な、その穏やかな貌が。

 

『強くなれ、ハセヲ。 俺を、斃せるほどに!!』

 

己を斃せと、そう言った《アイツ》の貌と。

 

 

《豊富すぎるこの世界(SAO)の知識》

 

《半分を割ることのないHPバー》

 

《決闘の時の違和感》

 

《何も判らない過去》

 

 

バラバラだった情報が、一瞬で繋がった。

考えうる限り、最悪ともいえる可能性。

だが、有り得ないことでは無い。

 

思考が纏まったのと同時、俺の身体は動き出していた。

視界の隅で、キリトもまた同様に動いたのを捉えた。

 

期せず、同時に俺たちは動き出し、ヒースクリフに迫る。

 

鎌の頭を向けて突っ込むだけの、《処刑鎌》単発突撃スキル《月波》。ダメージは然程高くないが、最速の突撃スキル。

 

突然の奇襲に驚愕するヒースクリフだが、それでもなお、恐るべき反射速度でガードに入る。

 

だが、最速の二面攻撃だ、確実に一撃は入る。結果、俺の《月波》は防がれたが、キリトの一撃は、奴の胸を捉えた。

確実に突き刺さるはずの紫光を閃かせた一撃、しかし、衝撃音と共に見えない壁に弾かれる。

そして現れるのは、紫の《システムウィンドウ》。

 

 

Immortal Object(不死存在)

 

 

一プレイヤーには有り得ない、有ってはいけない、その表示。

それが、全ての真実を……俺が辿り着いた答えが間違っていなかったことを証明して見せた。

 

「システム的不死……って…………団長……どういうことですか?」

 

「これが、伝説の正体ってことだ。どうあっても、コイツのHPバーはイエローまで落ちない。そう、システムに保護されているから」

 

呆然と呟くアスナの言葉に答えず、俺たちを睨むヒースクリフの代わりにキリトが答えを示し、俺もそれに続く。

 

「仮想世界において、それをもつ存在は二つだ。NPCか、管理者権限を持つGMか。だが、この世界にGMはいねぇ。NPCでもねぇってんなら一体なんなのか。答えは一つだ」

 

「この世界の創始者であり、この世界を牢獄に変えた張本人。ずっと考えてたんだ。あいつは今、どこから俺たちを監視して、世界を調整してるんだろうって。けど――」

 

「考えてみりゃ、簡単なことだ。ガキにだって判る」

 

「ああ、そうだ。特に俺たちみたいな人種(ゲーマー)なら直ぐに気付くべきことだった」

 

「「“他人のやってるRPGを傍から眺めるほど詰まらない(詰まんねぇ)ことはない(ねぇ)”」」

 

「そうだろう……茅場、晶彦」

 

誰もが動かない、動くことを禁じられたかのような静寂。

それを機にした風でもなく、ヒースクリフ……茅場は言葉を発した。

 

「……何故、気が付いたのか。参考までに教えてもらっても?」

 

「最初におかしいと思ったのは、あのデュエルの時だ。最後の一瞬、あんた、余りにも速過ぎた」

 

「ふむ、やはりか。あれは私にとっても痛恨事でね。君の動きに圧倒されて思わずシステムのオーバーアシストを使用してしまった。君もかね、ハセヲ君? 試合の前に追及されたが」

 

納得した様に頷き、次いで俺に振る。

それに俺は、首を横に振って応える。

 

「いや、違ぇ。俺がテメェに不信感を持ったのはもっと前、圏内事件でキリト達にテメェの話を聞いたあたりからだ」

 

「ほう? 特に拙いことを話した覚えはないが」

 

「提供された情報が幾らなんでも細かすぎんだよ。マニュアル読んだからって普通そこまで覚えてるもんでもねぇ。まぁ、不信が疑いに変わったのはデュエルの時だったけどな」

 

「ふむ、以後気を付けるとしよう。しかし、そんな些細なことから推論を組みたてられるとは……流石は七年前の立役者、世界の救世主の一人と言ったところかな?」

 

「なっ!?……テメェ、一体どこまで……!」

 

肩を竦めながら何でもないことのように言った茅場の言葉に、動揺を隠せなかった。

 

ジョニーやクライン、アルゴの例があるから、The Worldの《ハセヲ》とSAOの《ハセヲ()》が同一人物だと気付く奴が他にいたとしてもそこまで驚くことではない。

むしろ、管理者の立場にいた茅場なら、気になったプレイヤーのアカウント登録情報から経歴を調べるくらいは訳ないだろう。

だが奴は、《世界の救世主の一人》と言った。それはつまり、俺が当事者として関わっていた《あの事件》の一部、乃至全容を理解しているということだ。かなりの腕のハッカーで無い限り、事件に関する情報を集めるのはほぼ無理であると同時に、《普通》なら知ったとしても真に受けたりはしない筈だ。理解しているとはそういうこと。奴は、茅場晶彦は、《普通》でないものの存在……《AIDA》や《憑神》の存在までも、認知しているということになる。

茅場晶彦という男に対する警戒の度合いが、俺の中で格段に強まっていく。

 

「認めよう。確かに、私こそ君達をこの世界に縛り付けた茅場晶彦だ。予定なら、攻略が九十五層に到達するまで明かすつもりはなかったのだがね。付け加えれば、君達が最上階で相対すべき最終ボスでもある」

 

俺の動揺を知ってか知らずか、どちらにしても俺の疑問に答えるつもりは無いようで、朗々と自身について語る茅場。その顔には超然とした笑みを浮かべている。

 

「随分と悪趣味だな。最強のプレイヤーが、一転して最悪のラスボスかよ」

 

「良い演出だろう? 本来の予定ならばかなり盛り上がったと思うのだが……まさか、たかが四分の三で気付かれてしまうとは思っていなかったよ。君らは最大の不確定因子だと考えていたが……よもやこれ程とはな。見通しの甘さを痛感したよ。カーディナルの可能性も、見くびっていたようだ」

 

「カーディナルの可能性だと?」

 

「ああ、そうだ。元々、私の前に立つのはキリト君だと思っていた。ユニークスキルは全部で十種類用意されていてね。その内、《二刀流》は最高の反応速度を持つプレイヤーに与えられるものだ。その者に、魔王を斃す勇者の役目を担うはずだった。だが、そこにイレギュラーが発生した。君だよ、ハセヲ」

 

「なに?」

 

未知の出来事を見て高揚したかのように大仰な動作で、茅場を俺を見た。

 

「本来、私が用意した十種のユニークスキルに、君の持つ《処刑鎌》など言うものは存在していなかったのだよ。だが、カーディナルは独自にそれを作り出し君に与えた。何故《処刑鎌》という形をとったのかは、私よりも君の方が判ると思うが……これを可能性と言わずして何と言おうか。まさしく、創造主の手を離れ独自の世界を創ろうとする力、現実と同等の力を持つ秘めたる可能性の片鱗だ」

 

そこまで熱の籠った言葉を言い切って、フッと茅場からその熱が抜ける。

 

「まあ、それを抜きにしてもだ。君達は私の予想を超えていたよ。戦闘能力いい、洞察力といいね。それら全て、カーディナルも含めたネットワークという無限の可能性を持った、ネットワークRPGの醍醐味という奴なのかもしれんがね。さて――」

 

言いながら左手を振り、現れたウィンドウを手早く操作する茅場。

 

「君達二人に、私の正体を看破した報酬を与えよう」

 

言い終わると同時、俺とキリト以外のプレイヤーが全員不自然な形で倒れる。

アスナに駆け寄って、キリトはその体を抱き起した。

 

「あ、アスナっ!?」

 

「……キリト、君……」

 

「テメェ! 一体何しやがった!?」

 

「なに、他の諸君には邪魔をしないよう麻痺状態になってもらっただけだ。心配には及ばんよ。不本意ではあるが、予定を早めて私は最上階の《紅玉宮》で君らを待つ。だが、その前に――」

 

獰猛な笑みを、俺たちに向ける茅場。

 

「――君達に私と一対一で戦う権利を与えよう。無論、私の不死属性は解除してだ。オーバーアシストも使わない、正真正銘の決闘。どちらか一人が私を斃せば、その時点でゲームはクリア、全プレイヤーがログアウトされる。これが、君達に与える報酬だ」

 

「……だめだよ、二人とも……二人を排除する気なんだ……! 今は……今は引いて……お願い、キリト君」

 

悲痛な声で俺たちを、キリトを止めようとするアスナ。俺もここは引くべきだと思う。体勢を立て直し、時間がかかってもプレイヤー全体の強化を図って奴に挑むべきだ。理性ではそう判っている。だが――

 

 

「ふざけるな……!」

 

 

近くにいた俺やアスナにも聞こえないくらい小さく、キリトが声を絞り出した。茅場を睨む双眸には、殺意と決意が色濃く滲んでいる。

 

「いいだろう、決着をつけよう……! 茅場。俺は、貴様を許さない!!」

 

そう茅場に宣言するキリトの姿が、かつての俺と重なって見えた。

 

『アンタの所為で……志乃も、揺光も、アトリも……! 許せねぇ……絶対に、許さねぇ!!』

 

オーヴァンを斃すと、そう決意して剣を握った俺と。だから――

 

「……お願い、やめてキリト君! ハセヲさん、キリト君を止めて……!!」

 

「……やれるか、キリト?」

 

「……ああ、当たり前だ……!」

 

――だから俺は、キリトを止めることが出来ない。止めてはいけない。それは、コイツの想いを、踏み躙ることになると判るから。かつての己を否定することになるから。

 

「キリト君っ!!」

 

「ごめん、アスナ。でも、ここで逃げる訳にはいかないんだ。俺はこいつに勝って、この世界を終わらせなくちゃいけない」

 

「…………うん、わかった。信じてるから」

 

アスナの手を固く握り、そう約束するキリト。

それから立ち上がり、茅場の方へ足を進めると、不意に俺の身体の自由が奪われた。

 

「ハセヲ!?」

 

「……チッ! ご丁寧なこった……!」

 

「済まないが念のためだ。君が邪魔するとは思わないがね。キリト君の次は、君との闘いだ」

 

そんな茅場の言葉を聞きもせず、俺のことを見るキリト。

 

……馬鹿野郎が、なに立ち止まってやがる……

 

「……行け、キリト……! 勝つんだろが……!?」

 

「っ!! …………行ってくる!」

 

強く頷いて、今度こそ前を向いて歩き出した。

 

「キリト! やめろ……!!」

 

「キリトぉー!!」

 

エギルとクラインが声を上げるが、それでも、キリトは歩みを止めない。

 

「エギル。今まで、剣士クラスのサポート、ありがとな。知ってたぜ? お前が儲けのほとんどを中層ゾーンのプレイヤーの育成に回してたって」

 

「……そんなこと、お前に感謝されるようなことじゃないんだよ、キリト!」

 

「クライン…………あの時、お前を置いて行って、悪かったな。ずっとさ、後悔してたんだ」

 

「キリト……! テメェ、バカヤロウ!! 謝んじゃねぇ! 今謝んじゃねぇよ……!! アッチ(現実)で飯の一つでも奢んねぇと、絶対ぇに許さねぇからな!!」

 

「ああ、判ったよ、約束する。また、アッチ(現実)でな。それから――」

 

そして、茅場の前で剣を構える。

 

「――ハセヲ。俺さ、あんたにずっと憧れてたんだ。あんたみたいに、強く在りたいって、強く生きたいって、ずっと想ってた」

 

……たくっ、やっぱ馬鹿だな。前にも言ったろ。俺はそんなに、強くなんてねぇって

 

「あんた言ったよな。立ち止まらないで、罪を背負って生きていくって。その言葉が、俺にはすごく眩しかった。格好よかった。だからこそ、憧れた。その心の在り方に、生き方に。」

 

なに恥ずかしいこと言ってんだよ。お前のキャラじゃねぇっての

 

「まだまだ、あんたの背中はすごい遠いけど、いつか絶対追いつくから。あんたに並び立てるくらい、あんたに認めてもらえるくらい、強くなるから。だから、今はそこで見ていてくれ。俺の闘いを」

 

本当に、恥ずかしい奴だよ、お前は。だが…………そういうのも、嫌いじゃねぇ

 

「ああ、見ててやる」

 

とっくの昔に認めてんだよ、お前の強さ(こころ)は。だからよ――

 

「そんだけデケェ口叩いて、みっともねぇ姿見せんじゃねぇぞ」

 

――勝てよ、キリト!

 

「判ってる。言っただろ? 当たり前だって」

 

言ってキリトは、身体は動かさず、顔だけ少し動かして、アスナの方を見やった。

泣き笑いの表情をするアスナに、儚げな微笑みを零し、振り返る。

 

「……悪いが、一つだけ頼みがある」

 

「何かな?」

 

「あんたに負けるつもりは全くない、絶対に勝つ。……だけど、もし俺が死んだら、暫らくでいい。アスナが死なないように……死ねないようにしてやってくれ」

 

「承知した。彼女はセルムブルクから出られないように設定しよう」

 

「そんな! キリト君!! ダメだよ! そんなの…………そんなのないよぉ!!」

 

魂を切り裂かれたような、そんな声にもキリトは振り返らない。

決心が鈍らないように。

 

茅場はウィンドウを叩き、不死属性を解除。次いで、互いのHPバーがレッドゾーンぎりぎり手前まで低下した。強攻撃のクリーンヒット一撃でHPが吹き飛ぶ値だ。恐らく《戦闘回復》のスキルも切られているだろう。

 

一撃決着。先日の決闘の再現だ。

決定的に違うのは、互いの命を懸けているということ。

デュエルでは決してない、単純な殺し合い。それが――

 

「……殺すっ!!」

 

――始まった。

 

「うおぉぉおおぉおぉおおおお!!」

 

それは、この世界の闘いの中で最も苛烈で、最も人間味が有った。

 

互いに既に曝しているソードスキルを使うことなく――正確には使えばその時点で見切られ負けが決まるから使えないというべきか。特に、キリトは――、すべて己の技量と本能のみで剣を振い、躱し、受ける。

 

両の剣を使って、あらゆる角度から必殺の一撃を連撃と成し攻め立てるキリト。

その猛攻の尽くを巨大な盾で受け、逸らし、痛撃を見舞わんとカウンターを繰り出すヒースクリフ。

 

いくつもの斬撃が宙を切り、火花を散らし、拮抗する。

 

剣戟の激しさは互いに一歩も引かない同質のモノだが、その身に纏う雰囲気は正反対。

 

ヒースクリフは、泰然と機械のように無表情で、涼しげに剣を振い。

 

キリトは、熱い闘志と殺意を瞳から発し、獣の様に唸りを上げながら斬撃を成す。

 

キリトの表情から、何かの重圧(プレッシャー)と焦りを感じているのが見て取れるが、それでもその圧に押しつぶされ、呑まれている気配はない。むしろそれを跳ね返すべく、一層その連撃は激しさを増していく。

 

全身全霊をかけた、一進一退の殺し合い。

余人の立ち入る隙のない、立ち入ることの許されないその闘いは、ついに終わりを迎えようとしていた………………キリトの敗北という形で。

 

ソードスキルを使おうとしてはいなかったキリトだが、ヒースクリフの見せた一瞬の隙を突こうとし剣を走らせた。それこそが、敵の狙いと気付かずに。寸分違わず繰り出された一撃は、《二刀流》の最上位剣技、二十七連撃《ジ・イクリプス》の初動モーションに他ならなかった。

 

狙って出来るようなことではない。自ら隙を作り出し敵を誘い、あまつさえソードスキルの初動モーションに乗せるなど。

だが、ヒースクリフはその神業ともいえることを、その激戦の中でやって見せた。

 

一度モーションに乗ってしまったソードスキルを――軌道を逸らす位ならともかく――自分の手で中断するのは不可能だ。技が発動した以上、あとは終了までシステムに規定された動きに身を任せるしかない。

 

狙い通り、その全てを捌き、あまつさえ両の剣を破壊してまでみせたヒースクリフが、終幕を告げる凶刃を、勝利を確信した笑みと共に、キリトに突き立てようとする様が見える。

 

そして、いかなる方法でか麻痺から回復したアスナが、その間に割って入ろうとするのも。

このままなら、アスナは間に合うだろう。だがそれでは、凶刃に穿たれるのが一人から二人に変わるだけだろう。

 

 

……それじゃあ、どっちも救えねぇ……!!

 

 

スローモーションのように流れる光景。

見ていることしか出来ない悔しさのあまり、奥歯を噛みしめ、手をきつく握る。

ならば、諦めるのか……………………………………答えは、否だ。

 

 

もうこれ以上、ただ見てるだけでいられるかよ!!

 

 

――Poo-----------nnnn――

 

 

瞬間、世界が止まる…………かつて聞きなれた、ハ長調ラ音と共に。

 

限りなく遅延しながらも流れていた世界が、色を失くし、完全に停滞した。

そして頭の中から響く、《ヤツ》の声。

 

――しゃあねぇ……ほんの少しだけ、チカラ貸してやるよ――

 

《死神》そう嘯く。それで構わない。一瞬有れば事足りる。ならば、やることはあと一つだ。

 

……いいぜ……

 

――さぁ――

 

……来い……来いよ……

 

――オレの――

 

……俺は……

 

――オレ(死神)の名を――

 

……ここにいる!!

 

――呼べ!!――

 

スケェェェェェェェイス!!

 

 

奴の名を呼ぶと同時、俺の身体に、朱の紋様が浮かんだ。

絶大な力が身を包む感覚。

 

そして、世界に色が戻る。停滞が終わる。

 

 

 

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それは一瞬だった。たった一瞬で、目まぐるしく俺の瞳に移る光景が変わっていった。

 

初めに映ったのは、誘い出されたソードスキルの終了と同時、ヒースクリフが俺に終焉を齎そうとする光景。

 

次に移ったのは、麻痺で動けない筈のアスナが俺の前に飛出し、身を挺して凶刃から守ろうとした光景。

 

そして、いま俺の瞳に映っているのは。

 

「これは……驚いたな」

 

「ハッ、《常識外(イレギュラー)》は、テメェの専売特許じゃねぇってことだ」

 

アスナをも上回る速度で目の前に現れ、アスナを突き飛ばしたハセヲが、処刑鎌を、更に自らの身体をも使い、死の刃を留め、そして………………

 

「……後、任せた」

 

……………………青い無数のポリゴンとなった光景だった。

 

「ハセ……ヲ?」

 

「……そんな……!」

 

驚愕、安堵、憎悪、悲哀……色々な感情がごちゃ混ぜになって、俺はただ、彼の名前を呟くことしか出来なかった。

 

「麻痺を解く方法は無かったはずだが。まるでスタンドアロンRPGのシナリオじゃないか。こんなことも起きるものかな。いや、彼だからこそ、起こせたと言うべきか」

 

ヒースクリフが何事か言っているが、俺の耳には届かない。

 

カラン…………

 

柄が真っ二つに折れた処刑鎌、その上半分が、音を立てて俺の足元に転がってくる。真っ暗になった視界に、それだけが映った。

呆然と、それを手に取る。すでに崩壊が始まっているそれは、あと数十秒もすれば完全に消え去ってしまうだろう。

 

「キリト君!!」

 

突如、アスナの、俺の名前を呼ぶ声が聞こえ、視界が晴れる。

見れば、俺に斬りかかっているヒースクリフの剣を、その細剣で受け止めているアスナの姿があった。

 

「キリト君! まだ、生きてるよ? まだ、わたしも、キミも! 生きてるんだよ!?」

 

…………生き、てる…………?

 

そうだ、俺も彼女もまだ、生きている。

 

「先の頼みがあるとはいえ、邪魔をするなら……アスナ君、悪いが君から斃させてもらう」

 

「っ!? きゃあ!!」

 

細剣が弾き飛ばされ、自身も地面に転がってしまうアスナ。

それに、ヒースクリフが迫る。

 

生きている限り、俺は守らなくちゃいけないんだ……アスナを!!

 

『お前らはもう、二人で一人だ。どっちが欠けても生きていけねぇ。だからこそお前らは、生きてる限り互いを守れ』

 

アイツの言葉を思い出す。

 

『何があっても、例え、知り合いの誰が死んだとしても、誰に迷惑をかけてでも、他の何よりもアスナを優先して、命を懸けてアスナだけは守り抜け』

 

そう言われたのに俺は、アイツの、背中を追っていた男の死に呆然として、アスナを守るという、一番大事なことを見失ってしまった。

 

今度こそ、見失ったりしない! 俺は、アスナを守る!!

 

アスナに迫るヒースクリフへレスリングのタックルのように突進して、正面から胴体をホールドする。低姿勢から迫ったせいか、反応が遅れたヒースクリフだが、押し倒されないように踏ん張り持ちこたえる。

 

「ほう、戦意を取り戻したか。だが、その後の行動が無策の突進とは……少々期待外れだよ」

 

「言ってろよ……!」

 

実際、このままではこいつを斃すことは出来ない。俺にある武器は、右手に逆手で握るあと何十秒持つかも判らない処刑鎌だけ。

対してヒースクリフは、その剣を俺の背に突き立てるだけでいい。身体を離して構えるまでの時間など与えてくれるはずもない。

迷ってる時間はない。何か思いつかなければ、俺も、おそらくアスナも殺されるだけ。

 

『……後、任せた』

 

不意に、アイツが消える瞬間に呟いた言葉が蘇る。

そうだ、アイツは俺に任せると言った。そして俺の手に有るのは、アイツの忘れ形見だ。

 

アイツならどうするかを考えればいい。なんだ、答えは簡単じゃないか

 

結論が出たなら、すぐにでも行動に移さなくてはいけない。ヒースクリフの剣は、もう俺に迫っている。

 

…………ごめんな、アスナ…………

 

心の中で彼女に謝って、俺は、右手に持つその巨大な鎌を、勢いよく手前に引き寄せた。

 

確実に突き刺すために思い切り力が入れられた刃は、ヒースクリフの背を、胸を突き破る。

当然、身体を密着させていた俺ごと。

 

奴の顔を窺うことができないのが残念だが、そこは仕方ないとしよう。

 

心残りは……アスナを置いて逝くことかな……

 

ゆっくりと暗くなっていく視界の中そんなことを考えていると、不意に背中から抱きすくめられた。それは、感覚が失われつつある中でもはっきりと感じることが出来る。

 

「ばか……死ぬときは、一緒だよ」

 

それで判った。アスナが、自ら刃に刺さり、俺のことを抱きしめてくれているのだと。

一緒に、逝ってくれるのだと。

 

「……ありがとう、アスナ」

 

そして、全てが闇に閉ざされた。

 

でも、怖くはない。

 

その背はいつまでも、暖かさに包まれているから。

 

 

 

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「「えっ!?」」

 

食事を終えて店に戻ろうとしていたあたし達は、突然鳴り出した鐘のような音に驚き、何事かと同時に空を見上げた。そしてさらなる驚きに見舞われる。

頭上数百メートルに広がる上層の底。その表面にびっしりと《Warning》と《System Announcement》の二つの文字が並んでいた。

 

「只今より プレイヤーの皆様に 緊急のお知らせを行います」

 

驚きが冷めやらぬ状態で、今度は合成音声のアナウンスが流れる。

 

次から次へと……一体何なのよ!?

 

そんなことを思っている間にも、合成音声は管理モード稼働だの、NPC撤去だのと言葉を続けている。そして、その後流れた言葉に、最も大きな衝撃を与えられた。

 

「アインクラッド標準時 十一月七日 十四時五十五分 ゲームは クリアされました」

 

ゲームが……クリア?

 

その言葉の意味が咄嗟に理解できなかった。何度も反芻して、やっと理解に至る。

 

「り、リズさん! い、いま、ゲームがクリアって!」

 

「うん……うん! 言ったわ! ゲームはクリアされたって!」

 

「リズさん!!」

 

「え!? ちょっ!? わわっ……とぉ」

 

あたし達が互いに頷きあって、シリカちゃんが喜びのあまりあたしに抱き着いている間にも、そこら中から歓声が上がっていた。

 

「こんな無茶苦茶、きっとやらかしたのはあのバカ二人ね」

 

「ふふっ、そうですね。きっとそうです」

 

七十五層でゲームクリアなんて、有り得ない現象。それを起こしたのはあいつ等だと、確信した。だって、こんな無茶苦茶なこと出来るのは、無茶苦茶なヤツだけだから。

 

シリカちゃんも同じ考えに至ったのか、あたしの胸に引っ付いてくすくす笑っている。

 

「あ、そうだ。リズさん。わたし、本名は綾野珪子って言います。今年で十四歳になります」

 

気付いたように顔を上げ、改まって言うシリカちゃん。

何がしたいのかを理解して、あたしも言葉を返す。

 

「あたしは、篠崎里香。今年で十七ね」

 

「はい! これで、リアルでも会えますね!!」

 

「うん、そうね」

 

多分、実情を言えば、何かしらの配慮がない限りあたし達がリアルで会うのは難しいだろう。なんせ、名前と年齢しかお互い明かしてないし、仮に互いの居場所が判っても、暫らくはリハビリやらなんやらに追われるはずだ。

でも、そんな野暮なことは言わない。それにきっと会えるって、あたしの勘がそう告げてる。

だから――

 

「アンタたちも、リアルで会いましょ」

 

そう、あの二人へ言葉を送る。

 

今でも好きだよ、キリト。愛してる

 

それとは別の言葉を、心の中で口にして

 

 

 

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「……繰り返します ゲームは クリアされました 繰り返します ゲームは――」

 

「なるほど。ふふ……随分と無茶なことしたみたいね」

 

外から聞こえてくるシステムアナウンスの言葉で、彼らが何かしらやらかしてこんなトンデモ展開に持って行ったんだろう、と勝手に推測する。

 

これで、晴れて私達は現実に帰還できる。けど――

 

「帰ってくるって言ったじゃない……うそつき」

 

結局この部屋には帰ってこなかった甲斐性無しに、そう悪態を吐く。

 

「まぁ、いいわ。情報収集はオレっちの十八番だからナ!」

 

この分は、現実に戻った後の分につけておこう。

確実に彼の居場所を探し出して、このツケを払わせるのだ。情報屋《鼠》のアルゴの情報網は現実でも有能なことを彼に思い知らせてあげよう。

 

「またね、ハセヲ。向こうで会いましょう?」

 

その時、この世界で言えなかった言葉をあなたに伝えるから

 

 

 

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――相変わらず、テメェはバカだな。人様の為に自分の命投げ出すとかよ――

 

そんな、《ヤツ》の憎まれ口が聞こえて、俺は目を覚ました。

 

辺りを見回せば、目に映るのは燃えるような夕焼け。あの教会を包む空と同じ夕焼けだった。

 

「ここは……アインクラッド、か?」

 

「その通り。ここは浮遊城アインクラッドの上空だ」

 

俺の疑問に答える声は背後から発せられた。振り返ると、そこにいたのは正真正銘、現実と同じ姿をした茅場晶彦だった。

 

「まぁ、データの消去は殆ど終わっているから、後数分で全て消えるがね」

 

「なるほど、つまりキリトは……いや、あの二人はテメェに勝ったわけか……で? 俺は死んだと思ってたんだが?」

 

次々と崩れ去っていくアインクラッドを眺めながら言う茅場に、抱いていた疑問をぶつける。

 

「なに、少しだけ話を、と思ってな」

 

「それなら、キリト達の方に行くべきなんじゃねぇのか?」

 

「そちらはもう済ませてきたよ」

 

「そーかい……で、話ってのはなんだよ」

 

せっかちな事だ、などと言いながら穏やかに笑う茅場。大きなお世話だ。

 

「そうだな、彼らには色々と語ったのだが…………うむ、君にはこれだけ聞くことにしよう。君にとって、この世界はどうだったかな?」

 

その言葉はきっと、自分が創った世界は……夢見た世界はどうだったか、そう聞いているんだろうと、感覚的に判った。

だから、率直な感想を返してやることにした。

 

「少なくとも、嫌いじゃなかった。デスゲームどうこう抜きにな」

 

「……そうか。それだけ聞ければ、満足だよ」

 

薄く、けれど、嬉しそうに笑む茅場に、問い詰めようと思っていた言葉を飲み込んだ。

アインクラッドの崩壊も管理の所まで進んでいる。聞いたところで、大したことは聞けないだろう。

その代りに、一つだけ聞く。

 

「この後、アンタはどうすんだ?」

 

本当に満足そうに答えていた奴の言葉から、このまま現実に帰るとは思えなかった。

 

「……データの完全削除終了後、私の脳には超高出力のスキャニングが行われる。成功する可能性は、0.1%にも満たんがね。成功すれば、身体は死を迎えるが、いくらかの時を経て、私はネットワークの海を漂う意識存在になるだろう」

 

「そうか」

 

つまりそれは、《あの男》と同じような存在になるということだ。ならば、茅場には一つ頼みごとをすることにしよう。

 

「なら、もし仮に成功して、ネットの海で青髪のグラサン野郎に会ったらでいい。こう伝えてくれ」

 

その確率はかなり低いだろうが、可能性があるのなら言わなくちゃなんねぇ

 

「“アンタのことだから判ってるかもしれないが、アンタの妹は今じゃすっかり元気だ。自分の目で確かめたいなら、死に物狂いで会いに来い”ってな」

 

「承った。仮にその者に会うことが出来たなら、確実に伝えよう」

 

茅場の言葉に頷く。

アインクラッドはその全てが崩壊し、残ったこの空間も徐々に光の中に消えていく。

 

「ではな、ハセヲ君。機会があればまた会おう」

 

「機会があれば、な」

 

そして全てが光に包まれる。

 

悪ぃ、アルゴ。約束は守れなかった。今度はリアルでなんか奢るから、許してくれ

 

再び薄れていく意識の中、俺は彼女にそう謝った。

フッと出てきたアルゴの顔は、なんとも言えない妖艶な笑みをしていて。

 

まったく、怖ぇったらねぇな……

 

そう苦笑して、俺の意識は光に呑まれた。

 

 

 

 




あとがきは、エピローグの方で

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