革張りの椅子から身を乗り出し、黒檀の机に相対する。ラップトップの画面に視線を走らせながら、ディアボロは、その脳裏に酷薄無情の奸計を巡らせた。
暗殺者を差し向ける。その選択肢は端からない。組織子飼いの暗殺チームが叛意を抱いていたことは、予てより明白。娘の存在が明るみに出た時点で、既に裏切ったと考えるのが妥当である。
もっとも、仮に彼らに二心なくとも、ディアボロが娘の暗殺任務を託すことはなかったろう。忠誠心や使命感に立脚しない殺人、これを専業とする暗殺者をディアボロは心の底から軽蔑していた……自分のことは棚に上げて。
斯様なる連中に、自身の命運を左右する秘中の秘など早々に明かせるはずがない。聞く者が聞けば「どの口がほざくッ!」「舐めやがってッ! 納得いかねえ!」「ブッ殺してやる!」「ブッ殺したなら使っていいッ!」「でぃ・もーると死ね」となること請け合い。激昂不可避のとんでもない
その思想こそが暗殺チームの冷遇に繫がり、以て組織への不信を募らせたことからして、もとより両者は相容れぬ星の下にあったのかもしれない。
閑話休題。
では、組織に従順な他の配下に暗殺を任せるのはどうか? 無論、不可である。
至極当然の摂理として、誠実さと人間性は相関する。裏社会に生きる人間の倫理観など、凡そまともなものではないが、それでも責任感が強く、与えられた仕事を忠実に成し遂げる真面目な者ほど、義理人情に厚い人格者である傾向が強い。
ディアボロには解る。
彼は、決して『サイコパス』ではないのだ。愛や情を「
だから解る。
“なにも知らぬ『娘』を自分の都合で殺す”
左様なる非道、聖人君子でなくとも嫌悪を抱くであろう。嬉々として実行する「品性下劣な最低のゲス野郎たち」を除けば、誰だってそう。ディアボロであれ任務を下される立場ならば、やはり自分のことは棚に上げて「吐き気を催す『邪悪』」とでも評したろう。
暗殺任務を断行してしまえば、最悪、義侠心にかられた配下が叛旗を翻す。或いは、娘を庇い立てして隠す懸念が残る。そうなると、もう娘の死体を直に確認したとて信用できない。この世界には、
この手の汚れ仕事に適した忠誠心に厚い親衛隊は、信を置けるが故に他の重要任務で遠方へ出払っていた。今から召集したのでは、即応性が求められる目下の急務に対処できない。
三人ばかり手すきの人材がいないでもないが、一人は能力の規模とリスクが甚大。残り二人は「同じ天を戴き、同じ空気を吸い、同じ時代を生きることすら不愉快な件のゲス野郎ども」である。暗殺チーム以上に信用ならない。
ならば如何にする。
逆に考えればいい。
殺せないなら護らせる。
方針を定めたディアボロは、端末を操作し、任務に適した構成員をリストアップした。指の動きに合わせて目まぐるしく移り変わる画面を視線で薙ぎ、情報を一覧しながら目星をつける。
荒事に通じ、機転の利く、篤実な気質の実力者がいい。
情熱に溢れ、仲間意識が強く、命の賭け時を弁えた野心家であれば尚いい。
加えて、青くさい理想と真っ白な理念に赫々と心血を滾らせる若者であれば、もう他に何も言うことはない。
十五歳の娘トリッシュ――年の近い少女に、若者同士、大いに共感し合い、その境遇に深く同情することだろう。全身全霊を以て護衛任務に取り組んでくれるはずだ。
ともすると可憐な少女に恋心の一つでも抱くかもしれない。
いいや、絆されるに決まっている。
確信があった。
控えめに言って世界で十本、否、五本の指くらいには入るだろう。
健全なイタリア男子であれば、間違いなく惹かれる。惚れる。口説く。
姫君に侍る騎士にでもなったつもりで、一命を賭し、ボロ雑巾じみてズタボロになろうとも守護するに違いない。
個人の感想による勝手な希望的観測で、ディアボロは左様に期待した。
後は、座して待てば良いのだ。
護衛に守られた娘が手元へ届くまでに、親衛隊の面々を初めとした人員を手配し、敵対勢力を牽制、誰の邪魔も入らない安全な場所を確保して対面する。
そして、消す。
髪の一本、骨の一片、血の一滴――トリッシュ・ウナという一個人が存在した痕跡は、極力残さない。
痛みも、苦しみも、恐怖も与えない。自分が死んだことにすら気付かせない。
自らの手で直々に引導を渡す。
石畳の下に埋め立てるだけでは駄目だ。かつて隠した“過去”は、石の隙間からミミズのようにはい出し、結果、重すぎる代償を支払うハメになった。
同じ轍を踏むことは、もう許されなかった。
沈めなくてはならない。土の下よりなお深く。一条の光すら届かない。昏く、冷たい、奈落の底。二度と浮き上がることのできない深き海の暗闇へ。
これで心から安心できる。
「父と娘……最初の……そして最後の親子水入らずだ」
淀みなくキーボードを打鍵し、指令書をしたためていく。
スタンド使いを管理する幹部ポルポに今しがた見定めた人員の手配を、非能力者ながら忠義に厚い幹部ペリーコロに娘の保護をそれぞれ指示する心算であった。
組織専用の電子メールクライアント――画面中央へドヒュウウゥ――z___ンとウインドウが吸い込まれる無駄に凝ったアニメ演出でスプラッシュスクリーンが表示されるそれを立ち上げ、まずはポルポに手紙を送信する。
次いでペリーコロにメッセージを送ろうとして――。
不意に写真の娘と目が合った。
PDF形式の報告書に添付されたトリッシュの画像。ディスプレイの右端で物憂げな表情を浮かべる彼女の双眸には、いつか見た紺碧の海が宿っている。芯の強さを秘めたまっすぐな瞳だ。その咎めるような眼差しに晒されたディアボロは、ばつが悪そうに眉をしかめると、静かに手を止めた。
翠と碧、二つの視線が交差する。
ややあって居心地悪げな嘆息が漏れ出た。やおらタッチパッドに手を伸ばすと、画像を拡大し、凝然とみつめる。
「娘よ、お前さえ産まれていなければ、こうして懊悩することもなかった……」
偽りなき真実だ。
写真越しに一瞥しただけで、ディアボロは直感した。血の、遺伝子の、そして、魂の結びつき。
その繫がりは内面的なものに留まらない。彼女の姿態にもよく顕れていた。
「くせっ毛……だな。わたしの髪質ではない」
懐かしい感触に思いを馳せる。
「しかし、髪の色は、わたしそのものだ」
総髪に結い上げた自身のピンクブロンドを掌中に掬い、見比べる。
「優美な面立ちは、母親譲りで――」
画面に映る輪郭を指先でそっと撫でてみる。
「凛々しい眉は、父親似」
同じ指の腹で自身の眉をなぞる。
「露出の激しい服は、
ほぼ下着と見紛う上下にパレオスカートを巻いた普段着。攻めに攻めた装いに、過去の女の面影を重ねる。
「だが、配色センスは……ふふん。まったく……どうして……誰に似たのやら」
見れば見るほどに心がざわつく。
骨柄や所作。顔を合わせたことすらない相手の風姿に、他ならぬディアボロ自身が誰よりもよく知る己の遺伝形質が受け継がれている。その娘が何も知らず、のうのうと生きているのだ。ディアボロの正体に繫がり得る外見的特徴を絶えず周囲に喧伝しながら、今この瞬間も衆目に身をさらしているのである。
腸が煮えくりかえる。焦燥が背筋を冷たくする。
絶対に生かしてはおけない。
刻一刻を数えるごとに殺意がつのる。
それなのに――。
「いま……笑っていた……のか。わたしが? 馬鹿なッ!」
暗雲に覆われた胸の裡で、とうの昔に色褪せたはずの太陽が燦然と光を放っていた。
「安らぎを覚えたというのか? 真っ暗な海原に放り出された船乗りが灯台の明かりをみつけたときのような安堵を……。このだだっ広い世界に自分は一人じゃないという安心を……。血を分けた娘の姿なんぞに感じたというのか? 帝王が、この、ディアボロが……まるで」
どこにでもいる、ありふれた一家の父親のように。
その一言をすんでのところで飲み込む。
孤独は、自ら切望したことだ。頂点に君臨し続けるために必用なことだった。寂しさを覚えたことはない。哀しみに嗚咽したことも、辛さを吐露したこともまた然り。
むしろ、幸福ですらあった。
一人、また一人、己に連なる人物が消えていく。その度に、心が軽くなった。度し難き裏切り者や薄汚い暗殺者に頭を悩ませる心配がなくなった。月影やわらかな凪の海原がごとき平穏を噛みしめることができた。
きっと総て運命だった。
そう納得したからこそ邁進できたのだ。今さら、どの面を下げて父親ごっこなどに興じられよう。
親子愛など、所詮はただの生存戦略。子を慈しむことで生存率を高めようとする精神の仕組み。遺伝情報の継承を願う利己的な本能が試行錯誤の果てに獲得した一つの性質に過ぎない。
左様なる畜獣の
それは、これまでの艱難、葛藤、人生の全てを否定することに等しい。
自然と上向く口角を均し、ディアボロは
努めて無表情に徹し、ペリーコロへ指令を出そうとする。後のことは、如才ない彼が手抜かりなく差配するであろう。これでまた
だが、重い。
指先が鉛のようだった。
必用な力は、一グラムに満たない。タッチパッドに触れ、クリックを押す。たったそれだけの労力でトリッシュの命は遠からず消える。
しかし、今のディアボロには、目と鼻の先にある端末があまりにも遠くに感じられた。
(親馬鹿の)片鱗。
クッコロの勝手な解釈ですが、原作本編のディアボロは、『悪の教典』の蓮実先生みたいな奴だと思ってます。
一方、拙作のディアボロは、世界のフリー素材なアドルフおじさん風味。能力はあるのに、思い込みが激しく、嫌なことを避けてライブ感覚で生きてたら取り返しのつかない大変なことになって勝手に苦しんでるタイプです。解釈違いかも?
次回「未来」へ続く。これも書き終わっているので、明日の朝くらいに投稿したッ! します。