機動戦士ガンダム 終天の御伽噺-フェアリーテイル- 作:7746MRRWAY
1.
一番古い記憶は、確か7つの誕生日。年に数度の家族旅行。
真っ暗闇のその中で、まばらに座る観客が、皆で感動を分かち合う。110分の物語を。
でも何割かは、仲間外れ。きっと、私もその1人。
憶えているのは、ただ10分。取るに足らない、版権フリーの資料映像。
隣には、瞼を閉じた父がいた。
揺らめく光のその中で、流れを操りどこまでも。
蒼い世界を、無数の影が、どこまでも。
その姿は、何よりも自由に見えた。
眠れなかった夜が明け、次の日、私は笑われた。学校中の、笑いものに。
それが見たいなら養殖場に行けと言われた。鳥ならまだわかると笑った。
でも、どれだけ笑われ続けても、この心は揺るがなかった。
いつか必ず、この目で見たい。そう誓うまで、間は無かった。
やがて、誓いは夢になる。その夢は今・・・。
2.
すっかり見慣れた星宙。そこに浮かぶ、鈍色の円盤。ゆっくりと、船が、そこに近づいていく。
「調査対象コロニー・Φ271を確認、接触を開始します。」
円盤の表面と船底が接触すると、船から2人分の人影が乗り出した。
その2人は、円盤の表面の四角形の穴の淵に立ち、一度ちらりと中を覗いて、しばらくしてから穴の中へ侵入していった。
「・・・宇宙港、機能健在を確認。入港作業を開始。・・・頼みますよ。」
「了解。着陸安全を確認。解析を開始します。」
1人の手から、ひものようなものが伸びる。
「コロニーシステム解析。・・・解析結果、旧連邦系コロニーと断定。
四角形の扉が、ゆっくりと穴を塞ぐ。
「エアロック起動。・・・環境、確認。人工重力、気圧、空気成分共に正常。降機後、ヒューマン・エアロック経由で、コロニー内に闖入します。」
「・・・いいえ、許可できません。今回の査察、抗戦の可能性があり。最低でも
「・・・了解。搬入ゲート、解放。環境情報に変動、なし。
鈍色の門を幾つか通り抜けると、開けた場所に出た。正面から見れば、青空に直接扉が張り付いているように見えるだろう。そこからは、果てしない密林を見下ろすことが出来た。その密林の中、直径30kmに迫る円形の箱庭には、ところどころ人工物のようなものが確認できる。
2人は、樹木が閑散としている場所を選んで、地面に降り立つ。そして私は、訓練通り計器を操作する。
「環境スキャン、異常なし。周辺状況の物理スキャン・・・完了。周辺に、異常発達した樹木多数。
「よろしい、降機準備。」
「了解。・・・ハッチ開きます。」
・・・人型の鳩尾が、扉のように開く。その中から、1/10ほどしかない小人が現れ、糸を伝ってゆっくりと地面に下りてくる。小人は、2人。共に、人間よりわずかに大きな比の丸い頭を持ち、上半身と腰には、箱のようなものを取り付けていた。
・・・私たちを、
「大気状態最終確認、異常なし。
「よし。シールドの解除を承認。」
2人の頭が、ほんの少し小さくなり、片方は、普通の人間と大差ない比率になった。もう片方の頭では、黒い何かが広がった。女性の、髪。長髪と超長髪の間程の、黒い直毛。
女性の方、つまり私は、言う。
「装備確認、完了。ジークリンデ・アジュール少尉、廃コロニー探査F113分隊の査察任務を開始します。これよりベースキャンプへの移動を・・・少佐?エルピナス・・・少佐?」
指示を仰ぐべき上官が、なぜかごそごそと、隅っこで謎の作業をしている。
なぜか体に取り付けた部品を、取り外している。たちまち真っ黒な全身タイツ人間が誕生した。
「一度しかいいませんので、よぉく聞いてください。教本には載っていませんが、廃コロニー内を徒歩で探索する場合、アウターパックは外すことが現場では常識となっています。というわけで、携行武器など必要最低限なものは制服等に収納し、身軽になったら出発とします。」
・・・ということは、これからまたリフトを昇降して、アウターパックをはじめとするオプションから武器を抜き、取り外した不用品を
・・・ため息をつきたくなった。二度手間だが、軍規に則るとこうなってしまう。備品類は、数十年前から変わらず、出撃時にアウターパックに収納する決まりになっている。つまりこれらは、あらゆるしらがみが絡み合って出来た、二度手間。
だが、上官命令では仕方がない。本人も老婆心で言ってくれているのだろう。
一度巻き上げてしまったワイヤーリフトに、降下を指示する。降りきるまで、少しだけ時間があった。
視線を上げると、今の私の視線と、少し前まで私の視線だったもの、つまりは“あれ”のカメラアイが重なる。
皇国軍制式汎用
まず一つ目が、大きさ。片手で数えられないであろう階数の建造物、高さ18mに届くだろう身長を持つ。鎧のように見えるものは装甲版であり、中の人にあたるフレームに張り付けられている。そしてそのフレームにも特殊金属で構築された骨格があり、形状記憶合金製の人工筋肉で動いている。そして鳩尾にある
もう一つは、今ちょうど見上げている顔だろう。顔の左半分は、窓硝子のようなバイザーで覆われている。今はちょうど見えないが、中に固定のカメラアイがあるらしい。右半分にはスリットがあり、剥き出しの一眼カメラのレンズのような単眼が覗く。そして右耳に当たる部分には、大きなアンテナが立っている。何度見ても、どんな設計だ、と言いたくなる味のある顔だった。いや、パク、もとい参考元の旧連邦の航宙汎用
そんなことをごちゃごちゃ考えていると、リフトはいつの間にか地面に到達。先端のフットレストが、泥に突っ込んだ。・・・止めるのを忘れていた。少し嫌な気分になりながら、同じく泥だらけの足を乗せる。まあ、結果は変わらないにしても、私個人の士気が下がったのは、確かだった。
さて、準備が整った。私は上官の指示の元、目的地へと歩き出した。
「別に、それを着てこいとは命令してはいませんがねぇ。」
張り付いた笑顔のようにも、薄目のようにも見えるその目で、私の服装を見た少佐から嫌味・・・でなく、指導が飛んでくる。
「いえ、初対面の上官に、無礼を働くわけにはいきません。」
一応、上官相手に取り繕った、建前を口に出す。
本音としては・・・脱いでたまるか。今の私は、傍から見れば普通の軍服姿に見えるだろう。だが、その下に最低限の生命維持機能を内蔵した、
夢を叶える為の下準備ならば、大抵のことは受け入れる気でいたが、流石に限度というものがある。
そのまましばらく歩いていたところ、その良家出身の全身タイツ男29歳が、唐突に話題を振ってきた。・・・作戦中の雑談は、一応罰則対象だったと記憶しているのだが。
「しかしまあ、貴女も物好きですね。同情しますよ。地球圏との不可侵条約の有効性確認の為の生贄部隊に志願した挙句、その些末な梯子さえ外されるとは。」
「・・・いいえ、お言葉ですが、確実に成果は出ています。15年前の航海では、“開拓王”ジェイガー艦長と直属の精鋭操舵隊の元、長年困難だった小惑星帯の突破を完遂し、
・・・しまった。反射的に反論してしまった。仮にも、上官相手に。
私の目標だった、地球圏調査船団、その意義について。この国は何百年も昔、当時の地球圏を統一した連邦国家と不可侵条約を結び、互いに宙域内に立ち入らないことを条件にして建国を許された。だが、その当時の連邦、通称旧連邦は既に解体され、現状で音沙汰すらない。せいぜい、連邦残党や新連邦工作員を名乗るテロリストがちらほら事件を起こすくらいだった。そのため、今現在存在するとされる新たな連邦国家との間で、この条約が未だ有効かを確かめるため地球圏を目指す。それが、この船団の主目的だった。微々たるものではあるが、確かな成果もある。
だが実際のところ、軍内部で地球圏調査船団を腐す人間は少なくない。むしろ、メディア上での華々しさとは対照的に、身内からは目の敵、軍事費・税金の無駄と蔑まれていたと、無期限解散の後に知った。
だから、無性に反論したくなった。
・・・が、さすがに上官相手はまずい。恐る恐る、その上官の反応を伺う。
「・・・知っていますよ。というか、はっきり覚えています。入学したての士官学校で、一大騒動になりましたから。それで、結局のところ地球連邦の防衛無人機に迎撃され、無念の死を遂げたその開拓王は、目的地の地球まで何au近づきましたか?」
思ったよりも和やかな対応に安堵したが、よくよく考えるとかなり残酷な質問だった。
「・・・約7億km。」
正直に、回答した。
「質問に答えてください。何auですか?」
「0.472au・・・です。」
「地球までは?」
「あと11au・・・です。」
要は、目標の1割にすら到達していないということ。
「・・・お話になりませんね。まったくもって、あらゆるコストの無駄です。貴女もこの機会に、キャリアの見直しをされたらいかがでしょうか。」
・・・まいった。何も言い返せない。
「あと、貴女の階級は?」
「少尉、です。」
「私は?」
「少佐、です。」
「・・・何か言うことは?」
あ、しまった。
「・・・ご無礼、誠に申し訳ございませんでした。」
「・・・まあいいでしょう。貴女も気分が沈んでいることでしょうし、この際不問にします。テロリストになられても困りますからね。件の”開拓王”の忘れ形見のように。私のキャリア的にも。」
この人、口はすこぶる悪いが、意外と良い上司かもしれない。・・・だが、ただ一つ言いたい。その件に関しては、父親の死因をろくに捜査しなかったことに加え、本人が事故に遭った際に雑に死亡判定した国が全面的に悪いと思う。全て偶然だとしても、こんな陰謀論じみた状況だ。反旗を翻して当然だろう。だが、ここで食い下がっても仕方がない。
「はい。」
「・・・たとえ不服があったとしても、眉間のしわくらいのばしてください。貴女も軍人なのですから。あと、これからも軍人として生きたいのならば、言葉遣いは早めに直してくださいね。」
「・・・はい。」
表情にまで、注意が向いていなかった。反省しよう。
・・・結論から言おう。このまま順調に進んだとしても、地球圏までたどり着くことは不可能だと思っている。私の一生のうちに達成できるかとなれば、なおさらだ。狭い門を潜り抜け、士官学校まで卒業したが、現実はこんなものだった。それでも、だとしても、開拓王のように少しでも後進の為にと気持ちを新たにしたが、理由あって計画凍結、人員は再配置。
そして現在、たまたまポストに空きがあった、査察部の廃コロニー開拓・再利用調査隊担当分隊に所属している。そしてこの嫌味な査察官の補佐として、ここまで同行することになり、こうして人工物の中とは思えないジャングルの中を闊歩している。
しかし、旧連邦の技術は本当に凄まじい。空気と水、人工重力、擬似太陽光と動力炉が、何百年もの長期間、無人で保守出来ているだけでもすごい。そして、元々観葉植物か農作物だったであろうものが、繁茂した結果がこの密林だ。人間がただ放棄しただけで、ここまで自然に還るものなのか。宇宙に浮かぶ、人工物の中なのに。
「おかしいですね。危険動植物の類は見当たらない。やはり、テロリストの襲撃と見るべきか。“孤狼の群”とか。」
・・・この人、まださっきの話を。
「・・・それ以上擦られるのならば、作戦外ハラスメントとして告発します。」
「冗談ですよ。おっと、そのアクセサリーは外した方がいいですね。死にはしませんが、有毒種です。」
その指は、左肩を指していた。何かと思ったが・・・蜘蛛だ。弱毒ではあったが、本当に有毒だった。一瞬ギョッとしたが、すぐに落ち着いて、肩に乗った蜘蛛をそっと振り払う。今は、査察任務の最中だ。再利用検討中のコロニーの環境を、必要以上に破壊するわけにはいかない。
・・・暑い。確かにスーツには、バイタル維持機能がある。が、それはあくまで最低限。とどのつまり、人体に備わった機能で耐えられるギリギリを維持することで、バッテリーを節約しているという仕様。上に服を着こめば、必然それだけ暑い。結論、目の前の上官のように、道中は全身タイツ人間になり、目的地直前で着込むというスタイルが最も賢い。嫁入り前の乙女が、恥も外聞も捨てるという前提になるが。
・・・嫁入りの予定?知るか。
だが、本当に暑い。
目の前が、ぼんやりと・・・。
・・・?
ん?
何かが、無数の細い糸のようなものが、そよ風に流されているように見えた。
シミュラクラ現象というものだろうか。それが一瞬だけ、地に触れる程に長く、しなやかで、七色に輝く髪が、風にたなびいているように見えた。そこに、女の子が佇んでいるように感じた。
「・・・どうかしましたか?」
少佐が話しかけてくる。少々の心配と、残りの割合を埋め尽くす嫌味が込められていた。
「・・・いえ、少佐。失礼ながら報告いたします。前方に人影らしきものを確認。おそらく不法居住者と推測され・・・。」
私はこの瞳に映った物体を、先日まで学習していた定型に沿って事細かく報告する。それが、報告対象本人の、わざとらしく大きなため息にさえぎられるまで。
「・・・誰もいませんよ?あの水面の反射を見間違えたのでは?」
・・・水面?
・・・ああ、確かに。目を凝らすと、木々越しにかなり大きな水たまりを確認することができた。そして、確認した少女と思しき影は、跡形もなく消えていた。冷静に考えてみれば、あれが人間の頭髪であるはずがなかった。秒針が半周するまでのわずかな間だったが、風と共に刻一刻と、プリズムのように色を変える。霞に映った虹の類か、人工太陽光のバグと思った方が納得のいくものだった。
つまり、私は・・・上官に事実と異なる報告をしてしまったということになる。
「・・・申し訳ございません。誤報を訂正致します。」
若干血の気の引いた顔を伏せ、誠心誠意謝罪する。
それが向けられた相手は、まずひときわ大きなため息で返すと、さらなる嫌味で追い打ちした。
「・・・貴女は本当に貴女ですか?あのバケモノに目をかけられていたって、期待していたのですがね?そんなにお疲れでしたら、ベースキャンプで休んでいてください。まあその後のキャリアについては補償しませんが。」
・・・疲れている、か。
確かに、返す言葉もない。
暑さもあるが、それだけじゃない。
この仕事を完璧にこなしても、その先に何が在るのか。
・・・正直、心の底では辞めたいと思っているだろう。でも一応、再開の可能性はゼロじゃない。何より、背中を押してくれた人たちの為にも、やめるわけにはいかない。
そんなこんなで、結構な距離を歩いたと思う。
・・・本当に暑い。
ついでに、歩きづらい。
今
だが、暑さは変わらない。脳が茹って余計に思考が乱される。いけない、ついつい上の空になっ・・・。
「分隊長より定期連絡が途絶えたのは一週間前。今は無人のベースキャンプ。定点カメラは稼働中にも関わらず、姿は・・・?・・・少尉?」
・・・何があった?
視線を足の方に向ける。
足の先に空が広がっている。
顎をさらに引くと、土でできた崖が見える。
・・・どんどん頭に血が昇ってくる。
おそらく、あの崖から転がり落ち、逆さまになったまま全身にツタが絡んで動けなくなった。
高さはおそらく、身長の倍はある。とてもじゃないが、このままじゃ登れない。
うう、気持ち悪い。頭に血が上る。
まず、全身に絡みついたツタをどうするか。切断するか?いや、支給されたナイフは、拳銃と一緒に懐のホルスターに収まったまま。・・・抜けない。
というか、何を血迷ってこんなものを正式装備にしたんだ?拳銃とサバイバルナイフとワイヤーアンカーがユニット化されたガンナイフなんて。おかげで、ただ今絶賛、抜き辛くて仕方がない。
どうすればいいのかと、回らない頭で考えていると、目の前が少しだけ暗くなった。
何かと思えば、小さな影が差していた。それが人影だと気づくのに時間はかからなかった。
が、それが誰か、何者かまでは理解するのには時間がかかった。
その影の主が、はぐれた少佐ならわかる。連絡を絶った調査分隊員でもまだわかる。
だが、その影は、そのどれでもないとすぐわかった。
なぜか?明らかに小さかったからだ。
そんな、ばかな。環境維持装置が働いていたとはいえ、ここは廃コロニーだ。子供が?1人で?なぜ?
その疑問の一部は、気付けばそのまま口から漏れていた。
「なぜ・・・ここに・・・。」
「晩御飯を、探しに。」
ふたりは、それぞれ違う理由で、きょとんとした。
3.
その後私は、その幼年学校の高学年程度に見える少年に、助けられた。一見頑丈そうなそのツタは、少年が思いっきり引っ張ったら、あっさりとちぎれた。腕力、特に握力には自信がある方だったが、体勢の関係で力が入らなかったのだから、仕方がないか。その時はそう思った。
助かったはいいが、その後に何をするかに困った。上官とは連絡がつかず、情報を確認できる端末はバグを吐き、派手に転がり落ちたせいで道も分からない。そのため、晩御飯と称される雑草まみれの籠を背負った少年に連れられ、ひとまず家まで同行することになった。なにせ、この少年も、食べられる野草の自生地と家とを往復しているのが基本であるので、詳しい道は分からないと言った。だが、普段暗くなるまであっちこっちで遊んでいる弟なら、何か知っているかもしれないとのこと。何より、もうすぐ日が沈む。危ないから、今夜は泊ったほうがいいと諭された。昼夜の機能が活きていることは分かったが、猛獣の類はスキャンされなかった。子供の言うことだから、何かの見間違いだとも思った。
道中、少し話もした。聞けば、彼は長男。下に4人いて、一つ下の妹を挟んで、もう一つ下の弟が、その詳しい奴に該当するらしい。
だが、私の頭の片隅には、言い知れぬ不安があった。
「・・・不法居住者が、5人も。」
その不安を、知らず知らずに口に出していた。聞かれていないことを、願おう。
そうこうしているうちに、なんとか、ギリギリ、家、と呼べなくもない、建造物へと到着する。
・・・本当に、ここでいいのか。環境調整が活きているなら、ここは普通に雨が降る。自生している植物から逆算すると、多分バグ雨もとい、スコールも降る。この時代、バグ雨をスコールなんて呼んでいる人間は、私以外にいないだろうが、まあ、こんなあばら家、ひとたまりもない雨が降るということさえ覚えていれば、それでいい。
「ただいま、お客さんだよ。」
少年が、扉を開ける。中は、案の定ボロボロだった。それに、薄暗かった。老衰死寸前の微弱マイクロウェーブ蓄電型の照明が、かろうじてその暗闇を照らしていた。
扉が閉まると、その空間は更なる闇に包まれた。眼が、悪くなりそうだ。さらにもうじき、木漏れ日もなくなる。更に暗くなる。この少年が視力を維持しているのが、不思議でならない。
・・・といったことを考えていると、背後から気配を感じた。
「・・・敵襲!?」
つい反射的に、訓練通りにその気配の主を捕まえ、腐りかけた木製の床に抑え込んでいた。
・・・?
抑え込んだ頭が、手のひらに、すっぽり収まった。・・・暴漢にしては、ずいぶんと小さい。
「離せ!この、握力ゴリラ!」
・・・大きなお世話だ。
「イツキ、駄目だよ。お客さんに乱暴したら。」
奥から、ボブカットの女の子が顔をのぞかせる。少年よりも、頭一つほど小さかった。
「目つきが、悪いから、敵だと。」
その声の主、イツキと呼ばれた子は、短髪の男の子だった。大きなお世話だ。そう言いたいのを飲み込み、その小さな襲撃者を立たせ、埃をはらってやる。
やがて、長男である少年は、改めて、彼の家族を紹介してくれた。
「おれのすぐ下の妹のフソウと、もう一つ下の弟のイツキです。それと・・・。」
奥にちらりと見える2人を含めて、弟妹4人の紹介をしてくれた。
親が見当たらないことを除けば、一見普通の兄弟だった。だが、彼らは・・・不法居住者。居住権を持たず、不正に廃コロニーの資源などを利用し、生活するものたち。国の保護の外、その生活は過酷なんてものじゃない。平均寿命は、20歳に満たないというのが定説だった。加えてこの子たちに、親はいない。長男ですら、親を知らないらしい。顔立ちも、髪色も、眼の色もよく似ていたこと、外見の年齢差から、同じ両親の子だろうと推測される。これらの事実から最も可能性が高いのは、こいつらの親は、このコロニーを姥捨て山として、定期的に利用していたこと。本当に、反吐が出る。
だが、国の言い分も分からないではない。宇宙の人工物の中で生きるということは、当然ノーコストというわけにはいかない。太陽光という自然の恵みが少ないこの宙域では、空気を含めたインフラは、決して安くはない。通常ならば戸籍登録をして、それに応じた税を国に納める。だが世の中、定期的な納税はおろか、登録手数料すら払えない人間もいる。だから、戸籍も人権もない人間というものが一定数存在していた。できればこの子たちのように慎ましく生き、国の保護を待ってほしいものだが、中には自暴自棄になってテロリズムに走る者もいる。そう、少佐が皮肉に使った例の組織のように。
「じゃあ、しばらくそこに掛けていてください。おれとフソウは、晩御飯の用意をしてきます。」
少年はそう言って奥の方、まあ厨房だろう、に引っ込んでいく。
とりあえずは、お言葉に甘えることにした。軍服の上を脱ぎ、壁から飛び出した釘に掛ける。上半身は、ベース・スーツの上に着たシャツ1枚になった。・・・今思えば、このトップスのどちらかだけでも脱いでおけば、暑さはマシなった気もする。そしてテーブルに付いていた椅子を引いたら、不快な音を立てて軋み、若干形が変わった。こっそり、直しておこうかな。
絶妙な体重移動で椅子に座り、何をするでもなく、しばらく考え込んでいると、やや長めの髪を結わえた女の子が、物珍しそうに、私の顔をのぞき込んできた。
「きれーな眼・・・宝石みたいな、蒼・・・。」
「あ、ああ、ありがとう。えっと、ミトウ、でよかったか?」
その少女は年齢もあってか、天真爛漫さがにじみ出ていた。しっかりものに見えるフソウという、比較対象がいるからだろうか。
「うん。あのね、ジークリンデさん。」
「なんだ?」
彼女の小さな指が、私の効き目の視線と、一直線になる。
「それ、ちょうだい?」
「あげてたまるか!」
なに、眼球が欲しいって?怖いわ!
「ダメだよ、ミトウ。眼をあげちゃったら、ジークリンデさんが見えなくなって困るだろ?」
ちょうど奥からやってきた長男から、当然のツッコミが入る。
「じゃあ・・・ミトウの眼と、交換しない?」
「ああ、それなら・・・って、やらんし、いらんわ!」
久々に、学生時代のノリに戻ったやり取りだった気がする。どんな生活をしていたらそんな発想が出てくる、という思いと、あいつら元気かな、という思いが、頭の中で交差した。
椅子に座り直し、落ち着いたころ、また家の住人に声を掛けられた。
「・・・よぉ。ゴリラ。」
イツキだった。ばつが悪そうな顔をして、1ロールのシートを持参した。
「あいつの頼みだし、地図、用意してやったぞ。」
そういって、小さな机の上に、丸まったシートを広げる。黒い背景に浮かぶ円形の物体。このコロニーの外観とも一致する。確かに、これは・・・地図のようだ。
・・・なるほど。相対上の南北には、それぞれ大きなブロックがある。その間にある二つの逆三角形のような二つのブロックは、実は細い道で繋がっている。北の巨大なブロックの南側に、北半分の大部分を占めるブロックが鎮座している。そして、ブロックの南東には、まるで咆哮する龍のごとき列島が・・・。
・・・って。
「地球の地図じゃないか!」
何世紀前のボケだよ!私以外にツッコめる人間、この国にいるのか!?
・・・とは言ったものの、ここの内部の地形を説明するのに、この地図?はかなり便利らしい。海を平地、陸を高台とすると、ほぼほぼこれと一致するそうだ。この家はちょうど東端の宇宙港からちょっと行ったあたり、龍のようと形容した列島付近。記憶している情報と照合したところ、ベースキャンプがユーラシア大陸の中腹当たりで、分隊の一部が消息を絶ったのは同大陸の西側。
・・・よし。これで明朝の予定は決定した。
・・・しかし、まあ。
「本当に、綺麗だな。」
思わず、声が漏れていた。私がこの子たちと同じくらいから憧れていた理想の世界に、感嘆の感情があふれていた。
「・・・でも、ジークリンデさんも、きれい、ですよ。」
ミトウが言う。お世辞と分かっていても、嬉しかった。
「・・・うん・・・きれい、にてる。」
末っ子のシスイが、先ほどのミトウと同じように、私の瞳を指さした。
・・・でも、今度のそれは、心の底から嬉しい言葉だった。地球のように、綺麗な瞳。父が遺した、この虹彩。その形容を聞いたのは、家族以外にいなかったから。
「・・・本当に、綺麗だな。・・・行ってみた・・・じゃなくて、なんでもありません!」
いつの間にか横に付けていた長男が、心の底から漏れてきた感想を、即座にかき消し、誤魔化した。
兄弟たちは、先ほどまでの騒がしさが嘘のように、黙り込んだ。
その沈黙を破ったのは、台所から聞こえた声だった。
「スープができました!さあさあ、その宝物を片付けて。あ、ジークリンデさんも、どうぞ。」
そう言って、長男、長女そろって食卓にぼろぼろの食器を6つ並べ、湯気の立つ緑色の液体を鍋から掬い、注いだ。
そう言えば、ちょうど空腹だった。携行装備としての携帯食料は所持しているが、ここは素直に好意に甘えるとしよう。そう思い、錆を削り落とした跡の目立つスプーンを、器に入れる。
まあ流石に、作りたてだし、手持ちの携帯食料よりは不味くは・・・。
「・・・・まっず・・・・」
・・・しまった、思わず、本音が、こぼれた。聞こえていないことを祈ろう。
・・・なんだ、これ。よくぞ、こんなものを、美味しそうに食べられる。いや、別にこれが何かわからないわけじゃない。良く言えば、死ぬほど質の悪いハーブティ、悪く言えば“雑草を煮込んだ汁”だ。
「あの、お口に合いませんでしたか・・・?」
真心を込めて作ったであろう、フソウが心配そうに顔を覗き込んでくる。やめてくれ。そんな風に迫られたら、気を遣って全部食べる以外の選択肢がなくなるだろう。・・・みんな、普通に食べている。次男に至っては、お代わりを要求している。・・・だがこれ以上私がこれを口にしたら、この苦みの塊に多量の酸味が添加される羽目になる。
私は、暑さと熱さと不味さで碌に回らない頭を必死に回転させる。
・・・そうだ。
「・・・すまないが、体調がすぐれないようだ。だが、まあ、食事のお礼として、プレゼントを、あげよう。」
私は壁に掛けた上着の内ポケットから、プラスチックの包装に包まれた、一握りほどのエナジーバーを、人数分取り出した。人数分とは言ったものの、手持ちはこれで全部だった。残りはアウターパックの中。・・・これで明日も遭難したら、多分、本当に死ぬ。
「これは、体調が悪くても食べられるように作ってあるんだ。だから、みんなにもおすそ分け。一緒に、食べよう。」
それは食べ飽きないように、あるいは非常時以外の消費防止に、あえて美味し過ぎないように作られている。不評な味ではあるが、改めて食してみると、記憶よりも悪いものではなかった。何より、あの子たちが今まさに、夢中になって噛り付いている。
だが少し、後悔もした。今後、あの子たちは、あの食事に、この生活に戻れるのだろうか。この任務が終わったら、イチかバチか、戸籍省に申請に行こうか。情報が犯罪組織に流れる前に保護が間に合うか、そこが最大の賭けにはなる。規定により、申請者である私の今後の接触も禁じられる。だが、実際に救われた例も知っているし、長男でもせいぜい13歳程度。賭ける価値はあるはずだろう。
「・・・・もういいや。まずい。あとはおまえが食べろよ。」
半分ほど食べたところで、なぜかイツキが、残りを長男に押し付けた。その言葉は嘘だと、顔に書いてある。
「わたしも、もうお腹いっぱい。」
「あたしももう飽きちゃった。」
「ぼくも。」
残りの弟妹達も、同じことを言い出した。そして、残りを全て長男に押し付けた。
押し付けられた本人は独り、ポカンとしている。
「うん・・じゃあ、仕方ないかな。」
申し訳なさと嬉しさのどちらともとれる表情をしながら、受け取ったものを、かみしめるように食べ始めた。
それを見届けた弟妹たちは、すたすたと部屋の奥へと引っ込んでいく。私はその中から、フソウを呼び止めた。もういいのか、もう無いぞ。そういった趣旨を伝えると、年端もいかない少女は、笑ってこう答えた。
「いいんです。ジークリンデさん。」
その言葉を皮切りに、彼女はぽつり、ぽつりと身の上を語りだした。
「わたしたちは、今までずっと、ずっと長い間、兄に守られてきました。でも、兄には夢があります。そして、その夢を、わたしたちが邪魔をしていることにも、みんな気付いています。だから、もう大丈夫だって。ここから出ても良いんだって、みんな、兄に気付いてほしいんです。」
・・・少し、目が潤んだ。私は、なんて勝手なことを。この子たちの意思を、確認すらせずに。
「でも、なんで私に。」
「きっと、同じ夢を持っているから。・・・そうでしょう。」
・・・そうか。あの地図を広げた時か。きっと私はあいつと、同じような眼をしていた。あそこに、地球にたどり着き、あの景色を、全身で感じること。遥か彼方、外太陽系の外れに産まれ、それでも心は、この遺伝子の起源を目指していた。望郷心だけじゃなく、好奇心として。
でも、本当に、この子は。
「君は、本当に、しっかりしているな。」
そうやって頭を撫でてあげると、フソウは、頬を少し赤らめながら応えた。
「えっ・・・だって、私は・・・私は次女ですから。」
え?・・・うん。まあ、ツッコミは、野暮だ。
夜もすっかりと更けて、5人は床にボロボロの布を敷き、寄り添って眠っていた。その寝顔たちを見ながら、ふと考える。ここへ来てから、懐かしさを憶えていたこと。
父と母が生きていた時の気持ち。ずっと昔、一家そろって食卓を囲んで。士官学校に入るまでの誕生日は、毎年が、そうだった。
士官学校の仲間のことも思い出した。聡明なしっかり者、少しひねた乱暴者、好奇心旺盛な奴、ふんわりとした不思議な奴。あと、消去法でリーダーのような立ち位置になってはいるが、実質的に振り回されている奴。
そうしていると、だんだんと、眠くなってくる。心なしか、甘い香りがする。どちらにせよ、夜が明けたら、出発だ。でも、出発の前に、もう一度だけ話をしよう。これから、どうしたいのか。・・・そういえば、夜になると現れる危険な物って、なんだろう。まさか、こんな僻地のコロニーに、旧連邦の遺した兵器が眠っていて・・・なんて・・・いや、まさかな・・・。
まさか・・・。
・・・・・・・・・・。
4.
夢を、見ていた。いままでも、ずっと。
そして、その夢はあの日、木っ端みじんに砕かれた。
「・・・えー、諸君に残念な通達がある。これより適正試験の予定であったが、・・・本日正午をもって、地球圏調査船団の無期限凍結が決議された。例年の延期繰り越しではなく、完全凍結である。よって各員は、本来の所属隊へと復隊せよ。通達は以上。では解散!」
この、発表によって。
「あの、失礼いたします・・・。」
ベテランの風格を漂わせる者たちの中で独り、歳若い女性が立ち上がる。
「何だね?アジュール少尉。」
「・・・すみません、わたし、だけ、復隊する隊が・・・あり・・・ません。」
上官として仰ぐはずだったライオネル中佐は、うっかりしていたと言わんばかりのジェスチャーの後、それに応えた。
「ああ、そうか。そういえば、士官学校から直で入ったものが一名と。わかった、正式な配属が確定するまで、寮の自室で待機せよ。」
「りょう・・・かい、いたし・・・ました。」
・・・と言われてからというもの、無職生活はこれで一週間。
五人部屋で、独りぼっち。こんなに広く感じるものか。
食堂での、後輩の視線も痛い。
・・・私は、これからどうなるんだろう。
5.
「・・・うえ?」
「おお、査察官殿。気付かれましたか。」
突然掛けられた声で、私は目を覚ます。
背中には、応接用のソファ。その場で立ち上がり、頬を叩く。
・・・すごく、嫌な夢を見た。まあ、現実というか、つい最近の話だが。
寝ぼけ眼を擦って凝視すると、ひげを蓄えた中肉中背の中年男性が、目の前にいた。
・・・この顔は、誰だったか、覚えがある。必死に思い出す。・・・うん。思い出せた。
「・・・廃コロニー施設探査F113分隊、分隊長。ラバイア・セサミン大尉・・・で、よろしいですか。」
「はい。危ないところでした。よくぞご無事で。」
その声色からは安堵と同時に、何とも言えない胡散臭さも感じた。
だがしかし、この部屋は、とても暑い。コロニー内の熱帯雨林、風通しの悪いあの小屋。ここ最近感じた暑さの中でも、最悪だった。部屋の奥には、窓のようなものがある。だが、幕がかかっていて、その先は見えない。ただ、幕越しに、赤い光が差し込んでいる。
・・・嫌な、予感がした。私は査察官として、聞くべきであると判断した。
「失礼、分隊長殿。あの窓の奥で行われている事象について、お尋ね申し上げます。」
分隊長は、少し眉をひそめた後、すぐに愛想笑いを作って答えた。
「いえいえ。少なくとも、査察官殿の職務の範疇ではございません。」
胡散臭さが、閾値を超えた。この男は、嘘をついていると直感した。
「・・・見られて、困るものですか。」
とりあえず、かまをかける。
「大変見苦しいもので、お気分を害されるでしょうと。」
男の額に、汗が浮かぶ。暑さゆえか、もしくは。
「・・・そうですか。なら・・・」
あきらめて、特等席に戻る・・・ふりをして、急激に踵を返す。再び布張りの窓に向け、全速力で走り出す。そのまま布を掴み、一気に引く。触ってみて分かったが、これはただの布ではなく、防火布を釘で窓枠に打ち付けたものだった。それを力任せに引っ張ったために、何本かの釘は抜け、角は破れて布切れになり、窓際に残留した。
小部屋の外の世界とは、耐熱強化ガラスでさえぎられていた。
窓の中の光景は、赤い光を発していた。その光の発生源は、直径50mほどの穴。この構造、この設備は、覚えがある。確か金属を還元し、溶かし、鋳造する。人類が有史以来使用し続けた施設、溶鉱炉だった。
そして、その穴の中心に向けて伸びる、一本のコンベア。本来なら、鉱石や金属くずが流れていく。だが、コンベアの上で、何かが動いて見えた。さすがにおかしいと思い、必死にピントを合わせる。
・・・見えてはいけないものが、見えてしまった。見間違いだと思いたかった。
・・・人だ。
人が、5人、溶鉱炉に向けて、コンベアの上を、流されている。
それも、子供。
しかも、身動きが取れないように、鎖で。
・・・5人とも、見覚えが、あった。
この分隊長の顔より、遥かに、記憶に焼き付いている。
「・・・シスイ・・・ミトウ・・・イツキ・・・」
嘘だ。分隊長。この男は、正気なのか。
「・・・フソウ・・・ああ・・・!」
この男は、何をしているんだ。
頭が、理解を拒否したがっている。
だが、理由があるはず。相手は、大尉。私は、少尉。抑えろ。軍規を、守れ。
だが、なぜか、いつしか、私の視線は、部屋の中を走査していた。
私の体は、なぜか動き出していた。
・・・なぜだ。
なんで私は、走っている。
なんで私は、味方の手を振り払う。
やめろ。上官の命令は、無い。
やめろ。逆らえば、間違いなく銃殺だ。
なんで私は、コンベアを止める方法なんて、探している。
なんで私は、今さら助けようとしている!
なんで私は・・・。
・・・見つけた。やっぱり、この部屋にあった。これが、操作盤。始めてみる型だが、こういった設備は時代を超え、万国共通表示。一番目立つ赤いスイッチ、それに向けて全体重を乗せた右の足裏を叩き込んだ。スイッチは押し込まれ、施設全体がガコンと揺れる。よし、緊急停止がかかった。成功だ。動力が切れたコンベアは、徐々に減速していく。だが、それでもなお、停止には程遠かった。
このままじゃ、間に合わない。
このままだと、間違いなく、全員・・・!
なら、あの子たちのもとに、急げ。
だが、その最短距離を阻む、強固な耐熱強化ガラス。回り道も、見当がつかない。
・・・どうするか。懐のホルスターから、銃を抜く。安全装置を外し、助けたい子供たちを見ながら、そこに向けて発砲する。行先を阻むガラスに、無数の弾痕を刻む。実体弾は、最低数発は弾倉に残せと教わった。だがそんな教えすら、頭からすっ飛んでいた。
「何をするのですか!」
あと少し、というところで、一回り大きな大男が、私の腕をつかむ。
・・・邪魔だ。そう思った時には、既に体は動いていた。
「・・・退っけえええええええッ!!!!」
大男の全てが、ガラスに突撃した。その全身は、頑強なプロテクターで覆われていた。それが最後の一押し、レスキューハンマーの代用品となった。弾痕と共に刻まれたヒビに沿って、砕ける耐熱ガラス。指先が、痛い。爪が2,3枚割れたと思う。襟元を強引につかんだときか、力づくで投げ飛ばしたときか。そんなことを考えている余裕すらなかった。大男は、手を離すとその場に落ちて、うずくまった。
私は、走った。
たった今、一番先頭の、一番幼い、シスイが落ちた。
二番目のミトウが、弟が落ちた先を見ながら、泣き叫んでいる。
いや、そのあとに続く兄姉も、涙を浮かべながら何かを叫んでいる。
数十mの高さを気にも留めず、窓から下の足場に向けて飛び降りる。
両の脚が、すごく痛い。
それでも、止まれない。2人目が、ミトウが今落ちた。
コンベアに向かって走る、私の両足。筋繊維がちぎれる感覚がする。
もう足を止めろと、脊髄から指令が下る。どうせもう間に合わないと、脳から言い訳が下りてくる。
だが、その間に、3人目が、イツキが落ちた。
コンベアの上、こんなに走りづらい。走るペースが、目に見えて落ちる。
今、さっきまで、間に合うかと思っていた4人目が、フソウが、泣き叫びながら、落ちていった。
それを見届けた時、頭の中には言い訳が響いた。もし助けられても、もうすでに、家族をみんな見捨てた。そんな私を、あいつは許すわけがない。どうせ不法居住者だ。禍根を残すよりも、みんな見捨てた方がいい。4人も、5人も変わらない。どんな恨みも、残さない方がいい。それが、人間の歴史だろう。
・・・でも、私の足は、止まらない。私の腕は、止まらない。
止まれ。下手したら、お前自身も死ぬぞ。・・・止まれ。生存本能からの警鐘も鳴り響く。
止まらない。涙も、声も。
・・・腕が痛い。右腕が、痛い。
気がつけば、私の視界の中に、私の右腕はあった。ちぎれそうになるほど、その手を伸ばしていた。
のどが擦り切れそうなほどに声を張り上げ、その名を呼んでいた。
「・・・ムクロ!」
そいつも、精一杯腕を伸ばし、声を上げる。
「・・・ジーク・・・さん・・・!」
あと少し、もう少しで、コンベアが止まる。
あと少し、もう少しで、手が届く。
でも、あと少しで、火の海に、落ちてしまう。
右腕を、伸ばす。
右手を、開く。
指が・・・触れた。
あいつが・・・見えなく、なった。
・・・右手の中には、何もない。
それを確認した時、ちょうど、コンベアが止まった。
コンベアの上、独り蹲る。
落ちた。
溶鉱炉の中に、落ちた。
地獄に、落ちた。
みんな、落ちた。
自分だけ、助かった。
助けるなら、なんで、もっと、早く。
私は、最低だ。
希望だけ見せて、裏切った。
私は、最悪だ。
6.
停止したコンベアの上、その先端にいる私。そしてそこに駆けつける、7人の男たち。
「何をされるのですか、査察官殿。」
分隊長の声。焦りと困惑が、入り混じった声色。だがその裏には、わずかに怒りの色を感じた。
・・・もうすでに、軍規違反は山ほど犯した。自分の中の、どうしようもない何かを、心底恨んだ。残ったのは、査察官としての権限。生き残るためにも、必ず真実を確かめる。
「それは、こちらの台詞です。大尉殿。もう一度、お尋ねいたします。ここで、何をされていたのですか。」
この男の真意を確かめ、軍法会議でどちらが罪人かはっきりとさせる。
「・・・どのような意味ですかな。」
分隊長は、しらばっくれる。久々に、本気で腹が立った。
「お分かりいただけないのですか。ここで何をされているのか、とお聞きしている。」
分隊長は、数秒だけ沈黙した。そして、取り巻きの耳打ちの後、答えた。
「それは・・・極秘任務、極秘事項です。」
・・・あいつらのことは、敢えて聞かない。テロの温床にもなる不法居住者に、人権なんて無い。流石に行き過ぎた迫害をすれば罰も下るが、証拠も無いのにそこまで持っていくことはできない。
「・・・その極秘任務とは、軍の上層部からと認識して、よろしいですか。」
「まあ、そんなところです。」
分隊長が、即答する。
「極秘とはいえ、公的な任務であらせられるのですよね。ならばなぜ、一切の報告を絶っていたのですか。なぜ、査察官が来るような事態にまで。」
目に見えて、分隊長の顔色が悪くなる。
「それは・・・極秘事項です。」
絞り出すように、同じ言葉をリピートする。
「・・・こんな大掛かりな、廃コロニー設備の、無許可での使用。いったい、何を。」
「極秘事項です・・・。」
流石に苛立ってきたのか、男の感情は声にも表れてきた。だが、あちらの事を言えたものではない。
「どんな、理由で、あんな、殺し方・・・!」
こちらはすでに、感情が独り言になって漏れ出てきていた。
「・・・助けてやったというのに、こっちは・・・」
同じく、男も小声の独り言で返す。
この瞬間だけ、疑問が、困惑が怒りを上回った。
「助けてやった?・・・それは、どういう意味でしょうか。」
「・・・極秘事項です。」
もういい、このまま話していても、らちが明かない。
私は右耳から端末を外し、男たちに突き付ける。
「・・・以上のやり取りと録音を、少佐と査察部、司令部に報告します。続きは正式な場で、ということで、失礼します!」
もっとも、半分はハッタリだ。録音もこの問答を始める前に開始したばかり。というか、昨日までのバグの嵐で、まともに動いているかどうか。だが、これに賭けるしかない。
だが、男たちには、想定以上に効いた。・・・いや、効きすぎた。今まで余裕そうに見えた分隊長と取り巻き達が、露骨に焦り始めた。
「ふむ・・・ならば・・・」
周囲の六人が、動いた。
「証拠を、抹消しろ。全てだ!」
その命令を聞き、銃を構える男たち。
・・・あ、まずい。最悪だ。もう少し、交渉できるかと。もう少し、上げ足取り用の失言を収集できるかと。
実力行使にこられたら、もう駄目だ。
どうする、どうすれば・・・などと考えていたら、予想外の場所から助け舟が出た。
突然、地響きがした。
「うわっ!?」
突然、地面が揺れた。いや、施設全体が鳴動していた。真下で溶けた金属が、まるで波のプールのように、ぐわんぐわんと揺れていた。それらは少なくとも、水の数倍の比重。振動の衝撃は、施設全体に及ぶ。そしてここは、その真上、コンベアの上。その場にいた8名は、たちまち足を掬われ、動けなくなった。ただ1人、立ち直りが早かった者を除いて。
一足先に体制を立て直した私は、しゃがみこんだ男たちの頭を踏みつけ、一目散に逃走した。常日頃からなんの役に立つのかわからない訓練を、夜遅くまでやらせていた最強教官に対する感謝の言葉を、久々に呟きながら。
7.
追ってくる影が見えなくなったのを確認し、まず荒くなった息を整える。続けて、端末の状態を確認する・・・よし、やっと素直になってくれた。そして、貸与された
最初に降り立った方角より、皇国軍正式仕様量産
ここに来てから3度目になるが、鳩尾のハッチを開き、乗り込む。メインモニターを起動すると、目の前には、先に到着した、同じ形状の機体が三機。識別信号は、UNKNOWNとなっている。遊軍信号を切り、攻撃制限を解除している・・・つまり名実ともに、奴らは敵。
1対3、いや一機増えて、1対4で向かい合う。数的には、明らかに不利。さて、どう戦うか。この戦力差で、どうすれば生還できるのか。
・・・思い出せ、教本の内容を。①上官の指示に従う②敵前逃亡にならない場合は撤退③国際法に則り投降。なお、現実はこうだ。①少佐は音信不通。②絶対逃がしてくれない。③捕虜収容所ではなく、溶鉱炉行き。・・・何の役にも立たない。
・・・だが、今のこの状況は、なんだ。あの男が言っている「命を救った」の意味は、本当に戯言なのか。隠蔽されているものとは、なんだ。結果、全部私の自業自得というのもあるんじゃないか。そもそもこの状況、死んだとして、誰を祟ればいい、呪えばいい。
・・・ならばいっそ、あのデタラメ教官の教えに従ってみよう。万が一にも、生き残るために。そうしなければ、全てが、無駄になる。
地球圏調査船団の選抜条件。その一つが、特に優れた成績を修めること。勢い勇み、名家出身者の魔窟、士官学校に入学した。でも、どの項目でも、私は一番になれなかった。白兵、射撃、座学、工学、その他もろもろ。どの科目でも、ずば抜けた怪物というものは存在した。しかも、あんな形で卒業を・・・。
でも、誰にも負けないと自信をもって言えるものが、ただ一つある。
たとえ、どれだけ笑われても、たとえ、どれだけ困難でも、夢を追うことに妥協はしない。
それだけは、絶対に、誰にも負けたくない。
決意を新たに、敵をよく観察する。6対1の基本陣形。基本兵装は、80mm口径の実体弾機関銃。重合金弾頭の徹甲弾だが、角度に気を付ければ貫通させずに弾くことも出来る。何より粒子
こっちはレーザーダガーに制式ビームライフル、サイドアームとしてのビームピストル。大きさと仕組みこそ違えども、宇宙進出前の時代から変わらない歩兵の標準装備。言うまでもなく、大きさはその10倍、刃と弾丸は古典SFの王道である光線へと差し替えられている。
さて、SF1人VS古典特殊部隊6人。武器性能は上回っているものの、多勢に無勢。教官本人なら、これでその倍の数ともやりあえるはずなのだが。
・・・その出鱈目人間の教えを、頭の中で復唱する。まず、敵の中央に突撃。敵の位置を、敵の射線を常に頭に浮かべる。体勢を僅かに躱すだけで、反対に位置する別の敵に命中する、敵が迂闊に撃発できない、その位置を常にイメージする。幸いにも相手は偶数、対角線上に結べば計算はだいぶ楽になる。特に発射直前に同士討ちに気づいたともなると、それ自体が大きな隙になる。そのまま、高速機動を続けて味方を盾にし、牽制しながら立ち回る。問題は、どうやって突っ込むか。
まず、必要なのは機動力。機体に内蔵された
・・・スタート時の想定Gは、地球重力の10倍、10Gに達するだろう。その状態で敵を観察、判断力をフル活用し、細かい部分はアドリブでなんとかする。相手はきっと、高確率で、頭で組み立てたように動くだろう。
・・・全ての銃口が、こちらに向いたとき、一斉攻撃の寸前が、チャンス。
待て、待て・・・今だ!
全背面スラスター、右軸足脚力、全開!敵の群れに、突撃する!
「行けぇ!」
だが・・・その直後、私が乗る巨人は、盛大にバランスを崩した。
「あれ?」
そのまま一回転の後、うつぶせで、地に伏せた。慣性制御を逆転させた分、反動は大きかった。訓練を積んでいなければ、内臓が全部ゼリー飲料になるところだった。
朦朧とする意識の中でモニター表示を確認すると、踏み出しに使っていた右足に、第一種破損警告。つまりは、右足の、膝から先が、吹き飛ばされた。着弾跡は、先ほど見た溶けた金属のように、爛れていた。
・・・ビーム兵器による、射撃。そんなものを装備した者は、この6機の中には、いない。ならば、答えは一つ。遥か彼方からの、長射程ビームライフルによる狙撃。
・・・しまった。まだ、敵がいたのか。敵数の確認を怠った・・・自業自得か。
そのまま6機の内の2機は、私が操る巨人の上に乗り、押さえつける。重い、限界、動けないという巨人の悲鳴、重量過多アラームが、
・・・やれるだけのことは、やった。このまま、引き摺り出されるのか、あるいは
そう、思った、矢先だった。
ズン。
地鳴りだ。
そういえば、さっきも突然、炉の中のかさが増え、大きな地鳴りがした。その隙に脱出できたわけだが、その時は地鳴りの正体について、考える余裕もなかった。
ズズン。
まただ。さっきよりも、大きな地鳴り。
ギギギギ。
今度は、金属が軋むような、高い音がした。
・・・溶鉱炉の方だった。
ギゴゴゴゴ。
何かが、溶鉱炉の壁をこじ開けようとしている。
いや、正確には壁を破砕し、無理やり穴をあけている。やがてその壁に割れ目ができ、ぽっかりと穴が開く。それと同時に、中から赤く光る溶けた金属、溶湯が溢れ出し、その熱で草木を焼き尽くしていく。
溶湯の流出がおさまると、真っ黒な塊が転がり出てきた。最初は、冷えた金属の塊だと思った。違うと分かったのは、それが転がっているのではなく、歩いている、と気づいた時だった。
それは、人の形をしていた。推定全高18m。
・・・だが、あれがそれであるはずがない。数千度の液体の中に、長年浸かり続けて起動出来る
・・・いや、普通ではないものに、一つ心当たりがあった。
あのバケモノ教官が、唯一絶対の警戒をするように言っていた。よく、憶えている。
曰く、遭遇したら、1対1でも一目散に撤退するのが正解。常識で測ると死ぬ。
曰く、物理法則を超越した、魔法のような力を操る。
曰く、旧連邦の時代から今に至るまで、
思わず、その名を口にしていた。
「フェアリーテイル・シリーズ・・・。」
黒い塊が動くたび、その表皮は、ぽろぽろと落ちていく。その黒い屑を辿ると、ただ歩いているわけではないと気づく。
・・・確実に、こちらに向かってきている。
残る4機の内の3機が、先に動いた。その不気味な黒い塊に、機関銃の弾頭を雨霰のごとく浴びせる。だが、黒い塊は、びくともしない。表皮の剥がれが加速するだけで、歩みを止めようともしない。まもなく、着弾音が、澄んだ音に変わっていく。貼りついていた黒いゴミが、剥がれだしたようだった。
その下の色は、赤だった。表面に残った屑と相まって、まるで、流血でもしているようだった。背筋が、寒くなった。
ふと耳を澄ますと、かすかに声が聞こえた気がした。
ジャヴァヴォッグゥ・・・ヴァヴォエ
・・・ジャバ、ウォック?あの機体の、名前だろうか。そう思った次の瞬間だった。
目の前が、真っ黒な霧で包まれた。
気がつけば、鳴り響いていたはずの、重量過多アラームが消えていた。
後部カメラ表示に切り替えると、先程まで背中を押し付けていた2機のうち1機が、はるか後方まで吹き飛ばされていた。地面に派手に墜落し、大きな音がした。もう1機は、胴体以外がバラバラの、瓦礫となって降ってきた。
瓦礫の雨を切り裂くように、目の前に赤い線が横切る。それは駆けつけてきた1機の、胸部を貫いた。貫通して、停止して初めて理解した。それは、真紅の腕だった。工業デザインを無視したような、鱗のように、無数に分割された装甲。引き抜き、返す腕をもう一振りし、さらに1機、貫いた。
計3機が戦闘不能になり、やがて黒い霧も、土煙も晴れてゆく。
黒い屑は、気付けば全て剥がれ落ちていた。
ようやく、その正体不明の巨人の、全身像を認識することができた。
鱗のように逆立った、真紅の装甲。
行儀良く直立する巨人たちに混じる、獣のような前傾姿勢。
一見人間に似て精悍だが、猛禽のように鋭い双眸。
食いしばった歯にも見えるマスクに、牙か角かが一本突き出したような、下顎。
悪魔の角のようにも見える、額に生えた二本の双角。
全身のシルエットは、人間に、酷似していた。だが、その印象は・・・。
翼と尻尾こそ無いものの、その姿は、まさに御伽話の中に存在する”ドラゴン”そのものだった。
その真紅の巨人は、次の瞬間には、再び視界から消えた。
それが、眼にも止まらぬ高速移動だと、後になって気が付いた。
敵の一つに接近すると、爪のように鋭く尖った指先で、頭部を握り潰さんとばかりに掴みかかる。そのまま地面へと叩きつける。だが、動植物によって耕された地面に受け止められ、破壊までは至らなかった。這いつくばった敵は、ゆっくりと、半分埋まった体を起こそうとする。そこに、もう一つの頭が叩きつけられ、再び地面へと叩き込まれる。今度は、二つの頭が同時にひび割れた。それでも立ちあがろうとする2機に、ダメ押しと言わんばかりに真っ赤な踵が振り下ろされ、鈍い音と共に深々と地面に縫い込まれる。やがて、計八本の手足は、力が抜けるように崩れ落ちる。頭部に過剰なダメージを与えられ、ダウンしたようだった。
さっきまで吹き飛ばされていた最後の一機が、己の運命を悟ったかのように、機関銃を乱射している。だが、真紅の巨人が左掌を翳すと、弾頭は空中で静止した。「それは、魔法のような力を操る。」教官の言葉が、もう一度頭の中で響いた。
聞きなれた発砲音が治まったころだった。精悍に見えた巨人の顔が、頭頂から2:1くらいの比率の部分で割れ、上下に開く。まるで、人間が欠伸でもしているようだと思ったその直後、両耳を聞いた事がないような、連続した爆音が切り裂いた。
爆音が一つ耳に届くたび、目の前の生き残りが砕け、ガラクタへと変えられていく。一発ごとに刻まれる弾痕。ビームじゃない、実体弾、機関砲。いや、実弾ならなぜまだ弾切れしない?なぜ、停弾も跳弾もない?口腔内というか、こめかみ以外に装備されている例も聞いた事がない。
弾痕だらけになった残骸が膝から崩れるのを見届けると、巨人はその顎をゆっくりと閉じ、元の精悍な顔に戻っていった。
なんだか、それから、殺気のようなものが、消え去った気がした。
8.
敵を全滅させたのを確認したのか、
・・・そうだ、すっかり味方だと思い込んでいたが、そんな保証はどこにもない。次の狙いは、おそらく、私だ。
どうすればいい、と必死で考えていると、その巨人は、突如、膝を折って跪いた。
地面にうつぶせになる私の機体の前で、立ちひざの状態になる。
とにかく逃げることを考え、シートベルトを外し、ハッチを開ける。
・・・地面との間に、自分の身長以上の高さがあることをすっかり忘れていた。
そのまま私の体は、地面へと墜落する。
私は、乗機と同じ姿勢になって、真紅の巨人の前に這いつくばった。
その目の前で、・・・真紅の巨人の鳩尾の、ハッチが開いた。
なんだ、やはり
ぐちゃぐちゃになった頭の中を整理しているところに、純白の髪と瞳の少年が、以前と同じ、気の抜ける台詞と共に降りてくる。
「あはは、なんか、生きてました・・・ね。」
なぜだろう、視界が、滲んでくる。
言いたいことが溢れすぎて、さらにぐちゃぐちゃになった頭で、勝手に歩みを進める自分の足と、広がっていく両腕に困惑しながら、あと数歩の距離まで近付いた、そのときだった。
・・・左耳に、乾いた音が響いた。
すっかり聞き慣れた音、銃声だった。
目の前の少年の胸に、真っ黒な穴が開いた。
たちまち赤が溢れ、染まっていく。
雪のように白かった顔が、氷のような蒼に変貌していく。
ふざけるな。
誰だ、撃ったのは。
・・・そう思って、振り返ろうとした時だ。
体が硬直し、視線が前方に固定された。
さらに恐ろしいことが、目の前で起こった。
もう動かないと思っていた少年の体が、けいれんを起こしたように跳ね上がった。手首と足首、頸を突き破り、五本の細長い"何か"が、飛び出した。それらが、真紅に染まった少年の肢体に巻き付き、漆黒に染めかえてゆく。それらはたちまち、甲高い不快な音を上げながら、真っ黒な人型の"何か"に変わっていった。光の消えた灰色の瞳を、鳥の頭骨のような仮面が覆う。
・・・やがて“それ”の変化は落ち着いていったが、まだ耳障りな音は鳴り響いている。四肢から生えた、四本の触角。その錨のような穂先が、周囲を探るように揺れ動いている。もう私の脳は、理解することすら放棄しているかもしれない。
ムクロが、死んだ。
そうしたら、生き返った。
真っ黒な怪物に、姿を変えて。
声が出ない。悲鳴さえも。
鳥のような仮面の下の、人の骸骨のような顎が、上下に割れる。
両耳を、カラスの断末魔のような叫びが切り裂くと、
四本の触角のうち、向かって左上の1本が、視界から消えた。
何かが、ものすごく速い何かが、左のこめかみを掠めた。
左耳に、声にならない絶叫に続けて、何かが爆ぜるような大きな音が響き、左頬に、生暖かい、赤と茶色の飛沫が伝った。
旧連邦の遺した兵器。ついさっきまで、与太話だと思っていたもの。
「大人の言うことは、ちゃんと聞きなさい。」
「・・・よくぞご無事で。」
「そして、考えなさい。」
「・・・助けてやったというのに。」
「必ず、どこかに理由があるから。」
頭の中で、今まで耳にした忠告の数々が、ひたすら反響し続けた。