ーーずっと、妹を笑顔にしたかった。
病弱で学校に行けない咲希がどうしたら笑顔になれるか、どうしたら笑ってくれるのか。ずっと、そればっかり考えていた。
でも、小さかったオレは、どうしたらいいのか全く分からなかったんだ。そんな時、父さんと母さんオレと咲希をある舞台に連れて行ってくれて……
その日は、一生忘れられない日になった。
「わぁ……!すごい、すごいよ、お兄ちゃんっ!」
そう声を上げたのは咲希だ。
子供にもわかりやすい構成ながら、細部までこだわり抜かれたシナリオ。
そのシナリオの想像力を高めさせる完璧な小道具と演出。
それらの中心に立ち、誰しもを惹きつける星のように、物語を輝かせる演者。
声を上げるのも無理はない、素晴らしい舞台を見ての、咲希のこの上無く幸せそうな歓声と、本当に久々に見た笑顔。
その輝くような笑顔を見た瞬間、オレは自分の天命を悟った。
ああ、きっとオレは、あの舞台で演技をする為にこの世に生まれてきたのだ。
あの舞台で、オレもあの人達のように星になり、たくさんの人達を咲希の様に笑顔にするのだ。
そう感じたオレがその後、その舞台を主催していた『劇団天球』の門を叩くのも至極当然のことだった。
ーーそれがオレの原点。もう十年以上も前になる昔の話である。
ーーーーー
劇団『天球』
それは、世界的に有名な舞台演出の重鎮、巌裕二郎が天塩にかける実力の高い俳優陣を擁し、数々の名作を世に出す劇団。
彼らが作り上げる作品は数々の人を惹きつけ、魅了し、高い評価を受けづづけている。
そしてそんな劇団所属であり、現在の劇団の二大看板俳優の1人、それがこのオレ、天馬司なのである!
あの日から、素晴らしい舞台俳優になり人々を
笑顔にすることを心に決めたオレ。
そんなオレは今、劇団『天球』に所属し、日々努力を積み重ねてメキメキと成長し、あの巌裕二郎でさえも完璧だ、と唸るほどの俳優に……
「ゴラァテメェ司! いつまで薄っぺらい演技してやがる! 役が掴みきれてなさすぎだ!」
なんてなることはなく、今日も元気に
怒鳴り声と共にこちらに飛翔してくる木刀をひらりと避け、オレはふと考える。
『天球』に所属してはや十年と少し。学んだこと、身につけたことは数多くあるが、その中でも一番上達したのは稽古時に飛んでくる木刀を避ける技術かもしれない。
でもだからって木刀を避けたことに対して「チッ…クソガキが…」と悪態をつくのはどうなのだろう。
御年78歳。そろそろ年齢通りの慎みを持って欲しいところである。
「今回はまだ役を見つけきれてないんだ! リハまでにはなんとかするから許してくれ巌さん!もう年だろう!? そんなに動いたら体に障るあぶなぁ!」
追撃の木刀を交わしながらそう叫び声を返す。
ちょっとそこ亀さん! またやってるみたいな感じで笑うな! こっちは命懸けなんだぞ!
「……ハァ、言うだけでムダか。いいか?2日だ。それ以上はやらねぇ。仮に2日後も腑抜けた演技してる様ならお前を外して阿良也を使うからな」
「分かっている。阿良也さんは今回は休みだからな、オレの不甲斐無さで迷惑はかけられん。
任せてくれ、巌さん。2日後に完璧な役作りをこなした天馬司をお見せしようではないか!」
「うるせえ、分かったならとっとと帰って役作りしやがれ」
こちらを見ながらしっしっ、と手を振る巌さん。
10年来の付き合いの愛弟子に対する対応とは思えないその様子に変わらないな……と内心で苦笑しながら、オレは他の劇団員よりも一足先に稽古場を後にした。
ーーーーー
「お、あった、これだな」
稽古場を出たオレは、帰りがけにコンビニに立ち寄っていた。数週間前に受けたインタビューをまとめた雑誌の発売日が今日との事なので、買い求めるためである。
ちなみに『天球』の方に届いていた雑誌のサンプルは、亀さんが「俺が人生の先輩としてお前がちゃんとしたコメントしてるか確かめてやるよ!」と言いながら持ち帰っていたが、きっと袋とじ目的なのだろう。
……何故あの人は舞台上以外ではああなってしまうのか。ほとほと残念な人である。我が先輩ながら。
レジでお金を払い、コンビニを出た後、帰り道を歩きながら雑誌を開く。
『天馬司』
弱冠17歳にして明神阿良也と並び立ち、演劇業界を牽引する劇団『天球』の看板俳優。美しい王子の様な役から真反対の野生味溢れた役まで、幅広い役柄をまるで憑依したかのように思わせる高い演技力と整ったビジュアルで人々を絶えず魅了し続ける若手実力派俳優。
「ふっふっふっ……さすがはオレ!」
雑誌に書かれていた文言に思わず口角が上がる。世間の注目を浴びることになってからしばらく経つが、いつまて経ってもこういった評価を受けるのはうれしいものである。
実力がどんどん上がってきていると言う実感、そして自分の名前が売れてきていると言う自信。
なにより、目標である多くの人々を笑顔にする俳優と言う存在に一歩ずつではあっても確実に近づいて行っていることは充実した嬉しさを感じさせる。
「……おっと」
なんて、そんな感傷に浸っていた内に家まで着いていた様だ。
危うく扉にぶつかる所だった……と油断していた自分に気合を入れ直し、玄関の扉を開ける。
「ただいま帰ったぞ!!!」
と、大きな声で帰宅を告げれば、パタパタ、と出迎えてくれる足音が一つ。
「おかえり、お兄ちゃん!」
華やぐ笑顔と元気な声で出迎えてくれたのは天馬咲希。
幼少期からの長く、苦しい入院生活を乗り越え、退院を果たした最愛の妹である。
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天馬家は父と母、そしてオレと咲希の4人家族だが、平日に家族4人揃うことは滅多にない。
それは父と母は就いている職業の特性と多忙さ故であり、基本的に家に帰ってくるのはオレたちが学校や部活、稽古に行っている日中、仕事に出ていくのはオレたちが帰ってくる直前だからだ。
今日も例に漏れず両親とも不在で、咲希と2人、色々な話をしながら母親が用意してくれた夕食にありがたく舌鼓を打つ。
粗方食べ終わった頃、咲希に声をかけた。
「すまんが咲希、オレはこれから自室に籠る。多分今日は出て来れないと思うから、先に寝ていてくれ。体を冷やさないようにな」
「またいつものやつ? 分かった。アタシのことは気にしなくていいよ。お兄ちゃんこそ、明日お休みだからって無理しすぎないでね?お皿もアタシが洗っておくから!」
任せろ、とでも言う風にドンと胸を叩く咲希になんて良い妹を持ったのだろう……と感動しながらお言葉に甘えて自室に引き上げる。
用意するのは膨大な数の資料。
棚から今回の演目の作者の他の作品のDVDを引っ張り出し、再生し始めた。
気づいたら翌日の夜であったらしい。
らしい、と言うのは、自分でもいつ作業が終わったのかよく覚えていないからだ。
何でも、次の日の夜になっても出て来ないオレを心配した咲希が部屋に入ってきた所、集中し切ったオレがぶつぶつと何かを呟いていると言った状態だったそう。それを見た咲希が声をかけた瞬間、オレは糸が切れた様に倒れ、眠ってしまったようだ。
こうしてぐっすりと睡眠を取ったオレが次に目を覚ましたのは、さらに翌日の昼過ぎのことだった。
階下に降りると咲希が「おはよーお兄ちゃん!」と元気に声をかけてくるので挨拶を返す。
「それで、役作りは上手く行った?」
「ん、ああ、問題はない。ほぼほぼ詰め切れたからな。あとは現場で擦り合わせるだけだ」
「なら良かった! 実は次の『天球』のチケット取れたの!いっちゃんたちと行くんだ〜!」
「む、そうなのか。では存分に楽しみにしておくと良い! 完璧な舞台をお見せしようではないか!」
「うん!」
こうして最愛の妹の満面の笑みと期待を受けたオレが、この演技を大盛況で終わらせた事はもはや言うまでもないだろう。
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舞台の千秋楽の前日。東京のとある料亭にて。
「ったく、年寄りをこんな所に呼び出しやがって。 いつからそんな偉くなった黒山」
「まぁまぁ。んなこと言わずに。あんただって酒は嫌いじゃないでしょう?」
演出界の重鎮、巌裕二郎がそう声をかけたのは、黒山墨字という男。
世界三大映画祭と呼ばれるカンヌ・ベルリン・ヴェネツィアの全てに入賞した経験を持つ映画監督である。
「んで、帰国して早々にわざわざ俺を呼びつけた理由はなんだ」
「折角だから旧交をあたためようと……なんて言っても、あんたには通らないんだろうな」
「御託はいい。お互い暇じゃねぇだろ」
その言葉を聞いた黒山は猪口を口につけ唇を濡らした後、巌を見据えて口を開けた。
「んじゃあ単刀直入に言います。そっちの『天球』の所の天馬司、アイツを借りたい」
その言葉を聞いた巌がスッと目を細める。
懐からタバコを取り出して弄ぶ。
「……司はウチの看板だ。 おいそれと貸せると思うか?」
「今までの『天球』のセオリーなら暫くは出番ないでしょう。その間だけで良い」
劇団『天球』は看板役者である明神阿良也と天馬司の役作りの負担の関係上、その2人を同じ作品に参加することなく、交互に主演を演じさせる、と言う形を取っている。
明日千秋楽を迎える今回の演目は天馬司が主演な為、普段通りであれば次回の演目の主演は明神阿良也。確かに司は余裕ができる形となる。
ただし、それは
「悪いが今回は別だ。次回の舞台も司を使う」
「どうしてだ? いつもなら役者に負担かかることはさせねぇでしょ」
巌は一度目を閉じ、それからゆっくりと息を吐いて言った。
「半年前、ふと調子が悪くなってな。医者に行ったんだが……膵臓に悪性の腫瘍が見つかった。およそあと半年ってとこらしい」
「な……」
黒山が絶句する。当然のことだ。日本の舞台演出を牽引してきた巨匠、巌裕二郎が死ぬ。そう告げられているのだから
「俺はじきに死ぬ。次の舞台が最後だ。だから無理を押してでも『天球』の集大成が見たい」
手の中のタバコをグシャっと握りつぶしながら、巌は苦笑した。
「……先に言ってくれよ。知ってたら、こんな所で酒なんか進めねぇのに」
「ハ、お前、そんなこと気にするタマだったか?」
少し笑みを見せた巌に、黒山は声をかけた。
「……じゃあ今からする提案は、あんたの舞台が次で最後だってことを踏まえてのものです。嫌なら断っても良い」
黒山にしては珍しく、少し弱い言葉尻での言葉に、巌は首を傾げた。
「提案?……こんな老いぼれに何の提案だ」
黒山は俯いていた顔をあげた。
「あんたの最期の舞台に相応しい役者を1人、見つけた。 まだ演技を知らねぇ原石だが……磨けば必ず大物になる。いや、俺がさせる。
ただ……その為に、天馬司が必要だ」
黒山は巌を正面にしっかりと見据えながら、言葉を続ける。
「次の舞台までで良い。 ウチに天馬司を貸してくれ。……その代わり、あんたの最期の舞台に最高の役者を用意する」
どうだ?と、尋ねる様に。
黒山は巌の方を見つめた。
巌は何も発しない。つられて黒山も無言になった。
数十秒にも数分にも思える沈黙を破ったのは、巌のため息だった。
「ハァー……お前を見てると、お前の師匠を思い出す。苛つく奴だったが……まぁ嫌いじゃなかった」
「だから、あの人は師匠じゃないって前も言ったでしょ」
「……1ヶ月だ」
「あ?」
首を傾げる黒山に、巌は言葉を続ける。
「次の舞台の稽古開始は1ヶ月後だ。 それまでは司を貸してやる。ただし……俺は臭ぇ役者しか使わない。 1ヶ月後、お前が見出した役者が相応しくないなら使わない」
「いや、そこは心配しなくて良い。必ずあんたが使いたくてたまらなくなる役者になるだろうさ。ーーじゃあ、これで交渉成立、だな」
黒山は立ち上がり、扉の方へと向かった。
「急に呼び立ててすいませんでした。んじゃあまた1ヶ月後に」
「ああ、待て」
退出しようとする黒山を引き留め、巌は言葉を続けた。
「おまけに、次回の演目を教えてやるよ。『天球銀河鉄道の夜』 それが、俺の終着点だ」
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黒山が退出し、1人になった席で。巌は猪口に口をつけ、一気に飲み干した。
「何年経っても、育てるってのは楽じゃねえなぁ」
脳裏に思い返すのは数十年前の彼女の姿。かつての自分の過ちによって壊してしまった1人の女優。
「『本当の幸って何だろう』か、死ぬ直前になれば、俺も何かしらを遺していけるのかもな」
もう一杯酒を飲み干し、巌は小さく呟いた。
「なぁ、……アリサ」
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天馬司の朝は早い。仕事で出払っている両親に変わり、2人分の朝食と家に帰ってくる両親分の作り置きを用意するためである。
時刻は朝4時半。ベットから起き上がり、あくびを一つ。
「……よし!」
小さく声をあげて気合を入れたオレは、冷蔵庫にあるものを頭に浮かべながらも咲希を起こさぬ様に静かに階段を降りる。
キッチンに立ち、手早く調理を済ましておく。今日は週に一度の購買デーな為、お弁当を作る必要はないが、提出期限が迫っている課題があり、少しでも手をつけておくために時間を無駄にしていられない。
自室に戻り、着替えなどの準備を済ませた後、机に向かって課題を開く。
小一時間程数式と格闘した所で咲希が起きてきたので、一緒に朝食をとった。
「では、先に出る。オレは公演明けだし今日は早めに帰れると思うが、咲希はどうだ?」
「練習もバイトも無いし、アタシも早く帰って来れるよ。じゃあさ、帰ったら一緒にお菓子作らない!?久しぶりにお兄ちゃんの作ったお菓子食べたいなぁ〜!」
それは何とも魅力的な提案である。
「む、ではそうするとするか! 午後が楽しみだな! では、行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃい!お兄ちゃん!」
咲希の笑顔に見送られながら玄関を開ける。
天気は快晴、今日もいい日になりそうだ。
「さて、行くとするか!」
そうしてオレは意気揚々と学校への道を踏み出した!
……と思った瞬間、見知らぬ軽トラックに拉致されていた。
「朝から悪いな天馬。ちょっと今日一日付き合ってもらうぜ」
と、声をかけてくる下手人は黒山墨字。
……いや、どうしてこうなった!?
知ってる?天馬司と夜凪景って誕生日どっちも5月なんだって!
この小説が投稿されたのも5月!なんて偶然!
どっちの誕生日にも間に合いませんでした。