天馬司は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐な映画監督黒山墨字を一発殴らねばならぬと決意した。
司には今の状況が分からぬ。司は杉並北高校に通っているちょっと自信過剰な普通の高校二年生である。学校に行き、授業を受け、帰りに稽古に向かう生活をしていた。
今日だって、普通に学校に行こうと家を出たのだ。だが、気づいたらあれよあれよという間にスタジオ大黒天と描かれた軽トラの中に拉致されていた。
あんまりにもあんまりなこの状況に、後から軽トラに乗せられたどうやら同じ状況らしい黒髪の女子と共に黒山墨字を殴り飛ばすことを決めたのである。
結果から言うと、軽トラは軽く事故った。
天馬司と黒髪の女子ーー夜凪景による初の共演によって、黒山墨字がボコられたからだ。
ーーーーー
「CM撮影?」
「そう。ここは今日撮影するセットで、私は助監督の柊雪。後……そこでじたばたしてるのが、ウチの監督の黒山墨字……です」
未だじたばた取っ組み合って暴れている2人にちょっと引きながらも、黒山監督のアシスタントだと言う柊さんが状況を教えてくれる。
どうやらここはウェブCM撮影のスタジオらしく、黒山監督に拉致された訳はCMに出演する為だったそうだ。
「なるほど。そう言うことならば大歓迎です!前々からCM出演に興味があったので!初めてのCM撮影だが、完璧にこなして見せましょう!」
「あーー……それがね?」
と、少し気まずそうな表情をする柊さん。
どうしたのだろうか?と首を傾げると、向こうの方で女子と取っ組み合っていた黒山監督が口を挟んできた。
「天馬。今日のCMにお前の出番はない。今日は夜凪で撮る」
「なっ!?」
「私?」
女子ーー夜凪とやらがひょこっと出てくる。
「ああ。CMなんて新人役者には滅多にないチャンスだ。贅沢すぎるぐらいだが……天馬はこの規模のCMで使うには知名度がありすぎる。それとギャラやら何やらで後が怖い」
絶対それが本当の理由だろ! と思うが、夜凪、と言う彼女の実力も気になる所なのでまぁ飲み込んでおく。
なんせあの黒山墨字が連れてきた役者だ。力量が気になるのは役者の性、と言うやつだろうか。
「今回撮るのは『父の日にシチューを』って題材の新発売のシチューのウェブCMだ」
黒山監督の説明が始まり、オレと夜凪は揃って耳を傾ける。
「いいか、夜凪。お前は初めて1人でキッチンに立った少女だ。仕事から帰ってくる父親の為に慣れない手つきで手料理を作る。んで、喜ぶ父親の顔を思い浮かべながら味見をして終わり、だ。」
なるほど、演技をする上ではありふれた情景ではあるが、調理をする手の動きを含めて演技をしなくてはならないのが少し難点か。
聞く所によると夜凪はこれが初めての演技らしいし、少し難易度が高いのでは無いだろうか……とも思ったが、そんなことは全く気にしない様子で黒山監督が話を続けていく。
「な、簡単だろ?ありきたりだし。しょうもない企画だが、まぁ金にはなる!だから
「後ろにプロデューサーとクライアントいるからね? マジ言葉選べマジで」
堂々と口走る黒山監督とその頬を引っ張りながら注意する柊さん。この2人の上下関係が見えてきてしまって何だか複雑である。
「要はこの大きなリカちゃんハウスの中で料理作れば良いのよね?それならそうと早く言いなさいよ」
「ああ!?やんのか!?」
「ケンカすんな!子供か!」
……実に先行き不安である。と、きっとクライアントとオレの気持ちが一致した瞬間だった。
とは言え、だ。夜凪の実力は黒山監督のお墨付き。お手並み拝見!
「じゃあテストいきますよー! テスト、よーいスタート!」
柊さんの声と共に、カチンコが鳴らされた。
ーーーーー
結果から言おう。実に見事だった。
……夜凪の料理の腕前が。
「達人かお前は!何マジメに作ってんだ!『初めてキッチンに立った少女』の役だぞ真剣にやれ!」
「真剣よ!味見してみる!?」
「真剣に『演じる』んだよバカか!?」
カットがかかった後に夜凪と黒山監督のそんな応酬が聞こえる。
……うん、まぁ料理を教えて欲しいぐらいには凄まじい手際の良さだったし、まぁきっと夜凪からすれば真剣なのだろう。
だが、そうではない、そうでは無いのだ。
これが身内のものだったらまだ良いが、今回はプロデューサーがいてクライアントがいる。
舞台に限らず、この業界で重要視されるのは信頼だ。そんな中で夜凪のこの奇行。これは非常にまずい。
「なぁ夜凪、お前、演技を何だと思ってる?」
そんな黒山監督の問いに夜凪は少し悩みながら答えた。
「……思い出すこと……?」
「分かってんなら早く
その言葉に引っ掛かりを覚えたオレは、声を留めながら柊さんに話しかける。
「柊さん。もしかして夜凪は
「あ、うん。そうだけど……よく分かったね。墨字さんが景さんはメソッド演技の天才って言ってたけど……』
「……ほう」
メソッド演技。
数ある演技の方向性の中の一つ。特徴は、過去の自分が抱いた感情を自在に現在に甦らせることで表現をすること。
より自然に演じることができる分、求められる技術もとんでもなく高く、また負担も大きい。
かく言うオレも実際に見るのは初めてである。
「でも、私父親に料理を作ったこと無いの。……戻るべき過去がないわ」
「この際、相手は誰でも良い。母親でも、兄弟でも、友人でも。そいつらに初めて手料理を作って日を思い出せ」
事もなげに黒山監督は続ける。
「俺が撮るのはお前の感情だ。誰かのために努力したいつかのお前。それが撮りたいんだ」
その言葉を聞いた夜凪にカチリ、とスイッチが入ったような気がした。
先程とは纏っている雰囲気が違う。オレはこの雰囲気を覚えている。いつも天球で触れてきた『役者』特有の雰囲気……!
「初めて作ったのは、カレーライスだったわ」
夜凪がそう言いながら、調理を始めた。
進められる工程は先程となんら変わりないもの。
だがその手際が違う、出来が違う。仕草が違う。表情が違う。
まるきり夜凪ではない別の誰かになってしまったかの様に、彼女は調理を進める。
その、辿々しい指遣いは。
その、包丁で切った指を舐めるその仕草は。
不器用ながらも溢れ出る、大切な誰かへの親愛は。
正しく、誰かの為に初めて料理を作っている少女に他ならなかった。
「これ、は……」
思わず、オレの口から声が漏れた。
あまりの興奮に鳥肌が立つ。
心臓が早鐘を打っている。夜凪から目を逸せない。
頭から足先の、完璧なまでの役への没入。
天才、と言って差し支えない程の才能を前に、オレは否応なく
オレの始まりとなった、あの舞台のことを。
「夜凪、景……!」
知らず、口角が歪に上がっていたことに気づいた。
全く、とんでもないものをみせてくれたものだ、黒山監督は。
だって、そうだろう。
こんな『本物』を見せられて、血が踊らない役者など、きっとどこにもいないのだから。
「カット!」
終わりを告げるカチンコの音が、大きく鳴り響いた。
ーーーーー
帰り道の車内。
この調子で行けば午後の早いうちにシブヤにつきそうなので、咲希の約束は破らずに済みそうである。
オレの隣には、黒山監督と、先程撮影された映像を繰り返し見続けて少しニヤけている夜凪が座っている。
「いつまで素材見て笑ってんだよ気持ち悪い」
「なっ、わ、笑ってないわよ」
バッサリと切り捨てる黒山監督に反論する夜凪。ここは彼女の名誉の為にも助け船を出しておくとしよう。
「夜凪はカメラの前で演じたのが初めてだったのだろう?だったら恥ずかしがることはない。かく言うオレも、初めて舞台に立った時の映像を見た時はニヤけて過ぎて頬の肉を攣った程だ!」
「それと比べないでくれないかしら……」
助け船を出したにも関わらず若干引き目の夜凪。解せぬ。
「でも、うん。驚いたわ。……私って、思ったより綺麗なのね」
そう言い、少し微笑む彼女は、なるほど確かに綺麗だった。
「は、あんな半端な演技しといて何が綺麗だバーカ」
「な、何よその言い方! みんな褒めてくれたわ!」
段々とヒートアップしていく黒山監督と夜凪。隣で運転している柊の圧がどんどんと増していく。もはやゴゴゴ……と擬音がつきそうであるを怖い。
「素人の言葉に浮かれてんじゃねーよ!お前の才能はあんなもんじゃねぇんだよ!」
「何よそのツンとデレどっちかわかんないやつ!」
「だからアンタらケンカすんなーーーー!!!」
またジタバタし出した車内に柊さんの大雷が降り注いだ。
本日の教訓。柊さんは怒らせると怖い。
なお、例の如く軽トラはまた多少事故ったが、執念で咲希との約束に間に合わせたことはまた別の話である。
「……所で、夜凪は5組の夜凪さんで合ってるか?噂を聞いたことはあるが……」
「そう言うあなたは3組の天馬くんよね。私も噂で聞いた事あるわ」
「そうか! 他クラスにも噂を轟かせるとは、流石オレ!」
「(……演技の世界、って、頭おかしい人しかいないのかしら……)」