――――現在、日本。
魔術師、と一言に言っても、その在り方は様々である。
そもそも、魔術を扱えるものを魔術師と呼ぶのは、あくまでも広義的な分類である。本来の魔術師とは、この世に存在する万物の源流――――すなわち『根源』へ至る手段として魔術の道を歩む者を指す言葉である。
『根源』への到達を目指さないものは、単に魔術使いと呼ばれている。また、魔術協会に属するもの、それ以外の組織に身を置くもの、
そんな阿津部は、『猟犬』本部内に用意してある自室で目が覚めた。自宅は別に用意されているが、舞い込んでくる仕事の量が増加し始めたため、自宅ではむしろ心が休まらない。
目覚まし時計を見る。アラームとの起床競争に勝利をおさめたらしいが、こういう日は、決まって何かがある。
となると、心配になるのは自宅の事だ。阿津部は、魔術師らしからぬ手際の良さで
『……はい、阿津部です』
「宮口か? 俺だ」
『あ……阿津部さん?』
電話の主は
『すみません、確認もせず――――』
「気にするな。拓洋は、元気にしてるか?」
『はい、元気っすよ。今は……流石に寝てるっすけど』
現時刻は午前5時55分。まだ12歳の拓洋は寝ているだろう。
「そうか……悪かったな。こんな早くに」
『それこそ気にしないで下さいよ。あ、でも――――』
宮口は言葉を詰まらせた。
「どうかしたのか?」
『……たまには、帰ってきてくださいよ? 拓洋君だって、その方が安心するでしょうし』
今度は阿津部が言葉を詰まらせる番だった。
実のところ、阿津部はほとんど帰宅できていない。
8年前、拓洋という少年を養子に引き取ったあの日から、しばらくは会長より休みをもらったものの、すぐに大量の仕事が舞い込むことになった。
各地で乱発する亜種聖杯戦争、その開催頻度に比例して増加する魔術師間の抗争や聖遺物の窃盗、盗難が相次ぎ、阿津部の手も借りざるを得なくなってしまった。
それからしばらくは職員が交代して使用人を務めてくれている。宮口は今年で二年目。18とまだ若く、拓洋とは兄弟弟子のような関係である。
「……仕事が一段落したら、そうする」
『ホントにそうしてくださいよ? 待ってますからね?』
「ああ」
そう短く返して、阿津部は電話を切った。
宮口も、拓洋も、自分の帰りをまっているらしい。しかし――――
(出来ない約束は、するものじゃないな)
仕事が一段落したら、とは言ったものの、亜種聖杯戦争は世界中で行われており、阿津部はその都度駆り出されているのだ。単純な職員の数なら十分なのだが、戦闘要員となると話は変わってくる。元々『猟犬』は傭兵部隊ではない。戦闘経験はおろか、その技術さえ持たないものは多い。故に、経験の豊富な阿津部にその手の依頼は必ず舞い込んでくる。
こうなることは、会長も分かっていたはずだ。にもかかわらず、拓洋や宮口を阿津部に託した。
阿津部の下に来た時点で、拓洋は4歳、宮口は16歳。引き受ける任務が任務なだけに、いつ消えてもおかしくない阿津部と関わるにはまだ若いような気がする。
だが自分に託された。その理由を、阿津部はこう結論付けた。
――――彼らは、“枷”である、と。
危険な任務を任せられることが多いうえ、阿津部本人も本来は任務第一な性分である。そのため、自分の命を二の次にするようなこともある。
当然、今日まで生きている時点で、本気で命を捨てることはしたことは無い。
しかし、今の彼には、親や師が必要な子供が二人いる。命を捨てるような真似も、命を二の次に任務を遂行するようなこともはばかられる。
阿津部としては、かなり複雑な心境だった。
(縛られてるか、監視されている気分だ……)
阿津部は幼少期に母を亡くしている。最期の言葉は『正しく生きて、憲政』。
その正しさとは何か。組織に身を置いている限り、その任務を遂行し続ける事ではないのか。祖父の遺した組織への貢献。例え、この命が尽きようとも――――
そんなことを考えていると、スマホがアラームを鳴らした。発信元は会長のコード
「……阿津部です」
『あぁ、今すぐ会長室に来てくれ』
相変わらず、要件を伝えるとすぐに電話を切るコード。そのくせ職員にはスマートフォンを支給している。
めんどくさい矛盾をはらんでいるようだが、魔術師に察知されにくい連絡手段の中で、最も効率的なものは、最新の文明の利器なのである。
本部の会長室は本館6階の廊下の一番奥、厳格そうな扉に守られている。
阿津部はこの扉を三回ノックした。
「失礼します」
声に反応し、扉がガチャリと音を立てる。これが開錠の合図だ。
扉を開ける。会長室の内装は、扉を除く壁はすべて本棚となっており、後は「いかにも」といった風の机を椅子があるくらいである。
その椅子に腰を掛けているコードは、青ざめた表情で阿津部を出迎えた。
「来たか、阿津部」
「どうかされましたか? また養子か、それとも使用人の増員とか」
やや皮肉気味に声を掛ける阿津部。これ以上『枷』を増やされたくない阿津部なりの牽制である。
「よしてくれ。今回はそのどちらでもない。……お前に、頼みたいことがある」
「……任務、ですか」
コードは、後ろに並んだ大量の本棚から一冊の本を取り出し、その中のあるページを開いた。
「これを見てみろ」
阿津部は机に向かい、その上に広げられたページを読んだ。
そのページには、様々な魔法陣や魔術についての記載があったが、そんなものがどうでもよくなるほどの重大なモノが記載されていた。
「『聖杯』、ですか」
「そうだ」
コードは、さらに別のページを開いた。
「我々は、長きに渡り聖杯の研究を続けて来た。……君の爺さんの代からな」
「つまり、第三次聖杯戦争から、ですよね」
「そういうことだ」
『猟犬』は阿津部憲政の祖父が発足したものである。その時は名のない魔術師集団だったが、後から魔術協会から『猟犬』と呼ばれるようになった。
しかし、阿津部は聖杯の研究の話など聞いたことが無い。単に魔術協会の下請けとばかり思っていたが、まさか聖杯の研究までしていたとは。
「聖杯の研究は初耳でしたが……その聖杯に何か?」
「あぁ、実はな……」
コードはさらに本棚から一冊の本を取り出した。
「我々が研究の一環として製造していた聖杯が――――起動したのだ」
「……え?」
阿津部は驚きを隠せなかった。研究の事ですら初耳なのに、製造、そして起動……明らかになる新事実が多すぎる。
「……阿津部、君の祖父から何か聞いていないのか?」
「いいえ。祖父は聖杯の事は全然話していませんでした」
「なら、驚くのも無理は無いな。このことは私と支部長しか知らない」
コードは、さらに『猟犬』と聖杯の関係について語り始めた。
「我々『猟犬』が聖杯の製造に着手したのが今から60~70年前。ちょうど組織の拡大が視野に入り始めた時だ。聖杯の製造と組織の拡大は同時進行で行われた。新たな土地に支部が出来るたび、その土地の技術や知識を聖杯に注ぎ込んだ。本部は
コードは地図を広げた。各支部の所在地が赤く塗られている。
「聖杯が起動した場所はフランス支部。ちょうど最後の調整が終わる予定だった」
コードは地図上のフランスの場所を指さす。
「フランス、ですか……」
阿津部も数回フランス支部に行ったことがある。雰囲気はほとんど本部と変わらない記憶がある。
しかし、こうなると新たな疑問が生じる。
「フランス支部の人間に任せるわけには行かないのですか?」
「あそこは、主に研究、分析を行う機関だ。戦闘向きの魔術師はほとんど在籍していない。それどころか、狩猟向きの魔術師など、ウチじゃ人材不足だ。戦闘には専ら現代火器が使われている」
「……『猟犬』の名折れですね」
「まぁ、そっちのが都合が良いこともあるしな」
「では、なぜ俺に任務を?」
コードは机に広げた書類を片付けながら返答する。
「あぁ、お前に、
「――――え?」
あまりにもあっけなく告げられた。
阿津部も動揺を隠せなかった。
「俺が、聖杯戦争に?」
「そういった」
「起動した聖杯を、ただ無力化すれば済む話なのでは?」
「いいや、事態はそう単純ではない」
そういうとコードは聖杯戦争の資料を取り出そうとして……止めた。
「そういえば、まだ朝食もとっていないだろう。任務に向けてのブリーフィングは長くなるだろうから、朝食の後にしよう。その方が良い」
「はい……」
阿津部は一礼すると、部屋を後にした。
次回もよろしくお願いします。