聖杯戦争がその幕を開こうとしていた。
英霊召喚
地下室についた
水銀、動物の血と骨を固めて作ったチョーク、ろうそく、触媒……過不足は無かった。
消去の中に退去、退去の陣を4つ刻んで召喚の陣で囲む。チョークで描いた魔法陣を、水銀で縁取りしていく。そして周囲にろうそくを立てた。
これから戦争の準備だというのに、あっけなく完成した。
「……たったこれだけでいいのか」
「らしいね。それにしても、よく足りたね、水銀とチョーク」
「人払いの結界は好きなだけ張れるようにしている。そのために用意したが……まぁ、実戦に足りるくらいには余ってくれたか」
水銀を入れていたビンはすっかり軽くなり、チョークも短いものが数本残る程度になった。
「あとは召喚か……で、斎藤さん」
「なんだい?」
「なぜアンタもこの場に?」
「なぜって……
冗談交じりに話す斎藤だったが、阿津部は怪訝な顔をした。
「……他の魔術師が近くにいると儀式に影響が出かねん。大人しく上の階で見張りでもしてくれ」
「手厳しいねぇ、憲政君は」
阿津部の言葉に従い、斎藤は階段を上った。
一人になった阿津部は準備を続ける。
ろうそくに火を灯し、後は呪文の詠唱である。
ここに来た時点では既に夜だった。一番阿津部の回路が活性化する時間だ。
阿津部は深呼吸し、呼吸を整えた。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
詠唱に伴い、励起する魔力回路。その働きが阿津部の全身に鈍い痛みとなって現れる。
自身が『阿津部憲政』という人間ではなく、儀式を行うための『装置』という存在であることを嫌でも自覚させられる。
「
冷や汗が頬を伝う。もう引き返すことは出来ないが、引き返すつもりもない。
阿津部は詠唱を続ける。
リリアン・フィンレイは令呪が発現した旨をローウェンに相談し、
「呪文と、魔法陣と、後は――――」
「なぁ、リリィ」
召喚の準備を進めるリリアンに、ローウェンは声を掛けた。
「本当に聖杯戦争に参加するのか?
ローウェンはリリアンの身を案じていた。彼女の性格では、戦いに身を投じるのは危険と判断したのだろう。
「……良いの。私だって魔術師の端くれだもん。このチャンスを逃すわけにはいかないよ」
「そうかもしれないけどさ」
ローウェンは短くため息をついた。
「僕は君を預かっているんだ。それなのに君を危険な目に遭わせたら、ご両親に顔向けできないだろう?」
本来、リリアンがフランスに来た目的は精神的な休養や学内の人間関係の相談であるはずだった。
令呪が宿った時点では、まだソレを切り離せばマスター件の放棄とみなされ、別の魔術師に令呪が宿る可能性もある。
令呪が宿ったと相談を受けた時、てっきり切り離してほしいと言われるものだと思っていたが――――
「そもそも、令呪が宿ったとしても亜種聖杯戦争では勝ち残っても得るものが無い。所詮は冬木の真似事だぞ?」
「良いの。今の私には、その経験が必要だと思う」
その眼に、もはや迷いは無いように思えた。
「……わかった。だが、絶対に戦闘には参加するなよ。全部
「うん……」
ローウェンの屋敷には研究室がある。その中にちょうどあ地ているスペースがあるため、そこで召喚することにした。
魔法陣を描き終え、後は呪文を唱えるのみとなったとき、ローウェンが紙を手渡した。
広げてみると、船の設計図の様だった。
「……これは?」
「触媒に使ってくれ。年季の入ったものだから、多少は力になるはずだ」
リリアンは設計図を祭壇に乗せると、詠唱を開始した。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
自身の魔力が
まさしく命がけ――――それにふさわしい舞台が、聖杯戦争なのだ。
カルヴェスの一族はフランスの森の奥に屋敷を構えている。
周囲に張り巡らされた結界の影響で、一般人がたどり着くことはあり得ない。
「金髪碧眼の美少年の吸血鬼が住んでいる屋敷がある」などという都市伝説があるが、そんなものはただの噂に過ぎない。
そんな屋敷に住む金髪碧眼の美少年、アラン・カルヴェスの両親は慌てていた。
「あなた! アランが!」
「水晶にも映っていない。圏外に行ってしまったということか……」
アランが持つ特殊な才能が他の魔術師に狙われることを恐れた両親は、彼を外に出さないようにしていた。
遠見に水晶の可視範囲内がアランの行動範囲だったわけだ。
「使い魔で探そう。逆探知のリスクが上がるが、水晶よりは……」
「いいえ、アランが置手紙を」
アランの母、サラが一枚の紙を夫であるクレマンに手渡す。
「『お父様、お母様
僕に令呪が宿りました。
聖杯戦争に参加します。これは僕の戦いです。どうか止めないで下さい。
そして、僕の勝手をお許しください。
アラン・カルヴェス』
……令呪だと?」
クレマンは顔をしかめた。現在、令呪が魔術師に宿るとしたら、それは亜種聖杯戦争が原因に他ならない。
しかし、亜種聖杯戦争は本来小規模なもので、事前に参加者を募るなどするはずだし、そうでなくともクレマンやサラを差し置いてアランに宿るのはにわかに信じがたい。
「どうしましょう、連れ戻した方が……」
「いいや、良い機会だ」
クレマンは心配するどころか、アランを追わない選択をした。
「え!? どうして……?」
「アランは次代当主の座を狙っていた。ならば、この程度の試練、切り抜けてもらわないとなぁ」
「けど……」
「心配には及ばんだろう。魔術協会の連中に目を付けられたとしても、
「そうでしょうか……」
クレマンの目に曇りは無かった。
アランもまた魔術師。栄光は自らの手で勝ち取らなければならない。
街灯もない夜の森の中を、アラン・カルヴェスは歩いていた。
彼の周囲を照らすのは一つのカンテラ。
アランは×印の書かれた地図とコンパスを照らし合わせながら森の中を行く。
「確かこの辺に……あった!」
彼の目当ては森の中の空き小屋である。その周辺だけやや開けており、扉のない簡易的な倉庫の中には掃除道具が立てかけてあった。
地図の×印、すなわち霊脈の位置とも
アランはさっそく召喚の準備に取り掛かろうと小屋の扉を開けた。
――――のだが。
「うわっ」
小屋の中は大量の埃や虫の死骸で床が覆いつくされていた。
「……もーっ……」
頬を膨らませながらも、倉庫からほうきを取り出して掃除するアラン。どうにか床に召喚の為のスペースを確保できた。
「へへ……」
アランは召喚の準備に取り掛かる。
白い紙を広げ、ランプを取り出す。
ランプに切り込みが入った耐熱性の紙を巻き付ける。
火を灯すと、影が魔法陣の形となった。
「よし……次は呪文か」
アランはポケットから呪文を記したメモ帳を取り出した。
「誓いを此処に、我は常世総ての善と成るもの。我は常世すべての悪を敷くもの!」
リル・ベルナールは右手の痣の正体を知ると、すぐに準備に取り掛かった。
元々霊脈のある自室である。設備も道具もそろっているため、すぐに準備は整った。
触媒には『大英雄の槍の柄』……亜種聖杯戦争が流行りだしたときに両親がくれたものだ。
「……ベルナールは失墜なんてしてない」
自身の家系、ベルナールは衰退の一途をたどっていた。
そんな最中、生まれて来た天才が彼女、リル・ベルナールなのだ。
ムカつくこともある両親だが、どうにか前を向いて欲しい。その思いは本物である。
「聖杯があれば、それを証明できる」
亜種聖杯が何だというのだ。勝ち抜くことが必要なのだ。
強い信念と共に、リルは詠唱を続ける。
「――――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
詠唱が終わると同時に、その場に強風が吹き荒れた。
ある者は
亜種聖杯戦争と呼ぶには異例の七騎の
期間がかなり開いてしまい本当に申し訳ない。
次回はもっと早めに出せるように頑張ります……。