哨戒任務。
これこそ駆逐隊の本懐だと、天津風は考えている。
足が速く、小回りが効いて、潜水艦対策も出来る駆逐艦は、まさに哨戒任務にはうってつけといえるだろう。
「全艦、単縦陣で抜錨。コースはベーリング海周辺を哨戒するわ。幌筵を狙うなら、そちらから来る筈よ」
叢雲に次いで、若葉が武器庫の前で指示を飛ばす。
「総員、魚雷の予備を2セット用意。緊急時の為だ」
一撃必殺の能力を持つ魚雷の予備を2セットずつとは。
いいじゃない、と天津風は思う。その緊急時が起こっても全然怖くも無いぞ。
「お楽しみはこれからだ」
「久しぶりのパーティになるっぽい」
菊月と夕立がそれぞれ笑みを浮かべたところで、叢雲が二人を睨む。はしゃぎすぎるな、とでも言いたいのだろう。
「準備完了しました」
朝潮がそう告げ、叢雲は声を張り上げる。
「抜錨よ!」
輸送任務ではない、哨戒任務。
普段は輸送任務ばかりだが、この前夕立が「皆もつまらない」と言っていた辺り、本当は他の面々も戦いたかったのだろう。
それ故か、朝潮以外のメンバーはどこかはしゃいでいるようだ。
「風が強いようだな」
「海面、荒れてる。こういう日って転び易いっぽい?」
「あるな」
先頭を進む若葉と夕立がそんな会話をしており、最後尾は菊月が警戒を続けている。
「菊月より。異常なしだ」
「海が荒れてますから、敵の接近を聞き逃す畏れもあります。気をつけて」
「わかっている。おい、新入り」
「天津風よ。なに?」
菊月が朝潮の返答の後、天津風に話しかけてきた。
「お前の相棒を周辺の偵察に出せないか?」
「出せなくもないけど……」
「連装砲くん、言葉が通じないから難しいわよ?」
そう。自律兵装の面倒なところは、大抵はボディランゲージ以外の伝達手段を持たない事だ。
それ故か戦闘では本体と独立して戦闘は出来ても、偵察などにはあまり役立たないのである。
「チッ、使えないな」
「!」
菊月の返答の直後、抗議の意思を示した連装砲くんが砲塔を向ける。
「なんだと、やるのかロボットフェイス!」
「アタシの連装砲くんを馬鹿にしたら許さないわよ!」
「ああ、二人とも落ち着いて下さい。今は任務中です」
朝潮が間にいなければ天津風と菊月は今にも交戦を始めていたに違いない。
叢雲が盛大にタメ息をつきつつ、槍を一回転させた。
「フン」
天津風は菊月を一度だけ睨んだ後、視線を前方に戻した。
「……嫌な風ね」
海面が荒れている。こういう日は深海棲艦の接近に気付きにくい。何せ敵は深海からも攻めてくるのだ。水面付近まで来なくてはこちらも視認できない。
そして海が荒れる日は天候も大抵崩れている、その分視界も悪くなる。
「雲も出てきた」
遠くの方に視線をやると、黒い雨雲が見えた。
「嵐になるかな?」
「たぶん、ね」
朝潮の言葉に天津風はそう返す。
風を好む天津風にとって、嵐の日の風ほど嫌なものはない。
心地よさも温かみもない、ただの破壊。それだけの風だ。
「前方にお客さんだ。潜水カ級が2。恐らく偵察艦隊だろう」
その思考を破ったのは、菊月の報告だった。
「全艦、単横陣に切り替え」
「待て、敵が魚雷を放った! クソ、向こうの方が先に気付いているぞ! 全艦、ジグザグに…」
菊月が慌てたように指示を出しかけたとき、叢雲がそれを遮った。
「それはやめ! 慌てずに後退!」
「後退? なんで?」
「とにかく、バックすればいいっぽい?」
夕立が動き出したのを皮切り、全艦前に視線を固定したまま、しばしの後退。
「魚雷接近! 4本! 来るぞ!」
「さらに後退!」
「でもなんで後退するのよ?」
「海面が荒れてる。そんな状態で下手に動き回りまくったら…」
叢雲が喋っている間に、六人が先ほどまでいた場所で水柱が4本上がった。
「魚雷が自爆した…」
「こっちに既に気付いていたけど、こちらに気付かれないようにギリギリの射程で放ってたのよ」
「それで、こっちが後退しちゃえば射程が足りずに自爆って事ね」
「…こんなに荒れてる海でバラバラに逃げたら相手の位置を見失うわ」
そう、荒れてるとはいえ、海の上には障害物など基本的にはまずないのだ。北方海域には流氷などもない訳ではないが、常にある訳ではない。
どこを行こうと海は同じ風景。それに荒れていれば自分が真っ直ぐ進んでいるかすらも解り辛くなる。
「連中、左右に分かれた」
「どちらかが囮で片追いさせようとでも言うのかしらね? 夕立、若葉。対潜戦闘用意。二人は爆雷に装備を切り替え」
「了解、対潜戦闘に切り替える」
「っぽい!」
先頭の夕立・若葉コンビが爆雷を装填し、前進を開始する。
「菊月。敵はどんな感じで分かれた?」
「片方は進路そのまま。もう片方は大きく右に迂回。こっちの裏を取るつもりか」
耳を澄ませ、相手の動きを的確に把握しようとする菊月はやはり大したものだ。
叢雲は頷き、天津風と朝潮の方を振り向く。
「朝潮、天津風。菊月の左側へ回りなさい」
「え? 右から来てるのよ?」
「いいから、言うとおりにしなさい。釣られてやるのも戦術よ」
「でも、菊月の防御が!」
「朝潮。大丈夫よ」
「ああ」
菊月が動かないまま、朝潮がしぶしぶ左へ向かい、天津風も続く。
「その相棒用意」
すれ違う瞬間、叢雲が天津風に囁いた。そこで天津風は、やるべき事を理解した。
「了解」
連装砲くんが天津風の手を離れ、盛大な速度を上げて直線に駆け抜けて行く。
敵の潜水艦は、こちらが気付いてないと思っている。だが。
「聞こえているぞ。お前の音は」
菊月は文字通り、爆雷を周辺に盛大にばら撒き、次々と水柱が上がる。
「どストライクだ」
その宣言の直後、奴は姿を現した。
頭部から黒煙を吐き出しながら、潜水カ級が姿を現す。
流石に近くにそのまま浮上するような真似はしない。艦隊の右側、やや離れた場所に頭だけ顔を出す、が。
「!」
だが、その目の前に連装砲くんは既にいた。
至近距離の砲撃を避け切れるはずもなく、浮上してしまったが故に―――潜水カ級の運命は、水底に還った。
そしてもう一つ、前方でも夕立と若葉の攻撃に追いやられた潜水カ級が浮上してきた。
「こそこそ隠れるのは、卑怯っぽい!」
赤い目を獰猛に輝かせた夕立が水面から顔を出したカ級の頭部にその拳を振り下ろした。
「!」
盛大な音と共に、飛び散る血。
その血を拭いもせず、もう片方の手で頭を掴み、そしてそのまま――――全身の力を込めて、持ち上げる。
水上に姿を現したカ級の姿。
モノクロで構成された、痩せ細った醜い姿。
爆雷を受けて油と血を垂れ流し、そのまま高く持ち上げらる姿は、木に吊るされた哀れな獲物の姿。
「やっほい!」
そして夕立は、その首元に大きく口を開けて噛み付いた。
肉の千切れる音、断末魔の叫び――――頚動脈をひと噛みで食い千切られ、周辺に赤い雨を降らせるカ級。
食い千切った肉の一部を吐き出した夕立は、食い千切った傷口を掴み、そのまま胴体と首を千切って分離させた。
胴体は海に落ち、残ったのは首。
「こわーい顔♪」
まだなお血をたらす深海棲艦の首は、グロテスクなものだ。
夕立が興味なさげに後ろへと投げ、ちょうど天津風の前に一度じゃぼん、と落ちてきて。
目が合った。
憎しみしか沸いて来ないその顔を、天津風は思い切り蹴飛ばして遠くに飛ばした。
「なかなかのミドルシュート」
菊月がそれを見てそう口を開いた。
「知ってる? サッカーボールの起源が生首ってのは出鱈目よ」
天津風はそう返答し、20メートルほど離れた海に沈んだ首を見送ることすらしなかった。
「偵察艦隊を葬ったとなれば、本隊はその奥の筈」
「速度を上げる。周囲の警戒を厳とし、東へ向かう」
幌筵泊地へ結ぶルートは3つある。普段輸送任務で使っている南ルートではなく、より北の中ルートで偵察隊に遭遇したという事は、本隊が真ん中にいるのだ。
「本隊がどんな艦隊かは解らないけれど、陽動っていうぐらいだからさほど大きなものではない気もするけど」
「……そうだと良いわね」
それを信じてない、という口ぶりで叢雲はそう返した。
駆逐隊が、海路を進む。
「手を洗いたい~」
先頭を走る夕立がそうぼやいた。
「あんなことをするからだ。毎回」
若葉がそれをいつもの表情で窘める。しかも、ほぼ毎回やっているらしい。
天津風は内心呆れてしまう。艦娘は戦争をやってはいるが、それでも多少は小奇麗にしておきたいというのが女子の本音というもの。
それを気にするのであれば、あんなバーサーカーな戦闘をやらなければよいのでは、と思う。
「だってー」
「手が汚れるのが嫌なら、普通に砲雷撃戦すればいいじゃない」
「手で掴んだほうが早いんだもん」
天津風がたまらず口を挟むと、夕立はそういう返答。
「なら、それぐらい我慢しなさいよ」
「女の子だから気にするもん」
「………」
普通の女の子は貫手で相手を串刺しにしたり、頚動脈を食い千切ったりはしないと思う。
普通の艦娘だってやらない…と思う。そう信じたい。
「あたしも服が汚れるのは気にするけど」
叢雲がぽつりと呟いた。
「まあ、でも夕立のやり方は気に入ってるわ」
「気に入ってるんだ」
艦隊旗艦の感心したような言葉に天津風が呆れを隠さずにそう返すと、叢雲は言葉を続ける。
「ええ。あの汚い顔から皮を引き剥がすのって最高だから」
あまりにも物騒すぎる旗艦の発言に天津風は思わず頭を抱えたくなった。
本当にこの駆逐隊はどうなっているのか、と。
だからその時、ふと感じた嫌な風にもすぐには顔を上げなかった。
「…嫌な風ね」
顔を上げたとき、既に黒い雨雲は周囲を覆っていた。そして――――。
「降って来たな」
若葉が言うまでもなく、降り始めた雨。そして強くなる風。
「嵐だ」
「早めに任務を終わらせたい気分です」
菊月に続き、朝潮もそんな弱音を吐く。それでもまだ、駆逐隊は進む。
「…ん? 音…?」
高くなっていく波をすり抜けるように、方向転換を繰り返しながら駆逐隊が進む中で、菊月が何かを捉えた。
「敵?」
「わからない。波の音が酷すぎる」
「警戒する。夕立、止まれ」
若葉が夕立に声をかけ、全艦がその場に留まる。
「……待てよ……波が酷いのに、聞こえる…? 潜水艦のような音じゃない…」
冷静に考え込む菊月。徐々に強くなる風と雨、そして高くなる波。
「潜水艦じゃない?」
「ああ。潜水艦はこんなにうるさくない」
「……ビンゴの可能性アリ、ね」
そして叢雲のその言葉を証明するかのように―――遠くの方で波がひときわ高く上がったかと思った、その時に。
姿を現した。
ドク…と心臓の高鳴る音が響いた。
だがそれは興奮を示す感情の昂ぶりではない。そう、怒りと悲しみ…或いは、トラウマ。
海上に聳え立つ黒き影。
ああ、深海棲艦だと解る生物的な、グロテスクな艤装とシルエット。
だけど、何よりも彼女の目を離さぬものが、彼女の心に全てを呼び起こすそれが、あった。
赤く輝く瞳と、目元に小さな傷跡。
心臓が高速ビートを奏で始め、自らの脳裏にそのどくどくという血流が聞こえる。
だがそれ以上に、その目元の傷跡だけが天津風の全てを捉えていた。
ひと時も忘れた事の無いあの惨劇を。
あの悲しみ、あの怒り、あの悔しさ――――それは激しい憎悪の焔と化して、天津風を支配した。
「見つけた…」
「お姉ちゃんの…仇ッ!!!」
「!?」
最初に気付いたのは朝潮だった。
何の命令も下されないまま、天津風は4連装酸素魚雷を躊躇う事無く放った。
「何やってんの!?」
「見つけた…連装砲くん!」
そして陣形も無視して前へと飛び出し、相棒を横に従えて天津風は砲撃をぶちかました。
戦艦ル級エリートタイプ。
駆逐艦が一人で挑んで、打ち倒せる相手ではない。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
全ての憎悪を向けて、天津風はその自慢の足で走り出す。
既に魚雷を放っている、それに砲撃を回避出来るものならばやってみろ!
「!?」
4本の魚雷を面舵へと動いて回避しきることは出来ず、最後の四本目がル級の後部を掠った。
だが、直撃には至らず、逆に相手を怒らせた。
追撃の砲撃も当たりこそしたが大したダメージにもならない。
「魚雷再装填…!」
「何を考えてるのよこの馬鹿! 奇襲にすらなりはしないわ!」
「攻撃中止! 止まれ!」
叢雲と若葉が叫んでいるが、聞こえない。
「…散開しなきゃまずいっぽい!」
ル級はこちらに気付くと3連装16インチ砲を向け、その強烈な砲撃を放ってきた。
長門型戦艦に匹敵するその砲撃は、脇に着弾しただけでも強烈な水柱を上げた。
「くっ!」
最後尾にいた菊月は慌てて回避したが、その砲撃による轟音は彼女の耳を一時的に潰すのに充分だった。
「水柱で視界が悪い!」
「マズイです、増援を目視で確認! 敵主力艦隊です!」
菊月の悪態の直後、艦隊から少し離れた朝潮の悲鳴があがった。
「艦種、なに!?」
「軽母と重巡、雷巡が2…あとは解りません!」
「とにかく、後退して戦略を練り直そう」
「ええ、そうね。天津風…天津風!」
叢雲が叫ぶまでもなく、天津風は戦艦ル級への距離を詰めていた。
砲撃を繰り返しながらも、足も早いし小回りもこちらが利く。当たらなければ相手の攻撃に意味は無い。
「やってやるやってやるやってやる」
姉の命を奪ったそいつを見据えて、とにかく前へ進む。
怒りで頭がオーバーヒートしそうで、視界にはその敵しか映らない。
接近しての近接戦ならば、こちらだって一抹の望みがある!
「ああああああああああっ!!!」
強烈な体当たりを浴びせるべく、一直線に進む。
だが、敵はこちらに砲撃を浴びせようとしているだけだ、間抜けめ、そんな砲撃にこちらが屈するとでも―――――。
上からの悪魔に、気付かなかった。
鉄の雨が彼女を襲った。
強烈な痛みと熱、艤装が次々と穴だらけになり、火花と爆発を起こした。
「ぎゃああああああああああ!!!!!」
喉から迸る悲鳴。視界を激しく歪め、腹から血が飛び出した。
「があっ!!!!」
速度を殺しきれずに海面に叩きつけられるように横転。
「か、艦載機…?」
上から襲う攻撃の主は、軽空母ヌ級だった。天津風は戦艦しか見ていなかったから、気付けなかったのだ。
嵐の中でも飛び回るそれは確実にこちらを狙い、ル級は姉と同じように天津風を殺す為に近づく。
「全艦、槍を放て!」
叢雲の絶叫とともに、20本の魚雷が一斉に放たれた。
突出しすぎた天津風を援護するべく、軽母ヌ級と戦艦ル級目掛けて放たれたそれは見事に軽母へと突き刺さり、盛大な爆音と焔を上げた。
「今よ!」
叢雲がその吹雪型の足を活かして急接近し、その背後から夕立がロープを投げる。
「捕まって!」
「よし、曳航よ! 若葉、朝潮。主砲と機銃で弾幕!」
夕立・菊月・叢雲が一斉に天津風を引っ張り、若葉と朝潮が機銃まで投入した連続砲撃。それは僅かな間、相手を足止めするには充分で、速度に勝る駆逐隊が離脱するまではもった。
そしてその短い時間は、天津風が我を忘れていた怒りを静めるのに、充分な時間でもあった。
後に襲うのは、後悔。