第0駆逐隊が単冠湾泊地へ戻ってきたのは、その日の夕刻だった。
徐々に強くなる嵐の高波と大雨、強い風の中を抜け、体の芯までずぶ濡れになった六人は倒れこむように岸に辿り着く。
そのまま息を切らし、大の字に倒れる朝潮に、夕立と菊月も地面に手をつき、それを支えに座っているようなもの。
まだ雨風は凄まじいが、足元や体を襲う高波はなくなっただけ、少しはまし。
五分の間、六人はそうしていた後で、ようやく体力を回復して、艤装を外した。
その直後―――――叢雲はその拳で、天津風の右頬に強烈な一撃を見舞った。
倒れかける彼女の胸倉を、もう片方の手で掴み、そのまま倉庫の壁に押し付ける。
「この、大馬鹿! 何を考えてるの!」
天津風が視線を伏せかけるのを、胸倉を掴んだ手を更に上へと押し上げることで無理やり止めさせる。
ぎらぎらと輝く赤い瞳が、天津風を捉えていた。
「どうして、勝手に攻撃した」
「……あたし…あたし……アレが、アイツが…」
「あの、戦艦ル級か?」
雨風に晒されながらも、倉庫にも戻らずにその様子を見ていた仲間達の中で、若葉が口を開く。
「お姉ちゃんの仇だった。あの傷は、忘れてない」
そう。あの目元の傷は間違いなく、姉が最期につけた傷だった。
叢雲の手の力が、少し抜けた。
「それで。怒りに我を忘れたって?」
「………」
無言で、首を縦に振った。
「どうしても、どうしても忘れられなかった。真っ白になるぐらい、全部」
倒すことしか考えていなかった。殺す事しか考えていなかった。
彼女が今、艦娘として立っているのは、その為なのだから。
「アンタって馬鹿ね」
呆れたように、叢雲は呟く。
「どうしようもない馬鹿だわ。一人であんなの、倒せっこないでしょ」
胸倉から手を離し、叢雲は言葉を続ける。
「そう、一人なら無理よ。でも、二人ならば、三人ならば。或いは六人なら」
淡々と、言葉を続ける。
「よく覚えときなさい。あんたは一人で戦ってんじゃない。一つの意志はあっても、一人の意志じゃない」
「………え」
「アンタの意志はアタシたちの意志。アタシたちの意志はアンタの意志」
落ちていた槍を拾い上げ、叢雲は高く掲げる。
「アタシ達は皆、一つよ。だから」
「アンタの願いも、あたし達の願い。アタシ達の願いも、あんたの願い」
「アイツを葬ってやろうじゃない」
差し出された手を、天津風が握る。
力強く引っ張られたその先に――――若葉が、菊月が、夕立が、朝潮が――――そして、叢雲が。
そう、皆同じ意志。一つの意志を掲げてる。
「どこまでも、どんな出来事でも、共に行こう。悪魔と成り果てても、構いやしない」
「アタシ達は第0駆逐隊――――『悪魔艦隊』よ!」
だから彼女達は手を取り合う。
今度こそ復讐を―――その一つの意志を共に果たす為に、共に、戦え。
その全てがどす黒い悪魔に堕ちても。
かつては、この地獄に巣食う悪魔がいた。
それは数多の血を流した。悪魔達に味方も敵もない。悪魔の標的になったならば逃げられない。標的をただ食らうのみ。
そしていつか、地獄は血と死に溢れた。
それでも悪魔達は標的を喰らい続けた。既に腹が破裂しそうな程に喰らっていて、喰らう意志すらなくても喰らい続けた。そうしなければいけなかった。
時は経ち、審判と共に地獄は消えた。
悪魔達もまた、そこで初めて食らうのを止めた。
しばらくして、もう一つの悪魔が姿を現した。
どす黒い悪魔だった。
敵に死をもたらす、悪魔達はただひたすらに牙を剥く。
「よう、帰ってきたな」
「ええ。少し派手にやられたわ」
提督の問いかけに叢雲がそう答えると、提督は煙草の箱を叩いた。
「やれやれ。また資材が飛ぶな。ま、また要求すりゃいいだけの話だ」
さも当たり前のように言い放つ提督。資材は確かに供給されるものではあるが、無限ではない。
「前から思ってたけど。艦娘の数に比べてここは資材が多いわね。資材がやたら多いのは、昔からだけど」
「軍令部の主計の方にコネがあってな。お陰でボーキサイト以外はほぼ無尽蔵だ」
なにせこの提督ときたらドックの前にバケツをピラミッド積みしていたのだから、と叢雲はかつて地獄だった頃を思い出した。
高速修復材を毎日湯水のように使い、同じく毎日数十個単位で空輸されてくる停泊地なんてここぐらいだったものだ。
「で。どうだった?」
叢雲が火をつけた煙草を加え、煙を吐く提督。
「ええ。やっぱり敵はいたわ。それと」
「アタシ達は必ずあの艦隊を潰さなきゃいけなくなった」
天津風の決意は彼女達の決意。そして、それを貫く意志は、六人分となる。
叢雲の言葉に、提督は「そうか」と頷く。
「どこで遭遇した?」
「中ルートの中間地点辺り。でも…向こうも中ルートは使えなくなるでしょうね。軽母を一隻叩いてやったわ」
相手も戦力を整えるため、一時後退はするだろう。
「すると、北ルートになるか」
「ええ。北ルートになるわ」
幌筵と単冠湾を結ぶ最後のルート。
そして今の時期、そのルートはまさしく、第0駆逐隊の庭と化す。
「ようし。すぐに作戦立案だ。お前は入渠したらバケツ使ってすぐ出て来い。それから立案だ。後で、晩飯前に全員を会議室に集めろ」
面白くなってきやがった、と提督は笑う。
その提督は、悪魔か。それとも、咎人か。それは、今の叢雲にも解らない。
「海は全てを見ている。無謀な愚か者も、星のように煌く英雄も、そして闇に潜む悪魔も」
ただ、波の音だけが聞こえる。冷たい暗闇の海に浮かぶ氷山。
冷たさと闇が支配するその場所に、悪魔達は身を委ねる。
「華々しい歴史の1ページには成り下がらない、闇の中に葬られる戦い。それだって、構いやしない」
悪魔は牙を剥く。闇の中で牙を剥く。
「「「「「「氷と夜の冷たい海に、紅の勝利を刻め!」」」」」」
そして悪魔は目覚める――――氷海の夜風となりて。
北方AL海域。ベーリング海峡を挟んで北極海と繋がるこの海は、厳冬の海の一つだ。
無数に浮かぶ流氷と氷山は大型艦の行く手を阻み、小回りの利く艦娘や深海棲艦でもなければ自由に動き回れない。
ところが、そんな艦娘や深海棲艦でも氷山や流氷によって探照灯や電探を遮られ、かといって氷山や流氷を大きく迂回すれば遠回りに加えてお互いに敵の動きが活発化し、被害は避けられない。
おまけにこの海域はどこでも海流が速く、思うように動きづらい。索敵も航行も、困難な海域だ。
そんな最悪の海域だが、深海棲艦の北側の拠点はこの北方AL海域にあり、ここから鎮守府に侵攻するにはこの海域を抜けなければならない。
それは艦娘側もこちらへの侵攻が困難な事を意味する。
だから普通は考える。ここで敵が待ち伏せしてる筈なんてない、と。
「フタサンマルマル、北方AL海域に到着」
氷山の頂点に陣取った叢雲が通信機に告げると、すぐに通信機に提督の返事が帰ってきた。
『了解。こちらも確認。敵第1陣、到着予想時刻まで五〇分』
「聞いたわね。猶予は50分しかない。朝潮。氷山や流氷に隠れるように機雷をバラまいて。まだ、起動はさせない事」
「了解です」
皆で担いできたドラム缶から機雷を幾らか取り出し、あちこちに設置。目立たないように氷山や流氷の陰に隠す。黒い迷彩を塗っておくのは知恵だろうか。
「菊月。そこの流氷の上に伏せて。どんな音も聞き逃さないで」
「任せろ」
最後部についていた菊月が、一番前へと移動。流氷の上に腹ばいになった。
『よし、若葉と夕立は右。叢雲と天津風は真ん中、朝潮は左に回れ』
通信機の向こうの提督は、まるで解っているように指示を出していく。
「提督は遠目でもついてるのかしら」
「上に無人偵察機でも飛ばしてるんでしょ? あの人なら『コネがあるから』とか言ってやりかねないわよ」
天津風の呟きに、叢雲はそう答える。
月明かりもない、暗闇の氷上の海。そこに浮かび上がるのは六人の艦娘たち。
きっと水面を覗き込んでも、自身の顔は映し出されないだろう、と天津風は思った。
「今、どんな顔をしているのかしら?」
「悪魔の顔よ」
天津風の問に、叢雲が答える。その叢雲の顔も、悪魔の顔だ。
顔は漆黒に塗られ、そこに白で描かれた、角の生えた悪魔の頭骨。夜戦に向けたそのフェイスペイントは、いつもの幼い顔をかき消して、恐ろしい悪魔と変えている。
第0駆逐隊はその異名である―――悪魔の艦隊と化していた。
『敵第1陣接近。到着予定時刻まで二〇分』
『準備しろ』
『まだ機雷を起動させるな』
時間ごとに、指示が飛ぶ。遠くの方から、水を切って進む音が聞こえてくる。
「敵の第1陣……水雷戦隊ね。こいつらは素通りさせて」
声のトーンを落としながら、叢雲は呟く。
「全員、氷上に伏せて」
「来るぞ」
もう、暗闇の中でも目視で見えるほどの距離だった。
重巡リ級を先頭に、雷巡、軽巡へ級とト級が一隻ずつ、イ級が二隻続く。
「……イイカ、ヨク警戒スルンダ」
「コンナ所ニ艦娘ガイルモノカ」
「ワカラナイ」
そんな会話が届くほどの距離で、後続の軽巡へ級が探照灯で周囲を照らす。
「機雷はバレないか?」
菊月の問に、朝潮が「大丈夫」と答える。
「バレたら失敗よ。大丈夫、姿勢を低く」
叢雲が小声で囁く。近くを光が舐めたが、幸いにも見えなかったようだ。
『敵第1陣、離れて行く……第2陣が近づいてくる』
「菊月より司令。ああ、第2陣の音が聞こえるよ……こいつらだけでも相当だな。空母と戦艦が一隻はいる。けど、アイツの音じゃない」
「!」
アイツ、という単語に天津風は反応しかけて、叢雲が留めた。
「アンタの狙いはいないらしいわね。第3陣以降かしら」
『恐らく敵の前衛艦隊だろう。無人偵察機の映像で確認してみる』
「早くしてくれ。奇襲は敵の機動部隊が来た時だろう?」
『確認した。空母ヲ級、戦艦タ級が一隻ずつ、残りは軽巡と駆逐だ。コイツらも素通りさせろ』
提督はやはり無人偵察機を飛ばしていたようだ。しかし、深海棲艦の艦載機が支配する世界の空のどこにあんなものを飛ばしているのだろうか?
特に上空での音は聞こえないようだし、機影も見えない。
「提督は空高くに目を置いてるっぽい」
天津風のそんな疑問に、夕立が答える。口調こそいつもの夕立だが、目は赤く染まっている。戦闘モードだ。
「敵第2陣接近……待機、待機だ」
菊月の言葉と共に、顔を出そうとしていた若葉が顔を引っ込める。
口をパクパクさせて何か言っている。
「戦艦がいる、そうね」
『まだ機雷は起動させるな』
そして、続いての敵の前衛艦隊が通過する。
流氷や氷山の多いこの海域を通過するには速度が下がる。特に戦艦や空母ともなれば、下手にぶつかれば氷山や流氷を破壊してしまう事で、別の艦にも被害を出してしまう。
そのあたりは深海棲艦も慎重になっているようだろう。
だがしかし、ここで一つの誤りが起こってしまう。
「ン……?」
輪形陣で進んでいた敵の前衛艦隊だが、真ん中にいた空母ヲ級が、漆黒の迷彩に塗られていた機雷に気付いてしまった。
「ドウシタ?」
戦艦タ級が急に足を止めた空母ヲ急に問いかけ、ヲ級は機雷に手を伸ばしつつ、答える。
「ナニカ、アル」
「ナンダナンダ」
「ナニヲ見ツケタ?」
これが昼間だったらばすぐに機雷と気付いただろうが、月明かり一つない夜の海に、漆黒の迷彩で塗られた機雷の正体がなんなのか知るのには、情報が足りなすぎた。
すぐ近くで足を止めてしまった第2陣。これではいけない。
天津風は視線を叢雲に向けると、叢雲は遠くの方にいる若葉・夕立組と、菊月、朝潮組を見比べる。
「このまま放置するのはマズイ。第3陣はそんなに遠くにはいない」
菊月の言葉に、叢雲は頷く。
「朝潮」
「機雷を」
その時になって、ようやく探照灯を点けた軽巡ト級がその正体に気付いた。
「機雷ダ!」
直後――――――機雷は爆発を起こし、間近で見ていた空母ヲ級と、戦艦タ級を襲った。
「全艦、砲雷撃戦、開始!」
叢雲の絶叫と共に、三方向から六人の艦娘の砲撃が火を吹いた。
一斉砲撃が止まった時、そこは文字通り無惨な艦隊が焔に照らされて浮かび上がった。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「苦シイ……苦シイ……!!」
飛行甲板を吹き飛ばされ、頭部の艤装ごと炎上し、ただの肉の蝋燭と化した空母ヲ級。
両腕を失い、顔と砲台の多くを火傷で埋め尽くされ、血をぼたぼたとたらし、呻く戦艦タ級。
だが、そこに同情の余地などない。
辛うじて致命傷を免れたものの、集まっているところに至近距離での機雷の爆発は他の敵艦にも戦果を挙げていた。
軽巡ト級は吹き飛んだタ級の腕が艤装に突き刺さり、完全に機関を停止して回避運動が出来ずにいた。
別の駆逐は頭を半分吹き飛ばされ、方向も解らぬまま海をフラフラと進み、やがて氷山に激突して沈んで行く。
そして健全な二隻はどこからやってきた艦娘がわからぬまま、あさっての方向に魚雷と砲撃を浴びせていた。
その機を逃す、艦娘たちではなかった。
「後ろよ、愚か者め!」
あさっての方向に砲撃を続けていた軽巡へ級の背後から、叢雲の槍が貫いた。
ずぶり、という音と共に悲鳴が響き渡り、へ級は口から血を吐き出す―――が、そんなヘ級の側頭部目掛けて、小さな体当たりが飛んだ。
「さすがね、連装砲くん!」
天津風の相棒は今日もアグレッシブなようだ。
海へと倒れこんだヘ級の元へ、両方の拳を硬く握った若葉が駆け寄り―――全体重を込めた下段突きがへ級の頭部に強烈なダメージを与えた。
「ガッ……!」
「うおおおおおおおおお!!!!」
無理やり顎をこじ開け、その中に砲門を突っ込んだ天津風は絶叫と共に引き金を引いた。
海上に血が飛び散った。
そして最後の駆逐の運命も―――――夕立によって身体を上下に引きちぎられ、海の藻屑と消えた。
だが、戦いはまだ終わってない。
「敵第3陣はもう気付いてるぞ…ああ、お客さんだ!」
戦闘から再び警戒に戻った菊月が言うより先に、頭上に深海棲艦製の艦載機が次々と飛んできた。
「皆、流氷と氷山の中に散りなさい! 夜の中じゃ、敵の目だって利かない!」
叢雲はそう叫ぶなり、近くの氷山の陰に隠れ、他の艦娘達もそれに習う。
空母の艦載機は強力だが、夜の戦いには向かないし夜では自慢の索敵も役に立たない。
敵の艦載機たちが諦めて空母へと引き返して行く、だが、安心するにはまだ早い。
「ん…?」
『提督より第0駆逐隊。最高に悪いニュースがある』
『敵の第4陣の主力艦隊が第3陣に追いついた。ついでに第1陣も音に気付いて引き返してきてる』
「待ってくれ、第1陣も六隻…って、15隻以上はいる! 多すぎるぞ!?」
「やるしかないわよ、菊月。ここまで来たら逃げられないのよ」
菊月の悪態に叢雲は鼓舞するように言い放ち、全員を振り向く。
「腹括りなさい! ここからが戦場の本番よ!」