顔を両手で覆い、目をしっかり閉じていたハジメは、ざわざわとする多くの気配を感じ取り、ゆっくりと目を開けた。そして、周りを呆然と見回した。まず見えたのは、微風に揺れる野草や花だ。蝶が舞い、小さな虫が飛び交っている。その奥には雄大な山々が見えた。
ハジメはゆっくり立ち上がった。
「ここは……どこ?」
「お、やっと目が覚めた!」
後ろから突然声をかけられ、ビクッとして振り返るハジメ。そこには紺色のローブを着た少女が立っていた。
「あ、あの……君は……」
少女はゆっくりと頭を下げた。
「初めましてだね、ハジメ!」
「え!?あ、いや、その……名前……」
慌てふためくハジメに、少女は告げた。
「ボクの事は……〝ユウ〟って呼んでね!」
「え?ユウ……さん?」
「そうだよ!ハジメの事は……なーんでも知っているからね!」
「僕の事知ってるって……」
するとユウは、自分の唇に指を立てて言った。
「しーっ!詳しい話は後にしよう!とりあえず……ここから出るよ!」
「え!?ここから!?」
ハジメは周りを見渡す。美しい草原がどこまでも広がっている。ここがどこなのか分からないが、見覚えのない場所だという事は分かった。
「ユウさんは……どこから来たの?」
少女はハジメの手を掴みながら言った。
「ボク?ボクは……ずっとここにいたよ!」
「……へ?」
そんな会話をしていると、突然地面が揺れ始めた。
「うわっ!?じ、地震!?」
慌てるハジメに、ユウは言う。
「大丈夫!ここは夢の中だから!」
「夢の中!?」
混乱するハジメに構わず、ユウは続けた。
「今は詳しく話している時間は無いから、とりあえずここから出るね!」
その瞬間、地面が激しく揺れ出した。するとハジメの真下の地面が裂けていく。ハジメは裂け目の中に落ちていくのだった。
「うわああああっ!」
「さあ!起きて!ハジメ!」
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目覚めたハジメは勢いよく立ち上がった。
「はぁ……はぁ……」
ハジメは周囲を見渡し、目の前に広がる壁画の巨大さに圧倒された。縦横十メートルの壁画には、中性的で美しい顔立ちの人物が、長い金髪を風になびかせ微笑んでいた。光背を背負ったその人物は両手を広げ、草原、湖、山々を抱擁するかのように描かれていたが、ハジメは何故か心に冷たさを感じ視線を逸らした。再び周囲を見渡すと、彼らがいるのは巨大な広間だとわかった。滑らかな白い石造りの建築物は、美しい彫刻が施された巨大な柱に支えられ、天井はドーム状だった。大聖堂を思わせる荘厳な雰囲気の広間で、ハジメたちは台座に立っていた。周囲より高い位置にあり、周りには同じように呆然とするクラスメイトたちがいた。どうやら、教室にいた生徒は全員、この状況に巻き込まれたようだ。ハジメは背後を振り返り、へたり込む香織の姿を見て胸を撫で下ろした。そして、台座の周囲を取り囲む者達への観察に移った。広間にはハジメ達だけではなく、少なくとも三十人近い人々が台座の前にいた。彼らは祈りを捧げるように跪き、両手を胸の前で組んでいた。彼等は白地に金の刺繍がなされた法衣を纏い、錫杖を傍らに置いていた。その錫杖は先端が扇状に広がり、円盤が数枚吊り下げられていた。
その内の一人、豪奢な法衣を纏い、烏帽子のような物を被った七十代の老人が進み出てきた。老人は顔に覇気が満ち、背筋もシャキッとしていた。
老人は錫杖を鳴らしながら、落ち着いた声でハジメたちに話しかけた。
「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致します。私は聖教教会の教皇、イシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞおおお⁉」
イシュタルはハジメを見て、驚愕と動揺を見せた。
「な、何故、貴様がここにいるのだ!?」
周りの法衣の人達も騒ぎ立て始めた。
「そうだ!何故だ!貴様がここにいるんだ!」
「教皇様!これはどういう事ですか!」
「何故ここに〝聖刃〟が!」
「静まりなさい!」
イシュタルの一言で広間は静寂に包まれた。彼は深呼吸して、ハジメたちに話し始めた。
「失礼しました。あなた方は混乱しているでしょうから、ご説明させて頂きますぞ」
そう言って、イシュタルは微笑を見せた。
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ハジメたちは別の場所に移動し、10メートル以上のテーブルが並ぶ広大なホールに案内された。その部屋は豪華で、家具や装飾画、壁紙が職人の熟練した技術で作られていることがすぐに分かった。ここはおそらく晩餐会が開かれる場所だろう。上座に近いところには畑山愛子先生と光輝たちの4人組が座っており、他の人々も順に周囲に座っていた。ハジメは一番後ろの席に座っていた。ここに案内されるまで、誰もあまり騒がなかったのは、現実を受け入れられないからかもしれない。イシュタルが状況を説明すると言ったり、カリスマレベルMAXの光輝が皆を落ち着かせたりしたからだ。愛子先生は教師らしく生徒たちをまとめ上げ、感涙していた。全員が着席すると、絶妙なタイミングでカートを押しながらメイドさん達が入ってきた。そう、生メイドである! 地球産の某聖地にいるようなエセメイドや外国にいるデップリしたおばさんメイドではない。正真正銘、男子の夢を具現化したような美女・美少女メイドである!こんな状況でも思春期男子の飽くなき探究心と欲望は健在でクラス男子の大半がメイドさん達を凝視している。もっとも、それを見た女子達の視線は、氷河期もかくやという冷たさを宿していたのだが……ハジメも傍に来て飲み物を給仕してくれたメイドさんを思わず凝視……しそうになってなぜか背筋に悪寒を感じ咄嗟に視線を固定した。チラリと悪寒を感じる方へ視線を向けると、なぜか満面の笑みを浮かべた香織がジッとハジメを見ていた。ハジメは見なかったことにした。全員に飲み物が行き渡るのを確認するとイシュタルが話し始めた。
「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まず私の話を最後までお聞き下され」
そう言って始めたイシュタルの話は実にファンタジーで、テンプレで、どうしようもないくらい勝手なものだった。
要約するとこうだ。
この世界はトータスと呼ばれている。そして、この世界には大きく分けて3つの種族がある。人間族、魔人族、亜人族である。人間族は北一帯、魔人族は南一帯を支配しており、亜人族は東の巨大な樹海の中でひっそりと生きているらしい。
この内、人間族と魔人族が何百年も戦争を続けている。
魔人族は、数は人間に及ばないものの個人の持つ力が大きいらしく、その力の差に人間族は数で対抗していたそうだ。戦力は拮抗し、大規模な戦争はここ数十年起きていないらしいが、最近、異常事態が多発しているという。
それが、魔人族による魔物の使役である。
魔物とは、通常の野生動物が魔力を取り入れ変質した異形のことだ、と言われている。この世界の人々にも正確な魔物の生体は分かっていないらしい。それぞれ強力な種族固有の魔法が使えるらしく強力で凶悪な害獣とのことだ。
今まで本能のままに活動する彼等を使役できる者はほとんど居なかった。使役できてもその扱いは難しく、一体を使役するのに百人近い犠牲を払わねばならなかったそうだ。それが、魔人族というたった一体の変異した個体により可能になったのだ。これの意味するところは、人間族側の〝数〟というアドバンテージが崩れたということ。つまり、人間族は滅びの危機を迎えているのだ。
「あなた方を召喚したのは〝エヒト様〟です。我々人間族が崇める守護神、聖教教会の唯一神にして、この世界を創られた至上の神。おそらく、エヒト様は悟られたのでしょう。このままでは人間族は滅ぶと。それを回避するためにあなた方を喚ばれた。あなた方の世界はこの世界より上位にあり、例外なく強力な力を持っています。召喚が実行される少し前に、エヒト様から神託があったのですよ。あなた方という〝救い〟を送ると。あなた方には是非その力を発揮し、〝エヒト様〟の御意志の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」
イシュタルはどこか恍惚とした表情を浮かべている。おそらく神託を聞いたときのことでも思い出しているのだろう。だが、イシュタルとは対照的にハジメの表情は暗く沈んでいた。無理もないだろう。いくら他人ごとのように聞こえたとしても、イシュタルの話は暗にこの世界のために戦ってくれと言っているのだ。
「ふざけないで下さい!結局、この子達に戦争させようってことでしょ!そんなの許しません!ええ、先生は絶対に許しませんよ!私達を早く帰して下さい!きっと、ご家族も心配しているはずです!あなた達のしていることはただの誘拐ですよ!」
ぷりぷりと怒る愛子先生。彼女は今年二十五歳になる社会科の教師で非常に人気があるのだが、今は少々パニックになっているようだ。
「お気持ちはお察しします。しかし……あなた方の帰還は現状では不可能です」
場に静寂が満ちた。重く冷たい空気が全身に押しかかっているようだ。誰もが何を言われたのか分からないという表情でイシュタルを見やる。
「ふ、不可能って……どういうことですか!?喚べたのなら帰せるでしょう!?」
愛子先生が叫ぶ。
「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々が異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」
「そ、そんな……」
愛子先生が脱力したようにストンと椅子に腰を落とす。
光輝が立ち上がりテーブルをバンッと叩いた。その音にビクッとなり注目する生徒達。光輝はおもむろに口を開いた。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん?どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」
「俺達には大きな力があるんですよね?ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」
「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」
「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が帰れるように。俺が世界と皆を救ってみせる!」
ギュッと握り拳を作りそう宣言する光輝。無駄に歯がキラリと光る。
同時に、彼のカリスマは遺憾なく効果を発揮した。絶望の表情だった生徒達が活気と冷静さを取り戻し始めたのだ。光輝を見る目はキラキラと輝いており、まさに希望を見つけたという表情だ。女子生徒の半数以上は熱っぽい視線を送っている。
「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」
「龍太郎……」
「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど……私もやるわ」
「雫……」
「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」
「香織……」
いつものメンバーが光輝に賛同する。後は当然の流れというようにクラスメイト達が賛同していく。愛子先生はオロオロと「ダメですよ~」と涙目で訴えているが光輝の作った流れの前では無力だった。結局、全員で参加することになってしまった。おそらく、クラスメイト達は本当の意味で戦争をするということがどういうことか理解してはいまい。崩れそうな精神を守るための一種の現実逃避とも言えるかもしれない。
ハジメはそっと席を立ちイシュタルに話しかけた。
「すいません」
「おや?どうされましたかな?」
広間にいた時とは打って変わって、物腰が丁寧な言葉だ。イシュタルの言葉には、ハジメのような弱者にも敬意を払っているという事実が含まれている。だからこそハジメは、疑問を投げかける相手として選んだ。
「あの……“聖刃“って何ですか?」
そう、確かにイシュタルはハジメを“聖刃”と呼んだ。しかもイシュタルだけじゃない。あの場にいた法衣の人達もハジメのことを“聖刃”と呼んでいた。ハジメはなぜか知りたかった。何故自分が“聖刃“と呼ばれるのか。イシュタルはハジメの聞きたいことを察し、微笑を浮かべた。
「いえ、実は他人の空似でしてな。昔、あなたのような少女に助けて貰ったことがあるのですよ。その少女は、あなたとよく似ていましてな。つい見間違えてしまったのです」
イシュタルは懐かしむようにそう言った。しかし、ハジメにはどこか嘘臭く聞こえた。それだけじゃない。ハジメは気づいていた。イシュタルが状況を説明している間、光輝がどの言葉や話に反応するかをさりげなく観察し、確認していた。正義感が強い光輝は、人間族の悲劇について聞かされたときの反応が非常に明白だった。その後、イシュタルは魔人族の冷酷さや残酷さを特に強調して話していた。イシュタルはおそらくこの集団の中で最も影響力のある人物が誰かを見抜いていたのだろう。世界的宗教のトップであればそれは当然のことだが、ハジメはイシュタルを警戒すべき人物として心に留めた。