ありふれた願いで世界最強   作:崇大

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Trap

現在、ハジメたちはオルクス大迷宮の正面入口がある広場に集まっていた。

 

 ハジメは暗くて不気味な入口を想像していたものの、目の前に現れたのはまるで博物館の入場ゲートのように整備された立派な入口だった。さらに受付窓口まであり、制服を着た女性スタッフが笑顔で迷宮の出入りをチェックしている光景が広がっていた。

 

 どうやら、ここでステータスプレートを確認して出入り記録を取ることで、迷宮内での死亡者数を正確に把握しているらしい。これも戦争を控え、無駄な犠牲者を出さないための対策だという。

 

 入口付近の広場には、所狭しと露店が立ち並び、それぞれの店主たちが客を引き込むために熱心に競り合っていた。その賑わいはさながら祭りのようだった。

 

 浅い階層に関しては、稼ぎの良い狩り場として多くの人を引きつけているようで、人々が自然と集まるだけでなく、中には無謀な挑戦をして命を落とす者も後を絶たないという。また、迷宮を犯罪の温床として利用する者たちもいるらしく、それを防ぐためにも冒険者ギルドと協力して王国がこの施設を設立したらしい。なお、入場ゲート脇にある窓口では素材の買い取りも行なっており、これが迷宮探索者たちにとても便利だと評判のようだ。

 

 そんな中、ハジメたちは少し興奮気味に辺りを見回しながら、メルド団長の後ろをカルガモのヒナのようにゾロゾロとついていった。

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 迷宮の中は、外の喧騒が嘘のように静寂に包まれていた。

 

 縦横およそ五メートルもある広々とした通路は、光源がないにもかかわらずぼんやりと輝き、松明や魔法の灯りがなくとも周囲をある程度認識できる状態だった。それは、緑光石と呼ばれる特殊な鉱物が迷宮の至る所に埋め込まれているためで、この【オルクス大迷宮】自体、その緑光石の巨大な鉱脈を掘り抜いて造られたものだと言われている。

 

 一行は慎重に隊列を組みながら迷宮の中を進んでいった。特に何も起きないまま歩みを進めていくと、やがて広間にたどり着いた。そこはドーム型の空間で、天井の高さが七、八メートルほどもありそうな壮大な場所だった。

 

 そんな中、一行が物珍しげに周囲を観察していると、突然、壁にある隙間という隙間から灰色の毛玉のようなものが次々と湧き出してきた。

 

「よし、光輝たちは前に出ろ。他の者は一旦下がれ! 順番に交代で前に出すから、準備を怠るな。あれはラットマンという魔物だ。動きは速いが、大した敵ではない。落ち着いて対応しろ!」

 

 その名の通り、ラットマンと呼ばれる魔物が驚くべき速さで飛びかかってきた。

 

 灰色の体毛に覆われた体には、不気味に輝く赤黒い目。しかし、その外見は確かにネズミに似ているものの、二足で立ち上がる体は鍛え抜かれており、上半身は筋骨隆々だ。8つに割れた腹筋と膨張した胸筋部分だけ妙に毛がなく、まるで見せびらかすことを意図しているかのようだ。

 

 正面に構えるのは光輝たち――特に前衛の役割を担う雫の表情には明らかな引きつりが見られる。どうやら、その外観に対する嫌悪感は隠しきれないようだ。

 

 間合いに入ったラットマンを迎え撃つ光輝、雫、そして龍太郎。彼らが応戦している間に、香織と特に親しい友人であるメガネが特徴の中村恵里と活発な性格の谷口鈴が詠唱を始めた。魔法発動の準備に取り掛かるという、訓練通りに行われる堅実な布陣だ。

 

 光輝は純白の輝きを放つバスタードソードを圧倒的な速度で振り回し、複数の敵を一瞬で葬っていく。その剣はハイリヒ王国によって管理されているアーティファクトの1つであり、お約束通り「聖剣」という名を冠する。光属性が付与されており、周囲の敵を弱体化させる一方で、自身の身体能力を自動的に強化するという“聖なる”特徴を持ちながらも、どこか過剰なまでの性能を誇っている。

 

 龍太郎は空手部出身ならではの職業「拳士」にふさわしい姿で、専用の籠手と脛当てを装着している。これもまたアーティファクトであり、衝撃波を放つ機能と壊れない特性を兼ね備えている。龍太郎は堂々と構え、力強い拳と足技を駆使して敵を次々と打ち倒し、後方への侵入を許さない。その立ち回りは武器こそ持たないものの、まるで鉄壁の盾役さながらだ。

 

 一方で雫は、侍の風格漂う「剣士」という職業らしく刀とシャムシールの中間型とも言える独自の剣を駆使。抜刀術の容量で素早く斬撃を繰り出し、一瞬で敵を仕留めていく。その洗練された動きは見事で、騎士団員ですら感嘆するほどだ。

 

 そんな中、光輝たちの戦いぶりに目を奪われていたハジメたちだったが、突如として詠唱が空気を震わせた。

 

「「「暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん、灰となりて大地へ帰れ――〝螺炎〟」」」

 

 三人が同時に放った螺旋状の渦巻く炎は、ラットマンたちを激しい勢いで吸い込み、その身を焼き尽くしていった。「キィイイッ」という断末魔の悲鳴を響かせながら、彼らは灰となって舞い散り、跡形もなく消え去った。

 

 気がつけば、広間にいたラットマンはすべて壊滅していた。他の生徒たちの出番は一度も回ってこないまま戦闘は終了したようだ。どうやら光輝たち召喚組の戦力にとって、この第一階層の敵はあまりにも非力だったらしい。

 

「ああ~、うん、よくやったぞ!次はお前たちにも活躍の場があるから、気を抜くなよ!」

 

 生徒たちの優秀さに思わず苦笑しつつも、気を引き締めるよう注意を促すメルド団長。しかし、初めての迷宮で行う魔物討伐に心が躍るのは抑えきれないようで、テンションの上がった生徒たちを見て肩をすくめながら「仕方ないな」と呟く。

 

 さらにこう続ける。

 

 「それとだな……今回は訓練だからいいとしても、魔石の回収も忘れるなよ。無駄に力を使いすぎだ、オーバーキル気味だぞ?」

 

 その言葉に魔法支援を担当していた香織たちは、自分たちの過剰な行動を自覚し、少し恥じるように頬を赤らめる。

 

 その後は特に問題も発生することなく、生徒たちは交代で戦闘を重ね、順調に迷宮の階層を下へと進んでいく。そしてついに、「一流の冒険者とそれ以外」を分ける指標ともされる二十階層に到達した。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――    

 現在の迷宮での最高到達記録は六十五階層だとされているが、それは百年以上前の冒険者たちが成し遂げたものである。現代では四十階層を突破できれば“超一流”とされ、二十階層でも十分“一流”と認められるレベルだ。戦闘経験こそ少ないものの、ハジメたちは全員が特殊な能力(いわゆる“チート”)を持っていたため、思ったよりもスムーズに降りてくることができた。

 

 ただし、迷宮で最も恐ろしいのは魔物ではなくトラップである。中には致命的なものも多く、油断は禁物だ。このトラップへの対処のために用いられるのが〝フェアスコープ〟という道具。魔力の流れを感知し、トラップを発見する能力を持つ優れ物だ。迷宮内のトラップの大半が魔法を利用したものであるため、このアイテムだけでも八割以上は感知可能であるが、その索敵範囲はかなり狭いため、効率的に進むには使用者の経験と判断力が必要不可欠となる。

 

 従って、ハジメたちが迅速に階層を下げられたのは、ひとえに騎士団員たちの的確な誘導があってこそだと言える。また、メルド団長からは、トラップの確認が済んでいないエリアには決して勝手に足を踏み入れないよう、強く念を押されていた。

 

 さて、メルド団長は改めて一行に注意を促す。

 

「いいか、お前たち。ここから先は一種類の魔物だけじゃなく、複数の魔物が入り混じり、連携を組んで襲ってくることもある。それに気を抜いてかかるなよ! 今までがうまく行っていたからと言って油断するんじゃない。この二十階層で今日は訓練終了するつもりだ! 気合を入れていけ!」

 

 メルド団長の力強い言葉に、生徒たちは揃って力強く「はい!」と応じた。

 

 初めての実戦ながら、これ以上ないほど順調な進撃を見せる状況。クラスメイトたちの間には、まるでピクニックの延長のような明るく楽観的な雰囲気が漂っていた。しかし、ハジメだけは違った。昨夜、香織と交わした約束や雫から託された想い、さらには光輝の言葉。それらすべてが深く胸に刻み込まれ、彼の心を引き締めると同時に、その思考と感覚をさらに研ぎ澄ませていた。

 

 ここまででのハジメの役割は、錬成魔法で自らを強化し、周囲の気配を敏感に察知して、不意打ちや死角からの危険をいち早く仲間に知らせていた。真っ向から敵とぶつかる戦闘の中心は、常に光輝や龍太郎といった前衛組や、香織や恵里たちの後方支援部隊が担っていた。それでも、ハジメが徹底して周囲を警戒するという行動は、この先に起こる惨劇への重要な伏線となり、誰よりも早く異変を察知するきっかけとなる。

 

 また、その一連の実戦で何度も錬成魔法を使い続けた結果、彼の魔力は確実に成長を遂げており、一定の成果を上げていたことも事実だ。実際、魔力量の増加に伴いレベルも2つほど上昇しており、今回の実戦訓練は決して無駄でなかったと言えるだろう。

 

 騎士団員が弱った魔物をハジメの方向へ弾き飛ばす。ハジメは素早く駆け寄り、地面に手をついて錬成を発動。魔物の動きを完全に封じ込めると、その腹部を正確に狙い、剣を突き出して一撃で串刺しにした。

 

 (うん、錬成の精度が少しずつ向上してきてるし……コツコツ続けて頑張ろう……)

 

 魔力回復薬を口に含みつつ、額の汗を軽く拭うハジメ。その様子を、騎士団員たちは感心したように見守っていたが、ハジメ本人はその視線に全く気づいていない。

 

 実のところ、騎士団員たちはハジメには元々何の期待も抱いていなかった。ただ戦況に余裕があったため、特にすることもなく所在なげに立ち尽くしていたハジメに絡む形で、弱らせた魔物を差し向けてみたというのが本音だ。

 

 彼らの予想では、ハジメが手慣れてもいない剣を取って、不器用に戦おうとするだろうと考えていた。だが、実際には踊らされる彼らの想像を裏切り、ハジメは独自の戦法で魔物を確実に仕留めていった。錬成を用いて自身の強化や敵の動きを封じ、その後きっちりと止めを刺す――その効率的かつ合理的な方法に驚きを隠せない騎士団員たち。そもそも錬成師は鍛冶屋の職能と同一視される存在であり、実戦で錬成を活用する者など考えられなかったからだ。

 

 しかしハジメ自身は、自分には何も秀でたものがないと思い込んでおり、自分のわずかな取り柄がこの錬成技術と八重樫流剣術でしかないと理解していた。だからこそ、「鉱物や地面を操れるなら自分の肉体も操れるはず」と考え、この戦法を磨くに至った。それでも、周囲の人々が華々しく強さを見せる姿と比べ、一匹相手に精いっぱいの自分はやはり無能だ、と卑下する気持ちは抜けなかった。

 

 ちなみに、これは彼自身による初披露の戦法でもある。王都郊外で行われた実戦訓練の数々で散々みっともない姿を晒した末に生み出したものだった。

 

 小休止に入るタイミングで、ふと前方を見ると香織と目が合う。彼女は柔らかな微笑みを浮かべながらハジメを見つめていた。

 

 昨夜交わした「傍にいる」という言葉を、そのまま行動で示しているような香織の視線。それに気づいたハジメは、なんとなく気恥ずかしさを覚えて思わず目を逸らす。それを見た香織は少しだけ拗ねたような顔つきになり、その表情を横目で捉えた雫がくすりと笑みを浮かべ、小声でハジメに語りかけた。

 

「ハジメ君、お疲れ様。さっきの動き、ちゃんとお父さんの教えを自分の形にしているわね。なかなか見どころがあるわよ」

 

 雫の軽口ともとれる冗談交じりの中に、それでも確かな信頼が感じられる言葉を受けて、ハジメはますます顔を赤くしてしまった。

 

「……雫ちゃんまでからかわないでくれよ。僕なんて、みんなに助けられながら一体倒すのがやっとなんだから」

 

「ふふっ、そうかしら? 自分の限界を理解して、持ってる力を最大限に活かす。それも立派な「強さ」よ。胸を張りなさい」

 

 そう言いながら雫はハジメの肩を軽く叩くと、自分のポジションである前衛に戻っていった。そんな彼女を遠目に鋭い視線で見つめる者がいることに、ハジメはまだ気づいていなかった。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 一行は広大な二十階層を慎重に探索していた。

 

 迷宮のそれぞれの階層は数キロ四方に広がり、未知の領域では完全な地図を作り上げるまでに大人数が必要となり、通常であれば半月から一ヶ月ほどかかると言われている。

 

 幸い、現在では四十七階層までは正確にマッピングされており、道に迷うこともなくトラップを回避する目処が立っていたため、比較的安全に進むことができた。

 

 二十階層の最深部に到達すると、そこはまるで鍾乳洞を思わせるような光景が広がっていた。ツララ状に突き出た壁や、溶けたような形状が視界を複雑にし、一見して難所だと分かる場所だ。この先には二十一階層への階段があると聞いており、そこが今日の実戦訓練の終着点とされている。

 

 ただし現代には、神話の時代の転移魔法のような便利な術式は存在しない。そのため、訓練が終われば再び地道に出口を目指す必要がある。一行の空気には少し緊張の糸が緩んだ様子も見受けられたが、壁が凸凹しているため横一列には並べず、縦列を組んで前進を続けていた。

 

 そんな中、先頭を進んでいた光輝とメルド団長が突然足を止めた。後方にいるクラスメイトたちが首を傾げる中、彼らはすぐさま戦闘態勢へ移行する。その緊迫した様子から、一行全員が警戒を高める。どうやら、この先には魔物が待ち構えているらしい。

 

「擬態している! 周囲をしっかり注意しておけ!」

 

 メルド団長の警告が響き渡る。

 

 直後、前方で飛び出していた壁が突然色を変えながら動き始めた。壁と一体化していたその体は褐色へと姿を変え、二本の足で立ち上がる。そして胸を叩きながら威圧的なドラミングを繰り返した。まるでカメレオンのような擬態能力を持ったゴリラ型の魔物のようだ。

 

「ロックマウントだ! あの二本の腕に気をつけろ! とてつもない力を持っているぞ!」

 

 メルド団長の声が響き渡り、光輝たちが相手を務める様子となった。突進してきたロックマウントの強力な腕を龍太郎が拳で押し返す。光輝と雫は挟み込むように動くが、鍾乳洞のような不安定な地形の影響で思うように包囲することができない。

 

 龍太郎の防壁を突破できないと悟ったのか、ロックマウントは後退し、大きく身を反らせながら深い息を吸い込んだ。

 

 その直後――。

 

 グゥガガガァァァァアアアア――――!

 

 部屋中を揺るがすような激しい咆哮が響き渡った。

 

「ぐっ!? 」

「うわっ!? 」

「きゃあ!? 」

 

 体中にビリビリとした衝撃が駆け巡る。直接的なダメージはないものの、動きが止まってしまった。ロックマウントの固有魔法“威圧の咆哮”である。魔力を伴った咆哮により、相手を一時的に麻痺状態にする恐るべき技だ。

 

 この魔法をまともに受けてしまった光輝たち前衛組は、ほんの一瞬ながら硬直状態に陥った。

 

 その隙を突いてロックマウントが突進してくるかと思いきや、側面へ巧みにサイドステップ。その後、そばに転がっていた巨大な岩を拾い上げると、それを後衛組の香織たちへと力強く投げつけた。そのフォームはまるで砲丸投げの名手そのものだ。岩は前衛組の頭上を軽々と越え、まっすぐ香織たちに迫る。

 

 避ける余地がほとんどない状況の中、香織たちは準備していた魔法で迎撃するしかなかった。魔法陣が描かれた杖を構え、発動の準備に取りかかる。

 

 だが、その一瞬――想像を超えた出来事が眼前で起こった。

 

 なんと、岩だと思われたそれ自体がロックマウントだったのだ。宙を舞いながら鮮やかに1回転すると、両腕を大きく広げて香織たちへ迫ってくる。その構図はまさにル○ンダイブそのもの。「か・お・り・ちゃ~ん!」と叫ぶ声が空耳に聞こえそうなほどだ。そして何より、その血走った目と荒い鼻息が異様な迫力を放っている。

 

 突然の光景に、香織、恵里、鈴の三人は「ひぃっ!」と悲鳴をあげ、思わず準備していた魔法の発動を中断してしまった。

 

 ――やらせはしない!

 

 その叫びが響き渡る中、1つの影が弾かれるように飛び出す。ハジメだった。

 

 麻痺の咆哮を浴びながらも、ハジメは体内に巡らせた魔力を強引に活性化し、錬成で施された「固定」を解除して無理やり身体を動かした。それは神経に刃を当てられるような激痛を伴う行為だったが、今の彼にとって最優先すべきは、香織との約束を守ること以外にはなかった。

 

 空中から襲いかかろうとしているロックマウントの下へ滑り込むと、ハジメは両手に全ての魔力を込めて地面を叩きつける。

 

『錬成ッ!』

 

 鈍い轟音とともに地面が震え、いくつもの鋭利な石の槍が剣山さながらに勢いよく同じ方向へ突き出る。空中で身動きが取れず無防備になったロックマウント。その腹部を狙いすました石槍が一斉に突き刺さった。

 

 ガ、アッ……!?

 

 魔物の突進力そのものが、自傷攻撃へと姿を変える。石槍に串刺しとなったロックマウントが、香織たちの目の前で低く苦悶の叫び声を上げながらもがき続けている。

 

「今だ! 光輝君!」

 

 ハジメの鋭い声が響き渡り、その声に反応した光輝が、ようやく呪縛から解き放たれたかのように動き出す。

 

「おおおおっ! 光刃!」

 

 純白の聖剣から放たれるまばゆい斬撃が、石槍で拘束されたロックマウントを一瞬で真っ2つに切り裂いた。巨大な魔物の身体は光り輝く粒子となって空中で消えていき、その場にはぽつりと大きな魔石だけが転がっていた。

 

 静寂が辺りを包む。

 

 ハジメは肩で息を整えながら膝をつく。使い果たした魔力と錬成強化を解いた反動から、全身に酷い倦怠感が押し寄せていた。

 

「南雲くん……!」

「ハジメ君!」

 

 香織と雫が駆け寄ってくる。涙を浮かべ心配そうに見つめる香織と、驚きと称賛が入り混じった複雑な表情を浮かべる雫。

 

「……あ、あはは。約束、守ったよ、白崎さん」

 

 弱々しく笑みを見せるハジメ。しかし、その表情にはどこか吹っ切れたような爽やかさがあった。

 

 だが、この光景を苦い表情で見据えている一団がいる。檜山大介とその取り巻きたちだ。

 

「……なんだよ、あの無能のくせに格好つけやがって……」

 

 誰にも聞こえないほどの小声だった。しかし、その眼差しには抑えようのない嫉妬の炎が燃え狂っていた。

 

「よし、全員無事だな! 坊主、これは大した機転だ。お前がいなければ後衛が危なかったかもしれん」

 

 メルド団長が疲れた様子のハジメの肩を力強く叩く。その様子を見たクラスメイトたちも次第に雰囲気を変え始め、「南雲、意外とやるじゃん」と感心する声が静かに広まり始めた。

 

 その時、香織がふと崩れた壁の方に目をやった。

 

「あれって何だろう……光ってるみたい」

 

 その一言で、全員の視線が自然と香織の指差す方向へ引き寄せられた。

 

 壁から突き出すように生えている鉱物は、青白く発光し、その姿はまるでインディコライトを内包した水晶のようだった。その異世界的な美しさに、香織をはじめとする女子たちは目を奪われ、うっとりとした表情を浮かべていた。

 

 壁際でその光景を見ながら、誰かが感心した声を上げる。

 

「あれはグランツ鉱石だな。大きさも立派で、珍しい代物だ。」

 

 グランツ鉱石は、いわば宝石の原石のような存在だ。特別な効能があるわけではないが、その涼しげで煌びやかな輝きが貴族の女性たちに非常に好評で、指輪やイヤリング、ペンダントなどに加工されて贈られるととても喜ばれるという。求婚の際に用いられる宝石としても、人気の高いトップ3に入るそうだ。

 

 「素敵……」

 

 香織は、メルドによる簡潔な説明を聞きながら心を奪われ、頬を薄く染めてさらに陶酔した様子を見せた。そして、誰にも気づかれない程度にそっとハジメへ視線を送る。もっとも、その場で気付いていたのは雫ともう一人だけだった。

 

 「だったら俺らで回収しようぜ!」

 

 唐突に動き出したのは檜山だった。彼はグランツ鉱石を目指し、器用に崩れた壁を登り始める。その様子を見て、慌てふためいたのはメルド団長だった。

 

「勝手なことをするな!安全確認がまだ終わっていないぞ!」

 

 必死に制止の声を上げるも、檜山は意図的に聞こえないふりをして進み続け、ついに鉱石がある地点に辿り着いてしまった。

 

 メルド団長は檜山を食い止めようと追いかける。同時に、騎士団員の一人がフェアスコープを使って鉱石付近の状況を確認した。その瞬間、彼の顔色が一気に青ざめる。

 

「団長!あれはトラップです!」

 

 しかし、その警告も、メルド団長の動きもわずかに遅れてしまった。

 

 檜山がグランツ鉱石に触れた瞬間、鉱石を中心に魔法陣が広がり始めた。これはグランツ鉱石の輝きに惹かれて不用意に触れた者を罠にかける仕掛けだ。甘美な誘いには往々にして裏がある。それがこの世の常というものだ。

 

 魔法陣はたちまち部屋全体を覆い尽くし、その輝きをさらに強めていく。まるで、かつて召喚が行われたあの日の出来事を再現しているかのような光景だった。

 

「くそっ、撤退だ! 今すぐこの部屋から出ろ!」

 

 メルド団長が叫び、生徒たちは慌てて部屋を脱出しようとした。しかし、逃げる時間が足りなかった。

 

 部屋の中が眩い光で満たされ、ハジメたちの視界が一面真っ白に染まると、短い浮遊感に襲われた。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 次の瞬間、ハジメたちは環境の変化に気付き、重い鈍い音を伴って地面に叩きつけられる。尻の痛みに抗いながら、ハジメは周囲を見回した。見れば多くのクラスメイトたちも同じように尻餅をついていたが、一部の前衛職の生徒たちやメルド団長、そして騎士団員たちは既に立ち上がり、周囲に気を配りながら警戒体制に入っている。

 

 どうやら、先ほどの魔法陣は転移魔法だったようだ。現代の魔術師では到底不可能な技が、神代から受け継がれる魔法によって軽々と実現されていることにただ驚くほかない。

 

 転移先はというと、壮大な石造りの橋の中央部分だった。その全長は軽く百メートルを超えているように見え、天井はおよそ二十メートルもの高さを持つ。橋の下には川や地面などは見当たらず、代わりに深淵のような底知れぬ闇が広がっていた。そこへ落ちることは、まさしく奈落へ堕ちることと同義だった。

 

 橋の幅もおよそ十メートルはあるようだが、手すりや縁石もなく、一歩でも足を滑らせれば掴まるものもないまま真っ逆さまに落下するしかない。ハジメたちはその広大な橋の中央あたりに立っており、橋の両端には奥へ続く通路と上階への階段らしきものが見受けられた。

 

 周囲を確認し終えたメルド団長は険しい顔つきのまま、大声で命令を下した。

 

「全員、すぐ立ち上がれ! あの階段まで急げ!」

 

 その雷鳴のような指示に、生徒たちは慌てて動き出した。

 

 しかし、迷宮の罠がこの程度で済むはずもなく、撤退は不可能だった。階段側の橋の入口に現れた魔法陣から大量の魔物が出現したためだ。その上、通路側にも同じく魔法陣が現れ、そこからは一体の巨大な魔物が姿を現した。

 

 その瞬間、突如現れた巨大な魔物を茫然と見つめるメルド団長は、呻き声のような小さな呟きを発したが、その言葉だけがやけに鮮明に響いていた。

 

 まさか……ベヒモス……なのか……。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 微風に揺れる草花の隙間を、蝶や小さな昆虫たちが軽やかに舞い、幻想的な景色が広がっている。その奥には雄大な山々が連なり、まるで夢の世界を思わせる広がりを見せている。そんな光景の中で、転移によって現れたハジメたちの存在を察知し、ユウは姿を現した。

 

 静かにハジメを見つめる彼女の瞳には、穏やかでありながら確固たる意志が宿っていた。

 

 ハジメの姿を確認した彼女は、唇から言葉をそっと紡ぎ出す。

 

「……ハジメ。ベヒちゃんのところに飛ばされちゃったんだね」

 

 その表情からは、心配している様子も期待しているような感情も垣間見える。

 

 ベヒちゃん――その場違いさに、そしてどこか愛らしささえ漂わせる響き。

 

 ユウの静かな独り言は、奈落を吹き抜ける風に乗り、そっと消えていった。

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