身長2m28cmの大男、平成元年の日本に転生する 作:はるあき 007
教会の重たい扉が、ゆっくりと閉まる。
外に出た瞬間、空気が変わった。
昼間の刺すような日差しはもうない。
夏の名残はあるけど、肌にまとわりつくような暑さは消えていた。
代わりに、少しだけ乾いた風が吹いている。
キャンパスの木々が、さわ、と揺れた。
『秋が近いわね』
エリザベスさんが、空を見上げながら言った。
確かに、光が柔らかい。
昼間はあれだけ自由で騒がしかった芝生広場も、今はどこか落ち着いている。
ラジカセを片手に踊っていた学生は帰り支度をしていて、ロケット試験をしていた白衣の集団も既に居ない。
MDMAを片手に騒いでいた怪しいグループも、バットトリップに入ったのか静かに寝転がっている。
初秋の夕方に特有の、少しだけ世界が静かになる時間。
俺は嫌いじゃない。
『今日はここまでね』
エリザベスさんが、俺の方を向いた。
『そういえば、ダイの代理人から名刺を預かっているから渡しておくわ』
エリザベスさんはそう言うと、束になった名刺を渡してきた。
一枚抜き取って内容を確認する。
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D. Shinonome
Basketball player
Height: 227 cm(7 feet 5 inches)
@Nabra University & XRPP Talent, inc.
Mail: [email protected]
TEL: XXX-XXXX-XXXX
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・・・エリザベスさんの名刺と比べると、怪しさがMAXだな。
肩書がBasketball playerって。
プロリーグから抜けたので明確なポジションが無いのは本当だし、仕方ないところでもあるが。
だがしかし、名前はなんだコレ。
『イニシャル表記の名刺なんて、見たことないんだが・・・なぜ?』
俺は純粋な疑問をエリザベスさんにぶつけた。
身長はインチまで併記してあるのに、名前だけ情報量が少なすぎるだろ。
『あ~、Daiってのが死を連想させて良くないらしいわ。アメリカでは、Dの一族として生きていきなさいと言ってたわ』
『Dの一族って・・』
俺は海賊王になる気は無いのだが。
『この名刺は記者が取材に来たときとか、スポンサー関連の人に渡してほしいらしいわ。こっちはプライベート用ね』
エリザベスさんはそう言うと、もう一束の名刺を差し出してきた。
こちらも一枚抜き取って確認する。
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Dai Shinonome
Basketball player
@Nabra University & XRPP Talent, inc.
Mail: [email protected]
TEL: XXX-XXXX-XXXX
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『ふむ・・』
こちらは特に問題ないな。
名前もフルネームで書かれているし、メールアドレスや電話番号も俺の私用携帯の物だ。
強いて言うなら、この名刺いつ使うんだよ?という疑問があるが。
『こっちはオフィシャルの名刺を作った時に、ついでにプリントしたそうよ。メールアドレスの交換が面倒なときに使えって言ってたわ』
なるほどね。
確かに、アメリカは何故か赤外線通信機能の付いた携帯電話が普及してないから、手打ちで入力するのが結構面倒なんだよな。
『怪しい集団や、変な女に渡すなって、強く注意喚起してくれと言われたわよ』
エリザベスさんはそう言うと、ジト目でこちらを見ながら釘を刺してきた。
『そんな奴、大学にはいな・・・』
言ってる途中で、先ほどの合成麻薬サークルや、ラジカセ手持ちダンス女が脳裏に浮かんだ。
思わず言葉を飲み込む。
『この大学、自由な代償で変な人も多いからね。変な人に絡まれたら、私の居室がある研究所まで逃げてきていいわよ。それじゃ、私はデータ整理が残ってるから』
そう言うと、エリザベスさんは研究所の方へと去っていった。
去り際がえらくかっこいいな・・。
『ほなまあ、ホテルに帰るか』
ここに居ても仕方ない。
俺は正門がある方へと向かって歩き出した。
正門へと向かう石畳の道を歩いていると、少し先のベンチのあたりがざわついているのに気づいた。
さっきまで穏やかだった夕方の空気が、そこだけ尖っている。
『だからさ、ちょっと話そうって声をかけただけだろ。なんだよ!その態度は!』
男の声。
軽い調子を装っているけど、語尾に苛立ちが混じっている。
『きっぱりと断ったのが聞こえなかったのかしら?』
女の声ははっきりしていた。
短く、強い。
二人は芝生の縁に立っていた。どちらも小柄な体格をしている。
男は20歳前後、スポーツ系の体格。派手なタンクトップ。
女はリュックを背負ったまま、距離を取ろうとしている。
どうやら男が声をかけて、女が断った。
それでは終わらなかったらしい。
典型的なナンパ失敗のトラブルだな。
こういう場合は男が悪いと相場が決まっている。
周囲の学生たちは、ちらりと視線を向けるけど、足は止めない。
アメリカの自由さってやつは、こういう場面にも適用されるのかもしれない。
個人主義、当事者同士の問題ってことだろう。
助け合いがモットーの日本人として、ここは手を貸してやるか。
俺は、言い争っている男女に近づいて行った。
『理解できていないようだから、もう一度言ってあげるわ。190cm以下の男に人権はないわ。出直してきなさい』
『だから言いすぎだろ!』
・・・雲行きが怪しくなってきたな。
女性側の語気が強すぎる。
令和の時代なら大炎上間違いなしだ。
男は軽く声をかけただけの善良者で、それに女が挑発的に返したことが原因でトラブルになっている可能性も出てきたな。
周りの学生が助けに入らなかったのも理解できる。
・・・やる気なくなってきたな。
もう帰ろうかな?
そんな事を思いながらも、俺は惰性で足を動かして二人に近づいていくと、顔が認識できるほどの距離まで到達した。
これで漸く、詳しい状況が把握できる。
まずは男。
185cmくらいか。思ったより背が高い。
アメリカでは平均より少し高い程度だろう。体つきはしっかりしている。
日焼けした肌。無造作なダークブラウンの髪。
顎にはうっすら無精ひげ。
タンクトップから覗く腕は太く、ジムに通っているのが分かる。
胸元にはチェーンネックレス。
全体的に“ワイルド”という言葉が似合う見た目。
悪役っぽいわけじゃない。
むしろ、普通にしていればモテるタイプだろう。
続いて女。
ほぼ2メートル近い。
俺ほどじゃないが、間違いなく人混みで埋もれない高さ。
長い手足。肩幅も広い。でも無骨じゃない。
プロポーションの均整が取れている。
金に近いブロンドの髪を後ろでまとめ、白いシャツの上に薄手のジャケット。
背筋がまっすぐで、立っているだけで存在感がある。
綺麗、というより、堂々としている。
モデルというより、アスリートの雰囲気だ。
目元が鋭く、鼻筋が通っている。
怒り故か、今はその眉がわずかに吊り上がっている。
『人権の無い男とこれ以上しゃべる気はないわ。身長を20cm伸ばして出直して来なさい』
『だから言いすぎだろ!なんで声かけただけで、こんなボロクソ言われなきゃならねぇんだよ!』
変わらないボルテージで言い争っている二人。
しかしあれだな・・・この手の発言は令和の時代に聞き飽きていたはずだが、2m近い女の口から出ると迫力が違うな。
ここで待っていても事態は改善しないだろう。
俺のモチベーションはかなり低くなっているが、ここは仲裁に入るか。
『そこの小さい二人。なにを言い争ってるんだ?』
『『誰が小さいだって!?』』
俺の声掛けに、二人とも強めのリアクションを返してきた。
何故か女の方も、キレながらこちらをにらみつけてきている。
こわっ。
一方、男の方は目を見開いてこちらを見ていた。
『え、こいつデカすぎだろ・・・いや、逆に俺が小さいのか?いつの間にこんな世界に・・・ワンダーランドかここは?俺はアリスだったのか?』
男は俺の見た目に相当な衝撃を受けたのか、何かぶつぶつと言いながら去っていった。
トボトボと力なく去っていくその背中は、何やら哀愁を帯びており、可哀そうな感じがした。
・・・一応トラブルは解決したが、何かすっきりとしない結末になってしまったな。
『ふんっ、礼は言わないわよ』
女は立ち去る男の背中を見ながら、そんなことを言ってきた。
『俺に礼はいらないが、今度あの男に謝った方が良いと思うぞ』
俺の見た情報から判断するに、9対1でこの女が悪い。
『キャンパスの中でナンパなんてしてくる男が悪いのよ・・・私はアリサ、B3よ。あなたは見ない顔ね?』
もうナンパ男には興味を失ったのか、こちらを見上げながら質問してきた。
巨大な大学なんだから、見無い顔なんてそこら中にいるだろとも思ったが・・まあ227cmの男はそうそういないか。
『俺はダイ、入学したばかりの一年生だ』
一応、俺も自己紹介をしておいた。
危ない感じの女だが、どうやら先輩のようだしな。
『ダイ・・・物騒な名前をしてるわね。あなたのことはBIG-Dと呼んであげるわ』
『やめてくれ』
なんだ、そのダサいあだ名は。
『そんなBIG-Dに朗報よ。私の実家はビックサイズ限定のブランド "Ginormous"の会社を運営してるのよ。直営店が大学の近くにあるから、行ってみるといいわ。今日のお返しに割引してあげる』
そう言うと、アリサは名刺を差し出してきた。
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Ginormous
Headquarters, Las Vegas, XX Street
TEL: XXX-XXXX-XXXX
Directly operated stores: 100 locations nationwide, including New York, Chicago..
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なるほど。
本当に存在するブランドのようだ。
直営店が100個以上あるってことは、アメリカの中では割と有名なのかもしれないな。
スペインでは一度も聞いたことが無かったが。
『ありがとう。俺はこういうものだ』
念のため、俺も名刺を渡しておくことにした。
オフィシャルの名刺とプライベート、どちらを渡すか迷ったが、大学の先輩だしプライベート用の方を渡しておいた。
『へえ、本当にダイって名前なのね』
渡した名刺を見て、何故か驚いた様子のアリサ。
どうやら、ダイという名前はアメリカじゃかなり珍しいようだ。
『あ、こんなことしてる場合じゃなかったわ!あと五分で集中講義が始まっちゃう。じゃあ―またね、BIG-D!』
アリサはそう言うと、走って講義棟の方向へと消えていった。
『あだ名、違うのに変えといてくれよ~』
俺は小さくなっていく背中に向けて、そんな言葉を投げた。
アリサは走りながら、右手で何かジェスチャーを返してくれたので、通じたのかもしれない。
期待は薄いが。
「ふぅ、早速変なトラブルに巻き込まれたぜ」
思わず名刺を渡してしまったが・・・ま、まぁ最終的にはそこまで変な女じゃなかった気もするし、代理人やエリザベスさんとの約束を破ってはいないだろう。
多分な。
「帰るか」
俺は気を取り直して、正門へ向かって、再び歩き出した。
ホテルに戻る前、なんとなく腹が減って、正門の端にある木製ベンチに腰を下ろす。
俺はバックパックを付属の机の上に置き、中から小さな箱を取り出した。
黒と黄色のパッケージ。
ポケットサイズの――ブラックファイヤー。
甘いチョコと、ビスケット、ココアがまじりあった一品、強烈な甘みとサクサクの食感が売りのお菓子だ。
スペインにいた頃から、たまに無性に食べたくなるんだよな。
一つくわえて、空を見上げる。
(やっぱこれだよな……)
パキッ、っと。
口の中に割入れる。
そのまま咀嚼すると、強烈な甘みが脳を揺さぶってくる。
やっぱうめぇわ、これ。
スペインに行ったばかりの頃は入手できなくて、輸入代理店を何店舗も回ったんだよな。
日本のファンからの贈り物に混じってた時は、思わず歓喜したっけ。
今やもう、懐かしい記憶だ。
日本時代からの古参ファンの一人が、やたら俺の好みを把握していて、みそ汁や茶漬けの素、そしてお菓子と、嬉しい物ばかり送ってくれるんだよな。
慣れない海外、この贈り物のお陰でホームシックにならずに済んだと言っても過言ではない。
(院長は何故かチェパチャプスしか送ってくれないしな・・・何が良いんだあれ、ただのデカい飴だろ。手がべたつくし)
そんなことを思いながら食べていると、あっという間になくなってしまった。
俺は流れるような手つきで、バックパックからもう一個、ブラックファイヤーを取り出した。
パキッ、っと。
口の中に割入れた。
そのとき。
「あ!・・・それ、日本のお菓子ですよね?」
なぜか日本語で、背後から質問が聞こえてきた。
振り向くと、小柄な女の子が立っていた。
身長は155センチくらい。
ダークブラウンの巻き髪を肩のあたりで揺らしている。
丸い眼鏡。フーディーにデニムというラフな格好。
どこか知的で、でも人懐っこい雰囲気。
この大学のマークが入った大きなリュックを背負っているから、たぶん図書館帰りだろう。
彼女は俺の手元の箱を指さす。
「ブラックファイヤーですよね?」
「ああ・・・この甘みと食感が大好きでね。貰いものなんだけど、これのお陰でホームシックにならずに済んでるよ」
俺は笑いながら、そう返した。
「私も大好きなんです!」
そう言って、にこっと笑う彼女。
どうやら同志らしい。
俺はブラックファイヤーを一つ机に置き、ベンチに座る様にハンドサインを出した。
「ありがとうございます。私、絵里って言います。久しぶりに日本の人に会って、なんか安心しました。」
そう言うと、絵里はブラックファイヤーの袋を開け、中身をパクつき始めた。
小動物のようなその姿に、何故か凄くほっこりした気持ちになった。
ついさっき癖の強いアリサと相対していたから、余計にそう感じたのかもしれない。
「いいってことよ。ブラックファイヤーは世界一美味いからな・・・まあ、貰い物で悪いが」
俺はそう言いながら、新しいブラックファイヤーを鞄から取り出し、口に割り入れた。
「へー、貰い物ってことは、仕送りとかですか?」
サクサクとブラックファイヤーを咀嚼しながら、絵里が質問してきた。
「いや・・・なんというか。ファンの子からの贈り物というか」
「ファン?」
まずい・・・説明が難しいな。
そもそも俺がプロバスケットボール選手だった(過去形)というところから説明する必要があるか。
少し手間だが、お菓子タイムの小話にちょうどいいかもしれないな。
俺は数か月前までスペインでプロバスケットボール選手としてプレイしていたこと、そして今はNCAAでバスケをするために渡米していることを話した。
「そうなんですか。15歳から一人で海外へ行くって、すごいですね。私なら直ぐに日本に帰りたくなりそうです」
絵里はそう言うと、目をキラキラとさせながら、こちらを見てきた。
「まあ、そうだね。俺も最初の内は日本が恋しくなったりもしたけど、ファンの人にみそ汁とか、米とか、こういうお菓子とか送ってくれる人も居てね。そんな助けもあって何とか異国の地で過ごすことができたよ」
俺がそう言うと、絵里は目をウルウルとさせながら頷いて同意してくれた。
涙が目からこぼれそうで、体もプルプルと震えている。
・・・いや、共感してくれるのは嬉しいけど、感動しすぎじゃない?
「分かります!日本を離れると、余計に日本食が恋しくなりますよね。私は先月から留学でこっちに来たばかりですが、既にホームシックになりそうです!」
そう言うと、やけになったのか、ブラックファイヤーを食べる手を速めていった。
一か月でホームシックは早すぎないか?とも思ったが・・・まあ、俺は精神年齢がおっさんだから大丈夫だっただけで、普通のティーンエイジャーは直ぐに日本が恋しくなるのかもなぁ。
「アメリカは文化が全然違うから、日本が恋しくなることもあるよな。何か困ったことがあれば、連絡してくれれば助けになれると思うよ。一応、海外生活って意味では先輩だし」
俺はそう言って、プライベートの方の名刺を渡した。
すると、
「ありがとうございます!家宝にします!」
と、何故か俺の名刺を恭しく受け取ってくれた。
どこにそんなポイントがあったのか分からないが、絵里から尊敬を獲得したらしい。
ブラックファイヤーの効果かな?
それから数分雑談をしていたが、絵里は時計を見て、”図書館が閉まっちゃう!”と、慌てた様子で去っていった。
・・うむ。
今回は変な女じゃないし、名刺を渡しても問題なかったはずだ。
共感能力が強すぎるところはあるが、常識の範囲内と言っていいだろう。
もうこれ以上、変な人に名刺を配る訳にはいかんからな。
気を付けなければ。
と、自戒の念を込め、俺は名刺を鞄の奥底に仕舞った。
しかし、この日の夜。
俺は勇太主催の女子アナとの合コンで、とびきり変でとびきり面白い女に出会い、思わず名刺を渡してしまうことになるのだった。