世界的ブームの始まり
まずは世界的な知的バトルゲームのブームの火付け役となった大富豪、アルフォンソ・サンチェス氏。
彼はスペインのビジネス界で成功を収めた大富豪でありながら、知識と学術への情熱も持ち合わせていた。
バトルゲーム、正確には「知識の闘争」と呼ばれるその学術的なバトルゲームは、サンチェス氏が優勝者に1000万ドルの賞金を懸けたことによって世界的なブームとなった。
このバトルゲームは、「制限時間1時間以内に学術の力のみによって降伏の意思を示させること。引き分けの場合は両者とも敗者である」ことがルールとされていた。
ここにかつて誰も見たことのないあらゆる学問の異種格闘技戦が開催された。
数学の天才フィロの挑戦
イギリスのウエスト・ヨークシャーのハダースフィールド大学の学生に、フィロ・アンダーソンという孤高の数学の天才がいた。
フォロは数学以外の学問に興味を持たず、数学以外の講義はろくに出席もせず、町の安酒場で数学のトリックを使った賭け事で悪どい金儲けをしている不良として知られていた。
しかしフィロは金銭欲に取りつかれているわけではなく、儲けた金の金額は自分の数学の強さを示すただの数値としての意味でしかなかった。彼は酒場でスコッチエッグをつまみに、キャロリーン・ラガー(ビール)を飲むお金さえあれば満足する男であった。
ある夜のことだった。
いつもの安酒場にて、酒に酔った悪徳弁護士モートン・ブラックウッド氏がフィロにある話を持ち掛けてきた。
ブラックウッド氏はフィロの悪友でもあり、彼はずる賢く高利貸し業のようなことも生業としているが、賭け事においては一度もフィロに勝ったことがない。
ブラックウッド氏は酒臭い息を吐きながら、今巷をにぎわしている『知識の闘争』への参加をフィロに勧めてきた。大会参加に要する旅費や宿泊代はブラックウッド氏が負担するとのことであった。
とはいっても、当然それは「賭け」の申し出であり、それは
「フィロは『知識の闘争』にエントリーし、フィロは自分が優勝する方に掛け、ブラックウッド氏はフィロが敗者になる方に掛ける。その掛け金は10000ポンド(約1500万円)である。」
といった内容のものであった。
ブラックウッド氏はジョークのつもりでフィロに話を吹きかけたが、フィロは当時酔いの勢いもありその賭けの申し出を受諾しブラックウッド氏が用意したこの賭けの成立についての内容証明にサインをした。
しかしフィロにとって金のことはどうでもよかった。
フィロは、20世紀のオーストリアの数学者カール・メンガーの「数学によって全ての事象を説明できる」との主張に興味を持っていた。しかしこの主張は多くの支持を受けていなかった。
フィロは他のあらゆる学問の権威や研究者や専門家らが主張するところを、自分の数学的説明によって看破し、それをねじ伏せ、そして彼の数学が世界最強の称号を得ることでカール・メンガーの説を証明できると考えた。
フィロの『知識の闘争』への参加の決意は、このような不純な酒の席での戯言から始まり、また、まだ世間をよく知らない学生ならではの青臭い動機によるものであった。
予選大会
予選大会はスペインの競技場「エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ」(Estadio Santiago Bernabéu)で開催され、世界中から4801人の各分野の天才が集結した。ここで彼らは様々な分野での知識を持ち寄り、バトルゲームの舞台で真剣勝負を繰り広げていく。
競技場のフィールド上には複数の舞台が設置され、それぞれの壇上では各プレーヤーが繰り出す知識と知識とが激しくぶつかり合い火花を散らしていた。
そのうちの一つの舞台にフィロと、対戦相手となる知の巨匠が雄々しく立っていた。
フィロの一回戦目の相手は、イギリスのリバプールからやってきたイギリス古典文学研究の権威、ウィリアム・ストーンズ博士であった。フィロにとっては同じイギリス出身ということで同郷対決になるが、彼にとってイギリス古典文学は全くの未知の領域の学問であった。
学術バトルの対戦の組み合わせは多種多用である。観客たちは各々が興味をもつ試合を取り囲んで観覧できるようになっており、特に文系学問と理系学問の対決は(観客にとって)無名の者同士の対決であっても人気のカードでフィロの舞台には多くの観覧者が集まっていた。
試合開始直前の静寂の中、ウィリアム・ストーンズ博士がフィロに挨拶をしてきた。
「あなたにお会いできて光栄です、フィロ君。まさにこの場にふさわしい文学的な戦いが待っているというのですから、私の興奮は言葉に尽きません。文学の広い世界で、あなたとの知識の対決ができるなんて、まさに夢のようですよ。古代ギリシャから現代まで、英雄たちが紡いだ言葉の戦いがここにあります。私とあなたの文学的な剣舞が、この舞台で繰り広げられることを楽しみにしています。」
博士の挨拶は、上品な言葉遣いと颯爽とした口調が特徴で、その存在感は会場中に広がった。
これに対してフィロは軽く会釈を返すだけで、ストーンズ博士のことを内心面倒くさい相手と思っていた。
そして、ウィリアム・ストーンズ博士は堂々たる姿勢で観客たちに向かって語りかけた。
「諸君、今ここにおいて、私が語るのはイギリス古典文学の偉大さです。これは世界でも類を見ない文化的な宝であり、知識と美の絶対的な源泉ですよ。我々の先人たちは、言葉を巧みに紡ぎ、作品を創り上げ、不朽の名声を手にしました。
シェイクスピア、チョーサー、ミルトン、彼らの作品は世界中で愛され、賞賛されてきました。
その言葉は人々の心に響き思考を刺激します。
イギリス古典文学は、道徳や人間の本質、社会の善悪など、永遠のテーマを探求しています。
また、物語性や文学的な技法においても優れており、読者を魅了し続けるのです。
まさにイギリス古典文学こそが、世界最強なのです。」
博士の言葉は、情熱と誇りに満ちており、観客は彼の情熱に引き込まれ、彼の語るイギリス古典文学の偉大さはそれを聞くものの心にに響き渡った。
しかし、フィロの態度はいかにも面倒くさそうな感じで、博士の話を聞いているのかいないのかは、彼の表情や姿勢からは明確には伝わらなかったが、元来興味のない話を聞くことは不得手で、博士の言葉はフィロの頭の中に何も刻まれていなかった。
フィロの猛攻
そして試合開始の合図が告げられた。
「では、私から参ります。」
先手はウィリアム・ストーンズ博士からであった。このバトルで先手をとることは自分優位の試合の流れをつくれることである。ストーンズ博士は言葉にによる対決に持ち込もうとしていた。数字を用いた論争を避けたかった。
ストーンズ博士は意気揚々と語り始めた。
「イギリス古典文学は他の文学よりも優れており、その優位性は文学作品の深さと美しさによって示されています。ウィリアム・シェイクスピアの名言「to be or not to be, that is the question(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)」のような句や、ジェイン・オースティンの作品から感じられる人間関係の微妙な描写は、世界中で称賛されていますよ。」
「あんたのその最も優れているという主張は数学的に検証可能か?」
フィロはストーンズ博士の言葉を切り返した。ところでフィロは元来口の利き方が悪い。
しかし、ストーンズ博士は落ち着いた口調で
「はい、いくつかの指標を挙げることができます。まず、イギリス古典文学作品は長い時間を経てもなお広く読まれ、研究されています。また、世界中の文学賞においても高い評価を受けており、その影響力は計り知れません。」と言葉を返した。
これに対してフィロは鋭い攻撃を繰り出す。フィロは感情が欠如したような淡々とした早口の言い方で
「でも、文学の優れた点といっても、結局は主観的な評価によるものだろう。例えば、イギリス古典文学が他の文学よりも優れているとされる理由は、結局は一部の文学愛好家や研究者による主観的意見に基づいているものだ。どうしてもそれは客観性に欠ける。」と言った。
痛いところをついてきたとストーンズ博士は思った。
客観性についての議論になると、とても数学には太刀打ちできない。
そこで博士は言葉の言い換えをし切り抜けることにした。
「いや、客観性に近い普遍性はある。イギリス古典文学作品は普遍的なテーマを扱っており、人間の喜びや苦悩、愛や欲望など、根源的な人間の感情に対して深い洞察を与えていますよ。これは数学的な評価では測りようがない魅力だと思いませんか。」
ストーンズ博士は逆境に立たされているにもかかわらず、彼は穏やかな態度を保ち、品位を失わないよう心がけた。彼は上品な態度を示しながらさらに言葉を続けた。
「それに数字と違って言葉は、私たちの感情や思考を美しく表現する最も高貴な手段であり、イギリス古典文学はその芸術的な力を完璧に体現しています。その言葉は魂に対する音楽であり、心に触れる詩的な旋律なのです。数学は論理的で冷静な道具であり、一方で文学は感性を揺さぶり、魅了し、心を打ち震わせるのです。それこそが、イギリス古典文学が持つ神秘的な魔力なのです。」
ストーンズ博士は叙事詩的な言葉の煙幕を張りフィロの攻撃から逃げようとしていた。
しかしそのような博士の内心はフィロにはお見通しであった。
それから、しばらくの間「客観性」を追求する形で追い詰めようとするフィロと、そこから逃げようとするストーンズ博士との言葉のやり取りが続き、ストーンズ博士が疲弊し始めた頃、フィロはポケットから紙と鉛筆を取り出しある数式を書き留めた。
d2y/dx2 + k * dy/dx + (a * y) = 0
それからフィロはこの数式についての説明を始めた。
「博士、この微分方程式は、イギリス古典文学の弱点を暴くものだ。あんたとの会話のやり取りからこれを組み立てた。その意味するところは
d2y/dx2: 二階微分項
イギリス古典文学は時代や文化に根ざした特定の枠組みにとらわれがちであり、新しい視点や発展性に欠けることがある。この項は、イギリス古典文学の創造性や革新性の不足を示している。
k * dy/dx: 一次微分項
イギリス古典文学はしばしば慣習や伝統に囚われていて、個別の作品や作家の個性や独創性が抑制されることがある。この項は、文学の多様性や個性の欠如を反映している。
(a * y): 定数項
イギリス古典文学は時代や社会の価値観に基づいていて、特定の立場や思想を強調する傾向がある。この項は、文学の客観性や普遍性の欠如を示している。
この微分方程式は、イギリス古典文学が一定の制約や制限を抱えていることを象徴してる。」
フィロはこれまた早口の抑揚のない機械的な口調でこれを説明した。特に相手を追い詰めるときは執拗なまでの理詰めをし相手に否定を許さない。
またフィロは数学外の学問には興味はないものの、数学的に説明や表現するとなると、表層的にではあるがそれを吸収し数学的解釈を示す特殊な能力を持っていた。
数式の説明を受けた博士は膝から崩れ落ちた。
「数式が語る意味は私には理解できませんが、その数式が指摘する弱点は客観的かつ的確です。それは私の限界を超えた領域であり、私はその力に屈し、敗北を認めざるを得ません。」
博士は潔く負けを認めた。
そして博士はフィロに歩み寄り握手を求めたが、フィロは応じようとしなかった。そしてフィロは微かな微笑を浮かべた。
「今回のバトルではあんたのイギリス古典文学に欠如していた客観性にしつこくこだわって、そこを執拗に攻め立てた。握手は感情や主観的な意思表示による行為だ。バトルの間、さんざん主観を否定しておいて今さら握手なんかしない。」
博士はふっと笑みを浮かべて、差し出した手を引っ込めた。
観客たちは驚きと興味深さを感じながら、フィロの言葉に耳を傾けた。
博士は「再び我らが剣を交えんとの誓いを立てん。吾らの道は相互の光輝を認め合い、未来の時に再び交差することを願っている。固く握った約束の証として、運命の舞台で再会せん」と洒落た文学的表現でフィロに再再会を約束し、壇上から観客達の拍手の中降りて行った。
「ちょっとはシェイクスピア読んでみるか」
フィロは独り言を呟いてみた。