まずは世界的な知的バトルゲームのブームの火付け役となった大富豪、アルフォンソ・サンチェス氏。
彼はスペインのビジネス界で成功を収めた大富豪でありながら、知識と学術への情熱も持ち合わせていた。
バトルゲーム、正確には「知識の闘争」と呼ばれるその学術的なバトルゲームは、サンチェス氏が優勝者に1000万ドルの賞金を懸けたことによって世界的なブームとなった。
このバトルゲームは、「制限時間1時間以内に学術の力のみによって降伏の意思を示させること。引き分けの場合は両者とも敗者である」ことがルールとされていた。
ここにかつて誰も見たことのないあらゆる学問の異種格闘技戦が開催された。
■王者ヴィクトリアーノ・ロドリゲス
第三試合の翌日、フィロは試合会場のエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウからほど近いLa Cervecería Dorada(ラ セルベセリア ドラーダ 黄金のビールが生まれる場所という意味)という名の安酒場に足を運んだ。
エストレージャのビールが注がれたジョッキが彼の前に置かれ、冷たさが手に伝わった。ビールの香りを鼻先で嗅ぎながら、口に含んだ瞬間、その豊かな味わいに満足げな表情を浮かべる。ビールの爽やかな苦味と、滑らかな口当たりがフィロの舌を刺激した。彼はビールを喉に流し込み、その後ろを押す炭酸の感触を楽しんだ。
古風な木調に施された店内に設置されたテレビは「知識の闘争」のことを報じていた。
画面の中では学者や研究者からなる評論家らから優勝候補と目されているアルゼンチン出身の世界的物理学者 ヴィクトリアーノ・ロドリゲス氏が記者らからインタビューを受けている。
フィロはパタタス・ブラバス(揚げたポテト)を頬張りながらテレビを眺めていた。
ヴィクトリアーノ・ロドリゲスは上品な口ひげが特徴な紳士風の気風が漂う男であり、見る者に王者であることの風格を感じさせた。
ある記者が唐突に、
「ロドリゲスさん、今回の大会で注目の人物はいますか」と質問した。
ロドリゲス氏はゆっくりとした穏やかな口調でしかもはっきりと聞こえる声量で
「El profesor Alexander Ivanovski, un analista matemático (de Rusia), y el doctor Tatsuya Hata, un politólogo y economista (de Japón)」と答えた。
すかさずロドリゲス氏の隣りにいた彼の専属の通訳が
「解析学者のアレクサンドル・イバノフスキー氏教授(ロシア)と、政治経済学者の羽田拓也博士(日本)です」と記者たちに答えた。
加えて、ロドリゲス氏は尊敬の意を示しながら彼らがいかに優秀な研究者であり、彼らとの対戦を楽しみにしていることを述べた。
「además‥(それと‥)」
この後のロドリゲス氏の発言は世界中の「知識の闘争」に関心を持つものを驚かすことになる。
「El joven matemático, Filo Anderson, quien viene de Inglaterra.」
ロドリゲス氏は一つ一つの単語を区切り強調するかのようにして力強く言った。
「イギリスからきた青年 数学者のフィロ・アンダーソンです。」
通訳の言葉に記者会見の会場はざわつきを見せた。
イバノフスキー教授と羽田博士については記者らにとって予想された答えだったが、フィロのことを知っている記者は誰もおらず、これは全くの予想外であった。
テレビを観ていたフィロも飲んでいたビールを噴き出しそうになったが、落ち着いて口に含んでいたビールを飲み込み、それから軽い深呼吸をしてテレビ画面の中のロドリゲス氏を注視した。
ロドリゲス氏は質問に答え続けた。それを追うように通訳が同時進行で(英語に)翻訳していった。
「(翻訳)アンデルス・イェンセンは私の友人であり、私は彼が勝ち進み、いずれ私と対戦することになると予想していた。しかし、彼はフィロ・アンダーソンという無名の青年に敗北を喫した。それゆえイェンセンを倒したフィロは注目に値するプレーヤーである。」
フィロはイェンセンの事を思い出した。たしか彼もロドリゲスと同じ紳士風の男であり彼とはどことなく雰囲気が似ていると思えた。
ロドリゲス氏は話を続けた。
「しかし、注目に値するというだけであって、強いという意味ではない。彼はこの先数回戦以内に敗北するだろう。」
フィロは画面の中のロドリゲスを睨んだ。
テレビ画面の中のロドリゲス氏は鋭利なナイフのような鋭さを表情にたたえ、先ほど迄の柔らかい表情は消え失せていた。しかしこの表情操作は彼なりのマナーであった。仮に笑みを浮かべた場合、彼の発言はただのフィロへの侮辱としてしか映らなかっただろう。
彼の紳士として気遣いはフィロにも伝わりロドリゲス氏に対し別段怒りの感情は湧かなかった。
別の記者が「フィロ氏に何かお伝えしたいことがありますか」と質問を投げかけた。
ロドリゲス氏はポケットからメモ帳を取り出し何やら筆記し始めた。
そして「フィロ君、これがわたしからのメッセージです。」といい
"∮(S) ∇•(F × G) dA + ∫(V) ∇•(F × G) dV = ε₀μ₀(dΦB/dt + ∇•E)"
と書かれたメモを記者らに披露した。
突然の難解な記号によるメッセージは会場を大きくざわつかせた。
「マクスウェルの方程式‥。」
それを見たフィロはぼそりとつぶやいた。
この方程式は、物理的な意味を理解し、数学的な手法を駆使してアプローチしていくもの。
フィロは、”私を倒すには先ずは私を良く知り攻略しなければならない"と、ロドリゲス氏からのメッセージの意味を理解した。
フィロは勘定を済ませて酒場を後にした。
繁華街パセオ・デ・ラ・カステジャーナには笑い声と音楽が響いていたが、フィロは地面を見つめながら彷徨うように街の中を歩いた。街の喧噪の声も届かない。
「ロドリゲスは強い。今の自分では勝てない。」
フィロはかつて経験をしたことがない天才にしか感知しえない戦慄に身震いした。
■対戦相手について
フィロの第四回戦目の対戦相手はアメリカFBIの捜査官を務めるレイモンド・アイヴァーソン (Raymond Iverson)という人物であった。
彼は「ヴェラシロジア論理学」を駆使するエリート捜査官である。
ちなみにヴェラシロジアとはラテン語の「verus(真実)」と「logia(学問)」から合成された言葉である。
レイモンドは以下のような人物である。
名前 レイモンド・アイヴァーソン (Raymond Iverson)
所属機関 アメリカFBI (Federal Bureau of Investigation)
専門分野 テロリズム対策、国際犯罪捜査、論理的思考
学歴 イェール大学にて数学と哲学の学位を取得
職歴
アメリカFBI入局
優れた論理的思考能力と分析力を活かし、数々の難解な事件の解決に貢献
国内外の犯罪組織やテロリストの追跡と摘発に従事
特技・特徴
ヴェラシロジア論理学という独自の論理体系を研究・応用し、真偽を見極める能力を持つ
迅速な思考力と洞察力により、犯罪の隠された真実を解明する
国際的なテロ事件の解決において、リーダーシップを発揮し卓越した業績を残す
(逸話によれば世界のテロ組織にレイモンド氏の驚異的なヴェラシロジア論理学による真偽判断能力のことは知られており、某国のテロ組織では「レイモンドの尋問にかかったらすぐに自害しろ」という指令が行きわたっていた。)
■FBIエリート捜査官VS街の安酒場のイカサマ師
ロドリゲス氏の会見の日から3日後、フィロの第四回戦が開催された。
競技場「エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ」は熱気に包まれていた。フィールド上には複数の競技用の舞台が設置されていたが、ひときわ注目を集めていたのがフィロたちが立つ舞台であった。
昨日のロドリゲス氏のテレビでの会見の影響だろう。フィロは一躍注目されるプレーヤーとなっていた。
フィロはというと神経質そうにメモ帳に独自の計算問題を創作し、またその解法を考えているところだった。
彼は数学に没頭し必死に気持ちを落ち着かせようとしているかのようでレイモンド氏の方を見ようともしていなかった。
レイモンド氏はフィロの横顔に向かって話し始めた。
「フィロ君、君の事は調べさせてもらった。君は大した学業成績も修めていなく昼は酒場で賭博に明け暮れているただの不良学生だ。私は今君と同じ空間と時間を共にしていることが大変不快である。」
レイモンド氏はエリート意識が高く、彼にとってたかが学生であるフィロは、たとえロドリゲス氏から注目されている人物だとしても対戦相手としては不服であった。
フィロは創作の手を止めた。
フィロはレイモンド氏の方へ振り向き不敵な笑みを浮かべた。
フィロは「自分もあんたのことは(大会委員会からの対戦相手情報を伝えるメールで)調べておいた。あんたの論理学は嘘かホントか見分けるのがお家芸のようだ。しかし賭け事において大のイカサマ師である自分に向かってそれをいうのは100年早い。」
とのことを恥ずかしげもなく数学者ならではの早口で淡々とした口調で言ってのけた。
そうこうしているうちに試合開始の合図が告げられた。
フィロはレイモンド氏に「自分の数学は、あんたを騙すことができる」といった。
このようなことを平然と言ってのける青年を、レイモンド氏は観察し分析し始めた。
『∀x[(P(x) ∧ Q(x)) → R(x)] ∧ ∃y(P(y) ∧ ¬Q(y))』という論理式がレイモンド氏の頭に浮かび
「たしかに君は嘘を言っていないが、でもそれは真実 (Truth)ではない。」
とレイモンド氏は大人が子供を諭すようなそれでいて少し相手を小馬鹿にするような口調で言った。
続けてレイモンド氏は「試しに何か2つ真偽を試す適当なことを言ってみてくれないか。私が2つともそれについての真偽を言い当てたらこの勝負は私の勝ち。しかし私が一つでも間違えたら君の勝ちということでどうだろう。」と勝負方法を提案してきた。
フィロは”それでかまわない”と言ってから
「では、今から2つ簡単な計算式を言う。そんなに難しい計算式じゃない。その計算式が絶対的に真か偽かを当ててみてくれ。高度で理解できない計算式だった場合はパスしてくれれば別の計算式を出す。自分が正解(真偽の答え)を言ったあと必要であれば答えの根拠を説明する。自分の説明に納得いかなければ問題を出し直す。」といい背後にあるホワイトボードに一つ目の計算式を書いた。
”1+1=2"
「この式が絶対的に真(Truth)か偽(False)かを言い当ててくれ。」とフィロはいった。
レイモンド氏まさかの単純で簡単な式を凝視した。フィロは不敵な笑みを浮かべていた。
レイモンド氏は機械のように思考を始めた。
(数理的に考えれば1+1=2であることは正しいと言える。あえて単純明快な式を提示して、複雑な思考に迷い込ませる彼の手だろう。ここは単純に思考するが得策だ。また絶対的にという条件提示についてだ。絶対の意味は相対ではないこと。つまり一つだけしか解釈がないことだと言える。それを論理式でクリアさせればいい。
そう考えレイモンド氏はヴェラシロジア論理学に基づき
1+1=2は
A: 1+1
B: 2
C: 絶対的な真理
∧: 論理積を表す論理演算子 (and)
¬: 否定を表す論理演算子 (not)
Symboli≣: 同値を表す論理演算子 (equivalence)
Symbolic representation: ⊢: 証明を表す論理演算子 (proves)
論理式: (A ≣ B) ∧ (C ⊢ (A ∧ ¬(¬B)))
と,先ずはこの問題を単純化した論理式を書き、この他に解釈のパターンはないかの検証を繰り返した。
そしてヴェラシロジア論理学による幾度の検証の結果1+1=2は絶対的に真であることを立証した。
「1+1=2 これは絶対的に真である」
レイモンド氏はすこしかすれた声で言った。検証の間唾を飲み込むのも忘れ口の中が乾ききっていた。
彼が所属するFBIにおいての検証作業においてもこのような経験はない。
フィロはすぐには即答をせず、しばらく間をおいてから
「Correct!(正解)」
と言った。
レイモンド氏は(やはりただのハッタリか)と少し肩の張りを緩めた。
フィロにとっては1問目については特別な意図や深い意味はなくただのからかいであった。
2問出題のチャンスをもらったが1問だけで十分であり1問目は捨て問題でもあった。
フィロはレイモンド氏に目もくれずホワイトボードに次の言葉を書きなぐった。
”The square root of 1 is 1(1の平方根は1である)”
またもや単純な問題を前にレイモンド氏は目を疑った。
「(一体何の意図があるのかハッタリも二度は通用しない。これも数理的に考えれば真としか言いようがない。惑わされずにヴェラシロジア論理学を使って真偽を検証していく。)」
レイモンド氏は「1の平方根は1である」が真であることについて思考を開始し検証を始めた。
A B ※A と B はみんな同じ値であることを表す
√(x, y) ※x の平方根は y であることを表す
I ※実数の集合を表す
R ※ 等号を表す
証明記号式
I(1) 1は実数である
I(1^2) 1の2乗も実数である
√(1, y) (y R 1) y が1の平方根であるためには、y と1が近く必要がある
√(1, 1) 1の平方根は1であるためには、1と1が最も必要がある
(1 R 1) 等号の対称性により
T 真理値Tが成り立つことを示す
レイモンド氏は勝利を宣言したかのように
「ヴェラシロジア論理学理論により『1の平方根は1であることは真である』と言える」と観客にも向かって言った。
これは観客の殆どの人も理解できる計算式であり、誰もが「真」であることをは疑いないとおもっており、そしてフィロの敗北は決定的なものだと思っていた。
フィロはというと無機質な表情でレイモンドを見つめて、そして
「False(偽)」と言った。
フィロの答えに会場はざわついた。会場のほとんどの人がスマホを持ち出し、この問いの答えを検索し始めたが当然どれも「真」である、つまり計算は正しいとの説明がされていた。
レイモンド氏は「私も会場の皆さんも、これがFalseであることが納得できない。なぜ偽なのか説明してもらおう。」と言った。
フィロはわかったとばかりに目配せだけで返事をしてホワイトボードに向かい、
先ずは”√1 = 1”と書いた。
「ここまでなら皆が思う通り確かに真だ。だがこう式を付け加えたらどうだろう。」
そう言って、この式の前にさらに式を付け加えた。
"√-1 × √-1 =√(-1 × -1) = √1=1"
”あっそうか!”付け加えられた式をみて何人かの数学愛好家の観客はフィロの言わんとしていることをここで理解した。同様にレイモンド氏もここで理解をし、そして敗北を悟った。
「虚数か、、その視点はなかった。」レイモンド氏はぼそりと呟いた。
フィロは説明を続けた。
「√-1=i (虚数※2乗して-1になる数)だから
"√-1 × √-1 =√(-1 × -1) = √1=1"とここまで式を付け加えて書いてしまうと
√-1はi に変換されて
i ×i =‐1にってしまい
答えそのものが1から-1変わってしまう。
だから1の平方根は絶対的に1とは言えない。」
会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こりフィロの勝利を称えた。
フィロはレイモンド氏に近寄り
「虚数はそもそも存在しない数だから。他の学問的視点では気付かれにくい。卑怯な手を使ったと思う。」
と詫びともとれる言葉を投げかけた。
レイモンド氏はタフで屈強の捜査官だけあって悔しさを微塵も見せる様子はなかった。
「いや、絶対的に君の勝利だ。そして先ほどの非礼をここで詫びる。そしてわがFBIの捜査の手法にもっと数学を応用させていこうと思う。FBIの総力をもって君のことを調べ上げたいと思う。いいかな。」
レイモンド氏は冗談交じりでそういうとフィロのこれからの武運を祈って壇上から降りていった。
「(もし仮にあんたがFalse(偽)と言っていたら、後から虚数の話は持ち出さずに真(Truth)ということにしていたよ。)」とフィロはレイモンド氏の去ってゆく背中見ながら心の中で呟いた。
勝利のあとの高揚感が全くなかった。
また昨日のロドリゲス氏の言葉がまだ重くのしかかっていた。
”今日、俺が飲むビールの味は苦い”
フィロはふとそんなことを考えた。