怠惰に生きたいだけのヴィランが全てを蹂躙する物語   作:名無し

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第19話 志賀丸太 ドクター

 培養液で満たされた水槽を見上げながら志賀丸太は深く溜息をついた。

 禿げた頭に小太りな体型。白い口髭を生やして歯車型の奇妙なゴーグルを装着した老人が水槽の前で肩を落とし、失意にまみれた声を漏らす。

 

「……未だに信じられんよ」

 

 志賀丸太にとってオール・フォー・ワンは崇拝の対象だった。

 恐ろしく強大で、自信に満ち、狡猾で、卑劣で、悪辣でもあり、全てを支配するまさに悪の帝王だった。

 友であり、仲間であり、信徒でもあった志賀丸太は自身の個性(摂生)すら彼に捧げたのだ。

 

 そのオール・フォー・ワンが敗れた。

 

 それもオールマイトに敗れたのではない。

 名も知れぬ誰かに。

 ヒーローかどうかすら怪しい無名の誰かに殺されてしまった。

 

 頭部を失い倒れていた死体の写真を警察の中に潜ませたスパイからわざわざ入手してまで確かめた。

 確かめずにはいられなかったのだ。

 

「おおぉおお……」

 

 志賀丸太の喉の奥から嗚咽が漏れだした。

 この水槽の前だと喪失感がより募るのだ。

 

 カツン。

 

 秘密の地下研究室の一角で人知れず老人が悲しみに暮れる中、背後から足音がした。

 

「まだ引きずってるのか、氏子さん」

 

 暗がりから姿を現したのは焼けただれた皮膚を纏った男だった。

 目にどこまでも深く暗い炎が宿った男だった。

 

「荼毘……か」

 

 不意の闖入者に向ける志賀丸太の目に非難の色はない。

 二人の間に信頼はないが、古い知り合いではあったからだ。

 

「お前にはワシの悲しみなど分かるまい」

 

「分かるつもりもないけどな。でも……まあ確かに、俺もAFOが負けるとは思ってなかったよ。オールマイトとさえも引き分けだったんだろ? それがまさかあんなガキに、ね」

 

「……高校生くらいの子どもというのは本当かね。お前の説明だと、離れた場所から身体の内部を毟り取るような攻撃をしていたと」

 

「聞くの何度目だよ」

 

 荼毘は溜息をつきながらも志賀丸太の質問に答える。

 

「……傍らから見てた分にはそう思えた。攻撃は視認できなかったけどな。あのガキはビルの外で瓦礫に埋もれながら手をこちらに向けていた。間違いなくあいつの攻撃の結果だ。AFOの死体には内側から抉り取られたような傷が残ってたんだろ? 多分だが超能力の引き寄せ(アポート)みたいなものじゃないか?」

 

「……そんな強力なのは聞いたことがないがな」

 

 一種の超能力のような能力が個性として発現することがある。

 離れた場所からモノを動かすといった念動力の個性がその代表だ。医者である志賀丸太も職業柄そういう個性の持ち主をたまに診察することがある。

 

 だが多くは強個性とは呼べない代物だ。

 

 無から有を生み出す個性や、影を操りそれに人格を与えるような、物理法則を完全に無視した超常現象を生み出す強力な個性たちに比べれば大昔のサイエンスフィクションに出てくる念動力や引き寄せなどの超能力は実にささやかな個性と言える。

 

「だが、その大したことのないはずの超能力がAFOの肉体を削り取った。それも離れた場所から頭蓋骨の中を毟り取るっていうエグさだ。全然笑えねーな、1対1の対人戦なら無敵じゃないか? まあ不意打ちという条件付きだろうが」

 

「……典型的な初見殺しの個性じゃよ。予め個性を把握さえしておれば敵ですらない。距離をとって離れた場所から攻撃すればオール・フォー・ワンは決して負けなかったはずじゃ」

 

「仮定の話をして意味があるのか? もう死んじまったんだから再戦もクソもないだろ」

 

 荼毘の言葉にドクターは傍らの水槽を意味ありげに見上げた。

 釣られて荼毘も水槽を見上げ培養液に浮かぶ人物を観察する。

 

「……」

 

 何も言わないドクターに荼毘が話を振る。

 

「あんたの見解だとあのガキの正体は公安の始末屋か処分屋だったか? 極めつけの秘蔵っ子か何かの」

 

「ああ、公安に潜り込ませているスパイからは何の情報も上がってこなかった。厳重に秘匿されて、ここぞという時のみに使う刺客なのかも……な」

 

「そんなやつにこっそり近づかれて先手を取られたら防ぎようがないな。AFOだからこそしばらく耐えれただけで、仮にターゲットがオールマイトなら脳の中を毟られて一撃で終わりだろ?」

 

 荼毘はやれやれと肩を竦めると、ゆっくりと水槽を見上げた。

 

「あんなのが公安にいるんなら……あんたが今やってる、うちのリーダーのこの改造手術……意味があるのか?」

 

「……荼毘」

 

 ゴーグルから見える志賀丸太の目が暗い光を放っていた。

 

「なんだ?」

 

「ワシとAFOの夢であった脳無の最高傑作マスターピースを舐めるなよ」

 

「……馬鹿にしたつもりはねーよ」

 

「オールマイトのパワーとスピードを兼ね備え、超再生を始め無数の個性を内包するのだ。先手を取られたら? ハハハッ! オールマイトが全力で動く時、だれがその姿を捉えきれるというのだ。瞬時に視界から外れて死角から反撃すれば負けなどないわ」

 

 荼毘がまた肩を竦め、言い合うつもりはないとアピールする。

 

「だが……弔の処置が終わるまであと数ヶ月はかかる。お前たちを匿ってやっておるが、その間、目立つことをされて公安に嗅ぎつかれてはかなわん。しばらくは大人しくしておれ、殺人などもってのほかだぞ」

 

 ドクターは荼毘に釘を刺した。

 

 荼毘を……焼け焦げた轟燈矢を山火事の中、保護したのはAFOと志賀丸太なのだ。

 荼毘が父親への、エンデヴァーこと轟炎司への復讐に狂っているのは最初から分かっている。

 オールマイトの引退で暫定とはいえ今やNo1ヒーローになったエンデヴァーに内心平静ではいられないだろう。

 手綱を緩めれば今すぐにでもコトを起こしかねない。

 

「まだ誰も殺しちゃいねーよ。チマチマした殺しじゃダメさ。あいつにはNo1になったことをじっくりと実感してもらって……それから地獄に落ちて貰うさ、俺と一緒にな。ククク」

 

 低い声で嗤い始めた荼毘から焦げ臭い匂いが漂い始めた。

 感情に呼応して内なる炎が荼毘の身体を焼き焦がしているのに本人は嗤っている。

 

 荼毘の狂気にドクターは一歩後ずさった。

 

 父親とともに破滅することを請い願っている荼毘の気持ちは志賀丸太には理解しかねた。

 蒼いはずの荼毘の炎が暗く淀み、荼毘の身体から真っ黒な炎として噴き出しているような光景を幻視して、志賀丸太は思わずゴーグルを手でぬぐった。

 

 慌てて首を振って幻覚を打ち消す。

 

 そして荼毘に気付かれぬように深呼吸し、怪しまれぬように──まるでふと思い出したように話題を変える。

 

「そうじゃ、荼毘よ。おまえが手に入れてきたあの薬な、裏社会で出回り始めているというアレだ」

 

「……それが?」

 

 話を振られ、嗤うのを止めた荼毘が振り返った。

 

「実験体に試してみたら、確かに個性因子が傷ついて治るまでしばらく個性が使えなくなった」

 

「へえ。効果は本物だったか」

 

「それで、残ったサンプルの中身を調べたら人由来の細胞や血液の成分、要するに血漿や白血球、血小板が含まれとった」

 

「──材料は人ということか?」

 

「そうじゃ。つまり個性因子を傷つける個性を持った人の身体を材料に作られておるのじゃ」

 

「人の身体を切り刻んで薬の材料にしてるってことか。悪趣味なことだ」

 

 そう言いつつも荼毘はそのことを非難するような口調ではなかった。

 エンデヴァーに関係しないことに興味を抱かないだけだ。

 

「そうかね? 面白いじゃないか。うまく使えばヒーローどもへの牽制に使えると思わんか」

 

「個性由来じゃ、そいつの身体しか薬の材料にならねーんだから数作れねーだろ」

 

「そうじゃな。きっとロクな機材もなく手作業でやってるような状態じゃろう。大量生産など夢のまた夢じゃな」

 

 さっきまでとうって変わって楽しそうにしてるドクターに荼毘が不審な目を向ける。

 元から躁鬱的なところがあったが、そういうのとは別の違和感を覚えた。

 

「残念ながらサンプルに含まれておった細胞は全て壊れておった。人体を砕いて薬にしてる工程が乱暴すぎるんじゃな。じゃが品質のブレが大きい分、サンプルを多く集めればまだ生きた細胞が含まれたものが手に入るはずじゃ」

 

「回りくどいな、どうしろって?」

 

「もっとサンプルが欲しい!」

 

「……最初からそう言え」

 

 ドクターと喋るのに飽きたのか、または依頼されたことを実行するためか、荼毘はドクターに背を向けて歩き出した。

 

「だがあの薬を流してるのはヤクザ者だった。無理に集めようとすれば揉めるぞ。いいのか?」

 

「構わんとも」

 

 志賀丸太は大きく頷いた。

 

「死穢八斎會じゃろう? 警察に潜ませているスパイからから情報が入ってきておる。近いうちに強制捜査が行われるとな。その前に奪ってきてくれんか」

 

「報酬は?」

 

「隠れ家を貸してやっておるじゃろ? いやなら家賃を払え」

 

「はっ!」

 

 両腕を左右に拡げ、降参するポーズを取る。

 そして再び歩き出しかけて足を止め……ドクターに問いかけた。なぜそれが気になったのか荼毘自身にも分からない。

 

「そういや、その薬の原材料ってどんなやつか分かるか?」

 

「子どもじゃな。おそらく幼稚園くらいの女の子じゃろう」

 

「へぇ……子どもねぇ」

 

 聞いても荼毘はどうとも思わなかった。

 そして荼毘はドクターの地下研究室から姿を消した。

 

 荼毘の後ろ姿が暗闇に消え、更にはゴーグルのレンズに表示された対人センサーの反応が消えるのを待ってからようやく志賀丸太は誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

 

「……保険が必要じゃ。ワシにもあんたにも。そうは思わんかね?」

 

 志賀丸太は改めて目の前の培養液に満たされた水槽を見上げた。

 中には何本ものチューブに繋がれた死柄木弔の身体が身動き一つせず浮かんでいる。

 

「許してくれ、オール・フォー・ワン。個性因子だけの状態で人格がどこまで保たれるのかワシには賭けることはできんかった。これが最善なのじゃ……」

 

 移植した個性定着の為に仮死状態に置かれた死柄木弔に向かって、地下研究室で志賀丸太ことドクターは懺悔するようにただ一人謝り続けた。

 

 

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