怠惰に生きたいだけのヴィランが全てを蹂躙する物語   作:名無し

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第32話 壊理

「お前は呪われた子だ」

 

 鳥の嘴のようなペストマスクで顔の下半分を覆った治崎が幼い彼女に事実を突きつけた。

 この言葉を投げかけられる度に胸が締め付けられるように痛くなる。事実だからだ。

 

 自分の保護者であるこの男が壊理は好きではなかった。

 

 だけど事実を事実として突きつけてくる、そして慰めの言葉など無縁のこの男が自分にとって逆に救いでもあることを壊理は本能的に理解していた。

 

 

 

「おとうさん……?」

 

 あの日、大好きだった父親が自分の目の前で跡形もなく消えさった。

 額から流れ込むチリチリするような未知の感覚に戸惑って、何か不安になって大好きな父親へ伸ばしたその手が父親に触れた時にそれが起こった。

 

 自分の額の角から、訳の分からない膨大な何かが溢れ出して、それに父親が飲み込まれた。

 そこに壊理の意志はなかった。発現したばかりの個性が不幸にも暴発しただけなのだ。

 

 壊理の前で父親が瞬く間に壊理と同じくらいの子どもに姿を変え、瞬きした次の瞬間には視界から消えていた。後になって、お医者さんと看護婦さんから赤ちゃんよりももっと前の状態に巻き戻されて消え去ったのだろうと教えられた。

 

 優しかった母親は半狂乱になり、自分は捨てられた。

 お祖父ちゃんと名乗った人も自分を側には置かなかった。

 

「──お前のその力は人に不幸を齎す。お前の周りの人間に災厄が降りかかり続けるんだ、分かるか?」

 

 治崎が言い放ったその言葉は酷い言葉ではあったが、壊理にとってはただ事実を述べているだけであった。

 母親がしたように感情をぶつけ、なじり、責めたりはしなかった。

 

 成長して後にこの時のことを思い返すと、治崎のもとでなければ自分の心は壊れていただろうと、ただそれだけは分かった。

 

 だけどこの男のことは嫌いだった。

 

 治崎は預けられた年端も行かない壊理を組長の孫娘とは見てはいなかった。

 治崎の想いは組長にだけ向けられており、それは幼い壊理でも理解できた。

 

 

 そして個性を調べるための苦痛の日々が始まった。

 

 

 実験台に固定され、鋭いメスで肉を裂かれ、腕の血管に注射器を突き立てられる度、治崎は平然とこれはお前への罰だと口にした。

 

 自分の個性という名の不可解な力が発動すると、たちまち傷はふさがった。

 そのまま暴走が始まると治崎が分解して止めてくれた。

 

 一瞬で身体がバラバラになる衝撃と苦痛。

 そしてバラバラになった身体が一瞬で元に戻り、痛みも苦しみも最初から何も無かったような不思議な感覚。

 

 自分でもよく分からないけどこの男に苦痛を与えられると、父親を消してしまったこと、母親になじられた悲しみと苦しみがほんの少しだけ和らいだ。

 

 繰り返される実験の中で自分の個性は発動したりしなかったり、制御などできずずっと不安定だった。メスで切られた傷が塞がらない時は治崎がオーバーホールを使って傷を治した。

 

 

 いつもの実験のあと。

 治崎がいつものように事実だけを告げてきた。

 

「壊理……おまえの個性の正体は巻き戻しだ」

 

「巻き、戻し?」

 

「巻き戻すんだ、すべてを元の姿に…………そう、正しい姿に」

 

 そう言ったきり、治崎は黙り込んで何かを考え始めたようだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 そして現在(いま)

 

 不遜で冷酷だった男は黒い皮膚が全身をまだら模様に覆われている異形の身体になり果てて、地面に倒れ伏していた。膝が内側から弾け、不自然な形にねじ曲がった巨大な足が地面を蹴りつける衝撃であたり一帯が地震のように揺れる。

 

 体格も重さもその力も人間の規格を大きく逸脱している。

 そして今、形すらも逸脱しようとしていた。

 

「くそッ! 何が起こってる!?」

 

 内側から爆ぜた膝に手を当て、即座に分解して足を再構築する。

 すると勝手に地面を蹴りつけていた足が動くのを止めた。

 

 治崎は周りを慎重に見渡した。

 

 よく考えれば、これほどの規模で破壊が行われたのだ。

 ヒーローが駆けつけて来ていてもおかしくはない。だとするとヒーローからの攻撃を受けたのかもしれない。

 

 だが暴れたのはヴィラン連合で、死穢八斎會と治崎はこれに関しては純粋な被害者だ。

 ヒーローに攻撃されたのだとしたら理不尽すぎる。

 

 

 ボコォ!! 

 

「ぐっ!?」

 

 唐突に腹部が膨らんで破裂した。

 赤く染まった内臓が外に飛び出し反動で背中から地面に倒れる。

 

 解放された肋骨がまるで口に生えた牙のようにギチギチと蠢き始めた。

 

「こ、これは……まさか!?」

 

 背中に生えた一対の腕が勝手に地面を掻きむしり、倒れていた組長(オヤジ)の身体を掴み上げた。

 

「ま、待て!!」

 

 グシャアァアアッ! 

 

 治崎が止める間もなく、組長(オヤジ)の身体は握りつぶされた。

 組長(オヤジ)の背骨があらぬ方向に曲がり、腹部が圧力でパンっと乾いた音を立てて弾けた。

 

「ウォオオオ!!」

 

 即座に個性:オーバーホールでオヤジの身体を再構築する。

 再構築した瞬間に再び握りつぶされた。

 

「ふざけるな!」

 

 組長(オヤジ)を握りつぶした自分の腕を治崎自身が分解して消し飛ばし、組長を蘇生する。

 

 ボコッ!

 ボコボコォ!!

 

 外に飛び出していた内臓が分解された腕を吸収し無秩序に増殖を始めた。足は再び折れ曲がって関節が明後日の方向を向く。

 

「バカな! 一体なんだコレはッ!?」

 

 その阿鼻叫喚の惨状から少し離れた瓦礫の中で、荼毘は焦点の合わない瞳で慌てる治崎を見つめていた。

 

 口に溜まった血を吐き出しながら、荼毘は治崎の醜態を嘲笑った。

 下半身は消失し、流れ出た大量の血が地面を赤く染めている。もはや致死量などというレベルはとっくに超えていた。

 

「はは……そりゃ、そうだろ……」

 

 邪神の眷属が弄り回したおぞましくも精緻なバランスの肉体(脳無)を3体も吸収したのだ。

 制御できると考える方がおかしい。

 

 3体が統合されたことで融合治崎の身体の支配権が脳無の側に移りかけているのだ。そして荼毘が与えた組長を殺せという命令が蘇り、その肉体を突き動かしている。

 

 バキィッ!!

 

 組長の頸部が治崎の背中から突き出た腕でへし折られた。

 

「オヤジッ!!」

 

 すぐさまオーバーホールで組長の身体が再構成される。

 治崎の身体の増殖が無秩序に加速していく。

 

 とっくの昔に人体の形を成していない。

 

「こんなものオオォオオオオオオ!!」

 

 治崎の巨大な身体が弾け飛んだ。

 個性:オーバーホールで自分の身体を脳無ごと分解したのだ。

 

 だが弾け飛んだ身体の肉片が有機的に結びつき、無秩序な肉塊に戻ってしまう。

 

「超再生……3個分抱えてりゃそうなるわな」

 

 荼毘が弱々しく嘲笑う。

 

「クソ! 離れろ! 俺の、俺の身体から、出て行けええええ!!」

 

 治崎の腕が組長の身体を破壊し続けていた。

 そして別の腕が組長に触れてオーバーホールで即時蘇生を続けている。

 

 治崎の顔が焦燥に歪む。

 このままでは組長(オヤジ)が本当に死んでしまう。

 

「させるもの……かぁッ!!」

 

 

 治崎の足掻く姿を見て冷笑を浮かべた荼毘の身体が地面に倒れた。

 思考が暗闇の中に沈み込もうとしている。

 

「あー……ここま……で……」

 

 治崎の三つ目の左腕が組長を殺し続け、右腕で組長を蘇生させ続ける終わりのない地獄を見ながら荼毘の瞼がゆっくりと下がり始めた。

 

 だが、死を目前にしたその視界に絢爛と燃え盛る炎が現れた。

 眩いほどの輝きを放ち、天を衝くほどに炎が猛っている。

 

「……エン、デヴァー……!?」

 

 死に瀕した身体の胸の裡に強制的に昏い炎が灯った。

 

 死ぬ前の幻覚か。

 ここにいきなりエンデヴァーが現れるなど出来すぎている。

 いや……最早構うものか。

 

 蠟燭の最期の輝きなのか、腕に力が戻っていた。

 手の中で蒼い炎が燃え盛る。

 

「エンデヴァーーーーーーー!!」

 

 荼毘は口の端から血を零しながら全力の蒼炎をエンデヴァーに向けて解き放った。

 

 死にかけている男から放たれたとは思えないほどの炎が一直線に突き進み、最大火力の蒼炎がエンデヴァーを包み込んだ。

 

「ハ、ハハッ。避けも……しないかッ!」

 

 信じ難いことにエンデヴァーは荼毘の放つ蒼炎を躱しもせずに正面から突っ込んできている。

 

 真っすぐに。

 ただ真っすぐに。

 

「俺の炎は取るに足りないってかッ! エンデヴァー!!」

 

 死に瀕した荼毘の心が燃え上がる。

 沸き上がる力を込めて再び最大火力で蒼炎を放つ。

 

 夕焼けに赤く染まる住宅街を蒼い炎が駆け抜けて、真っすぐにエンデヴァーの下に向かう。

 エンデヴァーはそんな二発目の蒼炎も正面から受け止めた。髪がチリチリに焼け、顔の皮膚が焼けて捲れ上がる。耐火コスチュームの肩の部分に穴が開き、むき出しになった皮膚が黒く炭化し剥がれ落ちていく。

 

「何泣いてやがるッ! No1ヒーロー!!」

 

 エンデヴァーが何か叫んでいるのが見える。

 だが瀕死の荼毘の耳はほぼ機能を失っている。ほとんど何も聞こえない。

 

 勢いを落とさずに馬鹿正直に突っ込んでくるエンデヴァーに蒼炎を放ち続ける。

 

「──ゃああああッ!!」

 

「聞こえねぇえよぉ!!」

 

 爆炎が世界を青白く何もかも染め上げている。

 死の淵で時間がゆっくりと進んでいく。

 

 腕から力が抜け始めた。

 

 まだだッ!

 まだ終われねぇッ!!

 

 己の炎をエンデヴァーにもっと見せつけるのだ。

 

 もっと。

 もっと。

 

 だが、意志に反して腕から力が抜けていく。

 

 あぁ……。

 

 ダメだ。

 まだ、ダメだ。

 

 まだ全部を見せていないのだ。

 焼け果てた涙腺から血が溢れ始めるのを自覚する。

 

 遥か遠くから駆けてきているエンデヴァー()の目からも血が溢れているのが見えた。

 

 その時、自分に何かがぶつかってきた。

 視界の隅に何かがいる。

 

 だがそんなものはどうでもいい。

 今エンデヴァー()から目を離してたまるものか。

 

 不意に腕に力が戻ってきた。

 視界に光が溢れ始めた。

 

 構わない。

 エンデヴァー()以外の全てがもうどうでもいい。

 

 腕を振りかぶる。

 今までの全てを上回る蒼炎を放てる予感がする。

 

 同時に胸の裡で、昏い炎の傍でくすぶり続けていた(エンデヴァー)への想いが爆発的に膨れ上がっていく。

 

「俺の! 炎を! 見ろ!」

 

 自分の全てを籠めて蒼炎を放った。

 

 死の淵の幻覚なのか、瀬古杜岳のあの日のようだ。

 初めて蒼い炎を放てたあの日の炎。

 

 幼い腕。

 膨れ上がる想い。

 

 あぁ……。

 

「僕を……見てよ、お父さん」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「こんなの、違うもん!」

 

 壊理の足が勝手に動いていた。

 

『お前は呪われた子だ』

 

 治崎の言葉が頭の中でグルグル回っていた。

 自分は父も母も不幸にした。

 

 そして今、目の前で誰も彼もが死に瀕している。

 不遜で嫌いな治崎も、お爺ちゃんも、あのお兄ちゃんも、見知らぬオジサンも。

 

「こんなのあたしは望んでない!」

 

 誰も死んでほしくない、不幸になんてなって欲しくないの!!

 

『お前の個性は巻き戻しだ』

 

 前に向かって駆けだした。

 

『全てを正しい姿に戻す力だ』

 

 消え去った父が、死んだ父が背中を押してくれている。

 額の角からチリチリとした感覚がかつてない強さで広がっていく。

 

「あたしは呪われてなんかいない!」

 

 壊理は叫びながら前へ駆け出した。

 角から強烈な光が爆発するように周囲に広がっていく。

 

 蠢く治崎の肉体へと飛び込み、腕らしきものに抱きついた。

 溢れかえるエネルギーが流れ込んでいく。

 

 祖父にも触れる。

 そのまま駆け抜け、あのお兄ちゃんのもとに向かう。

 

 腰から下を失って死にかけているお兄ちゃん。

 父を失ってから始めて手を差し出してくれたお兄ちゃん。

 

 血にまみれた荼毘に躊躇うことなく壊理は抱きついた。

 

「燈矢ぁあああ!!」

 

 焼け焦げたオジサンが同じようにお兄ちゃんに抱きついてきた。

 

 

 

 

 

 半壊した住宅街に眩い光が現れ、全てを包み込んでいく。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 燈矢が気が付くと目の前に父親がいた。

 

「お父さん、やっぱり来てくれたんだ」

 

「ああ、遅くなって……済まない」

 

 炎司の目からとめどなく涙が溢れ続けている。

 

「ううん、ちゃんと来てくれたからいいよ、許してあげる」

 

 燈矢は怪訝そうに周りの景色を見渡した。

 

「あれ?」

 

 瀬古杜岳にいたはずなのに、なぜか町の中にいるからだ。

 

 まるで夢の中にいるようだ。

 でもそんなことより。

 

「お父さん、泣いてるの?」

 

「あぁ……泣いているとも。大人の男が泣くのは変か?」

 

「ううん、僕お父さんずっと見てたから知ってるよ。お父さんて夏君が生まれた時も焦凍が生まれた時泣いてたよね? お父さんっていつも嬉しい時に泣くんだよ。お父さん……今嬉しいの?」

 

 轟炎司の胸が詰まる。

 

「ああ、とてもだ、燈矢」

 

 嗚咽で言葉が途切れ、続く言葉も喉に詰まる。

 

 人生で一番嬉しいとも。

 

 言葉の代わりに手を燈矢の背中に回す。

 強く、強く抱きしめる。

 

「ちょ、痛いよお父さん」

 

「ああ、すまん」

 

 腕からなんとか力を抜こうとする。

 失われた……死んだはずの息子が生きていたのだ。

 

 震える手で燈矢の背中を撫で、正面から息子の顔を見つめる。

 

 感情が高ぶりすぎて、何も考えられなかったが、燈矢の年齢が7年前に……おそらくは瀬古杜岳のあの日に若返っている。

 

 胸の奥が熱くなる。

 息子が返ってきたのだ。

 

 失われた何もかもが今両腕の中にある。

 

 信じがたい出来事が連続したために、エンデヴァーの感覚は全て目の前の燈矢に向けられていた。

 

 だから気づかなかった。

 気づいた時にはすべてが終わっていた。

 

 

 二人の傍らで個性を限界まで使い果たした壊理が糸が切れた人形のように倒れ伏していた。

 その小さな身体を、黒い肌の脳無が背後から掬い上げた。

 

 治崎に融合されずに残っていた感知型の最後の一体のニアハイエンド脳無。

 

 脳無は、意識を失った壊理を壊れ物を扱うような手つきで抱えると一度だけ振り返り、エンデヴァーに抱きしめられた燈矢の背中を見つめた。

 

 ニアハイエンド脳無は、父親に見つめられ話しかけられて幸せそうにしている燈矢を確認すると、その強靭な足で地面を蹴り、微かな風切り音とともに空中に飛び上がった。そして崩れかけた住宅街の屋根の上を高速で飛び跳ねていく。

 

 救急車や消防車の車両が駆けつけてくる騒々しい音の中、街並みの向こうへ消えていくその影にエンデヴァーは気づかなかった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「フハハハハ! これほど昂ぶるのは久しぶりじゃ!!」

 

 歯車型のゴーグルの奥で血走った目をした志賀丸太のテンションは有頂天で天元突破だった。

 油断すればインド映画のように年甲斐もなく踊り出しそうだ。

 

 胸を高鳴らせ、脳無から壊理を受け取る。

 年老いたドクターの手でも持てるほど壊理の身体は小さく、か弱かった。

 

 すぐ側のベッドに壊理の身体を横たえる。

 気を失っている彼女を扱うドクターの手は驚くほど優しい。

 

「うほほ! 感謝しかないぞ、荼毘よ」

 

 この場にいない荼毘へ感謝の言葉をつぶやく。

 

 脳無にはカメラなどの外部機材を取り付けたところですぐ壊れてしまう。

 だから現地での荼毘の動向は分からないが、脳無に仕込んでおいた緊急コマンドが動作しているし、帰ってこないところを見るとオーバーホールに敗れて死んだか、ヒーローに捕まったのだろう。

 

 だが問題ない。

 

 結果として、仕上げたばかりのニアハイエンド脳無3体が使い潰されてしまったが、得られたものを考えれば文句など出ようはずもない。

 

 ドクターの見立てでは荼毘は生きているのが不思議なほどで、遅かれ早かれ死んでいたはずの男だ。

 どの道失われる駒だった。

 

「それよりも、だ」

 

 ベッドの上で眠る壊理を見る。

 腕と足には包帯が巻かれており、服はひらひらとした簡素なワンピースだ。

 

 額に小さな角が生えていることを除けば、極めて愛らしい容姿をしたわずか6歳の幼子で、今も自分の運命を何も知らず目を瞑って静かな呼吸を繰り返している。

 

「……まずはじっくりと調べねばな」

 

 今の個性社会では個人の個性は秘匿される傾向がある。

 一般人の雑多な個性などは隠されることはないが、有用な個性になればなるほど、その情報は表に出てこなくなる。

 

 唯一の例外はヒーローとヒーロー志望者だ。

 

 この幼子のように裏社会で囲われている場合はまず表に出てこない。ドクターとAFOが構築した情報網とて全知には程遠い。世界中に個性が溢れかえっている現状で全ての個性の把握などできるわけがない。

 

 だが、本来ならば誰にも知られることのなかったであろうこの子の個性がドクターの情報網に引っかかった。

 

 今まで生き残ってきたとはいえ、所詮はヤクザの物差しで生きてきたから視野が狭い。表に流れることを考えてないとはいえ、薬として販売……つまり流通に乗せれば、極めて有用な個性がそこにあると、危険な連中が嗅ぎつけ狙われる羽目になるのだ。

 

 この場合ドクターとAFOなどのヴィランよりももっと危険なのは大手製薬会社だ。

 

 この個性社会では一定規模以上の経済体に育った組織は生き残りをかけて、非合法な手段を取る部門が自然発生する。つまるところ自助努力だ。

 

 昔と違って治安組織としての警察が機能していない。ヒーローなどという個人事業主に治安維持を委任しているなど近代国家以前の自警団が幅を利かせている時代と本質はそう変わらない。

 

 リスクマネジメントの観点から企業は身を護るため、利益を伸ばすために大企業になればなるほど表と裏の両方で強力な個性を求めるのは当然だった。

 

 実際、ドクターの調査では大手製薬会社の2社ほどが外部の非合法組織と組んで壊理の確保に動いていたようだ。それに先んじて確保できたのは荼毘の大手柄と言える。

 

 色々と考えながらドクターが壊理の腕と足に巻かれた包帯を外していく。

 

「ふむ、包帯などしておるから傷があるかと思ったが無いのだな。綺麗なものじゃないか」

 

 6歳の女の子の瑞々しい肌を老人の骨ばった指が確かめるように這い回る。

 

「うーむ、さすがに若いのう。吸い付くようじゃわい」

 

 自分が失ってしまった若さに感嘆しつつ、ドクターはワンピースのスカートの裾に手を伸ばした。

 

 ゆっくりと捲り上げていく。

 

 今からこの子の個性を調べねばならない。

 これからの忙しい日々を思い、ドクターの顔が興奮で紅潮した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……これは扱いが難しそうだの」

 

 顔を顰めながら少女の額に生えた角を見る。

 エネルギー蓄積型の個性で、角がその依り代になっている。

 

 個性の制御が特に難しいタイプだ。

 

 失敗は許されない。

 仕方がなかったとはいえ、AFOの許可なく元々の計画を変更したのだ。

 

 カルテを見ながらトントンと机を指で叩く。

 父親の消失はこの子の個性が制御されずに暴走した結果だ。

 この個性は一歩間違えば調べようとした者も、下手をすると彼女自身すらも消滅させかねない。

 

 助手の脳無を見て、ベッドで眠り続ける全裸の幼女を眺める。

 リスクを排除する方法はある。

 

 ──だが。

 

『……頼むよ。もうちょいマシな環境くらいあんたなら用意できるだろ?』

 

 出掛けに振り返りつつ言った荼毘の最後の言葉が妙に心に残っている。

 

「ふむ」

 

 カルテを見ながらドクターは再び考えに沈み込んだ。

 意外と話の聞き上手な男ではあった。

 ⋯⋯瀬古杜岳の事故がなければどんな青年に育っていたであろうか。

 

「⋯⋯⋯⋯ふむ」

 

 今までであればすぐに下せた決断が、なぜか今日に限っては結論が出せない。ドクターは椅子に腰掛けたまま、いつも隣にいたはずのAFOがいないことを憂いながら、押し黙ったまま長く……長く考え続けた。

 




今回も単話更新です。
この回に色んなものを詰め込みました。

2年前にプロットを組んだ段階からもっとも執筆難易度の高い回になると思ってましたが、案の定、ラストで組長と治崎のシーンを描写の中に組み入れられませんでした。
組み入れてしまうと話の流れを阻害してノイズになってしまう。

本来は
・エンデヴァー-荼毘
・治崎-壊理
・組長-治崎廻

の3つの親子関係を第32話で収束させるつもりだったのですが、1ケ月2ケ月こねくり回してどうにもならないので、組長治崎回は完結してから落ち穂拾いという番外編で回収します。タイトルだけはもう決めてます。

スーパードクターK(廻)~The God Hand~

完結後に気長にお待ちください。



次話、第33話 マスターピース
お楽しみに。
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