島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
美穂の店を訪問してから一週間。
完全な休養を卯月に強制され、暇を持て余していた先週とは真逆に、この一週間のことねは忙しくも充実した毎日を過ごしていた。だが、ただ単に充実していたというだけではない。
「藤田、この一週間で見違えたな。このままダンスを磨いていけ、お前の強い武器になるだろう」
「ありがとうございまぁす♪」
いつも叱られてばかりいたダンスレッスンで褒められる。
「ことねちゃん、誰かに教わったの? スキのない笑顔に綺麗な決めポーズ、完璧よ」
「えへへ、秘密でぇーす!」
いつも微妙な顔をされていたビジュアルレッスンで褒められる。
「藤田さん、とても上手くなってますよ。この調子なら、歌を強みに出来るかもしれません」
「ほ、本当ですかぁ!?」
いつも行くこと自体を避けていたボーカルレッスンで褒められる。
「他人に教えた経験なんてほとんどないけど、ことねは飲み込みが早い方だと思うよ。元々が酷かったぶん、伸びしろもまだまだある。期待してるから」
「はいっ! まだまだ頑張っちゃいますよぉ~!」
凛を相手にしてのスペシャルレッスンですら、時折褒められる。
「藤田さんはアイドルになるため生まれてきたような逸材です。貴女の存在を世界に知らしめるため、私も全力を尽くします」
「も~、プロデューサーはいつも褒めすぎなんですってぇ~♡」
卯月との日常会話に関しては……まあ、普段通りとして。
(うへへぇ~♡ こんなにいろんな人から褒められまくったの、人生で初めてかも……)
冗談抜きに、ことねの人生で一番褒められた一週間だった。それもお世辞などではない。自分の力量を認められ、アイドルとしての価値を認められた故の誉め言葉だ。
人生が楽しい。いや、これまでがまったく楽しくなかったというわけではない。まったくそうではないのだが、それでも一寸先の未来も見えず、来年の学費が払えるかもわからないような詰みっぷりだったことを思えば、プロデューサーが付き、周囲に褒められまくり、お金を稼ぐ目途が立っているというのは、あまりにも順風満帆だ。
(バイトも、いきなり辞めることになったのにみんな笑って送り出してくれたし……やっぱりこのへんのバイトって、入れ替わりが激しくなる前提で雇ってるんだろうなー)
本格的なプロデュースの始動を機に、ことねはきっぱりとこれまでのバイトを辞めることになった。実はことねがバイト先に連絡を入れるより先に、当のことねからバイト先の情報を聞き出していた卯月が、先回りして連絡と説得を済ませていたことによってスムーズな退職が実現したのだが、ことねはその事実を知る由もない。
ことねがバイトを辞める主な理由は、レッスンに注力し、身体を休める時間を確保するためだ。だがもうひとつの大きな理由として、美穂の店でのバイトを本格的に開始するというものもある。
割の良いバイトだと卯月から聞いていたので期待はしていたが、実際の待遇はことねが想像していたよりもさらに上のものだった。なにせ美穂が提示した時給は、一般的な高校生がバイトで得られる時給の3倍か4倍に近かったのだ。
『あ、あの……これ、数字というか、桁というか、いろいろ間違ってません……?』
契約書を前に恐る恐る問いかけたことねに対して、美穂は首を振る。
『それで合ってるよ。卯月ちゃんから聞いてると思うけど、このお店ってわたしの知り合いしか来ないんだ。ことねちゃんがちょっと驚くくらいの人が来るかもしれないし、ここで込み入った話をすることもある。だからバイトだとしても口の堅い人じゃないとダメだし、お給料もちゃんと高くしておいた方がいいでしょ?』
『それは……確かに、そうかもですけどぉ……』
『藤田さん。いずれ貴女がアイドルとして活躍するようになれば、この程度の給金では貴女の時間を拘束することができないほどに稼げますよ。それを見越したうえで、小日向さんは今のうちから貴女に先行投資しているのです』
『プロデューサースイッチの入った卯月、なんだか本当に回りくどいね。……美穂もことねに期待してる、ってことでしょ。素直にサインしたら?』
普通なら怪しすぎて絶対にサインなどできない条件だが、ことねも今更眼前の三人を疑う気はなかった。結局彼女たちの言葉に甘えて、ことねは素直に当初の条件でバイトすることになったのである。
そして一週間後の今日が、ことねにとっての初出勤日だ。どんな職場でも初出勤というものは緊張するものだが、今の彼女に怖いものはない。
(店長の小日向さんは優しいし、仕事の内容も接客に清掃なら今までずっとやってきた! お酒は……正直わかんないけど、必要になったら教えてくれるらしいし、それでお金があんなに貰えるんだもん。いや〜、ほんっと良い仕事だな〜♪)
この一週間、卯月のみならず周囲のあらゆる人物に褒められ続けて、ことねはまさしく有頂天だった。咲季を除けば何も知らないはずのクラスメートたちにすら、前より健康そうだの可愛くなったんじゃないかだのと声を掛けられるほどである。
外部から投入し続けられる自己肯定感という名の燃料を常に消費することによって、ことねのエンジンはフルスロットル状態にあると言っても過言ではなかった。
先週とは違って卯月は同行していないが、店までの道はしっかり頭に叩き込んでいる。商店街の裏路地に入り、目立たないビルの目立たないドアに。ここに辿りつくまで、女子寮から徒歩で15分か20分そこらである。
「……よしっ」
深呼吸を挟み、ドアを開ける。初対面は済ませているとはいえ、正式な初出勤は今日なのだから、気合を入れ直さなければならない。開口一番で元気良く挨拶するのが他人に好印象を与えるうえでの基本である。
「こんにちは、小日向さん! 今日からお世話になります、藤田……こと、ね……」
歯切れの悪い挨拶。頭上のドアベルがからからと空しく鳴り響くなか、ことねは思わず硬直してしまった。しかし、目の前の光景を見てしまえば無理もあるまい。
「もう、楓さん! 起きてくださいってば! まだ正午にすらなってないんですよ!? いくらオフだからって……」
「…………ありすちゃん……すぅ」
カウンター席にふたり、見知らぬ誰かが座っている。いや、見知らぬというのは語弊があるか。ことねも聞いたことのある声、見たことのある外見だ。
「これは……しばらく起きませんね。はぁ……あれ、あなたは?」
背後に立つことねの存在に気付き、黒髪の女性が振り返る。
「あ、はいっ! 藤田ことねです! 今日からここで働かせてもらうことになってて……」
「ああ、美穂さんが言っていたアルバイトの方ですね。美穂さん、今は少し外しているんです。すぐ戻ってくると仰っていましたから……」
客を店内に残して唯一の店員が外出とは、防犯意識が皆無すぎるのか、客層が身内すぎてそれでもどうにかなってしまうのか、なんとも言い難いところである。しかし、ことねの注目は美穂よりも眼前の女性の方にあった。
「あの……橘ありすさん、ですよね? あと、そこでカウンターに突っ伏してる人って……」
「この人のことは気にしないでください。それにしても、私の名前を知っているとは。舞台の方に造詣があるのですか?」
「あ、いえ。そっちじゃなくて、アイドルとしての方で……」
「ああ、なるほど」
真面目そうな容姿とは裏腹に、女性はにこりと微笑みながらことねに挨拶した。
「改めて、橘ありすです。橘でも、ありすでも、お好きな方で呼んでください」