島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
橘ありす。小学6年生、12歳の若さでアイドルとしてデビュー。そこから10年間、途切れることなく芸能界で活躍し続けているが、高校卒業以降は舞台女優としての活動に軸足を移している。
今でも芸能人として大々的に活動していることを考えれば、その芸歴は卯月をもわずかに越える。無論、ことねから見れば先輩も先輩、大ベテランである。
「それにしても、美穂さんがこのお店でアルバイトの人を雇うとは思いませんでした」
ひとまずバーカウンターの内側に移動したことねを観察しながら、ありすはそう口にした。
「やっぱり、小日向さんがずっとひとりでお店を回してたんですか?」
「美穂さんひとりで回らない、ということがまずないですから。時々、多くの人が集まるときには忙しそうにしていますが……」
(人手が欲しいらしい、っていうのはプロデューサーからの伝言ゲームだった。やっぱこれ、あたしを働かせてくれるための方便だったんだろーなぁ……)
しかし今になってやっぱりやめますなどと言えるわけもないし、ことねからしてもそんなことを言い出す理由はひとつもない。事がここにまで至った以上、ことねはひたすらにバイトの恩恵を享受するだけだ。
「そういえば、ことねさんはどこで美穂さんと知り合ったんですか?」
「あー……あたし、実は小日向さんの知り合いとしてこのお店に来たわけじゃないんです。卯月さん……島村卯月さんから紹介されて、ここで働くことになって」
「ということは……ことねさん、初星学園生ですか?」
ありすの鋭い問いに頷くことね。
「そうです! ……もしかして、知ってます? 今の卯月さんが何をしてるか」
「
溜息をひとつ挟んで、ありすは続ける。
「美穂さんが辞めるって言いだしたときも相当紛糾したらしいですけどね。卯月さんのときはそれ以上で、舞台事業部に移籍した私の方にまで色々と噂が流れてました。ましてやただ辞めるならまだしも、初星学園は
つらつらと話し続けて、ふと気付いたような顔をするありす。
「……すみません、美穂さんを相手に話すような気持ちになってしまって……ことねさん、この話はお店の外に出さないでください。お願いしますね」
「そ、それはもう! 絶対、ぜーったい出しませんので! なんなら忘れますのでっ!」
(というか出せるわけねーしっ! え、何? もしかしてこの店ってこういうレベルの発言がポンポン出てくるってことぉ!?)
今からでも認識を改めるべきかもしれない。確かにこれは迂闊に学生バイトなど雇えるわけもないし、雇うとするなら縁故採用になるのも納得がいく。高い時給だって、店で聞いたことを外に広めないというルールをしっかり守らせるためと考えれば何も不思議はない。
「でも、ことねちゃんはそういうこともある程度知っておくべきかもね」
入口から聞こえてきた第三者の声に振り返るふたり。そこに立っていたのは、ビニール袋を両手に引っ提げながら帰ってきた美穂だった。
「ごめんね、ことねちゃん。買い出しを忘れてたのにさっき気付いちゃって……ありすちゃんもありがとう、ことねちゃんの面倒を見てくれて」
「いえ、私は何もしていませんよ。……というか、いつからいたんですか? ドアベルは鳴ってなかったような」
「ときには空気のように存在感を消して溶け込むのも、アイドルとしてのスキルだからね」
答えになっているようでまったくなっていない返事をしながら、美穂はバーカウンターの内側に入ってくる。
「ちなみに卯月ちゃんは結局アイドルとして独立、個人事務所を設立したの。そのうえで346プロの社員として雇用契約を結んで、さらに100プロへ在籍出向、そこから研修目的で初星学園プロデューサー科に入学……っていう、結構ややこしい手順を踏んでことねちゃんをプロデュースしてるんだよ」
「へ、へぇ~……なんだか、本当にややこしいですねぇ」
「そういうことをしてまでアイドルのプロデュースをしてみたかったんだろうね。それで一番最初に見つけたのがことねちゃんなんだから、卯月ちゃんは確かにプロデューサーに向いてるのかも」
「えへへ、それほどでも~……ありますけどぉ♡」
さりげなく褒められて自己肯定感を補充することねを横目に、難しい顔をしたありすが美穂に問いかける。
「美穂さん。ことねさんが知っておくべき、というのは……」
「業界の情報を知っておいて損はない……なんて話とはまた別に、ね。卯月ちゃんがプロデュースする以上、周囲のことねちゃんへの期待は増え続けるばかりだから」
美穂の物言いに疑問符を浮かべることね。
「期待が増えるって……要するにプロデューサーのネームバリューがあるから、実績ゼロのあたしでも注目されるってことですよねぇ? 確かにプレッシャーもありますけど、そのぶん業界の有名人に気に入られたら大チャンスじゃないですかっ!」
「注目されるっていうか、
そう返されてことねの動きが止まる。そこに重ねて、ありすも口を挟んだ。
「誰をプロデュースしてるのか、ってところまで知ってる人はほぼいないでしょうけどね。現に私は知りませんでしたし、同じ舞台事業部で一番卯月さんと仲良しな未央さんでも、『誰かのプロデュースを始めた』って情報までらしいですから」
「いや、あの、もうプロデュースの情報広まってるんですか!? なんで!?」
「ことねさん、元346プロアイドルの情報網を舐めない方が良いですよ。仮にも業界最大手で、アイドル同士の横のつながりは太いです。卯月さんは元々忙しい人ですが、まめな人でもあります。卯月さんとのやりとりに継続的なディレイが発生した時点で、勘の良い人は初星学園で何か動き始めたと気付くでしょう」
大真面目な顔でそんなことを言い出すありすに、ことねは困惑を隠しきれない。
「卯月ちゃんが忙しそうにしてるらしいけど、何か知らないか……なんて、ここで私に聞いてきた子も何人かいるしね。流石にまだ言えないから、『言えないことを教える』ことしかできなかったけど」
「それは卯月さんと美穂さんの親友ぶりを知っての話でしょうから、若干ズレますけどね。……ともかく、ことねさん。あなたはデビューから注目される立ち位置ではありません。デビュー前から一挙手一投足を見られる立ち位置だと考えた方が良いですよ」
ありすの忠告に続き、美穂も再び口を開く。
「ことねちゃんをここで雇うって決めたのは、そういう理由もあるんだよ」
「雇う理由……って、あたしがここで働き続けたら、どんどん情報が広まっちゃうんじゃ……」
「わたしの店に招いてもいいって、わたしが信頼した人たちだけにね。それこそ、ありすちゃんみたいな人に」
ああ、と隣で納得したような声を漏らすありす。しかしことねの方はまだ理解が追い付いていないようだった。
「噂は止められないし、独り歩きする。注目されるだけならいいけど、噂がことねちゃんの敵になることだってあるかもしれないよね?」
「それは……そうですけど」
「じゃあどうするか? ……味方を作るの。必要になるときまでことねちゃんのことを黙ってくれていて、いざとなればことねちゃんを守ってくれるような人たち」
「…………あっ!」
「気付いたみたいだね。わたしのお店に来る人たちなら、この条件を満たせるんだよ」
美穂が信頼した業界人、あるいは元業界人となれば、それはほぼイコールで卯月が信頼する相手でもある。美穂や卯月の損になるような行動をわざわざやるような人間は、そもそもこの店に招かれたりしない。
「ことねちゃんがここで働くメリットは、お金だけじゃない。いろんな人と知り合いになれるし、業界の話も聞ける。余計な噂がデビュー前に広がるのも避けやすくなるし、ここに来た人にはことねちゃん自身の人柄も伝わる。卯月ちゃんもここまでよく考えたよね」
「あ、あのぉ……あたし、そこまで考えが回ってなかったというか……」
「気負わないで、これはわたしと卯月ちゃんのお節介なんだから」
そう微笑む美穂と恐縮しきりのことね。そんなふたりの様子を見ながら、ありすは思った。
(……まるで、家族みたい)
ここにいない卯月、目の前の美穂、そしてことね。三人にそんな関係を幻視するほど、彼女たちはことねに入れ込んでいる気がする。彼女たちにそうまでさせている藤田ことねのことが、気になって仕方ない。
(なんて、これも計算のうち……ですか)
「美穂さん、何かおすすめのお酒はありますか。あまり強くないものだと良いのですが」
「あれ、珍しいね。ありすちゃん、いつも全然飲まないのに」
「そういう気分なんです、今日は」
「ふふ、わかったよ。それじゃあことねちゃん、お仕事はじめよっか」
「……はいっ! よろしくお願いしまーす!」
今度こそと言わんばかりに、威勢の良いことねの挨拶が店内に響いた。
100プロダクションで『じゅうおう』と読ませるのは公式情報(『佐藤の部屋』発言)です。言われてみれば、100万ダウンロード記念もそう読ませてましたね……完全に盲点だった。