島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
初星学園には、アイドル科の生徒向けに用意されたレッスンルームが両手の指では到底足りないほどに存在する。そのくらいの数を確保しなければ、全ての学園生がレッスンをするための環境を用意できないためだ。
その一方で、アイドルの面倒を見るトレーナーの人数には限りがあり、必然的にトレーナー付きのレッスンは予約制になる。トレーナーの人数に対してレッスンルームの数には余裕があるため、空いているレッスンルームであれば、生徒たちは予約なしに自主練をこなすこともできる。
「ワン、ツー、スリー、フォー……」
他に誰もいないレッスンルームで淡々とステップの練習をこなすことね。今の彼女も自主練の真っ最中だった。
実はプロデューサー制度を利用すると優先的にレッスンの予約を取れるというメリットがあり、ここしばらくのことねはずっとトレーナー付きのレッスンを受けることができていた。しかしそれも、事前にしっかりと予約を取っておけばの話である。
「……やっぱり三歩目が遅れてる? でも二歩目で余裕を取るとちょっと大股になっちゃうし」
「藤田さん」
「うひゃあっ!?」
死角から突然声を掛けられ、飛び上がることね。
「ぷ、プロデューサー! 気配を消していきなり話しかけるのやめてくださいって!」
「善処します。ですがそれよりも、今日の藤田さんはこの時間までレッスンをする予定ではなかったはずですが」
卯月の言う通りである。実のところ、ことねは今日もトレーナー付きのレッスンをちゃんと受けていた。こうしてひとりで自主練に励むのは、いわば居残り練習のようなものだ。ことねの悪癖、過重労働が日常だったころの感覚や思考はまだ抜けきっていないらしい。
「それは……その、もう少しでこのステップが綺麗にまとまりそうで……感覚を掴みたかったというか……ごめんなさい」
「……下半身よりも、むしろ上半身の振り付けを意識してください。脚を動かすというよりは、身体全体の重心移動で自然と動くようにしましょう。さあ、もう一度だけどうぞ」
「え? じゃ、じゃあやってみますけど……」
確かに先程までは、正確で綺麗なステップに執着しすぎて他の振り付けが疎かだったかもしれない。卯月に促されるまま、ことねは同じ振り付けをもう一度こなす。
「ワン、ツー、スリー……うわっ、ほんとにできた! こんな簡単に……」
「切り取った一部分を追求しようとして、全体としてのバランスが崩れてしまうのはよくあることです。今回の藤田さんの場合、最も大きな原因はオーバーワークによる観察力の低下とスタミナ切れですが……さて、今日のレッスンは終わりですよ。着替えてきてください」
「はーい。……ところで、プロデューサーはどうしてここに? 何かあったんですか?」
「藤田さんの様子を見にきたのがひとつめの理由です。ふたつめは……」
ここまでは真面目な表情をしていた卯月が、今日初めてその表情を緩めた。
「もしも藤田さんのご都合がよろしいなら、今から一緒に夕食へ行きませんか。私が奢らせていただきますよ」
「行きますっ!」
即答したことねが目を輝かせていたのは、言うまでもないことであった。
「こちらのお店で良かったのですか、藤田さん?」
「もっちろんです! それより、今日はホントにプロデューサーの奢りなんですよね?」
「はい、何を頼んでも構いませんよ」
夕食の店としてことねが指定したのは、至って普通のファミリーレストラン。リーズナブルで美味しいイタリアンを提供する、老若男女に人気のチェーン店である。
「栄養管理・体重管理の面では、藤田さんにはずいぶんと楽をさせてもらっています。食事を減らさなければならないどころか、むしろ栄養面では食事を増やすべきというほどですからね。お好きにオーダーしてください」
「プロデューサーはどうするんですか?」
「アルコールは小日向さんの店でしか飲まないと決めているので、何か軽食をお腹に入れるだけにしておきます。……ああ、先輩のみなさん。貴女たちがどれほど苦労していたか、今の私ならわかります……」
ボソボソと何か呟いている卯月は一旦脇に置き、ことねはメニュー表を捲る。ファミレスでの食事とは、友人との付き合い以外ではいつぶりだろうか。それもお金のことを気にせず注文していいとなれば、夢は膨らむばかりだ。
「藤田さん、何を頼むか悩みながらで構いませんので、そのまま聞いてください。これまでの私は、中間試験までのレッスンスケジュール以外の長期予定を藤田さんに提示してきませんでした。ですが、今こそがそのときだと考えています」
「え、それってすごく重要な話じゃないです? ここで話していいんですか? せめて小日向さんのお店とかの方が……」
「重要ではありますが、緊張させたいわけではありませんから。それに、あくまで今後の展望をお話ししておきたいというだけのことです。……ああ、藤田さん。私はこのサラダと、こちらのオニオンスープにします。代わりに注文していただけますか?」
「あ、はい。えーと、番号番号っと……」
ことねが注文作業にひと段落つけるのを見計らってから、卯月は再び口を開く。
「まずは短期目標を再確認しましょう。目下の課題は学園の中間試験と最終試験の突破。これは何を目的にしたものですか?」
「学園の中での知名度向上と、定期公演への出演権の獲得のため……ですよね?」
「その通りです。特に定期公演『初』への出演は、藤田さんにとってとても大きなメリットとなりえます」
四ヶ月に一度、初星学園内の講堂ステージで開催され、初星学園生のみが出演する定期公演『初』。開催費用などは全て学園持ちで、出演料はしっかり支払われる。さらに学園側が権利を持ついくつかの曲を選んで披露できることから、まだ自分の曲を持っていないようなアイドルの卵でも、試験の成績さえ良ければ出演することができる。
学園外部からのイベント知名度も高く、この公演から有名になる学園生は非常に多い。初星学園でアイドルを目指すうえで誰もが目標とする、いわば登竜門であると言ってもよい。そしてその公演に出演するため必要なのが、二度開催される選抜試験で好成績を獲得することなのだ。
「スカウトの時期が遅かったこともあって、藤田さんの中間試験はもう二週間後に迫っています。しかし、中間試験が藤田さんの壁になることはありません。とにかくコンディションを整え、実力を淡々と積み上げるだけでどうとでもなります」
「ん〜……成長してる実感はありますケド、それは他の人も同じなんじゃないですか? あたしだけが成長するわけじゃないですしぃ……」
「それを加味しても、ということです。ですが気は抜かないように。きっちりとパフォーマンスを仕上げていけば、中間試験だけで藤田ことねの名前は一気に知れ渡りますよ」
ですので、と卯月は身を乗り出す。
「これからするのは、中間試験を突破したあとの話です。最終試験に向けてレッスンを積み重ねていくと同時に、アイドルとしての仕事をどのようにこなしていくかということを考えていきます」
「アイドルのお仕事……うーん、実はまだあんまりイメージが固まってないんですよねぇ。やっぱりミニライブとかイベントとか、地道なことからコツコツと……って感じです?」
「そうですね、具体的にどのような仕事をしていくかということは大事ですし、藤田さんには仕事を選ぶ権利が今後生まれます。ですが今回決めるのは、契約前に藤田さんから伺った、『アイドルとしてのスタンス』の延長線上……つまり、方向性です」
方向性。そう言われても、ことねにはまだピンと来ない。その反応を見越していたのだろう、卯月は指を二本立てる。
「ひとつめ。藤田さんのデビューソロと、その売り出し方です」
「そ、ソロ曲!? もうあたしの曲を出せるんですか!?」
「今から仕様を発注したとしても、発注先によっては最終試験や定期公演に間に合わない可能性も充分あります。今のうちから考えていく必要があるでしょう」
「……そっか、あたしの曲……あたしだけの曲、貰えるんだ……!」
現実味はまだない。それでも、自分だけの曲がこの世に生まれるという事実だけで、ことねは心底幸せな気持ちになっていた。
「喜んでもらえてなによりです。そしてふたつめ……藤田さんの、活動の主軸についてです」
「主軸……って、どういうことですか?」
ソロ曲とは違い、活動の主軸という言葉はどうにもふんわりしている。いまいち意味を掴み取れていないことねに対して、卯月は補足を入れた。
「活動における、メインプラットフォームのことです。……テレビか、ネットか、イベントか、はたまた他の場所を見るか。選択肢は広いですし、掛け持ちも可能ですが……アイドルとしての藤田さんの今後は、この選択にかかっていると言っても過言ではありません」
そう語る卯月の言葉には、これまでの経験から来る重みが乗っていた。