島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
照明が落ちる。ことねが、そして会場を埋め尽くすファンたちが握りしめるのはグリーンのサイリウム。智絵里のイメージカラーだ。
開演直前の期待に満ちたこの時間が、ことねは好きだ。アイドルを目指すのはお金を稼ぐためで、どうしてもアイドルになりたいからではない。それでも先輩アイドルから学ぶために学園の講堂ステージへと足を運ぶたび、夢を見せてくれるアイドルたちを待ち構えるこの時間が、不思議なくらい好きになっていった。
突如、強烈なスポットライト。ステージ中央が照らされ、そこにはひとりのアイドル。派手な演出も、素敵な音楽もなく、智絵里がただそこに立っていた。
「こんにちは。緒方智絵里です」
それだけの簡素な挨拶で、ファンたちは会場が揺れるような歓声を彼女に浴びせる。
「……やっべーわ、これ」
無意識にそう呟いたことねの声は、様々な感情をないまぜにしながら震えていた。
思えば、だ。ことねは講堂ステージに幾度となく足を運び、定期公演に限らず様々なライブをその目で見てきた。お金も時間もないので学園外のライブには中々行けなかったが、それでも公式から公開された動画や販促映像を視聴して、プロのアイドルがどんなパフォーマンスをするのかを見ていた。
それだけで、知っているつもりでいた。
(こんな遠くから見ただけで気付ける、格が違う! 見てる世界、感じてる世界が違う!)
まだ歌ってすらいない、踊ってすらいない、笑顔のひとつも見せていない。なのに、そこにいるだけで智絵里はあまりにもアイドルだ。
(すぐに
しかしことねの動揺には構うことなく、ライブのオープニングは粛々と進む。
「本日は、私のバースデーライブにお集まりいただいてありがとうございます。……まず、私からみなさんにお伝えしたいことがあります」
智絵里の言葉に困惑しつつも期待を高めていくファンたち。会場が高揚感のあるざわめきに包まれるなか、智絵里はここに来てやっと笑顔を見せた。
「私にとっては、柄に合わないことかもしれません。けれど、やっぱり……私、今日はめいっぱい歌って踊りたい気分なんです」
一拍置いてから、怒号のように響く歓声が会場を再び揺らす。
「レクリエーションはしません。トークもほとんどやらないと思います。バースデーライブと銘打ってもらったのに、誕生日のお祝いも軽く流しちゃいます。……みなさんは知らないかもしれないんですが、私の誕生日って本当は来月なんです。こんなに早く祝われると、ちょっと困っちゃいますからね」
軽い笑い声が上がる中、智絵里は続ける。
「活動10年目を越えて、その先の景色を見に行くために。私なりのわがままをこのライブで実現しようと思います。みなさん、私のことを見守っていてくれますかっ!?」
歓声を揚げて肯定の意思表示をする。それだけのことがことねにはできなかった。彼女だけではない、隣の咲季とリーリヤも同じようなものだった。
表情筋は引きつりつつも、獰猛な笑みを浮かべる咲季。何かに魅入られたように動かず、どこかぽかんとした表情で智絵里を見つめるリーリヤ。
そして、こんなに期待と幸せと熱気に満ちているはずの空間で、何故か額に伝う冷や汗を拭うこともできないことね。
(無茶言うなよ、プロデューサー。こんなのを超えろって? こんなのと並んで歌うプロデューサーも超えろって? 何言ってんの?)
「できてたまるかよ、そんなこと」
あまりにも小さなことねの声は、観客席からの大歓声に掻き消されていった。
サイリウムを振る。コールされたらわかるレスポンスをする。曲が終われば拍手と歓声。立板に水を流すように、模範的なファンのひとりとして振る舞いながら。
ことねがそうしている間に、これまで智絵里は何曲
(今の歌い方、わざと音を外したんだ。感情が乗って外れたんじゃない、感情を乗せるために外す、凛さんが言ってたライブ向けの歌唱法。そのウインクはどこに向けて? きっとあたしよりも上側の客、バルコニー2の右後方に。本気で全部の客席にファンサするつもり? 間違いない)
アイドルを目指す道の途上にいる者として、おそらく直視すべきでない強すぎる光を、ひたすらに真正面から見つめる。誰に言われるまでもなく、ことねは自分からそうしていた。
今の自分と、ステージに立つトップアイドルとの差に気が遠くなった。それでも絶望している暇はない。アイドルとして一攫千金を目指す夢は諦められない。ならば、今できることから手を付けていくしかないのだ。
(笑っちゃうくらいダンスのキレはいいのに、不思議と印象がふんわりしてる。キュートな緒方智絵里のイメージから外れない。……わざと動きを小さくしてるときがある? そっか、本当なら思いっきりアピールするべきタイミング!)
ことねはコミュニケーション能力が高い。誰とでも分け隔てなく仲良くするのではなく、他者の見極めが上手いのだ。自分にとって居心地の良い相手か、一定の関係を築くべき相手か。関係を築く段階に至ったとして、相手が嫌がる行動や言動は何か。それを直感的にも理論的にも素早く探って、正解を見つける。そういう作業に長けている。
つまりそれは、分析力と理解力が高いということ。素早く見極めて、整理して、理解して、次に行く。そんなことねの長所が活かされるのは、決して対人関係だけではない。これから経験を積み重ね、学んでいく者としての高い適性。ことねはそれを持っていた。
(このライブの……緒方さんの『可愛い』は、小動物的なところがある。それはデビューからずっと一緒。あたしと同じ高校生のころから10年経って、緒方さんは大人びた。それでもアイドルとしての可愛さ、その方向がブレない。それはどうして?)
そしてこれから様々なことを学んでいかなければならない者として、あまりにも適した性格までも、ことねは兼ね備えている。
(年齢を感じさせない容姿、メイク、衣装。でもそれだけじゃない。衰えない声質、些細な仕草から感じる幼さ。ううん、まだ足りない。上辺だけ整えたってこうはならない)
ことねは自己肯定感が低い。自分の可愛さにしか自信がなく、可愛いという概念は歌やダンスと違って数値化が難しい。他の人間と比較したうえで、相対的な評価しか下せない概念なのだ。
だからこそ、ことねは素直で謙虚だ。優れたものを見せられても反発しないし、その事実を拒もうともしない。自分よりも優れていると分析して、理解して、そのうえで自分の糧にしようとする。それが彼女の性格であり、成長の方法だ。
(……そうだ、演技力! 緒方さんがやってるのは、一曲一曲に合った自分を演出することじゃない。『正統派でキュート、小動物的で守りたくなるようなアイドルの緒方智絵里』を、ずっと貫き通してる! だから違和感がないんだ!)
ことねのようなタイプは、教材とする対象に成長の方針や質が影響されやすい。他人の長所を分析して吸収できると言えば聞こえは最高だが、対象を分析できるような余裕がことねに無ければ一生育たないし、変に偏った相手を対象に取ってしまえば、ことねの成長まで偏り歪んでしまう。
だから、アイドルとしての基礎は育成のプロフェッショナルたる学園トレーナーに任せる。凛のスペシャルレッスンも、基礎技術を応用する経験を積ませることに特化している。
そうして技術の下地がことねの中に出来上がってから、初めて全身で浴びるライブには智絵里を宛てがう。ことねとは違う、けれども相当に似通っている、ひたすら『可愛い』の波に押し流されるような智絵里のライブに放り込む。
勿論、これらはあくまで机上の空論だ。このように事が運べば素晴らしいが、普通に考えればおそらくどこかで躓く。今はまだそれでいい、上手くいかなかったとしても、その一連の経験がことねの糧になる。
そんな卯月の想定を、遥かに超えているとも知らず。眼前のライブをひたすらに自らの知識へと変換し続けることねの姿がそこにあった。
音楽が途切れ、拍手と歓声がことねの耳に届く。
(……あ、終わったんだ、この曲)
今のことねがやっている分析は、ひたすらに刹那的だ。あるいはぶつ切りと言うべきか。目に入った景色、耳に入った音の意味を片っ端から考えて、一定の結論を出して、ひとまず記憶領域に放り込む。分析を繋ぎ合わせて理論にする、あるいは整合性を取る作業は後回し。
ことねの行為は、最早ライブの鑑賞ではない。それとは全く似て非なる何かだ。そこに楽しいだの苦しいだのといった感情の挟まる余裕はない。
(たぶんまだ休憩のトークは挟まらない、次の曲は何? 歓声が収まるよりも前に……待った、どこを向いた? 今の視線は何を見ようとしたの?)
観客たちに背を向け、次の曲の定位置であろう場所に移動する智絵里。その行動の中で、彼女は一瞬だけ違う方向に顔を向けた。おそらく智絵里の定位置とは逆、左右対称の場所。
(照明が落ちないのはどうして? 今までは、曲の切れ目があればスポットライトは向けられなかった。でも今は、ゆったりと歩く緒方さんをわざわざスポットライトで……)
「…………あっ」
この瞬間まで、ことねは完全に忘れていた。自分がライブ会場にいる理由、その元凶を。
ステージの上にいる智絵里の動きと、不自然なスポットライト。なんとしてでも智絵里だけにすべての視線を集めようという演出の意図。その完璧な正解を知っているのは、観客席の中にただひとり、ことねしかいなかったというのに。
「────ではここで、シークレットゲストをご紹介しますっ!」
悪戯が成功したような笑顔を浮かべながら、智絵里がマイクに向かって叫ぶ。その言葉の意味をファンたちが悟るのに先んじて、眩い光で照らされた、もうひとりのアイドル。
「島村卯月ちゃんですっ!」
その顔を一目見る。わかっていたのに。こうなると知っていたのに。確定した未来だったのに。
それでもことねは、凛々しくも可愛くステージに立つ彼女の姿に、ただそこにいる彼女の姿に、ひたすら打ちのめされてしまった。