島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
「……だいたいこんな感じの話でしたねぇ、昼に卯月さんから聞いたのは」
夕方と夜の境界、空が橙色から移り変わる時間帯。346プロからスカウトを受けるという予想外の事態を受けて、ことねは迷うことなくBittersweetへと足を運んでいた。言うまでもなく、店主の美穂に相談を持ちかけるためである。
「なるほど……うーん、ことねちゃんの状況はわかったけど、わたしじゃあまり良いアドバイスはできないと思うなあ」
「そんなことないですっ! 小日向さんは今まで会った中で一番信頼できる大人ですよ!」
「卯月ちゃんよりも?」
「あの人のことは……信用はしてます、ちゃんと。あと、アイドルへの情熱は信頼できますよ」
言外に卯月を大人として信頼すべきか疑わしく感じていると表明していることねの言葉に、美穂は苦笑を返すばかりだった。
「卯月ちゃんもそうだけど、わたしも346のアイドルだったから。どうしても346贔屓の意見になっちゃうよ」
「あ、いえ。346プロのスカウトを受けるのはもう決めてるんです」
あっさりと言うことねに目を丸くする美穂。
「あれっ、そうだったの? てっきり、どっちのプロダクションにするべきかを相談に来たんだと思ってたけど」
「だって、100プロに行っちゃったらプロデューサーの……卯月さんのプロデュースが受けられなくなっちゃうじゃないですか。どれだけ待遇良くてもその時点でナシですね」
「そんなに卯月ちゃんのプロデュースが受けたいの?」
「プロデュースが受けたい……っていうのは、とーぜんありますよ。でもそれより、あたしは今ですら卯月さんに返せないくらいの借りを背負ってるんです。あたしがアイドルとして成功して、プロデューサーとしての卯月さんの評価を上げたりとか……卯月さんの理想をあたしが叶えてあげたりとか。そういう形で借りを返さないと、不公平ですもん」
あまりにも律義だ。いや、それとも損得勘定がはっきりしているのか? 恐らくは両方だろう。
「ただ、なんというか……346に入ってからのプロデュース方針を聞いてて、それ自体はすっごく正しい方法だとは思ったんです」
「カバー曲攻勢の話だね。考えたこともなかったなぁ、でも悪くない手段なのかも。……それで、何か納得できないことがあるの?」
「……カバー曲で知名度を増やすのは良いんですよ。今までいろんな人が同じことをやってきて、そこから成功した人もいるわけですし。でも、346の先輩アイドルの持ち曲人気にタダ乗りして、先輩たちとか曲を作った人たちの方に何にもメリットがないっていうのはどうなんだろうって」
溜息を吐くことね。
「完全に合法、契約の範囲内だってのはわかります。使えるものならなんでも使うべき状況だってことくらいわかってますし、あたしも大賛成です。卯月さんはクリーンな方法を示してくれてるのに、あたしが余計な心配してるだけだってことも」
「ふむふむ……卯月ちゃんには直接言いたくないし、ことねちゃんも方針には賛成なんだね?」
美穂の問いに、ことねは勢いよく顔を上げる。
「そうなんですよぉ! もう絶対賢い方法ですし、あたしだってめちゃくちゃ乗り気なんですよっ! だからこそモヤモヤするというか……卯月さんに反対したいんじゃなくって……なんて言えばいいんですかねぇ」
「そのモヤモヤ、少しわかるよ。卯月ちゃんは人の心がわからないから、多分気付かないけど」
その言葉でことねの表情が固まった。
「……小日向さん? なんか今すごいこと言いませんでした?」
「本当だよ。わたしね、かれこれ卯月ちゃんとは十年来の大親友だし、卯月ちゃんの悪いところなんて探す方が難しいと思ってる」
ことねの前に置かれたグラスにオレンジジュースを継ぎ足しながら、美穂は続ける。
「そんな卯月ちゃんの、たぶん唯一の欠点。あの子、人の心がわからないんだよね。別にサイコパスとか、そういうのじゃないんだけど……」
「フォローしようとしても無理なくらいの悪口じゃないですか……?」
「大丈夫、これまで何度も面と向かって言ったことあるから」
「何が大丈夫なんですかぁ……?」
世界広しと言えど、島村卯月に対してこんな悪口を吐ける人間などそういるまい。
「……あ、そうだ。ことねちゃんって、デビュー直後の時期に、卯月ちゃんがすっごいスランプになっちゃったことは知ってる?」
「あ~、噂くらいは聞いたことありますけどぉ……あの人がスランプとか、ぜーんぜん想像できないですね。いつでもキラキラだったじゃないですか」
「わかるよ、そういう感想になっちゃうよね。でもあのときの卯月ちゃんは本当に酷かったし、わたしもちゃんとフォローできてなかった。プロデューサーさん……武内さんも後手に回っちゃってたんだよね。解決できたのは凛ちゃんと未央ちゃんのおかげだったんだけど、それだって分の悪い賭けだった。そのまま潰れてた可能性の方が高かったと思う。卯月ちゃんは今ここにいないし、これ以上は言わないけどね」
美穂が言うからには、きっと本当のことなのだろう。それでもことねには、スランプに陥って潰れかけていた卯月の姿をまったく想像できなかった。
「何が言いたいかっていうと、卯月ちゃんはとにかくスランプで潰れかけて、メンタルもボロボロで、一歩間違えれば……ううん、
「……話だけ聞くと、すごくラッキーでハッピーですよね? なにかダメなところありました?」
「ラッキーでハッピーだからこその問題なんだよ。卯月ちゃんの根底には、『こんな私でもトップアイドルになれた』って考えかたがあるの」
ことねは押し黙る。彼女の知る卯月はいつだって自信満々だ。プロデューサーとしても、アイドルとしても。そんな彼女とは程遠いようにしか思えない考え方だ。
「この前、話の流れで卯月ちゃんが言ってたんだけどね。自分の価値を低いものだって決めつけるのはだいぶ前にやめた、って。卯月ちゃんの意識の一番根っこのところに、自分自身を否定するものがあるんだと思う」
「スランプ以上に想像つかないですねぇ、そんな卯月さんは……」
「卯月ちゃん、アイドルのことについては『島村卯月が最低ライン』だと思ってる節があるの。部分的にでも自分を超える何かを持ってない相手のことは、そもそも視界に入れてないよ。あまねく世界のその他多数、応援してくれるファンのみんな。そういう風に世界を見てるから」
「……やっぱり悪口じゃないですか?」
「直接聞いたら、そうかもしれないって言ってたからね」
「直接聞いたんですか!? 卯月さん絡みだと割とめちゃくちゃですよね小日向さんも! というかこれ本当にあたしが聞いていい話なんですか!?」
「あ、うん。これはことねちゃんに教えていいって言われたよ」
「えっこわ。ちょっと待ってください、色々な意味で怖さがオーバーフローしてるので」
卯月のことがいよいよわからなくなってきた。いや、最初から卯月の考えている物事などわかったものではないし、これまで何度もそれを実感させられているのだが。
「……まあ、卯月さんならやるか。うん、そのくらい言いそう。そういうことにしとこ……」
「じゃあ、話を戻して。とにかく卯月ちゃんはそういうところがあるから、ことねちゃんのモヤモヤに気付いてないと思うんだ。本人も自覚があるから、多分『嫌なことがあったら嫌って言って』みたいなことはことねちゃんも聞いてるんじゃない?」
「あ、同じようなことを何度か聞いてますよそれ。そっかぁ、なーんか妙に深く念押しするなぁって思ったんですよねぇ……」
納得顔のことねを見て、美穂はむしろ真剣な表情を浮かべた。
「もう一度確認するけど、今回は卯月ちゃんの提案自体が嫌ってわけじゃないんだよね」
「あ、はい。カバー曲をドカドカ出しちゃえ~っていう方針自体はめちゃアリだと思ってます」
「うーん、それなら……これはわたしの役目かな? そのモヤモヤ、少しは解決できるかも」
そう言いながらバーカウンターから出てきた美穂は、ことねが座るカウンター席の隣を陣取る。その立ち振る舞いは、久しく他人に見せていない……ことねにとっては初めて見ることになる、先輩アイドルとしての小日向美穂だった。