島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
オフィス街、夕焼けの空。雑踏に紛れつつ、三峰結華は普段通りの退勤ルートを歩んでいた。
「はぁ~……」
気を抜くと大きな溜息が口から漏れ出てくる。今日は本当に疲れる一日だった。
朝から夜まで張り込み取材をした記者としての一日よりも、あるいはMV撮影が夜通しに及んだアイドルとしての一日よりも疲労感は上回るかもしれない。その原因は言うまでもなく、藤田ことねと島村卯月にあった。
283プロダクションのアイドルと月刊アイグラの編集部員兼取材記者。そんな二足の草鞋を履き続けている者として、新人アイドルという存在とはこれまでも数えきれないほど交友を持ってきた。そうして交友を持った相手の九割九分は、夢破れて普通の人間に戻ったり、心が折れて立ち直れなくなったり、行方すら知れなくなったりしている。
(……行方を知らない方が良かったかも、なんてことも珍しくない。こんな業界の新人に等しく期待を寄せることが、もう間違ってる)
アイドルという夢の世界は、強烈な生存バイアスに支配されている。尋常ならざる才能があって、人並外れた努力もできて、雨が滴るように幸運が流れ落ちてきて、やっと輝くステージに行くための切符を手に入れられる世界だ。
(ことねちゃん、あの子は伸びる。どこまで行くかは読み切れないけど、少なくとも切符を掴み取るところまでは伸びる)
そう判断した理由など、今更語るまでもないだろう。しかし実のところ、結華はインタビューを始める前からことねの成功を既に予感していた。
学園に取材を打診し、ことねの名前を教えられ、ならばと再び学園経由で彼女への取材を申し込んだ翌日。返ってきたメールには、了承の言葉と共に、ことねをプロデュースしている人物の名義もしっかりと書かれていた。その名は──島村卯月。
奇しくも、月刊アイグラでは電撃的な引退を見せたトップアイドル・島村卯月の情報を追いかけている真っ只中であった。しかし『プライベートは追わない』の鉄則を内外に掲げる月刊アイグラ編集部による取材は早々に暗礁へと乗り上げており、手掛かりの尻尾すら掴めない日々が続いていたのである。結華もその経歴から卯月との繋がりを持ってはいないかと編集部内で期待されたひとりであったのだが、良い成果を挙げられてはいなかった。
そんな状況で島村卯月を名乗る相手からメールが返ってきたので、編集部は一時騒然とした。しかしその後の動きは素早いもので、編集部はことねのスケジュールを確保すると同時に、卯月への本人確認と取材の打診も行い、なんとか独占取材を勝ち取った。そして今日、ことねと卯月への取材でそれぞれインタビュアーを務めるという重要な役割を任されたのが結華であった。
とはいえ、彼女がこれまで成果を挙げられなかったという先程の表現には、若干の語弊があるかもしれない。より正確には、彼女はそもそも成果を挙げようとしていなかったのだ。
(だって、
そう、結華とて283プロダクションの稼ぎ頭と謳われるユニット、
それでもこれまで連絡を取ろうとしなかったのは、そこまで深い交友関係ではなかったからだ。知人ではあるが友人かと言われたらちょっと怪しいという程度の関係で、近況をあれこれ聞きに行くのは躊躇われた。そして、なによりも。
(やっぱりあの人のこと、だいぶ苦手だし……)
何を隠そう、結華は卯月のことが苦手なのだ。人間的に好きだの嫌いだのという話ではない。三峰結華は本能的に島村卯月のことを避けるようにしていた。その事実に結華自身が気付いたのは、つい最近のことである。
(人懐っこそうな笑顔の割に、昔っからどうにも人間味がないっていうか……人間性の底が抜けてるというか……わかってる、
貶めたいわけではない。かといって、手放しで褒め称えたくもない。そういう尺度で見たくないし、見るべきではない。
(アイドルの象徴が、
卯月の在り方は、人間よりも現象に近い。それが結華の結論だった。
(アイドルなんて、本質的には人間がなれるものじゃない……逆説的に、アイドルの本質を突き詰めて常にそうあろうとするなら、その精神性は人間から離れていくはず)
思うに、相当前の時点から。卯月は帰還不可能点スレスレの場所に立ち続けているのではないか。いや、当人はおそらく躊躇せずにその先へ進もうとしているのだが、それを彼女の友人たちがギリギリのところで押し留めていたのだろう。
そして、今はその押し留める役割をことねが果たしている。彼女たちを一目見て、そして実際に取材してみて、結華が抱いた率直な感想である。
(押し留めることができてるなら、少なくとも視界には捉えられてる……認識されてるってことだし、一定の期待もされてる。実績とか技術がどうこうじゃなくて、この時点でもうことねちゃんは切符を持つ権利がある)
アイドルとしての能力であるとか、格であるとか、そういう話をするのならば、卯月と並ぶ者の名前を挙げるのは容易だ。卯月とユニットを組む346プロのアイドルたちであったり、あるいは765プロの隆盛期を作り上げた天海春香などといった現役の実力者たち、そして過去に遡れば日高舞、八雲なみ……それこそ、世間の人気で言えば卯月の上を行っていたようなアイドルもいる。
だが、そんな彼女たちと卯月は違う。どっちが良くてどっちが悪い、どっちが優れていてどっちが劣っているという話ではない。そんな比較に意味はないのだ。
(現象としてのアイドルと、アイドルをやってる人間。同じようで全然違う。卯月先輩はその中間を行ったり来たりしてる、別にそれは良い。
この不安が、杞憂で終わればいいのだが。
(
ことねの取材が終わり、彼女を別室に待たせた状態で始まった卯月へのインタビュー。その中で、彼女が言っていた言葉を思い出す。
『ここ、絶対に載せてくださいね。……すごく曖昧な物言いをするんですけど、私がアイドルを辞める決断をしたのは、私の靴を履きこなしてくれるような子を今のうちから探しておきたかったからだと思うんです』
『島村さんの靴、ですか』
『はい。私と同じ靴を履いて、けれど私にはできないことを成し遂げてくれるような、そんな子を無意識のうちに探していました。そうやって最初に見つけた子は、私の靴を履きこなすどころか、きっちり自分のものにしてくれる才能を持った子でした。ただ、ちょっとだけ誤算もあって……』
『誤算、と言うと?』
『あの子にとっては、きっと履けない靴の方が少なかったということです』
そう言ってはにかんだ卯月に対して、違和感のない愛想笑いを浮かべられた自分は褒められるべきだろう。結華は真剣にそう思うばかりであった。
「あ~……あんまり気は乗らないんだけどなぁ」
卯月との別れ際、結華は一枚の名刺を渡された。卯月の名刺はもう受け取っていたので一体何かと思って見てみれば、紙片の上には小日向美穂の名前。
なんでも、彼女が引退後に開いた招待制のバーがあるらしい。裏面にはご丁寧に店の住所と地図が載っていた。店に集うのはアイドルやその関係者ばかりで、卯月の言葉を信じるならば、283プロのアイドルもちらほら顔を見せに来ているという。マスコミ関係者なのに自分を誘っても良いのかと問えば、貴女なら大丈夫でしょうと返されて、丁重に断るチャンスすら失ってしまった。
「ま、三峰の靴もことねちゃんに押し付けとけば……誤解を解く助けくらいにはなるかもしれないしー? いろんな靴を選ぶ機会があるべきだよね、あの子にも」
毒されたなぁ、としみじみ思う。愛すべきアンティーカの面々やプロデューサーに出会わなければ、わざわざこうして後輩の世話を焼きに行くようなことはしなかっただろう。そして同時に、卯月の物言いに浮ついて、ことねの決意に心を揺るがされてもいる。こんな今も、決して悪くない。
灰色の雲が夕日を隠しつつある。普段とは逆の方向へ向かう電車に乗り込むだろう数分後の自分を思い浮かべて、結華は再び溜息を吐いた。