島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
誰もが浮足立つ金曜日の午後。レッスンや仕事の合間を縫って、ことねはとある学内オーディションに参加していた。
合格すれば地上波テレビ番組への出演権を勝ち取れるレアなオーディション。過去のテレビ・ラジオへの出演経験は問わないという参加条件もあり、プロとして活躍している生徒から、ことねのような実績の少ない生徒まで、多くの者が挑戦する大規模なオーディションだ。
その内容は面接と実技で構成され、会場は学内の講堂ステージ。観客席に座る審査員たち──言うまでもないことだが、テレビ局のクルー数名である──からの視線を浴びるなか、たったひとりで広いステージに立ち、ライブさながらの音響と演出の中でパフォーマンスを見せ、その優劣で合格者を決定する。シンプルである故に難易度の高いオーディションと言えよう。
(……そろそろ、出番かな)
衣装、メイクよし。マイクよし。イヤモニよし。発声練習もぬかりなく。パフォーマンス本番も間近となって、舞台袖で待機していることねの準備はきっちりと整っていた。
屋外の仮設ステージや小さなライブハウスでの歌唱経験はいくらか積んできたことねだが、ここまで大きなハコのステージに立つのは初めての経験だ。大勢の観客が入っているわけではなく、一曲歌って終わりのオーディションとはいえ、緊張感が高まることに変わりはない。
それでも今のことねに不安はなかった。周囲を見回してみれば、同様に自らの順番を待つ生徒たちの姿。その大半が緊張の色を隠せていない。ことねと同じく、こんな場所にひとりで立つような経験をしている者の方が少ないのだ。
(みんな緊張してる、あたしだけじゃない。だったら、小さい場所でもライブ経験があるあたしの方がまだよゆーなはず! 偉い人にジロジロ見られるのにも慣れてるんだし!)
調子が良いときにはとことんポジティブなメンタル強者でいられることねの性質が、今日も上手く働いていた。
「えー、次の方……19番の藤田ことねさん。準備が整っていましたら、こちらの方にどうぞ」
「はいっ、わかりました!」
テレビ局のクルーであろう若いスタッフに声をかけられ、ことねは元気に応じる。
おそらく、卯月も別室でオーディションの様子を見守っているはずだ。彼女の期待に応えるためにも、ここでテレビ出演を勝ち取って弾みをつけておきたい。
一度深く深呼吸をしてから、ことねはスタッフの元へと歩みを進めた。
ところ変わって、講堂に設けられた控室のひとつ。
オーディション中のアイドルを受け持っているプロデューサーたちのために割り振られたその部屋では、大型の液晶テレビでステージの映像が中継されていた。ほとんどのプロデューサーたちは映像の方に集中していたが、そうでない者もわずかに存在する。
その筆頭こそ、ちょうど今しがたことねがステージへ上がったにもかかわらず、テレビの方を見ていない卯月であった。
「珍しいですね、島村さん」
卯月にそう話しかけたのは、二十代前半の若い男……何を隠そう、彼こそ咲季を担当するプロデューサーであり、プロデューサー科における卯月の同級生でもある。会話の機会こそ少ないものの、卯月にとっては見知った顔だ。
「どうも、こんにちは。珍しい……とは、なんのことでしょう?」
「どうにも落ち着かない様子でしたので。普段から冷静沈着な島村さんらしくないな、と」
「ああ、なるほど。……原因は、この中継ですよ」
そう言いながら、液晶テレビを指差す卯月。
「中継に何か問題が?」
「問題……というよりは、生放送でお茶の間に流すわけでもないのに、こうしてオーディションの映像が中継されること自体に、妙な落ち着かなさがあるんです。現役時代、このようなオーディションに参加したことがなかったもので。いざ見守る立場となってから経験してみると、少しそわそわしますね」
そもそもオーディションの時点でテレビ局のカメラが回り、しかもそれがこうして控室に中継されていること自体が若干妙な話だ。卯月の抱いた感情も当然のものだろう。とはいえ、流石に理由もなくカメラが入っているわけではない。
「番組のコンセプト自体が『オーディションで発掘した新人を深掘り』ですし、オーディション中にカメラを回すこと自体は承知していたのですが……やっぱり、少し落ち着きませんね」
「元々はテレビ局側のご厚意だそうです。カメラが入る都合上、観客席にも舞台袖にも我々が立ち入るのは難しいですから。控室でひたすら待つことになる我々にとっては、ありがたい話かと」
あくまで裏方であるプロデューサー科の学生にもこうして気を回すあたり、テレビ局と初星学園の関係は悪くないのだろう。あるいは、良い関係を築くための過剰な配慮が互いに働いていると言うべきなのか。
「それにしても、島村さんはこういった緊張に慣れていらっしゃるものだと思っていました。少々意外です」
「プロデューサーとしての立場に慣れれば、いずれ緊張しなくなるとは思います。藤田さんの実力にも疑いはありません。ですが、今は見守ることの歯痒さを思い知っている最中です」
「貴女にとっては、控室よりもステージの方が楽ですか?」
「間違いなく。とはいえ結局は経験のおかげですから、慣れていくほかありませんね。……花海さんの審査順が早かった貴方が羨ましいです。パフォーマンスも素晴らしかったですし」
「うちの花海はこういう場に強いですから」
咲季の審査はしばらく前に終わっており、その内容は傍目から見ても上々だった。誇らしげに語る彼の様子は、落ち着かなさを隠せていない今の卯月とは対照的だ。
とはいえ、このオーディションは合格人数の上限が決まっていない。少なくとも、同時にオーディションを受けるアイドルたちが明確にライバルだと定まっているような性質のものではないのだ。だからこそこうして控室での気軽な雑談ができるし、ここに集ったプロデューサーたちには奇妙な連帯感が生まれていた。
自分の担当に無事合格を勝ち取ってほしい。かといって、誰かの担当が盛大にミスするようなところは見たくない。
「……おっと、島村さん。まもなく藤田さんの審査が始まるようですが」
「ああ、そうみたいですね。しっかり目に焼き付けますよ、でないと後であの子に怒られちゃいますから」
無論、目に焼き付けようとしているのは卯月だけではない。中間試験以来、ますます成長しているであろうことねの能力を見極めようと、ここにいるプロデューサーたちの視線が液晶越しのことねに集まっている。
(相応の実力は出せるはずだけど、コーレスしてくれる観客がいない状況だと、ことねちゃんが持つプラスアルファは活きない。ライブやネットとは違う、テレビ畑の人たちが今のことねちゃんをどのくらい評価してくれるかは……わからない)
卯月から見て、このオーディションはことね向きではなかった。番組のためのオーディションよりも、オーディション番組の方がことねには向いている。それでも自力で勝ち取れるテレビ出演という報酬は見過ごせず、なによりことねが参加を強く希望した以上、卯月にはそれを拒絶する大きな理由はなかった。
『オーディションを勝って一気にテレビ出演、夢があるじゃないですかっ! そもそも講堂ステージだってすぐ立てる場所じゃないんですし、オーディションで立たせてくれるんだったら参加一択ですって!』
ことねの持つ実力、そして無限大の伸びしろを卯月は信じている。その上で、このオーディションはことねの進む道をある程度決定づける重要なものになるかもしれない。
(どうか、ことねちゃんにとって良い結果となりますように)
柄にもなく卯月が脳裏で祈る中、ことねのパフォーマンスが幕を開ける。