島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
予期せぬトラブルをなんとか越え、オーディションが終わった数十分後。卯月が運転する車の助手席にて、ことねは行先も知らされずにただ揺られる身となっていた。
「改めまして……先程のオーディション、お疲れ様でした。大変素晴らしいステージパフォーマンスでしたよ」
ハンドルを握りつつ、少し弾むような声で卯月は言う。
「それ、迎えに来てくれたときも同じこと言いましたよね?」
「褒めるべきことを何度褒めても損はありません。それに行先もわからないまま車に乗せられている現状では、藤田さんも少し不安でしょう? 多少なりとも緊張を解いていただきたいのです」
まさしく卯月の述べたとおりであった。そもそも、本来の予定ではオーディションが終わればことねは直帰してよし、内容を踏まえた反省会は後日という流れのはずだったのだ。にもかかわらず、蓋を開けてみれば講堂を出た瞬間に出迎えを受け、そのままあれよあれよと言う間に卯月の自家用車へ乗せられ、今に至っている。
とはいえ、こうして現在進行形で予定が破壊されている原因は、ことねにも容易に想像することができていた。
「……やっぱり、さっきの音響トラブルの件で何かあったりします?」
「概ねそう受け取ってもらって構いません。ただ、まずは藤田さんをしっかり労いつつお話をしたいと思いまして。……念には念を入れて、明言しておきましょうか」
一度呼吸を整えてから、卯月はきっぱりとした声で言う。
「藤田さんのトラブル対応は完璧でした。あの場面で取りうる行動としては最善手のひとつでしたし、結果も上々。私が同じ立場に置かれたとしても、藤田さんのように対応するのは難しかったでしょう。どうか存分に誇ってください」
「そ、そうですかぁ〜? でもぉ、プロデューサーだったらもっと完璧に歌えたと思いますケド」
そんな疑問を返され、卯月は少しだけ黙りこむ。
「プロデューサー? どうかしました?」
「……ごめん、ちょっと悩んでただけだよ」
その砕けた口調と困ったような横顔だけでも、ことねはすぐ察することができた。『ちょっと悩んでただけ』ではないことなど、どう見ても明らかだ。
「ステージの上でことねちゃんより完璧に歌えるかって聞かれたら、まだまだ私も負けないと思うよ。でもね、ことねちゃんよりも完璧にトラブル対応ができるかって言われると……あまり自信はないかも。ううん、今なら私が負けてるかな」
「いやいや、何言ってんですか? 流石のあたしでも、そこまで見え見えのお世辞には乗りませんよぉ~?」
「全然お世辞じゃないよ。だって私、
卯月の言葉を聞いても、ことねはしばらくぽかんとするばかりだった。
「何かの例えとか、謙遜じゃないよ。私は10年くらいステージに立ってきたけど、一度もトラブル対応をやったことがないの。音響に限らず、どんな些細なトラブルでも、私が表に立って対応したことはないんだよ」
「いや、そんな……そんなことあります? だって卯月さん、大きなハコだけでも年に何度もライブしてましたよね?」
困惑と共に声を絞り出すことね。一方、卯月の返答は極めてフラットだ。
「そうだね、単独の公演数で言うなら……ばらつきはあるけど、平均したら年に25回くらいかな? 収録とかゲストとかも含めたらその数倍だね」
「……その公演数を10年やってきて、一度もトラブルに遭ったことがない、って……346プロ、裏方もめちゃ優秀なんですねぇ」
「あぁ、それはちょっと違うかな」
ことねの褒め言葉をあっさりと否定しつつ、卯月は続ける。
「確かに346プロや関連会社の人たちはすごく優秀だし、ライブを成り立たせるためにいつも頑張ってるよ。でもね、どれだけ優秀な人たちを集めたってミスがなくなるわけじゃない。それにスタッフだけじゃどうにもできないようなトラブルだって、起きるときは起こっちゃうものだよ」
「どうにもできないようなトラブル、っていうのは……」
「一番多いのは天災。落雷で停電とか、地震で一時中断とか、台風が来て公演ごと消えちゃうとか。その次が病気、アイドルやスタッフが急病になっちゃったりすることもあるよね。数は少ないけど、殺害予告が来て公演中止なんてパターンもないわけじゃない。機材故障だって、故障させたくてする人はいないし。346プロが主体のライブでも、起こってほしくないトラブルは起きるよ」
卯月の語りは道理だろう。トラブルは起きるもの、誰だって経験するもの。ステージに立つアイドルや、それを支えるスタッフたちであれば、間違いなく表に出ている以上に目の当たりにしているはずのもの。
「それで、卯月さんのライブだと……?」
「天災でライブが滞ったこと、公演中止や出番中での中断に追い込まれたことは一度もない。急病人はまず出ないし、珍しく出たとしても代役のアイドルや専門技能を持ったスタッフがすぐ見つかる。殺害予告もなかったわけじゃないけど、犯人はすぐに捕まって支障なし。機材故障は起きてもリハーサル。いつもそんな感じだったね」
「……いや、でもほら! 流行病でどこもかしこもライブ自粛とか、一時期はそういうのもあったじゃないですか!?」
食い下がることねに対して、首を横に振る卯月。
「入場人数の制限とか、無観客ライブとか、そうせざるを得ないことは確かにあったよ。でもそれは、企画の最初から『不自由なライブ』になるって決まってたんだよ。ライブの大枠が固まってから予定外のトラブルに振り回されたような経験はないの」
「……流行り始めの時期なら、ずっと前から企画してたライブだってあったんじゃないですか?」
「そう思うよね。でもね、なかったんだよ」
唖然とするしかないことねを横目に、卯月は溜息をひとつ挟んだ。
「なんでかっていうと、そのとき私はいくつかの映画で撮られてる最中だったし、ドラマも主演がひとつとレギュラーがひとつ。もしかしたら知ってるかもしれないけど、映画のひとつはアクションですごく時間を取られて、ドラマの方はラブコメとバンドもので、まるでバラバラのジャンルだったんだよね。特にバンドの方は、やったこともなかったドラムを人前で叩けるくらいまで練習しなくちゃいけなくて」
「あー……そういえば、なんか一時期は俳優転身とか言われてましたよね」
「スケジュールと公開時期的に色々重なっちゃっただけなんだけどね。そこに前からのテレビやラジオのレギュラーとかもあったから、単独公演のライブまで手が回らなくて。それで、ライブ関係の企画を軒並み後にズラしてたら……」
「パンデミックの最初をちょうどキレイに避けちゃった、ってことですか」
卯月は無言で頷く。
「なんてゆーか、トラブルの方が卯月さんを避けて進んでませんかぁ? 幸運ってレベルじゃないですよ、それ」
「ううん、それもちょっと違うかなって思ってるんだ。とても不運な人ととても幸運な人をどっちも見てきたから……私はね、普通なんだよ」
正気かこの人。
卯月のぶっ飛んだ発言に慣れたことねも、そんな感想を込めた視線を送らずにはいられなかった。それを感じ取ったのか、卯月は少し考えてから口を開く。
「ことねちゃん。デビューしたばかりの私がどんなアイドルだって言われてたか、知ってる?」
「へ? そりゃまあ、一応は知ってますよ。正統派アイドルユニットのキュート担当で、一番のチャームポイントは笑顔で……」
そんなことを聞く意図はよくわからないが、一先ず出会う前から知っていた島村卯月の情報を、片っ端からひっくり返しつつ声に出してみる。
「忖度なしでいいよ、もっと辛口でどうぞ?」
「えぇ〜と、ユニットメンバーや同期と比べると歌もダンスもそこそこで、なのにキラキラしてて、得意なのは努力を重ねることで、346プロでは珍しいくらいに普通の……って」
「ありがとう。うん、久々にそう言ってくれる人がいて嬉しいなぁ。最近は美穂ちゃんも言ってくれなくなってさ、ちょっと寂しかったんだよね」
「……あの、それ本気で言ってます? 今でもそうだって思ってませんよね?」
ことねは恐る恐るといった様子で口にしたが、答える卯月は心底嬉しそうに笑っていた。
「私はずっと、本当にずっと普通だよ。もしも神様がいるなら、普通でいなさいって私を諭してるんだと思う。そうじゃないと、こんな偶然には説明がつかないって思わない?」
背筋がぞわりとする。
「私のライブは予想外のトラブルで下振れない、大きな不運に見舞われない。けれど予想外のトラブルが転じて上振れもしない、大きな幸運にも恵まれない。これは経験からの予想だけど、私自身がわざとトラブルを起こさない限りはそうなるんだよ」
人懐っこそうな笑顔のまま、さも当然のようにそう言ってみせる卯月。しかし、言われたことねからしてみればたまったものではなかった。
「もしかしなくても、今あたしって怪談聞かされてますよね。もうそれ卯月さんが怪異じゃないですか。ホントもう怖すぎるんですよなんなんですかその体質! まだ太陽びっかびかのお昼から怖い話するのやめてもらっていいですか!?」
「あはは、ごめんね。でもこれをしっかり説明しないと、ことねちゃんはきっと納得してくれないでしょ? ライブ中のトラブル対応だけを見るなら、今日の貴女は明確に私を上回ってみせたんだよ。だから、どうか……たくさん誇ってね?」
普段は卯月に少し褒められるだけで有頂天になれることねと言えども、今ばかりは舞い上がる気にすらなれなかった。