島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
嵐のように過ぎ去っていった出会いの日を越えて、翌日。気が乗らないながらも教室へと足を運んだことねを待ち構えていたのは、満面の笑みを浮かべた咲季だった。
「おはよう、ことね」
「おはよ~、咲季。どしたの、そんなゴキゲンで」
「あら、そう見える? ところで体調はもう万全かしら。もしもまだ治りきっていないなら、ここにことね専用の……」
「全然大丈夫だからマジで。もう元気あり余っちゃってどうしようってくらいだから安心して」
何故か蛍光色に光り輝くドリンクの受け取りを全力で拒否しつつ、ことねは自分の席に座る。
その後もしばらく続いた咲季のドリンク攻勢を抜きにすれば、1年1組のクラスメートたちは誰一人としてことねに変なアクションを取ろうとはしなかった。昨日倒れたらしいという噂を耳に入れた数人が、単純な心配の言葉をかけにきただけ。いっそ拍子抜けするくらいに日常通りだった。
スカウトの件について質問責めに遭うことを覚悟していたことねだったが、どうやら口止めをお願いするまでもなく、咲季は友人のゴシップをばらまくようなことをする気はなかったらしい。
「あとはヤバい飲み物を勧めてこなかったら完璧だったんだけどなぁ~……」
「何か言った?」
「いえなんでもないですホント」
ともかく、普段と同じ学校生活はすぐに過ぎ去り、放課後がやってきた。やってきてしまった。
咲季を経由して昨日受け取った卯月の名刺には、裏側に走り書きがあった。曰く、使われていない教室のひとつを事務所代わりで確保してあるので、体調が回復したら訪ねてきてほしい。午後6時までは毎日そこにいる……と。
無論、卯月自身が教室を訪ねてこないのは気遣いあってのことだろう。とはいえ、ことね自らその教室に向かわなければならないというのも、それはそれで気持ちが重かった。
「結局、答えも出てないしぃ……」
こんなに大きなチャンスを逃すわけにもいかず、かといって結局どんな表情でもって卯月と会えばいいのかも定まらず。ぼんやり考えながら歩いているうちに、指定された教室の前にまで、ことねは足を運んでしまっていた。
「……や、普通に考えて悪いのは向こうでしょ。あたし被害者でしょ。どんな顔で会えばいいって、そりゃもう怒った顔で行けば問題なしっ! なーんだ、悩むことないじゃん!」
半ば自分自身へ言い聞かせるようにそう言ってから、ことねは教室のドアをがらりと開く。
「プロデューサーっ!」
「ああ、藤田さん。こんにちは、体調の方はもう大丈夫ですか?」
ことねの呼びかけに応えて書類から目線を上げたのは、間違いなく島村卯月だ。昨日と同じく、プロデューサー科に所属する大半の学生がそうであるように、ビシッとしたスーツ姿である。
「なんなら倒れる前よりもずっと元気です! そんなことより、昨日の……えっとぉ、昨日の件についてっ!」
「落ち着いてください、藤田さん。まずはドアを閉めて、それから……そうですね、そちらの席にどうぞ。お茶を出しますね」
淡々と事務的な対応を崩さない卯月の様子に、出鼻を挫かれることね。とはいえ反抗する理由もなく、指示には素直に従うことにした。
戸棚から紙コップを取り出す卯月を待つ間、ことねは教室を見回す。こじんまりとした部屋の中には、長机とパイプ椅子、黒板にテレビ……至って普通の準備室だ。特筆すべきこともない。しかし島村卯月の事務所代わりの部屋がここだと言われてしまうと、はっきり言って拍子抜けだった。
「どうぞ」
「あ、どもです」
差し出された紙コップの中身もペットボトルのお茶だ。何の捻りもないし、特別感もない。
(これをプロデューサーが……島村卯月が差し出してなかったら、だけどさ)
ことねが散々過ごしていた日常に、非日常の世界からひとりだけ登場人物が飛び出してきたような、そんなチグハグさが目の前の卯月にはあった。トップアイドルに限らず、本物の芸能人というものは皆こうなのかもしれない。
「では、早速ですが本題に。まずは謝罪させてください、藤田さん。昨日の一件、大変申し訳ありませんでした」
そう言い出すなり、卯月は深々と頭を下げる。
「え、ちょっ!? や、やめてくださいよぉ、そんな……」
「いえ、私の行動で藤田さんをあのような目に遭わせてしまったことは疑いようもありません。もしも藤田さんが望むのであれば、スカウトの話は無かったことにしても……」
「ダメですッ! それだけは絶対に!」
反射的に出てしまったことねの大声に、卯月も思わず顔を上げる。気まずい空気が漂う中、ことねはもう一度口を開く。
「……その、不意打ちでああいうことされるのは、困っちゃうのでやめてほしいな〜とは思いますケド。でも、だからってプロデューサーのスカウトに応じないとか、そんなの絶対にないです」
卯月にじっと見つめられながら、ことねは堂々と宣言する。
「あたしはトップアイドルの夢に人生賭けるって決めてるんです。プロデューサー科の人から名指しでスカウト、それも
考えてきたわけでもないのに、出てくる言葉が止まらない。誰に啖呵を切っているのか、それがどれだけ不遜なことか、理解しているはずなのに。
「それとも、あのくらいのファンサで倒れるメンタルならアイドルなんてできっこない、とか言っちゃいますか!?」
「そ、そういうわけでは……」
「だったら、すぐに契約してください! 今ここでっ! あたしをトップアイドルに成り上がらせてみせるって、そう約束してくださいよ!」
ことねの叫ぶような主張を聞き届け、卯月は手元の書類──プロデュース契約書に視線を移す。
たかが紙切れで、ひとりの人生を左右することになる。人生の責任、その一部を負うことになる。アイドルをスカウトして結ぶ契約とはそういうものだと卯月は理解している。
「……藤田さんの思いは理解しました。貴女が夢を叶えるため、最大限の助力を約束します。この場で契約を結びましょう」
「ほ、ほんとです? ほんとのほんとに?」
「はい。どのようなことがあろうと、藤田さんをトップアイドルにしてみせます。プロデューサーとしての私はまだまだ未熟ですが……アイドルとして私がこれまでに得た全てを、貴女のプロデュースに注ぎ込んでみせます」
そこまで口にして、卯月は今日初めて硬い表情を崩してみせる。
「アイドルとしての私を超えてください、ことねちゃん。それが、プロデューサーとしての私が藤田さんに求めることです」
「……昨日、会ったときからなんとなく思ってたんですケドぉ〜……プロデューサーさん、さてはけっこーカッコつけですよねぇ? あんまりそういうイメージないのに」
にやりと笑いながらそう指摘することねに、少し頬を掻いてみせる卯月。
「昔からの友人にそういうところがあるので、私にも少し移ってしまって……」
「あ〜、それ渋谷凛さんでしょぉ〜! やっぱり今でも仲良しなんですかぁ?」
「はい。まめに連絡を取っていますよ、凛ちゃ……こほん。渋谷さんとも、他の元同僚とも。ですが、今はその話よりも」
その言葉と共に、卯月は書類の束をことねの目の前へと滑らせる。
「契約書の中身に細部まで目を通してください。初星学園の標準的なプロデュース契約書なので、特に問題はないと思いますが。承諾いただけるなら、こちらにサインと印鑑を────」
「あっヤバ、印鑑持ってきてない!? ちょっと待っててくださいっ、すぐ持ってくるので!」
「藤田さん、その前にちゃんと中身を読んで……」
卯月が言いきる前に、ことねは立ち上がってバタバタと駆け出していってしまった。教室にひとり残され、卯月は溜息を吐く。
「……でも、仕方ないよね」
オーディション合格の通知がやってきたとき、10年前の自分はきっと今のことねと同じくらいに喜んでいたし、浮足立っていた。アイドルになることが夢だったから。
だが、島村卯月と藤田ことねには違いがある。卯月はアイドルになることが夢だったが、ことねの夢はアイドルになることではない。アイドルになって、成り上がって、大金持ちになる。そのためにトップアイドルを目指す。それがことねの夢だ。
ぶれない夢を持って、それに向けて全力疾走できる人間はいつだって強い。それを嫌というほど思い知っているからこそ、卯月は自分の夢をことねに預けると決めたのだから。