島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画   作:天宮雛葵

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07 - レッスンなんて言ってる場合じゃない

 契約の作業は終始つつがなく、そして呆気なく終わった。

 

 卯月が用意した契約書は初星学園が用意しているテンプレートから大きな変更を加えたものではなかったし、ことねもしっかりと内容をチェックしたうえで署名捺印した。それでも三十分と掛かる作業ではなかったのである。

 

「では、早速ですが……藤田さん、現在の実力を確認させてください」

 

 教室から場所を移動して、卯月とことねが今いるのはレッスンルームである。

 

「トレーナーの皆さんから映像資料という形で直近のデータは頂いていますが、やはり直接確認するに越したことはありませんから」

「うぅ……あんまり期待しないでくださいよぉ?」

 

 レッスンウェアに着替えたことねの顔は暗く、自信なさげだった。卯月としっかり契約を結んだとはいえ、自分の力量を確認されて失望されることへの恐れが、その表情からありありと伝わっていた。

 

「大丈夫ですよ。私は藤田さんが才能の原石だと確信していますが、原石は磨かなければ石ころです。それをわかったうえでのスカウトですからね」

「うぐぐ……まあ、やるだけやってみせます!」

「その意気です。今回は定期試験の課題曲を順番に確認していきます。合間に休憩を挟みながら、一曲ずつやっていきましょう。まずは……『初』から行きましょうか。準備は良いですか?」

 

 ノートパソコンで音源を流す準備をしつつ、卯月が問いかける。

 

「……よし。いつでもいいですよっ!」

 

 ことねの返答に頷いて、卯月がスペースキーを押した。インスト音源が流れ始めたのを確認して、マイク片手に歌い始めたことねのパフォーマンスを真正面から観察する。

 

(うん、やっぱり歌はダメダメだなあ……このままだと、私がぶっつけ本番で歌った方がまだ上手くいきそう……)

 

 根本的に歌声がふらふらしていて、音程が安定していない。肺活量はあるのに息のコントロールができず、不自然なところで息継ぎのブレス。ロングトーンに至っては、正しい音程を取ることすら放棄してしまっている。

 

 しっかりレッスンを受けてこの有様だとすれば、卯月の指導力で手に負えるレベルではない。

 

(でも、これは映像の時点で確認してたこと。これから努力を重ねてくれたら、きっと人並みにはできるはず)

 

 ことねのレッスン記録を確認したところ、どうやらそもそもの問題としてボーカルレッスンをかなり疎かにしていたらしい。

 

 そもそも、ことねはアルバイトを掛け持ちしているせいで明らかにレッスンの頻度が少なくなってしまっている。なんとか取れた時間も、ダンス・ビジュアルレッスンの予約ばかり優先していた結果がこの歌唱力なのだろう。卯月は気を取り直し、歌声はあまり意識せずにことねのパフォーマンスを確認することにした。

 

 とはいえ、歌声同様にダンスも表現力もまだまだ未熟。ダンスに光るものがあるというのは事実だが、それにしてもまだまだ実戦レベルではない……と、卯月はそう思っていたのだが。

 

(…………おかしい。巧すぎる)

 

 身体の動かし方。ダンスそのものの正確さとキレ。他人に見られていることを前提とした目線の動かし方。プロには全く届いていない、その事実は変わらない。だがそれでも、卯月が確認した映像記録のことねと、目の前で踊っていることねではその力量に雲泥の差がある。

 

(歌声は未熟さと必死さが拭いきれてない。でも、ダンスからは必死さが完全に消えてる。フィジカルだけに集中しなくても良くなって、おかげで目線や表情には少し気を配れてる)

 

 上達したというのなら、それは喜ばしい話だろう。ここで問題になることは、ただひとつ。

 

(トレーナーさんから貰った映像は、たったの十日前に撮影したもののはず。……いきなり急成長するのも、ありえない話じゃないけど)

 

 しかし卯月は知っている。

 

 ことねは慢性的に長時間のアルバイトをこなしていて、肝心のレッスンに時間を掛けられていない。だからこそ才能があるにもかかわらず技量が伸び悩み続け、アイドルになれずアルバイトも辞めることができない悪循環のスパイラルに陥っている、そのはずなのだ。

 

 なのに、卯月がことねをスカウトした時期の前後に、都合よく急成長を? 

 

(そんなわけない。何か、理由があるはず)

 

 卯月は頭を振って、音源の再生を止めた。

 

「……あれ? プロデューサー? 音楽止まっちゃってますよぉ?」

 

 すぐに気付いたことねは声をかけるが、卯月は答えない。難しい顔をして俯くのみだ。

 

「ぷ、プロデューサー……?」

 

 恐る恐るもう一度呼びかけることねの表情は、不安どころか怯えのそれに変化しつつある。だが、いきなりパフォーマンスを止められてしまっては仕方ないことだ。しかも卯月の顔には怒りや失望こそ浮かんでいないものの、その表情は明らかにポジティブなものではない。

 

「あの、その、これから……これからっ、もっとレッスン頑張るので……」

「藤田さん、確認させてください。私からスカウトを受ける直前の一週間、トレーナーさんからしっかりと指導を受けたレッスンは何コマですか?」

「へ? レッスンのコマ数、ですか?」

 

 全く予想していなかった質問に困惑することね。

 

「えっと……火曜と水曜のダンスレッスンと、金曜のビジュアルレッスンが2コマなので、合わせて4コマですかね」

「……そんなはずは」

 

 思わず呟きが漏れる卯月。

 

 初星学園における1コマのレッスン時間は50分。つまり、先週のことねがレッスンを受けた時間は4時間にも満たないことになる。それだけの時間で何かを掴んで、突然こんな成長を? 不可能とは言わないが、流石に可能性が低すぎる。

 

「スカウトを受ける前、何か変わったことはありましたか? ダンスのコツを掴んだとか、自主練を詰め込んだとか……どんなことでも良いですよ」

「ん〜、そう言われても……別に変わったことはなかったですよぉ? 一番特別だったのは、プロデューサーからのスカウトですし」

 

 本人には自覚できない何かがあった? それとも他に原因が? 契約で気持ちが上向き、パフォーマンスに影響が出たのか? しかしことねは、今の力量を見せることに終始不安げだった。彼女に影響を及ぼす何かがあったとすれば、それは……

 

「……藤田さん、昨日、保健室では何時ごろまで休みましたか?」

「昨日なら、女子寮の門限ギリギリまで保健室でしたよぉ。そのせいで寮に帰ってからはご飯もお風呂もバタバタしちゃって、それはもう大変で……」

「自室に帰ってから、すぐに寝たのでは? きっと朝まで起きませんでしたよね?」

「そ、そうですケドぉ……なんか、さっきから言動がいちいち怖くないですか? どうしちゃったんです?」

 

 スカウトの日、ことねが倒れたのは正午過ぎ。そこから夜まで保健室で静養、寮に戻ったらやることをやってすぐに寝て、朝まで起きなかった。となれば、原因らしきものはひとつしかない。

 

「……なるほど、想定以上ですね。藤田さん、今日のレッスンは全て中止です。いえ、今週を丸ごと完全オフにしましょう。レッスンもバイトも全て禁止です」

「え、ちょっ、何言ってるんですか!? そんなこといきなり言われたって……」

「藤田さん、貴女がアイドルとしての実力を発揮できていない原因は過労です。それも、私が考えていたより根深い問題かもしれません」

 

 深刻な顔で語る卯月だが、ことねはいまひとつピンと来ていないようだった。それを見てとってか、卯月はさらに言葉を重ねる。

 

「このままだと、アイドルどうこうの前に藤田さんは働きすぎで過労死しますよ! 今すぐ生活習慣を根本的に是正すべきです!」

「……過労死って、そんな」

 

 そんな冗談みたいな話を、などとはとても言えなかった。ことねを見据える卯月の瞳が、あまりにも真剣だったから。

 

「予定を変更しましょう、藤田さん。まずは今から外出します」

「こ、こんな中途半端な時間からです? そもそもどこに……まさか、プロデューサー」

 

 卯月がこれから何を言い出すのか、ことねにはなんとなくわかってしまった。

 

「予約なしで診てくれる医者として、私が最も信頼を置く方がいます。その代わり、()()()()()()が合うかはわかりませんが……」

 

 ノートパソコンを閉じ、備品を手早く片付けながら卯月は告げる。

 

「計画を練る前に、一度しっかりと診察してもらいましょう。準備してください、藤田さん」

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