島村卯月(27歳)による藤田ことねトップアイドル化計画 作:天宮雛葵
整理整頓された資料たちが机上に並んだ、真新しい診察室。
「……本題に入る前に、島村君には言っておかなければならないのだが」
カルテを手にやってきた男性医師は、緊張した面持ちで座ることねではなく、その後ろに立つ卯月の方に視線を向けた。
「君は、この病院のことをアイドル専門の駆け込み寺か何かと勘違いしてはいないか?」
「いいえ、貴方に相談するのがベストだと思っただけです」
「一応、僕の専門は外科なのだが」
「実績と信頼ゆえに、です。今日はご都合も良かったようですから……ですよね、桜庭先生?」
にこにこしながら答える卯月に、医師──桜庭薫は、溜息を吐きながら椅子に腰かけた。
「……まあいい。では、藤田ことねさん。今回の検査結果ですが、幸い大きな異常は見つかりませんでした」
端的な朗報に、ことねの顔が笑顔を取り戻す。
「ほんとですか?」
「はい。ただし、先程お聞きした日常の過ごし方を鑑みれば、早晩倒れても何ら不思議はないでしょう。早急に生活習慣を是正すべき、という彼女の意見に僕も同意します」
「そ、そんなぁ~……」
今度はしょぼくれた表情になってしまったことねに対して、薫はさらに続ける。
「初星学園女子寮には門限があるそうですが、今の貴女はその門限から来る活動時間の制限によって健康を保っているに過ぎません。貴女自身はまだ労働時間を、あるいはアイドルとしてのレッスン時間を増やすことができると考えている。違いますか」
「それはぁ……そのぉ~……」
どうやら図星だったらしい。薫はもうひとつ溜息を吐いて、再び卯月の方に視線を向ける。
「島村君。藤田さんと君がどのような関係かは知らないが、君がこうして藤田さんを連れてくる立場にある以上、これは君の監督不行届にもなりうるぞ」
「ま、待ってくださいっ! プロデューサーは悪くなくて、これまでずっとあたしが……!」
「……プロデューサー?」
ここまで冷静そのものだった薫が、初めて虚を突かれたような声を出した。
「すみません、改めての自己紹介が遅れてしまって。初星学園プロデューサー科、島村卯月です。今は藤田ことねさんのプロデュースをさせていただいています」
「……なるほど。引退アイドルのプロデューサーデビューか、合点がいった。ならば島村君、担当アイドルの生活スケジュールを管理する義務は君にある。方法も君なら心得ているだろう。藤田さんが僕の世話にならないようにすることが、君の重要な役割であることは理解しているな?」
「はい」
覗きこむような薫の視線をそのまま跳ね返すがごとく、卯月はきっぱりとした口調で返す。
「ならばいい。……藤田さんも、島村君と相談しつつ生活習慣を是正していくように。未成年とはいえ、自己管理はアイドルの基本です」
「は、はいっ!」
「処方箋は必要ないでしょう。では、待合室に戻ってしばらくお待ちください」
どうやら話は終わったらしい。ことねは慌てて立ち上がり、薫にぺこりと一礼した。
「ありがとうございましたっ!」
「ありがとうございました、桜庭先生」
ことねに続いて卯月もお礼の言葉を添え、ふたりが揃って診察室から退出していく。
「お大事に」
背中から掛けられたお決まりの台詞は、驚くほどに優しく落ち着いた声だった。
「……あの、プロデューサー」
「どうかしましたか?」
学園への帰路。車の助手席に乗ったことねの呼びかけに、ハンドルを握る卯月が応じる。
「ごめんなさい、こんな大ごとにしちゃって。あたし、これまで何も考えずにバイトとレッスンを詰め込んで……」
「嘘はダメですよ、藤田さん。貴女は何も考えていないわけではなかった」
そう言い切る卯月に、俯いていたことねの顔が上がる。
「本気でアイドルとして大金を稼げるようになりたいのなら、レッスンに全力で取り組めばいい。初星学園にはそのための環境が整っていますからね。でも藤田さんはそうしなかった。複数のアルバイトに追われる日々を過ごしながら、どうにかレッスンの予定もねじこむような生活をしている。そうしなければならない理由が、貴女にはあるのでしょう?」
ことねの返事はない。
「お金を稼げるアイドルになりたいという目標、あるいは夢。そして、お金を今この瞬間も稼がなければならないという現実。藤田さんはその両方に向き合い、自分なりに考え、戦っている。その事実を責めることはできませんし、私がさせません」
「……プロデューサー」
ことねの声は、少しだけ震えていた。しかし卯月は努めて普段通りに話を進めていく。
「藤田さん。実は現状の環境を打破するために、いくつかの解決策を準備してきました。きっと喜んでもらえると思います」
「解決策、ですか?」
赤信号で車が止まる。外はもう暗くなりつつあったが、学園に着くまではまだまだ長い。
「まず第一に、奨学金です。初星学園では、プロデュース契約を結んだ生徒に対して奨学金や支援金の審査に優遇措置があります。今までの藤田さんでは申請が難しかった制度を活用できるようになるでしょう。これでアルバイトの時間を減らすことができますね?」
「ぷ、プロデューサー……!」
卯月の言葉を聞き、瞳が輝きはじめることね。だが、卯月の提案はまだまだ序の口である。
「次に、これは昨日もお話ししましたが……今後の活動方針として、小さなお仕事をコツコツ積み上げていく、という話をしたと思います。当然ですが、こういったお仕事にも金銭的な報酬があります、金額は安定しませんが、少なくとも藤田さんが就いているアルバイトよりも時給面で高額にはなるはずです。アイドルとしての経験も積め、さらに知名度とファンまで得ることができるでしょう。そういうお仕事を、既にいくつか用意してあります」
「も、もうですかぁ!? そんなのどうやって……」
「伝手がありますので。藤田さんに見合わないお仕事は引っ張ってきませんが、逆に見合うお仕事であればいくらでも用意させていただきます。心配はいりません」
「ふあぁ〜〜〜っ♡」
今や、ことねの瞳はお金とハートのきらめきに満たされつつあった。しかし、これでもなお卯月の言葉は止まらない。
「とはいえ、アイドルとしてのお仕事には事前のレッスンが不可欠ですし、奨学金の審査にも時間がかかります。しばらくの間、生活費を稼ぐ必要があるかもしれません。……実は友人に掛けあって、かなり割が良いであろうアルバイト先を用意してもらいました」
「ば、バイト先ですかぁっ!? プロデューサーが紹介してくれるってことです!?」
「その通りです。ざっくりとした説明をすると、私の友人に小日向美穂という人がいるんです。今は紹介制のバーを経営しているのですが……」
さらりと卯月が出したその名前に、ことねは一瞬フリーズしてしまう。
「……小日向美穂って、え? あの小日向美穂さんです? ピンクチェックスクールでもピンキーキュートでもプロデューサーと一緒だった、可愛い系正統派アイドルの代表格みたいな、あの?」
「ふふ、会ったときに直接言ってあげてください。きっと喜びますよ。ともかく、彼女のお店は特に休日の昼間に繁盛しているらしく、人手が欲しいと前から言っていたんです。もし藤田さんが望むなら、そこでアルバイトをするというのも……」
「やりますっ! ぜーったいにバイトしますそこで! 今週からでも行きますよぉっ!」
矢継ぎ早に繰り出される『人生を変えるチャンス』の数々に、ことねのテンションは天井を突き抜けておかしくなりつつあった。
「も~、プロデューサーってばぁ~♡ こんなに尽くしてくれるなんてぇ、さてはあたしのコト、だーいすきなんでしょぉ~!?」
「喜んでくれて嬉しいです。ですが、藤田さん……実は、まだもうひとつだけあるんですよ」
「ま、まだ何かあるんですかぁっ!?」
ことねが声を跳ね上げるのと同時に、信号が青に切り替わった。アクセルをゆっくり踏み込みながら、卯月は珍しくにやりと笑ってみせる。
「藤田さんがプロのアイドルとして成長し、しっかりとお金を稼げるようになるため……私が用意した、スペシャルレッスンです。楽しみにしておいてくださいね?」