桜の花びらを風が運んでいく。
すっかり花を落とし、その威容を心なしか縮ませた桜の木の妖怪、西行妖は静かに沈黙した。
元々から何か音を出していたわけではないけれど、張り詰めていたような妖気というか、魔力というか、そういうものが霧散したように思う。
先程までの激しい弾幕ごっこの跡が残る空で、凛と背筋を伸ばしお祓い棒を片手に霊夢。
弾幕と、最後に霊夢が放った夢想封印によって服ごとボロボロにされた幽々子。
勝負は今までになく長く、そして激しかった。
「霊夢は本当に強いわね」
私の隣で咲夜が呟く。
そしてちらりとこちらを見て、組んでいた腕を解いて続ける。
「前回もそうだけど、どうして魔理沙は異変解決に向かおうと思うのかしら。あの霊夢に任せようとは思わないの?」
咲夜のことだからそういう意図はないんだろうと思うけど、人によっては暗に足手纏いだと言ってるように聞こえるぞ。
私は胸を張って答える。
「私だって幻想郷に住む人間のひとりだからな、霊夢ひとりに任せるつもりはないんだぜ!」
ぱちぱちと目を瞬かせる咲夜。
ありゃ。意味通じないかな。
「えっと。霊夢が強いことなんて私も知ってるけど……」
そう、言葉にするのは難しいんだけど。
異変解決の主人公は霊夢だけじゃないんだ。
「霊夢のことも誰かが守らなきゃいけないだろ? だから私が守ってやろうとおもってだなー」
いまいち合点がいってなさそうな咲夜だったが、ふっと笑みを浮かべると私の帽子を取って頭に手をやって撫で始めた。
「そう。あなたの世界を守るためなのね」
そう言いながら優しい手つき。
むず痒いのでされるがままにしていると、周囲の結界が解除されて霊夢が戻ってきた。
「霊夢、お疲れ様!」
「ありがと。さっさと元に戻してもらいましょうか」
言って、妖夢に支えられながら地面に降りる幽々子を見る。
ふわっと風が桜の花を運び、周囲に舞う。
気がつけば夜は明け、東の空はまだ太陽が見えないが随分明るくなっていた。
空を見ていた私の側にいつの間にかいた妖精が、こちらを見上げてにこっと笑いかけてくる。
「春ですよー!!」
「あ、春の妖精!」
幻想郷の春を取り戻せたようだ。
私も安堵からその妖精、リリー・ホワイトに笑いかけて同じように言うと、にこーっと笑顔を浮かべながらくるくる周りそのまま白玉楼を飛び出して行った。
きっと春を告げに行ったんだろう。正確には春の妖精っていうか、春を告げる妖精なんだっけ?
手を振ってそれを見送る。良かった、安堵が胸いっぱいに広がって自然と笑顔になる。
「突然無邪気になるわよね、可愛らしい」
「平和になったわね」
「んん、なんだよ!」
振り返って、頬に片手を当てている咲夜と深く頷く霊夢を見て、寝不足からのテンションのままの行動を恥じた。
しまった、あんまり魔理沙らしくなかったぜ。
*
「じゃあ話し合いは任せるとして、あとは花見の準備だな」
能天気な少女だと思う。
妖夢を下し、博麗の巫女を連れて来たこの少女は先の異変にもいた普通の人間だ。
白黒の衣装に身を包み、小さな体躯に見合ったちっぽけな魔力で、大きな勇気をもって挑む人間だ。
無謀な勇気で無茶をして、周囲の助けで事を収めるその少女を幽々子はどこか眩しそうに見つめた。
西行妖や白玉楼に溜め込まれた春は、その結界が破壊された事でとめどなく溢れて雲の下、幻想郷に降り注いでいくだろう。
春告精がそれに乗って地上におり、まもなく雪も溶けて本来の季節を取り戻すはずだ。
異変を解決したのは間違いなく博麗の巫女だ。
だがこの少女もそれを為したひとりだ。偉業だ、讃えられるものだ。
ただの人間には命の危険もあるものだった。
命を落として自分が亡霊になっていてもおかしくなかった。
それにも関わらずこの冥界まで来たのだ。
間違いなく博麗の巫女が重要な役割を果たしたが、この少女のことも好ましく感じていた。
本人はそんなことを気にした様子もなく、眠そうに目を擦りながら左腕に人形を抱き、右手に箒を掴みながら桜を見上げている。
「小さな魔法使いさん。あなたのお名前は?」
だから、興味を持ってしまうのも仕方のない事だった。
ふわりと浮き上がり、魔理沙のそばに降り立つ。
「霧雨魔理沙だ! 人間の魔法使いで、霊夢の友達だぜ!」
「そう、人間の霧雨魔理沙ね。私、さっきも言ったけど西行寺幽々子。幽々子って呼んでね」
「おう、幽々子だよな! あー、幻想郷の春はもう返してくれてるん、だよな?」
頭を掻きながらどこか照れ臭そうに。
どこか伏目がちにちらちらとこちらを帽子の隙間から伺うような目線。
「ええ。もはや私達には春を集める手段も留め置く事もできないわ。あなたたちにお返しします」
「良かった! それじゃあ今度の花見は幽々子と妖夢も来てくれよ、なんか美味しいものとか持ってさ、霊夢の神社でやろうぜ!」
「それは、私たちは構わないのだけれど。あなたたちはいいの?」
「なにが?」
「私たちは異変を起こした妖怪なのよ、蟠りというか、そういった機微が人間にはあるのではないかしら」
「あー、いいんだよ別にさ。霊夢も気にしてないよな?」
言いながら、片手を上げて私の向こうにいる博麗の巫女にも声をかけている。
あれだけ怒りを見せていた霊夢も、すっかり毒気が抜けた様子でひとつため息を吐きながら呆れた様子だ。
「あんた、殺されかけたのに呑気ねぇ」
「あれは事故みたいなもんだって!」
「はぁ。好きにすれば」
親友から聞いていた様子よりも幾分も柔らかい印象のその巫女が、但し。と付け加える。
「お酒と食べ物はたくさん用意しなさいよ」
「あら。それじゃあまたお嬢様に言って用意しなくちゃね」
「あんたのとこも来るのね。はいはい、好きにしなさい」
なんとも気持ちの良い少女たちだ。
今回の異変解決に携わった3人の人間に好感を持っていた幽々子は、もちろん!と妖夢に顔を向ける。
「妖夢。そういうわけだから準備もお願いね」
「はい!」
こちらが微笑む様子を見て、安心し切った様子の妖夢。
思えば辛い役回りを任せてしまった。
春を集め始めてから、ずっと自分に違和感があった。
意識が蒙昧になっていくのを感じながら、なぜかそれをやめる気にならなかった。
妖夢はそんな様子を見て、何度も声を掛けようとする素振りをしていたのには気がついている。
それを意図的に無視して春を集めさせていた。
今は明るんできた冥界に似合わない空の下、晴れやかな気分で春を祝える。
西行妖のことは、また親友の隙間妖怪に聞こう。
そう思いながら、すでにまた枯れ果てた西行妖を見上げる。
なにが埋まっているのかなんて、今となっては然程も興味が湧かない。
この今を生きる人間の少女たちにこそ、興味が向くのを感じていた。
*
春に雪が降る程度の異変。
それを解決した後の私たちは、魔理沙の箒に無理やり3人で詰めて乗りながら白玉楼を後にした。
「お前ら自分で飛べよなー」
「弾幕ごっこで疲れたのよ」
「たまには良いじゃない」
魔理沙の後ろに私。
私ごと魔理沙を抱きしめて、後ろに咲夜。
なんだよ、飛べるくせにさー! なんて文句を言いながら、慎重に揺れが少ないように飛ぶ魔理沙。
その顔は笑顔で、頼られる事が隠しきれず嬉しそうだ。
先程の咲夜から言われた「守れないなら連れてくるな」という言葉を思い返す。
ついで、咲夜の影から漂う妖気と魔理沙が抱える人形、周囲に浮かぶ陰陽玉や目には見えない音の妖気。
雲を突き抜けるまで周囲の雪に漂っていた妖怪の気配に、箒に括り付けられた道具袋から放たれる妖力。
それらすべてを改めて思い返して、思わず半目で魔理沙を睨みながら思うのだ。
――過保護ねえ。
私の友達は人たらしで妖たらしで、なんというかほっとけない危なっかしい子供のようだ。
今日。もしも異変の解決に連れて行かなかったら。
前回のようにこの子は後をつけてきてしまうだろう。
本当は何度か、気が付かれないように出かけようとした。普段は鈍いくせに何故か敏感に察知して一緒に付いてこようとするのだ。
巫女の勘が、今回はこいつを1人にしちゃいけないと言っている。
仕方なく、誰かに足止めしてもらうことも考えたのだが、あの吸血蝙蝠や妖怪館に魔理沙を任せる気にはなれなかった。
それならばもう仕方ないので、連れていけば良い。
私が守ってやれば危ないことはない。
そう思っていた。
しかし考えを改める必要がある。
博麗の巫女の力は強力だ。結界術は類を見ないほどの強力なものだし、干渉を無効化する能力は無敵と称される。
私が未熟だった。ただそれだけ。
今はまだ冬眠中だろう幻想郷の賢者や、口うるさい仙人を思い浮かべて、憂鬱が口から漏れて出る。
「ため息か?」
耳ざとくそれに気がついた魔理沙が、顔を半分だけこちらに見せながら心配そうな様子で声をかけてくる。
「あくびよ」
「なんだ。もう朝だもんなぁ、今日はゆっくり休もうぜー!」
能天気に笑顔を浮かべながら、こちらの気も知らないで親友が言う。
「色々助けられたぜ、霊夢も咲夜も。ありがとうな」
「お嬢様からも言われてたのよ。気にしないで」
今日は本当に、少しだけ疲れた。
少し疲れたので、少し弱音を吐いてもいいだろう。
「霊夢?」
ぎゅっと腰に回した手に力を入れる。
私より少しだけ小さなその体をぎゅーっと抱きしめる。
「疲れたわ。今日は泊まっていきなさいよ」
珍しい事じゃない。
年末や年初め、長い梅雨の時期やお互いに暇な時なんかには魔理沙は神社に泊まりに来る。
「っていうか、もう魔法の森に帰らなくても良いじゃない」
「え?」
「神社で一緒に暮らしましょうよ」
だって、守れないし。守るために仕方なくだし。
あと、周囲の妖気が癪なのよね、その人形とかも。
「れ、霊夢さん……?」
「……私も良い?」
「咲夜は大事なお嬢様がいるお屋敷があんでしょうが」
腕の中で魔理沙が強張っているのを感じる。
ああ、まいった。困らせたいわけじゃ、ないのに。
「……冗談よ」
「……おいー! びっくりしたってー!」
今はまだ冗談でいい。そう思う。
「魔理沙、紅魔館に住まない? お嬢様も妹様も歓迎して……」
「もう! これ以上冗談やめてくれよー!」
「……残念だわ」
まだ誰のものにもならないなら、1番そばにいるのが私なら。
望まれないのなら、この距離感が1番良い。
「けど、そうだな。じゃあお言葉に甘えて今日は神社に泊まろうかな」
朝日に照らされた雲の上。
異変解決の帰り道で。
そんな一言で機嫌が良くなるのを感じながら、私たちは雪が溶け始めた幻想郷に戻るのだった。