その0 永夜から
明日が満月だと気がついたのは、久しく姿を見ていなかった蛍が庭先で遊ぶのを、その先に明るい月が浮かんでいるのを見てからだ。
まだ気温が高い幻想郷はいつかの日照りの年ほどではないが、夏と秋の境目にありながらまだ夏の気配を色濃く残している。
季節は晩夏に差し掛かった頃。
春の賑わいが尾を引いていた夏が過ぎ、私はいよいよ月が関わる異変の、始まりを予感した。
「それで、どうしてずっとうちにいるんだ?」
「さあね。霊夢に聞いておくれ」
そんなことを言いながら、ソファーに座る私の膝に頭を乗せて勝手に寛いでいる鬼。
その傍若無人な有様に和みつつ頭を撫でながら、困ったなと頭を唸り悩む。
幻想郷の小さな百鬼夜行、萃香が「がははっ!」と笑いながら心地よさそうに酒臭い息を吐き、ぐいっと瓢箪を呷って口元を拭った。
場所は私の家。時間は夕方を少し過ぎて、薄茜色の空に紺色が差し、中天に月が掛かってきたころだ。
「いやぁ極楽! あの吸血鬼の小娘が血の涙を流して羨ましがるだろうねぇ」
「レミリアのことか? お前ら、なんでそんなに競い合ってんだ?」
「競っているつもりはないが、あれは揶揄うと存外面白い。あと、まぁ東の鬼代表としてね。そんなことよりおつまみも頂戴よ。あとはお酌もしてくれると嬉しいんだけど」
「つまみなんてないぜ。勝手にその辺のキノコでも食ってくれ」
「魔理沙はキノコに含まれるか?」
「人間はキノコじゃないよ」
軽口を交わしながら机の上に置いている八卦炉を見る。
せっかくこの日のために新技も開発して、しっかりと準備を整えて来たのだ。
私もよく知る永夜抄が始まる。
紅霧の異変の時のように、いよいよだという気がしてくる。
「うん、あれ? 霊夢に聞いてくれって言ったか?」
「うぅん、これは言わなくてよかったことか。まあいいか!」
「よし、やっぱり異変なんだな!」
「駄目だぞ魔理沙。お前、この家から出たら喰っちまうぞ!」
「いっつもそうやって脅かしてくるの、やめてくれよ!」
ぎらりと光る犬歯を見て、どうも今回の異変に関わらせてくれる気がないらしいと悟る。
前回あんまり役に立てなかったからなのか、このままでは自機としての誇りが失われてしまう。
和やかに話しながら、機会を伺って外に出ないと。
「家から出ないようにって、霊夢から頼まれたのか?」
バツが悪そうに目を逸らしながら、しかし嘘を吐けない鬼が口を閉ざした。
「そうなんだな、よし霊夢の手伝いにいくぜ!」
「だあ、ダメだってば!」
慌てた様子で私が立ち上がるのを阻止して押し留められる。
どちらにせよ、膝を萃香が枕にしているから立ち上がれないんだけど。
「霊夢に何を頼まれたんだよ」
「う~ん。頼まれたのは私から言ってしまったしな、本当だ。けどお前さんが首を突っ込まないように見張るのは、自分の意志でもあるんだがねぇ」
「……私、邪魔か? 足手まといか?」
それは事実、感じていたが意識していなかったのに。暗い気持ちになりそうだ。
そんなに邪魔なのだろうか。悲しい気持ちと霊夢に置いていかれるような、寂しい気持ちが膨らんで目を伏せる。
確かに私には『魔理沙』ほどの才能はない。だけどこれ以上の乖離が起きないように本当に頑張っているのに。
紅霧の異変では、うまく関われたと思った。フランが早めに出てきてしまったのは誤算だったけど。
前回の春雪の異変ではどうだったのだろうか。私は霊夢と一緒に戦っているつもりだったんだけど、むこうはそう思わなかったみたいだ。
ぐっと奥歯を噛んで溢れそうな感情を堪える。
「おい泣くなって、鬼も泣く子には勝てないんだ。本当に頼む、胸が苦しくなるからやめて!」
「な! 泣いてないぜ!」
萃香の赤ら顔が少し顔色を変えながら、慌てて膝から頭を上げてこちらの頭をぎゅっと抱いてくる。
背中に回された手が不器用に撫でてくるのを感じて萃香の優しさを感じつつも、霊夢に問い正したい気持ちは消えなかった。
「よーし、よし。泣くなよ、泣いたら喰っちまうわよ」
「だからそういう脅しは……」
不器用に背中を撫でて慰める萃香に絆され、悲しい気持ちが和らぐ。
ちなみに幽々子や美鈴に頭を抱かれるのと比べると、包容力では向こうに軍配が上がる。
しかし萃香の巨大な存在感のせいなのか、大きな木の幹に寄り掛かっているような不思議な安心感がある。
永夜抄はよく覚えている。
リグル、ミスチー、慧音先生、あとは霊夢か『魔理沙』、てゐとうどんげ、えーりんと輝夜、妹紅。
永遠亭の妖怪たち以外は顔見知りがほとんどだけど、ついに『薬』や『診療所』に関して大きな発展を遂げる機会が来たのだ。
今でも人間の里に薬師や診療所はあるが、妖怪向けではないし当然その技術は外の世界に比べると劣ったもの。
それが飛躍的に、病気や怪我の対処が改善されるのだ。
母様のように病気で亡くなる人は少なくなるだろうし、原作と乖離する可能性もぐっと減る筈だ。
今続けている魔法薬の販売は、今後出来なくなるだろうけど。その分だけ私も魔法の勉強に集中できる。
そんな機会に『魔理沙』がいないことで、どんな影響が起こるか。
もう後悔したくないので、今ここで萃香と戦ってでも竹林に向かわないと。
「あー、もう。霊夢と紫には後で叱られるな~」
大きなため息をつきながら萃香が私の頭を離し、じっと目を見つめてくる。
きょとんとしながら見つめ返していると、その目には鬼の癖に大きく心配が張り付いているように見えた。
頭をガシガシと掻き、はぁっとため息を吐き出した萃香が眉を顰める。
そのままソファーを降りて「まあ、約束を守っていればいいか!」なんて言いながら肩をグルグルと回して立ち上がる。
「ほんっとうに仕方ないよなぁ、魔理沙。お前はとても我儘だから私が話を聞いてやらないといけないよなぁ」
「……んん?」
言いながら、にいっと口角を上げて爽やかに笑う萃香。
「お前が本当に心から願うのなら、私が手を貸してやってもいいわ。けど、霊夢との約束は破れない。それにお前の願いの対価も頂かないと、鬼としての矜持が廃るってもんだ。さて、どうする」
言って、手足に繋がれている枷の様子を確かめるように、ぐいっぐいっと引っ張って確かめている。
「対価って、いったい何を求めているんだ?」
「そうだなぁ」
言って、ふーむ。と唸る。
むむむ、とあーでもないこーでもない、とぶつぶつ言うので、気になっていたことを尋ねてみる。
「霊夢からはどういうお願いをされたんだ?」
「あん? ああ。魔理沙を特定の日だけ家から出さないって約束だ」
「一日中かよ……」
長いなあ。今日は朝からずっとそばにいるなぁって思ってたんだけど、そういうことだったのか。
萃香は悩むように頭を傾け、うんうんと唸ってひたすら悩んでいる。
「やっぱり弾幕ごっこで勝負つけようか?」
「いや、私はもうお前と戦えない。約束だからな」
「え、そんな約束したっけ?」
「あれ、これも言わない方がいい話だったか。気にしないでくれ! ふーむ、そうだなあ。いっそ家を壊して……」
「いや気にしないでって言われても……」
「あ、報酬は上手い事出来たら『口づけ』をひとつくれ」
ぽんっと手を叩き、名案を閃いたというように萃香が頷く。
くちづけってなんだろうと一瞬意味が解らなかったが、ようやく頭の芯まで理解がいく。
つまりチューしろってことか?
「ちゅーしてほしいのか?」
「ちゅー? 口づけだよ口づけ! 接吻、口接!」
「ああ、わかったわかったよ! けどそんなことでいいのか?」
「そんなこと!? お、おまえ破廉恥だなあ、それよりも望んで良いってことか?」
「い、いや……。そういうわけじゃないんだけど」
今更ながら、恥ずかしい思いが頭の芯から全身に行き渡る。
そりゃあ幻想の鬼の力を借りるのには安すぎると思うが、私もこれで乙女なので、恥ずかしいは恥ずかしいのだ。
それに、それよりも望むってどんなことだよ。
びっくり仰天とした顔をして萃香が見てくるが、こっちだって驚いてるし別に安売りしているつもりなんてないぜ。
「……よ、よし、それじゃあ」
「その必要はないわ!」
それでも、それが一番良い事のように思えて了承を返そうとしたら、リビングに置いていた人形から急にアリスの声が聞こえて私を遮った。
驚いてそちらを見ると、アリスが前置いていった魔除け人形が顔を上げて声を発している。
「魔理沙、その鬼に私を招き入れるように言ってくれない? 霧が遮ってあなたの家にちっとも向かえないのだけど」
「霧?」
窓の外に目を向ける、霧なんて出ていない。
穏やかな夕暮れが段々と紺色に塗り替わっていて、蛍が数匹ふわふわ飛んで庭で遊んでいる。
「えーっと、萃香?」
「ちぇーっ! ああはいはい、人形遣いさん、どうぞお入りよ」
つまらなそうにふてくされた顔で萃香が言うと、しばらくして家のドアをコンコンとノックする音が聞こえてきた。
ようやくそれで、窓の外にアリスがいるのだと感知できるようになった。
「勝手に入って良いぜ!」
「ありがとう。ただいま魔理沙」
どうも話的には、アリスの来訪を萃香が阻止していたようだ。
「おー、おかえり!」
「……本当に住んでいいのかしら?」
「なにいってんだ色ボケ人形師め」
アリスが珍しく冗談を言ったのでそれに乗って返したのに、萃香が辛辣にアリスのお惚けを叩き落した。
「話は聞かせてもらったわ。私に考えがある」
「え、すごいなアリス! どうにかできるのか?」
「この家の人形は全部燃やした方が良いな」
アリスがそのまま私の隣に座り、反対側に萃香が座り直す。
「ええ、そこの鬼が約束を破らずに、そして魔理沙が安全に外出できる魔法があるわ」
*
いつか完全に自立した人形を作ること。
アリスの目的の中で、それは『魂』を知覚する必要があり、またそれを0から作り出す御業は神のそれに等しい行いだという。
「といっても、魂を利用する魔法は昔から存在するわ」
つまり、話をまとめるとこういうことだ。
「私の魂だけ人形に入れて、アリスが今回の異変の解決に手を貸してくれるってことか」
「言ってしまえばそうね」
月が上り始めた頃、幻想郷中の妖怪がその異変に気が付いたという。
本物の月が隠され、偽物の月が上った空。このままでは夜は明けないし、夜や月が影響する妖怪にとっては死活問題なのだそう。
人間には影響がなく気付かないらしいけど、霊夢はその勘によって先に手を打った。
それで萃香が私を家に閉じ込めたので、偶々私の家に向かっていたアリスは先に気が付いた。
どうにも家にたどり着けない中で、私を心配して人形を介して話を聞くことが出来たそうだ。
「それって、危なくないのかい?」
萃香が魂と聞いてから、不満そうな顔でアリスに聞く。
「危険よ。ただ私達魔法使いはそのリスクを限りなく軽減できる」
「それに魔法の実験でリスクのないほうが珍しいぜ」
アリスも、パチュリーも。もちろん私も。
知識のあとの実践では常にそのリスクを抱えているのだ。
どんな魔法にだって、ある程度は危険が伴う。
たとえば温度を変える魔法だって、一歩間違えば全身火だるまになってしまう。
「あんたらの普段のことは問題ないさ。魔理沙だって子供じゃないしな。ただ今日だけは、私は霊夢との約束でこいつを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
普段の適当な、放蕩妖怪っぷりが嘘のように真剣な顔をした萃香がアリスに言う。
しかし、話しながら結局瓢箪から酒を飲み、相変わらず顔は赤いままだ。
「肉はここに置いていくことになるから、萃香はそれを護ることで霊夢との約束を果たせる。魂を連れていくことで魔理沙は異変の解決に携われる」
「人の体を肉って言わないでほしいんだぜ……」
「あら、失礼したわ」
話を聞きながらふむふむと頷いて萃香の様子も伺う。
約束が果たせるという一点においては問題なさそうだけど、どうにも不満そうな顔をしたままだ。
「それと、魔理沙の魂が入っている人形が壊れた時は魂が肉体に戻るわ。魂は常に生きた肉体に戻ろうとするもの。それを私が魔法で錯覚させ、人形の体に入れているだけ。だから容器が壊れれば留めることは出来ない」
「複雑な魔法だなぁ」
「魂のない肉体は生きていると言えるのか?」
「当然、生命活動は弱くなりいずれ死に至る。だけど心臓と肺が動いている限りは生き続ける。それをあなたが担えば、うまくいくと思うのだけど」
挑戦的な視線でアリスが萃香を見る。
萃香はそれを受けて、ふんと気に食わなそうに鼻を鳴らすだけだった。
私のことなのに、なんだか少し置いていかれてしまったように感じる。
「そして一番の重大な問題……」
ここですこし言い淀みながら、アリスがこちらをじっと見て続ける。
「術者と肉体の保護者を、つまり私と萃香を。魔理沙が100%信用してくれていないとこの魔法は失敗する。心残りがある場合には魂が離れず失敗するわ」
「ああ。じゃあ大丈夫だな」
よかった、とんでもない無理や無茶が必要なのかと思った。
心底安堵して、これでようやく異変に関われる目途がついたなと心が落ち着く。
難しい話が多かったが、技術的な部分はアリスと萃香がなんとかするってことだな!
「……ほらね、鬼。こういうやつなのよ」
「がははっ! お前は普段臆病なのに、心地のいいやつだよ!」
途端に2人の雰囲気が軽くなり、さっきまでの重苦しい感じは吹き飛んで明るく笑い飛ばされる。
「魂を保存する人形なんて、はじめて作ったのだけど」
言いながら黒い革製の大きめの鞄から、アリスが取り出したのは上海人形や蓬莱人形よりも少し小さい人形だ。
可愛らしい金髪で、私の格好に似ている。今は目を閉じているので、眠っているように座らされている。
「この魔理沙人形にあなたを移し替える」
「うわ、これ可愛い人形だな~」
「……本人への執着を感じるね」
萃香が人形を持ち上げながらまじまじと見て感想を漏らす。
萃香はあまり人形を見たことがないから、不気味に思うのかもしれない。アリスの人形は1体1体がすごく精巧な造りで、そりゃあもう職人の拘りが凄いものなのだ。
「魔法はすぐにでもかけられるわ。当然、すぐに準備するわね?」
「ああ、もちろんだ! 頼むぜ2人とも!」
*
目を開ける。眠りから覚めたような心地の後には不思議な光景が目に入った。
ベッドで眠る大きな私。いや、多分私が小さくなったから大きく感じるんだな。
そして心配そうにこちらを覗き込む大きなアリスと萃香。
「あ、あー。おお、声も出せる!」
「……ふぅ、成功よ」
「ああよかった、とりあえずこれで人形遣いを土に埋める必要はなくなったな」
「ぞっとしないわね」
手足を動かしてみる。人形の体に移ったという実感はない。
ただ自分がそのまま小さくなっただけのように感じる。
違和感としては、いつもよりも体が軽いように感じることと、服がいつもよりもふわふわで可愛らしい事くらいだろうか。
「これは凄いぜ!」
自分の腕をぎゅっとつねってみる。
痛みがなく、ようやくこれが人形の体なんだと実感が湧いた。
「人形というよりも小さい魔理沙だな、これは」
「そうね。動きや表情があると本物って感じがするわ」
「すごいぜ、箒まで用意してくれてるのか!」
横に置かれていた小さな箒を手に取り、いつもの要領で魔力を使うとふわりと浮き上がる。
すごい!
「うー、これ終わったらこの人形貰えないか? 私の宝の一部に加えたいんだが」
「駄目。絶対無理」
机の上に置かれた八卦炉を抱えようとして、巨大なそれを使うときは腕を一杯広げて支える必要があることに気が付く。
これじゃマスパなんて撃ったら吹き飛んでしまいそうだ。
しかし持てなくはないので、アリスに頼んで背中にリュックのように括りつけてもらう。
「ようし、これで異変解決に向かえるぜ! アリス、悪いが付き合ってくれよな!」
「やれやれ、仕方ないわねぇ」
言いながら私をひょいっと持ち上げて、胸に抱きながらアリスが立ち上がる。
うわぁ、でっかい!
「移動するときは危ないから、こうしていくわ。どこに向かいたいのか言ってくれれば向かってあげるから、暴れないでよね」
「お、おう……」
抱きかかえられているみたいで恥ずかしい。
本人は普段から人形にしているみたいに扱っているんだろうけど、その中身からするとこういう気持ちなのか。
アリスが黒い革製の鞄から他にも上海や蓬莱を取り出し周囲に浮かべ、準備をすすめる。
それを見ながら私の眠るベッドの傍で暇そうに足をぶらぶらしている萃香に、改めて肉体のことをお願いする。
「ああ、まあ肉体だけの状態に興味はないから大丈夫だ。しっかり守ってやるから安心しな」
ひらひらと手を振って反対の手で瓢箪を呷る。すっかり普段通りに赤ら顔で、へらへらと笑う大きな鬼が安心感を与えるようにぐっと力こぶを作って見せてくる。
「あ、そういえば報酬の話なんだけど」
「それじゃあ行きましょうか!」
そのままアリスが部屋の窓から外に出て、ようやく私たちは自由な幻想郷の空に飛びあがる。
こうして今回の異変、永い夜が始まりを迎えた。
人形化とかって特殊タグ必要でしょうか。
できれば避けたいのですが、もし注意されたら付けます。
永夜抄はいつもより魔理沙目線ギャグ寄りです。
まあ普段通りといえば普段通り。