人間の里はすっかりとその姿を隠していた。
元々からその地にあった歴史が隠され、ただの広い平原が見渡す限り広がっている。
欠けた月が中天にかかり、やけに明るい夜の幻想郷。
どこにも何もないという異常な空間が、平時と変わらないという顔でその場には出来上がっていた。
「今は、ここには何もない。そういう風に見えるはずだ」
慧音先生がこちらを振り返って、虚空を掴んで引っ張るとその向こうに家々の明かりが見えた。
それは不思議な光景だった。
空間を揺蕩う透明なカーテンが引かれているように、その中にすっぽりと人間の里がしまわれているようだ。
「里の人間も里の歴史も、今は私がこうして隠している。変な月のせいで全力を出せないが、博麗の巫女が異変解決をするまでは、こうして他の妖怪からは守れるのさ」
「すごいなー……!」
実際に見ると、すっかり姿が見えないのは不安でしかないけれど。
それでも、その隙間から里を見るまでは存在さえ知覚のできない慧音先生の力。
こうして不思議な力で大きな里全体を包んでいるのを見ると、その力の大きさを感じる。
「さすが、人間の里の守護者ね。能力の大半を使いながら妖夢とあそこまで渡り合うなんて」
「う゛、それは本当にすまなかった……。いや、大変申し訳ございませんでした……」
「い、いいんですよ! 私達も迂闊でした、見え方が悪かったですよね!」
妖夢が両手をぶんぶんと振って、気にしないでほしいと伝える。
一番大変だったのに、とても謙虚で好感の持てる態度だ。
「私の魔法が原因ではあるけど。あの月の魔力にあてられて、あなたまで平静じゃなかったのかしら?」
咎めるような調子で、もっとしっかりと訴えるのはアリス。
人間の里で人形劇をするアリスは、その里の守護の体制もしっかりとしてほしいと言いたくなったんだろう。
「私は責めることが出来ないけどね。同じ勘違いをした者同士だ」
「~♪」
マントをひらひらと風に遊ばせて、顎に手を当てながら慧音先生の能力を感心したように見ているのはリグル。
我関せずと興味もないのか、歌いながら浮かぶのはミスティア。
割烹着を脱いできた、いつものリボンが付いた可愛らしいジャンパースカートを着ている。
みんな、慧音先生を止めるのを手伝ってくれて、事情を説明するための時間を稼いでくれたのだ。
妖夢と慧音先生の衝突は私の目には追えないほどの速度で行われていた。
どっちかが怪我をしてしまうのではないかとハラハラしながら大声で止めていると、気が付けば参戦してた皆が慧音先生を止めてくれたのだ。
幽々子は最後までなにも手出しせず、周囲にひらひらと舞う蝶々を浮かべては「ほら見て~、きれいね~」なんて幼子をあやすような態度で、私の大声を気にも留めていなかった。
後を追って来たというが、本当に丁度いいときに助けてくれたものだ。
でもアリスは合流してから、私の今の服装に言いたいことがあるようで、たくさん小言を言ってきた。
私も、大事にすると言った直後に服を破ってしまって申し訳なく、素直に謝った。
今は替えがないからと、ぶつぶつ文句を言われながらも服装はそのまま。
幽々子に抱えられている状態も変わらず、人間の里があった場所までみんなで来てみたのだ。
謝りながら、慧音先生がこちらをちらりと見てくる。
その視線を不思議に思って見つめ返すと、うぅん、とひとつ咳払いした後に気まずそうに声を掛けられた。
「その、霧雨……いや、魔理沙。久しぶりだな、元気にしていたか? お前が親父さんのところから出て行ってから、随分心配したんだぞ」
「あー……」
私の親父さんというと、うちの道具屋は大きいからなあ。
そうか、勘当したっていう話はそこそこ大きい話題だったのか。どうやら私を覚えているらしい慧音先生に、すこし気まずい。
私は小さい頃に見た慧音先生を覚えているけど、先生からしたら多くの内の、あまり目立たない生徒のひとりだったと思うんだけど。
「うん、はい。元気でしたよ。先生も、お元気そうで……」
「あら。きちんと敬語も話せるのね、偉いわぁ」
「ああ、いいんだ今更そんな言葉遣いなんて! 昔みたいに、先生と呼んでくれたのも嬉しかったよ」
「け、けーね先生……!」
なんだか昔を思い出して目頭が熱くなる思いだ。
いや、昔っていうほどの年数は全然経っていないんだけども。
「苦労、しているんじゃないか。ごはんはちゃんと食べられているのか……?」
おどおどと、さっきまでの怒りの様子が嘘みたいに、なんだか不器用に心配を寄せてくる先生を見ていると座りが悪い。
そしてそれをぬるい視線で見てくる皆も、なんだかこの場面を見られているのが恥ずかしくなってくる。
「全然、大丈夫! 私は元気だし、里の様子もみて安心した! それより! けーね先生、霊夢がどこに行ったか知らない?」
「博麗の巫女か。彼女はこの里の向こう側、あっちの竹林に向かったよ」
やっぱりまっすぐ迷いの竹林に向かったんだな。
よしっと気合を入れて、抱きかかえてくれている幽々子の腕をパシパシ叩いて指し示す。
「よーし、さっそく行こうぜ!」
「なにを言っているんだ。巫女は異変解決に向かった、だからもう心配しなくていいんだよ」
「そういうわけにもいかないさ」
リグルが慧音先生の言葉を遮って言う。
「うちのお姫様は巫女の手伝いをしたいんだ。それならそれに従うまでだよ」
やっぱりどこか歯の浮くようなセリフで、こちらを見てにっこり笑うリグルはその見た目も相まって王子様みたいだ。
お姫様扱いをしてくるのが私じゃなければ、きっとモテたんじゃないだろうか。
「そうね、私は最初から魔理沙を手伝うと決めているんだし。変な妖怪たちに絡まれているのも心配だから、魔法使いの先達として、しっかりと後輩を導いてあげなきゃいけないわ」
「私達も元々、今回の異変に解決側として参加したかったんだもの。霊夢と魔理沙が頑張っているのは知っているけど、特等席で見ないと損よね!」
「これだけの妖怪がいるなら、もし危なくても魔理沙ちゃんを抱えて逃げられるから大丈夫よね♪」
「幽々子様に従います。……魔理沙のことも、守ります」
各妖思い思いに喋るから、全然聞き取れないって!
「しかし、あの竹林は迷いの竹林といってな……」
慧音先生は問題なく聞き取ったのか、一瞬の静寂をついて話を進めていく。
すごいぜ、動じない辺りはさすが先生を長くやっているだけあるなあ。
「巫女と賢者には案内人が付いていったんだが、案内もなしに迷いの竹林に入るのは危険だぞ」
「まあでも、多分大丈夫じゃないかしら」
幽々子が何も考えていなさそうな声でそれにこたえる。
「たぶん、向こうから来るわ」
*
竹林って、どこか普通の森と違う匂いがする。
月の光が所々で差す竹林は幻想的な雰囲気を醸し出しているが、濃い霧が立ち込めて視界は狭い。
風が竹の葉を揺らす音が周囲に響き、濃い霧のおかげで暑すぎず心地いい温度だ。
しかし音以上の情報は周囲から拾えないし、偶に差し込む月の光以外には当然明かりがなくて暗い。
それに体内の、今は人形の魔力の循環や方向感覚のような感覚が狂っていくのを感じる。
ここが迷いの竹林と呼ばれる所以は、こういった感覚の狂いとどこを見ても変わらない光景が引き起こしているんだろう。
「で、結局無闇に進んでいる訳ね」
アリスが呆れたように言って、何度目かの休憩をとる。
竹林に入ってから、なんだか私の人形としての体の調子が悪く、こうして休憩を挟みながらアリスに調整してもらっているのだ。
「みんなごめんなー……」
「気にしないでください。誰も咎めませんよ」
アリスがひらいた鞄から道具を取り出し、そのお手伝いをしながら妖夢がニコニコと笑いかけてくれる。
「抗魔力……いえ、保護のためのリソースが……ああもう、パチュリーにも意見を聞きたいわ……!」
すっかり研究者の顔になって、ああでもないこうでもないと魔法をかけ直してくれるのはアリスだ。
不調というと大げさな言い方だが、竹林に入ってからの私はとにかく眠気がすごいのだ。
魂だけの存在が眠気を感じることはないとアリスが主張するが、眠いんだから仕方ない。
うつらうつらと船を漕ぎ、眠りそうになる頭をなんとか働かせて妖夢に寄り掛かっている。
「このままもし魔理沙が寝たら、巫女が来た時に誤解をとけるかしら?♪」
「非常にまずい気がする。みすちー、帰るなら今のうちだよ?」
「魔理沙ちゃんを置いて? 冗談でしょ?」
「ああ。冗談だよ」
すこし離れたところでリグルとミスティアが話し込み、周囲の警戒をしている。
幽々子はぼーっと月を見上げている。
「仕方ないわ。この人形の体を壊して、魂を肉体に戻すしか……」
眠たい頭でも、そんな物騒なアリスの言葉はやけに耳に通ったので慌てて目を見開く。
「ま、待った待った! ただ眠いだけだって、壊すなんてとんでもないぜ!」
「あのねえ……! 私だってそんなことしたくないけど、あなたの安全の為なんだから……!」
「わかった、もう眠くないから! 寝ないから、起きてるから!」
私自身の不調で、せっかくアリスが作った人形を、アリス自身に壊させるなんて嫌だ!
無理やり体を起こして、もう眠くないぜ! と無理に元気を出して取り繕う。
「そういう問題じゃないっての」
「そうねぇ。なんだか嫌な予感がするわ」
アリスがイライラとした様子で口にし、幽々子も私を諭すように声を掛けてくる。
「魔理沙、そんなに無理をする場面じゃないでしょう? ここは私たちを信じて、今日は家に戻ってはくれないかしら?」
「……」
そういう言い方は、とても卑怯だと思う。
そりゃあ皆は信じている。多分、私は異変の解決に必要ない。
だって最初から言われているように、これは私のわがままなんだから。
「でも……!」
それでも私は我儘を押し通して、みんなの幻想郷にいたいんだ。
意志だけは曲げずに、顔を上げようとする。だが朦朧とし始めた意識が急激に視界を奪っていく。
なにも言えず、なにも為せないまま。
私は意識を暗闇に落とした。
*
うっすらと藍色の何もない空間で、私はいつもの格好をして浮かんでいた。
気が付けば箒に乗って、どことも知れない場所をふわふわと漂う。
「あれ、ここはどこだ?」
声は不思議に反響し、藍色の空間は波紋を広げるようにどこまでもどこまでも広がっていた。
「ここはあなたの夢だよ」
聞いたことのない声に、頭上を見上げる。
私に似た白黒衣装に、同じく白黒のポンポンを服の至る所に着けたサンタ帽子の少女が上下逆さまに浮かんでいた。
「お前はだれだ?」
「私はドレミー。夢の支配者よ、よろしくね。といっても、あなたはこの夢を覚えていないんだけど」
「夢だからすぐ忘れるって事?」
「そう。ああ、ちなみにこの会話も何回目かな」
「えぇ?」
まったく知らないやつが出て来たぜ。
夢って、自分の記憶にないものは出てこないんじゃないのか?
「そうそう、その疑問もね。今日はゆっくりと話をしている暇がないから、手短に要件だけ」
要件? というか、私喋ってないのに……。
「いいからいいから。お届け物はもう受け取ったみたいね。それじゃあ目覚めて目覚めて。変なのに嗅ぎまわられるのは、私も嫌なんだから」
いったい何を言っているんだ……?
*
「魔理沙!? ……なんだ、眠ったのか」
「いや、眠るという事が既に異常よ。もうこの人形の体は壊して、すぐに魂を戻す。肉体は萃香が守っているからここよりは安全でしょうし……」
言ってアリスは鞄から釘を取り出し、通常よりも大きなそれを握る。
「……本当に嫌な思いね。二度とごめんだわ」
ぐっと顔を歪ませて、それを振りかぶって突き立てる。
妖夢は思わず、小さな姿の魔理沙が傷つけられるのを見ていられないと顔を逸らした。
しかし釘は人形に刺さらず、1枚のお札がその切っ先を受け止めて赤い霊気が噴出した。
「これは……っ!」
気が付いた時にはもう遅い。
お札を中心に発生した霊気は魔理沙の魂が入った人形を包むと、陰陽の文様を映して強固な結界を形成する。
「まずいっ!」
寄り掛かられていた妖夢と近くにいた幽々子ごと吹き飛ばし、周囲にクレーターを作りながら光がすべてを吹き飛ばす。
辛うじて受け身を取りながら幽々子を庇い、妖夢は大きくそこから距離を取った。
正面からまともに光を受けたアリスは面白いくらい吹っ飛んで、竹を掴んで立ち上がった。
「……待ちなさい、誤解よ!」
アリスが虚空に叫ぶ。
しかしその声を聞き届けてくれるような気配は、そこからは感じられなかった。
妖夢は後ろに幽々子を庇いながら、腰を下げていつでも抜刀できるように構えた。
「……誤解?」
それは静かな声だった。
しかしそこに込められた感情は、その一言からは推し量れなかった。
強大な霊力、いや神気だろうか。
がさがさと風以外が竹林全体を揺らし、びりびりとした威圧が肌に突き刺さるようだ。
「ねぇ霊夢。さすがに少しおかしいわよ。ね、すこーし落ち着きましょう?」
アリスと霊夢の間の空間が裂け、そこから半身を出して白旗を振りながら紫が姿を現す。
頭にたくさんの疑問符を浮かべながらも、とにかく話を聞こうとしている。
しかし紛れもなく、その大妖怪はたった一人の人間相手に恐怖を隠しきれていない様子だ。
額に大きく汗をかきながら、周囲をちらちらと見て疑問符を頭に浮かべている。
「……」
「ゆ、ゆかり~……!」
妖夢の後ろで幽々子が涙声で紫を呼ぶ。妖夢も同じように、今は紫に縋り付いて助けを乞いたい気分だ。
ぼうっと周囲が赤く光り、熱が一瞬で広がる。
上空に大きな炎が上がり、周囲を警戒していた夜雀と蟲が地面に降りてくる。
「なんだあいつら……! おい、まだ終わっていないの?」
上空の炎は燃え盛るまま、平然と炎の中を通って銀髪の少女が下りてきた。
その銀髪には白地に赤い線の入った大きなリボン。
目を引くのは真っ赤なモンペのようなズボンで、ところどころに護符が張り付けられている。
「いえ」
霊夢がそれを小さく否定し、傍で結界に包まれたままの魔理沙を大事そうに拾い上げて腕に抱きながら、じろりと周囲を見回す。
「今から終わらせるところよ」
*
目が覚めたら目の前には霊夢がいた。怖い顔をして遠くを睨んでいる。
「あれ、霊夢?」
思わず驚いて声を出すと、怖い顔から一転、泣きそうな顔になってこちらを見つめる霊夢と目が合った。
「魔理沙……っ!」
「え、おいどうしたんだ。痛いのか!? あ、アリスたちは!?」
慌てて顔を上げると、離れた場所で脱力し、長く息を吐くアリスが地面に手をついて顔を伏せていた。
はっとして周囲を同じように見回すと、同じようにみんな地面に腰を下ろしている。
空は赤く燃えていて、そのおかげで周囲が見えるが全員尋常ではない様子だ。
「どうしたんだみんな!」
「こっちのセリフなのよね……」
思わず大きな声を出したら、紫の声が上からして私は頭を抑えつけられた。
「まずは説明して。どうしたらこんな、ややこしい状況になっているのかしら……?」