魂魄妖夢は白玉楼の庭師である。
主人である幽々子の剣術指南役や食事の準備など、従者の役割も行う半人半霊だ。
幽霊のように白い肌、暗めの青色にも角度によっては緑にも見える瞳をもつ、凛とした空気を纏う少女だ。
白い髪の毛をきっちりと肩口で切り揃え、白い総身に黒いカチューシャが色味を加えている。
少女は静かに宙を見つめ、全身から静かに気を放っていた。
白玉楼へと続く階段、すっかり冷え込んだ空気が身を刺す早朝の時分。
しばらくするとぼうっと開いていた目を静かに瞑り、今度は耳を澄ませ、自身の鼓動までも鮮明に聞き逃すまいと微動だに動かない。
遠くから、微かに耳に届いた風を切る音に目を開く。まだ遠いが、知覚できる程度まで来た気配を感じて出迎える為に宙へ浮かび音の発生源へゆっくりと向かう。
「妖夢、おはよう! 待たせちゃったかー?」
声を掛けて来たのは金糸の髪を風に乱れさせ、紅潮した顔で荒く息を吐く少女。
いつもの白黒魔女衣装に、首にもこもこの赤いマフラーを巻いて白い息を吐いている。
少し薄暗い早朝でも、妖夢にとっては眩しさすら感じる気持ちの良い笑顔を浮かべその声を聞く。
「おはよう魔理沙。丁度来たばかりなので、全然待っていませんよ」
箒に下げた大きなカバンを受け取ろうと手を差し出しながら、妖夢もにっこりと笑顔を浮かべる。
気取られないように一寸も震えず、しかしすっかりと冷えた全身は、その身が外で待った時間を示していた。
妖夢の全力のやせ我慢によって気が付いていない魔理沙が「よかったー、今日はよろしくな!」なんて能天気に声をあげ、妖夢は心から笑顔を浮かべて歓迎した。
季節は冬の幻想郷。
本日、朝早くから魔理沙は白玉楼を訪れた。それは魔理沙が行っている日銭の稼ぎを得るためのもので、今日は白玉楼の蔵を整理するアルバイトのためだ。
一日がかりの仕事になるだろうということで、白玉楼の主は泊まり込みを提案し、魔理沙がそれを受けた形になる。
それが決まったのは秋の終わり頃。妖怪の賢者が放った一言に起因する。
「そろそろ冬眠の季節ね~。また魔理沙に、我が家のお掃除をお願いしようかしら」
「おぉ、今年も! いいぜ、いつ行ったらいいんだ?」
あまりにも魔理沙が当たり前のように承諾するものだから、きょとんと目を丸くした幽々子が不思議そうに声をあげる。
「あら、もしかしてそれって、例の“あるばいと”?」
「そうそう、前も少し話したなぁ。冬の前に、私も蓄えを作らないといけないから助かるよ」
すっかり日課になった博麗神社でのお茶会中、蜜柑を剥きながら魔理沙。
「藍も楽しみにしているし、私も気持ちよく眠りたいもの。今年は、そうねぇ……いつがいいかしら」
「去年も一昨年も、藍が色々と教えてくれて楽しかったなぁ! 幻想郷の外のお魚とかも食べられたし、働きの割にうまいバイトだったぜ」
剥いた蜜柑のちいさなものだけ一旦取り分け、大きな粒から口に放り込んでもぐもぐ咀嚼していく。
咀嚼しながら手元で粒をもうひとつ取り、あまりにも自然に幽々子の口元に運んだ。
あーんっと口をあけてそれを受け入れ、少し照れながら口を動かす幽々子。
「あ、ごめん! 霊夢と間違えて……」
「全然いいのよ。うれしいわぁ、もっと頂戴!」
にこにこと上機嫌に幽々子が口にし、お湯を持ってきた霊夢がそれを見ながら不機嫌になる。
「……いや、別にいつも食べさせてもらっている訳じゃないわよ?」
不機嫌なまま、隣の妖夢へ何故か弁明を始める。
妖夢は苦笑しながら、心の内の苦いものをかみ殺した。
今年の初雪が、まだ秋の頃で早くから降った日。
雪は早々に溶けてなくなったが、すっかりと空気は冷たく感じ、朝露が霜に変わり始める冬の入り口を感じさせる。
博麗神社の居間では、ついに出番を迎えた『電気炬燵』が5人の少女たちを温めていた。
「その“あるばいと”って、私もお願いできるのかしら?」
「ああ、もちろん! 私ができる範囲で、手伝えることならな!」
そういって決まったのが、今回の『蔵の掃除をする“あるばいと”』なのだった。
*
「それじゃあ、お手伝いしてほしいことを簡単に説明しますね」
白玉楼の廊下を連れ立って歩き、妖夢が私の鞄を持ちながら先導して進んでくれる。
遠慮する私から、さっとスマートに荷物を受け取って歩いている妖夢は流石従者の鑑だと言わざるを得ない。
まだ早朝の時間だけど、私は白玉楼に来ていた。いつもの如く生きるための生活費稼ぎ、アルバイトの一環だ。幽々子が蔵の掃除を手伝ってほしいというので早朝から足を運んだのである。
もしかしたら一日作業になるかもしれない、なんて言うものだから、それなら泊まり込みだなぁなんて言ったらあれよあれよと日程が決まり今に至る。
亡霊が多い、というか冥界にあるのが白玉楼なので、ただの人間には荷が重いだろうと霊夢から忠告を受けた。それなら申し訳ないけど専門家に頼ろうと、夕方には霊夢にも来てもらう予定だ。
幽々子は私たちを快く歓迎してくれて、うちでお泊りは初めてね~なんてすごく喜んでいた。
「大きいとは思っていたけど、蔵もたくさんあるんだなぁ」
「ええ、歴史が長いですからね」
廊下から見える外に、あの西行妖も見える。
今はただの古木に見えるが、見る人が見たら妖しい雰囲気なのかもしれない。私にはわからないけども。
「白壁の蔵が見えますよね、あそこには亡霊たちの過去の遺物が収められています。まだ幻想郷が結界で閉じる前からのものがあり、無縁塚のように、現代やそれに準ずるモノも、使途不明でそのまま放り込んであります」
「へえ、亡霊が物を持ち込むのか?」
「いえ、正確にはモノではないのです。記憶というか、概念というか。モノのお化け、という言い方がここでは正しいのかも」
「物のお化けかぁ。そうか、お化けも服を着ているもんなぁ。そういうものか」
「たぶん、そういう感じでしょうね」
ふたりとも、あまり深くは考えていない様子がよくわかる会話だと思う。
難しい概念的なものの理解や解説は他の人に任せて、私自身は、そういうものがあって、それの整理をしたら良いということだけ理解した。
「危険なものは保管せずに紫様や閻魔様が処分しています。なので残りは自然に消滅するか、正しく使用することで供養になるのですが……」
「なるほどなぁ」
つまり、蔵にあるのを使ってあげたらいいのか。そういうことだよな。
「他のアルバイトよりもかなり力になれそうな気がしてきたぜ」
私の知識も活かせそうだし、妖夢とふたりでそれを使う、つまり遊んでいたら良いってことだから良いアルバイトだ。
「ええ、ぜひお願いします」
妖夢が楽しそうに微笑んだので、私も笑い返して廊下を進んだ。
*
只の荷物の整理ではないことはすぐに解った。
故人の思い入れが深いもの。そこには残されているものはすべて、一筋縄ではいかないモノの集まりだ。
亡霊になってでも一緒に、傍にあるもの。魂に結びついた物品の集合体がそこには収められていた。
「きっと、その人にとって意味があるモノなんだな」
その辺にあったメガホンを手に取り、それで「わー!」と声を上げたり手を叩いていると、光の粒子になって空気に溶けて消えた。
「そうですね、まあ、ただの記憶の残滓だと思いますけど。白玉楼には亡霊と一緒に溜まり続けるので」
言いながら、妖夢が手に持ったトライアングルをチーンッと鳴らす。
しばらくするとそのトライアングルは同じように存在が薄くなり、空気中に溶けて消えた。
妖夢に客室へ案内され、荷物を置いてさっそく向かった蔵の中。
私は竹葛籠から取り出した倉庫の肥やしたちを次々に使い続けながら、その持ち主たちに思いを馳せていく。
一番多いのは、衣服の類だ。
衣服といっても、帽子やスカーフなど服の上から身に着けられるものが多い。身に着ければ満足そうに消えていく。
ピアスは私も妖夢も困ったけれど、つけているフリをして耳に当てながら、妖夢にはその色が似合うとか大きな石が魔女っぽくていいとか、笑っている間に消えていった。
どんどん整理しながら、妖夢が手にした黒い布を見て首を傾げる。
「これは……下着、でしょうか」
広げて見せて来たのは黒い水着のようなもの。ちらりと見えたが、お尻の部分に白いポンポンが付いている。
なんだろうと見てみると、たしかにそれは下着の様にも見える。だがそれにしては襟が付いていたり、少し厚めの生地で下着や寝間着のようには思えない。
「なんだろう。白いポンポンが付いているけど……」
見ながら声を掛けるが、よく見るとそのポンポンはお尻の部分というより、すこし背中寄りだ。永遠亭の兎たちの尻尾みたいだな、と思ってはっと気が付いた。
これ、バニースーツか!
「他にもカチューシャと……袖、でしょうか。あとは……なんだろう、この長い、靴下? 投網のようなものが……やけに近くに、磁石みたいに付いていますね」
しかもセットだ!
見ると、たしかにそのバニースーツを中心に、動かすとなぜか一緒に動く付属品たち。
「これは……執念を感じますね。これでひとつだという感じが。危険はないと思いますけど……」
……これも、付けないといけないのだろうか。
一瞬、それを身に着けた妖夢を想像する。とても似合っているが、きっと妖夢は恥ずかしくて嫌な思いをするだろうとも思う。
なら、どうしたらいいのか。妖夢に嫌な思いをさせない為に、この気遣いの庭師を護るために。
私は静かに覚悟を決めた。
*
「うちに生きている人間が泊まりに来るのなんて、随分久しぶりだわ~」
幽々子が嬉しそうに言って、にこにこしながらごはんをよそってこちらに渡してくる。
私はそれを受け取り、こんもりと盛られた山のようなお米に苦笑する。
となりでずーっと不思議そうに妖夢を観察している霊夢が、おなじく幽々子から山盛りのごはんを受け取って疑問を口にする。
「それで、なんで妖夢はそんな調子なの?」
ずっと顔を赤くしている妖夢をちらりと見て、私の醜態を思い出して気まずくなり私も顔を伏せる。
「き、気のせいじゃないかな……」
一瞬声が裏返ってしまったが、即座に持ち直して違和感をカバーする。
じーっとこちらを見る霊夢の視線を意図的に考えないようにして「わぁいご馳走だー!」なんて言いながら夕飯を頬張る。
とても気まずいが、今霊夢に詳細を説明する気にはならなかった。
私の一時の恥で、時間がそれを癒してくれるまでは心に蓋をしたい出来事。
とほほ、と心で涙しながら、白玉楼のおいしい夕飯で癒されていくのだった。
*
は、恥ずかしいから、あんまり見ないでほしいんだぜ……。
妖夢は己の語彙にそれを表す言葉を持ち合わせていなかった。
午後の日差しが薄暗い蔵に差し込む日中。
澄んだ空気が埃さえ舞わない白玉楼の蔵の中で。
人生の最良は、自分が時を斬り祖父の領域に辿り着いた時、初めてそれを感じると思っていた。
表現するに、それは奇妙な格好と言えた。
黒に近い紺の、ボディラインを浮き彫りにする煽情的な姿に、頭には兎の耳を模したカチューシャ。
健康的な肌を、肉感たっぷりに刻むのは太ももまでを覆う格子状の目が粗いストッキング。
肩から腕までは素肌を晒しながら、手首に申し訳程度に襟だけを残してこれがスーツであるという主張。
小さな体躯で、すこしだけ背を上げるのは踵に高さを付けたつま先立ちを強要するきらきらと光る靴。
自身を腕で隠すように、両腕を胸の前に組み顔を赤くしている。
その金の髪は普段の三つ編みを垂らしながら、他は兎耳を模したカチューシャによって後ろに流している。
落としていた視線を、きょろきょろと周囲を見ながら妖夢に向け、自信がなさそうににへらっと笑みを浮かべる。
涙目で、笑みを浮かべたその目じりには涙が光っていた。
「ど、どうしよう……全然消えないし、もしかして間違えたかなぁ」
今それが消えた時に、自分がどういう姿を晒すのか理解しているのだろうか。
真っ赤な顔をしながら、照れ笑いを浮かべて「勘違いしたかなぁ、もっと別の人に着てほしいのかなぁ」なんて恥ずかしそうに声をあげるその少女に、妖夢は堪らない気持ちになって叫び出したくなった。
アンバランスな魅力があるその姿。大人っぽいと言ってしまえばそうなのかもしれないが、それを纏う魔理沙は特別な魅力にあふれているように思えるのだ。
その衣服は、魔理沙が普段着に着替え終わるとそれを見届けるようにして粒子になって消えた。
どういう理屈か、最後まで守り切ろうという矜持があったのか。
それは今までの物の幽霊たち以上に、ひと際輝いて周囲に光を満たしていった。
この日の事を、生涯心に刻みつけようと妖夢は心に決めた。
そして鴉天狗の使う、景色を切り取り保存することのできる『写真機』を購入すると、迷いを断ち切った瞬間でもあった。
ふぅ~色々な意味でぎりぎりだったぜ、
8月最初の投稿が1日に間に合ったとと、いちゃ甘じゃなく本編に投稿できたこと