カチャカチャと茶器の音、お湯を沸かす火と家の外を飛ぶ鳥の鳴き声だけが室内にはあり、誰もその口を開こうとはしなかった。
目の前にいる白い魔理沙が室内に招き入れ、黒い魔理沙がお茶の準備をしている。
建物の見た目もそうだが、室内も可愛らしい少女が住んでいるとは思えないシンプルな造りだ。
ぬいぐるみや人形、なにに使うのかわからない物が大事そうに飾られているくらい。あとは木組みの塗装もしていない棚にたくさんの書物、シンプルなテーブルとイスに白いソファー。何に使うのかわからない硝子の器具やランプ。
物はたくさんあるが、きっちりと整理されて狭い室内ながら片付いている。そういう印象の室内だった。
椅子に座りながら、ソファーに腰かける白い魔理沙を観察する。
どう切り出したものか、なんとなく無言でじーっと白い魔理沙を見てしまっていると気まずそうにしながら向こうが先に口を開いた。
「……えーっと、あんまり動揺していないんだな」
人間がふたりに別たれているのか、片方は化けている偽物なのか。
その判断も付かないので私は首を傾げてその意味を問う。
「なんで?」
「いや、ふたりになっているから……」
「ああ」
動揺していないように見えるのか。いや、言葉を探していただけなんだけど。
まあ特にこの目の前の人間がどうなろうと私の知ったことではないから、特に態度に出す必要はないか。
「そうね。なんでそうなったの?」
「それが私にもさっぱりなんだ。昨日、映姫……閻魔に会ってお説教されていたんだけど、気が付いたら」
「へえ」
まったく意味が解らないけど、あの説教好きの閻魔が絡んでいるらしいということだけ理解した。
「ゆ、幽香様……。お、おおお茶です」
いつも以上にきょどきょどとしながら黒い魔理沙がマグカップを手にキッチンからこちらにきてテーブルの上、目の前にうっすらと香草の香りが漂うお茶を置く。白い魔理沙の前にも同じようにマグカップを置いた。
白い魔理沙がお礼を言って黒い魔理沙は嬉しそうに笑みを浮かべる。
さっきから目を合わせず、下を向きながら小声で喋るから声も聞き取りづらい。
「なにかしら?」
マグカップを指さして黒い魔理沙をじーっと見ると、こちらに怯えながら、しかしようやく見えたその目に隠しきれないほどの好奇心を孕んでいる。
まるで旧知の仲を見つけたようなあたたかな視線、顔を合わせたことをこの上なく喜んでいる様子。こちらの危険を十分理解して恐怖を抱きながら、それでも関りを持ちたいと好奇心を止められない瞳。
この目には見覚えがある。やっぱり魔理沙だ。態度はまったく普段通りじゃないのに一目でそれとわかる。
「こ、これは庭で採れた香草のお茶で……。あ、もちろん若芽は残しています……」
「そう」
「なあゆうかりん。人間がふたりに別れるとか、そういう魔法なにか知らない?」
白い魔理沙は黒い魔理沙に比べて普段通りの態度に近いけれど、怯えが少なくいつも以上に頭が軽そうだ。
変なあだ名でこちらを呼び、普段通り好奇心が瞳からきらきらと輝いている。こちらは本当に解りやすい。いつも以上に幼さを感じる、いや、無鉄砲さなのかしら?
「知らないわ。あの説教好きの閻魔がやることなんだから危険はないでしょ」
だいたいこいつは何か勘違いしているけど、私は別に魔法使いじゃない。気まぐれに私の魔砲を教えてあげただけでなんで魔法の事を私に聞くのか。
だよなー。なんてへらへらと笑いながらマグカップを手に取って口を付けている白い魔理沙。
私もそれを見ながらマグカップを持つと、それはあたたかな熱をじんわりと伝えてくる。お茶の香りが鼻腔を擽り、これ自体は悪くない。口をつけ一口、飲み下してから黒い魔理沙を見る。
「ねえ、苦いわ」
傍に立っていた黒い魔理沙がわかりやすく肩を跳ねさせ、両手を自身を護る様に前に出して震える。
目の前に座っている白い魔理沙はきょとんと眼を丸くした。
「ご、ごめんなさい……! あ、はちみつとか……」
アワアワと目を白黒とさせながらキッチンに向かおうとする黒い魔理沙のエプロンの裾をつかみ、その動きを止める。
「どこに行くの?」
錆びたブリキのおもちゃみたいにぎこちない動きで首だけこちらに向け、目にうっすらと涙なんか浮かべていつも以上に加虐心を煽る表情を浮かべている。
まったく、そんなに怖がるなんて困る。これじゃあ私が虐めているみたいじゃない。
「あ、その……甘いものを、取りに行こうと……」
「誰がそんなことを頼んだの?」
「ひぃ! ごめんなさい頼まれていませんでした!」
「お、おいゆうかりん! あんまり私のこと虐めないでくれよ!」
白い魔理沙が抗議の声をあげ、マグカップを置いて立ち上がり私の手を掴んでくる。
その手は微かに震えているのに、虚勢を張るコイツも魔理沙らしい。
「……どちらかが偽物ってことは、ないのねぇ」
態度や性格が違うのに、魔理沙“らしさ”がこれ以上なく本人だと告げている。
これは困った。どちらかが偽物だったら片方を懲らしめてやるだけで良いのに。
「まあいいわ。多くて困ることはないわよね」
言って、エプロンを放してあげるとふたりの魔理沙がそろってほうっと胸を撫でおろした。
鏡に映したように揃った動きだ。
「それで、ここに来たのは花の異常が起こっているからなんだけど……」
そうして私が本題を切り出すと、白い魔理沙が呆れたような表情で零した。
「マイペース過ぎるぜ……」
*
ふんふ~ん♪ と鼻歌を奏でながら自由な空を謳歌する。
朝方罠にかかっていた八目鰻を魚籠に入れて、そのまま魔理沙ちゃんの家に行ってこれを捌いてあげるのだ。
鰻だけじゃない、春の魚もいくつか掛かっていたのでそれを振る舞ってあげよう。ついでに私も混ぜて与えようと、昨日の夜中から準備していたのだ。
自然に気分よく歌を口ずさみながら、魔法の森を慣れた道順でびゅんびゅんと飛んでいく。
ふと感じた大きな妖怪の気配に「あらまあお客様かしら」なんて気楽に考えて、玄関前に降り立って魔理沙ちゃんの家のドアベルを鳴らす。
「魔理沙ちゃーん、ごはんたべましょ~♪」
いつもならまだ眠っている頃だろうか、少し早くに来過ぎてしまったかしら。寝ぼけ眼で白黒の子供が出迎えてくれるのを待つと、室内からごそごそとモノが動く音。
なにか大きな気配がいるけど、果たして誰だろう。知り合いかしらと扉が開いた先を覗き込む。
「ひまわり畑の妖怪もいるのね♪ ……?」
そこにいたのは太陽の畑の風見幽香。それと、魔理沙ちゃんがふたり。
「みすちー!」
ぱっと輝く笑顔を浮かべて、いつもの衣装の全身を白に変えた明るい笑顔の魔理沙ちゃんが出迎えてくれる。
そして風見幽香に片腕で腰を掴まれ浮かべ上げられている、いつもの衣装を黒に変えた涙目の魔理沙ちゃん。
不安定な状況に混乱しているのか、その両手を風見幽香の肩に置いて顔を必死に離している。
事態がわからず混乱した頭で、意識よりも先に行動として白い魔理沙を抱え羽根の後ろに庇っていた。
こちらを一瞬ちらりと見た風見幽香はすぐに興味を失くしたように、再び黒い魔理沙ちゃんの顔を覗き込みにやにやと笑みを浮かべている。
ぶちりと脳内から何かが引きちぎれる音。一瞬で目の前が真っ赤になった。
「なにをしているの、ひまわりの妖怪さん?」
声は意図せず冷えたものが出た。
全身から覚えがないほど妖力が溢れ出て、手先から鳥獣の爪が生え足と羽根に魔力を集める。
黒い魔理沙ちゃんを傷つけないために声を掛け、一瞬でも意識をこちらに向けさせる。
最速で駆け、救い出す。
「あ、ちがうんだみすちー! ゆうかりんはちょっとその、コミュニケーションというか……!」
どうして魔理沙ちゃんがふたりいるのかとか、ここが室内だとか、その妖怪の大きな妖力だとか。
そういうのはいったん頭から全部抜け落ちていて、私は最短距離で風見幽香に向かった。
*
――ねえ黒魔理沙。なんでこっちを見ないの?
――うぅ、その……幽香様を直視できませんでして……!
――あら。私の顔に文句があって見ていられないってこと?
――ひえぇ、近づかないでください! 綺麗過ぎます!
――や、やめろゆうかりん! 私が恥ずかしすぎて死んじゃうぜ!
「なぁんだ、いじめられている訳じゃなかったのね!」
「そうよ。その魔理沙が私に意地悪言うから悪いのよ」
割れてしまったテーブルとマグカップを片付けてから、白い魔理沙ちゃんが言う。
「だめだぞゆうかりん。あんまり意地悪しないでくれ」
ぷんぷんと擬音が似合うような膨らませた頬で腰に両手を当てて、白い魔理沙ちゃんが背に黒い魔理沙ちゃんを庇いながら仁王立ちして立ちはだかっている。
その後ろでは白い魔理沙ちゃんの背に隠れつつも、こちらに興味が隠しきれず顔を覗かせている黒い魔理沙ちゃん。沈んでいる様子はなくうっすらと情けない笑みを浮かべているが、どこか申し訳なさそうに眉を下げていた。
ひとつの個人がふたりに増えていることは非常事態だと思うが、それを感じさせない仲睦まじい様子。見ていると心がざわざわと浮足立ってぎゅーっと抱きしめたい衝動に駆られる。いやこれは別にいつも通りだった。
なるべく平静を装いながら頭を下げて、私も話の中でその疑問を聞く。
「それで、その状態でもお腹は減るの?」
「え、気になるのってそこなのか?」
きょとんとした顔をふたりとも浮かべ、そのあとにニカッと快活に笑う白魔理沙ちゃんと力なく笑みを浮かべる黒魔理沙ちゃん。
「うん、お腹は減ったぜ」
「わたしも……」
「よかった、それじゃあごはん作るわ~♪ 幽香さんも食べるわよね?」
「ええ。……あら、けど良いのかしら。まぁいいか」
さてそれじゃあと、腰につけていた魚籠と背負っていた鞄を下ろしたら玄関のドアベルが音を立てた。
白魔理沙ちゃんが「あれ、今日は人が良く来るなぁ」なんて言って再び扉へ近づこうとするのを押し留める。
幽香さんが黒魔理沙ちゃんを同じように留め、にこっと笑みを浮かべてこちらを見るので、私もそれを見て笑みを浮かべた。
「うん? みすちー?」
「魔理沙ちゃん、ちょっとだけ待っていてね」
そのまま幽香さんが代わりに扉へ近づくと、外から声を掛けられる。
「おぉい魔理沙。上司から言われて、迎えにきたぞー」
「彼岸からご苦労様ね」
「あれ、声変わったかい?」
扉の向こうで不思議そうに声を掛けるそれ。幽香さんはそれを聞きながらそっと扉に右手を触れさせた。
「死神はお呼びじゃないわ」
起こるのは可視化された暴力的な魔力に依る圧倒的な魔法の蹂躙。轟々と地面を揺らし彼方まで照らす極光。
扉とその先にいる存在ごとを消し飛ばすような、なるほどこれが魔理沙ちゃんの憧れた魔法かと理解できてしまう純粋な力の奔流。
「あー! 扉がー!」
「きゃーっ! マスタースパークだぁ!」
扉が吹き飛びふたりの魔理沙ちゃんが悲鳴を上げるが、その反応は悲喜交々。
意外にも目を輝かせて喜ぶのは黒魔理沙ちゃんで、白魔理沙ちゃんは扉が吹き飛んでいくのを見て悲鳴を上げていた。
「場所を変えた方が良いわね」
パラパラと粉塵を払い、風見幽香は死の匂いを吹き飛ばしてなんでもないように振り返って言う。
少し格好つけすぎじゃないかしら。きらきらと目を輝かせる黒魔理沙ちゃんを横目に見ながら、私が死神を吹き飛ばしてやりたかったと今更思う。
「な、なあみすちー。今外に誰かいなかった? 大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫よ~♪ 残念だけど多分すぐに戻ってくるから、急いでどこかに行きましょう♪」
「私は平気だけどさぁ。あんまり驚かせてやるなよ」
声はすぐ傍で聞こえ、考えるよりも先に体が動いた。
振り向かずに白い魔理沙ちゃんを抱えて窓目掛けて外に出ようとする。しかしそれは叶わず、声は続いた。
「いやごめん。私が悪ぃなコレ。お迎えってそういう意味じゃないんだ、1回大人しくしてくれ」
飛び出す勢いで飛翔しているのにも関わらず、その場から動いていない。どういう能力によるものか、それはどうやらこの場から逃がすという選択肢がないらしい。
「……死神が魔理沙ちゃんに何の御用かしら?」
「し、死神? って、小町!」
「や~お嬢ちゃん。どうも、どうも」
すぐそばにしゃがみ込んで大鎌を肩に掛けている。
癖のある赤髪を頭の両脇に結び、西洋風の半袖ワンピースに皮の腰巻、和風の帯に鈴を着けた奇妙な女だ。
しゃがんでいた足を延ばし、ゆっくりと立ち上がるとその背の高さを感じる。
「玄関から死神が来たらそういうお迎えかと思うよなぁ。失敗、失敗」
先ほど魔法を受けたとは思えないほどあっけらかんと笑いながら頭を下げるその奇妙。
濃厚に香る不快な死の気配に表情が硬くなることを自覚しながら、ぎゅっと腕の中の魔理沙ちゃんを固く抱いた。
「驚いた。避けたの?」
「あはは。あんたが本気じゃなくて良かったよ」
幽香さんが黒い魔理沙ちゃんを抱きかかえながら、油断なくその死神を見る。
その表情は笑みを浮かべているのに、見ているものに不安を抱かせる威圧的なものだ。
「うぅん。こんなことならサボらなけりゃよかったぜぃ。というか、映姫様に見つからなければなぁ……」
ぶつぶつと言いながら肩に掛けていた大きな鎌を下ろし、刃を地面にしながらその柄を支えにして腰を曲げる。
「そこの白黒を白と黒に分けたうちの上司が、その子を幻想郷の色んな所にやって自分を客観視させたいんだとさ。一日でそこらじゅうを回ることはできないだろうから、私に道先案内をさせようって話だったんだけど」
ぶつぶつと聞こえるように独り言をつぶやいて死神が不満げに表情を歪ませた。
「こりゃサボれて良いと思ったのに。どうも他の死神みたいに亡霊を運んでいる方が楽そうだなこりゃ。というか、少し遅れたのが悪いのかねぇ」
「なんだかわからないけど。とりあえずあなたがこの異変の主ってこと?」
「死神の道先案内なんて、魔理沙ちゃんにはまだまだ不要よ」
「話を聞かないやつらだ、こりゃあ私の運が悪いさ。長く生きたやつらはそういうところがダメだよ」