その0 信仰から
百花繚乱の春が落ち着きを取り戻し、騒がしかった夏が過ぎてあっという間に秋が来た。
色づく紅葉が目に楽しい妖怪の山では、冬に備えてたくさんの仕事が今日も私を待っている。
意気揚々と入山の意思を哨戒天狗に伝えて、その待ち時間ににとりと将棋を打っている最中の事。
「え、今日は山に入っちゃいけないのか?」
「ああ、引き返せ」
白狼天狗、きっちりと着こなした山伏の衣装の椛が腕を組みながらぴしゃりと言い放つ。
赤い山伏の帽子を挟んで、オオカミの耳がピコピコと動いている。
山の入り口より少し手前の、河童たちのアジト近くにある沢。
私は普段よりも硬い態度で断られたことに面食らってしまった。
「そんな、困るぜ。秋姉妹からお願いされているのに……」
「お前が困るとかは知らない。が、秋の姉妹神も事情は把握しているから、今日は大人しく引き下がりなさい」
「そんなぁ……」
今日は御夕飯に芋を蒸かして食べようと思っていたのに。
すっかり色づいた紅葉の中、私は肩を落としてがっくりとため息を吐いた。
「ああ、魔理沙。これで王手、詰みだなこれ」
「あー!」
ぱちりと駒が音を立て指された一手で完全手詰まりとなり、将棋も終わってしまった。
無造作に岩の上に置かれた将棋盤の上で、私の玉将がついに逃げ場なく追い詰められている。
へらへらと軽薄ににとりが笑い、盤面を覗き見た椛もふむ、と顎に手を当ててもうこちらから盤面に興味が移った様子だ。
ふたりとも将棋が強いので、ここはこうしたら、とかこっちは面白い攻め方だ、とか検討会が始まってしまっている。
ボードゲームは得意な方だ。将棋だって、詰将棋とかは得意なのに、長く将棋を指しているふたりにはさっぱり勝てる気がしない。
6枚落ち、4枚落ちまでは勝てるようになったけど。2枚落ちで勝率が五分のまま。
「ちぇー。秋姉妹が知っているなら今日は良いんだけどさ。次とか、何か言ってた?」
「さてな。ただしばらく入山許可は下りないだろう」
「えぇ、困るぜ。冬の備えをしないといけないのに!」
「甘ったれめ。とにかくしばらく山に近寄らない方が良いわ。すこしお山の上の方でごたごたしているのよ」
ぶっきらぼうに言われてしまい、椛に文句を言っても仕方がないことだと理解はできる。
ただ、恨み言は吐きたくなるのでぶーぶー文句を言ってしまう。
「うう、もし冬の間に飢え死にしたら恨んで出てやるからな……」
「ああ、そうしたら私の待機時間も退屈しないで済みそうだな」
「その時はうちにも来てくれ。幽霊に試したい吸引機械がある」
「まず死なないように助けてくれよ……」
妖怪は人間の生死なんかどうでも良いんだ!
くそー! と憤慨していると、にとりが「まあその時は誰かがどうにかしてくれるさ」と無責任に言い放ち、もうお話は終わりだとばかりに将棋盤を片付け始めてしまった。
久しぶりの将棋だったのに、さっぱりと片付けられてしまって少し寂しい。
ふん、と鼻を鳴らして箒を手に立ち上がる。
「ふんだ。べつに良いぜ、そのごたごたが終わったらまた来るから、将棋も覚悟しておくんだな」
「ああ、またおいで」
「どうせ神社に行くんだろうが、道中気を付けろよ」
にとりが片手をあげて笑い、椛が相変わらず不愛想に言葉を投げてくれる。
なんだかんだ言いながら、歓迎してくれる雰囲気がふたりからは感じられる。言葉は軽くて気安いものだから、妖怪相手なのに気楽な友達っぽくて思わず笑みが零れた。
「ああ、また来るぜ!」
言って、箒をびゅーんと人間の里の方へ向ける。
椛の言う通り結局博麗神社に行くんだけれど、せっかくなので里でお土産でも買っていこうと思い立った。
人間の里でも豊穣祭りが近く、秋の味覚が甘味所にもたくさん迎えられている。
予定がない日はちょっとのんびりと、そういう季節を感じられる御菓子を霊夢と味わってもいいだろう。
芋、栗、柿とか。あぁそうだ、今年も干し柿を作ろう。そういうことを考えながら、箒はなんの障害もなく私を人間の里に運んだ。
*
人通りの多い時間帯でもあるので、商店の並ぶ大通りはがやがやと賑わいを見せていた。
栗が弾けた甘い香りや蒸かした芋の匂い、変わったところだと竹で蒸したパンケーキなんかも。
お土産には事欠かない様々な誘惑がそこらから漂っている。
なんとも魅力的だけど、私はそこまでたくさん食べられないので渾身の一品を選ばないとな。
「え、これじゃあ払えない? そんな……日本円ですよね? ええ、困ったな……」
通りを歩きしばらく。そんな声を拾ったのは、蕎麦屋の隣で覗いた石焼き芋の屋台だった。
声の主は長いきれいな黒髪を下ろし、前髪を可愛らしい蛙のヘアピンで分けている女の子だ。
大きな眼鏡を掛けていて、この辺りでは見覚えのないような恰好をしている。
「あの。お困りですか?」
こういうのは、紫の神隠しで紛れ込んだ外の世界の人であることが多い。
勇気を出して声を掛け、店主と女の子の視線がこちらを向くのに思わず怯むが、ぐっと堪えて様子を伺う。
もしも迷い人なら博麗神社に連れて行ってあげようかと、そういう思いだった。
「ああ、このお嬢さんがどうやらお金を持っていないみたいで」
店主が困ったように視線を向けると、蛙ピンの女の子も困ったように俯いてしまう。
それを、なんだか迷子の子供みたいだと、見た目以上に幼く感じてぐっと心に刺さった。
「それ、私が買います」
「え、そんな! 悪いですよ」
「大丈夫、気にしないで! その、一緒に買うので! ついでなので! あと2つください!」
女の子が頼んでいた3つと、追加で私と霊夢の分。
全部で5つの焼き芋を受け取って、代金を支払う。
女の子はアワアワと手を振って遠慮していたが、支払いを終えて紙袋に分けて入れてもらった焼き芋を大人しく受け取ってくれた。
「あ、ありがとうございます……!」
「い、いえ……」
見ず知らずの人と長く話をして暴れ始めた動悸を落ち着けながら、改めて様子を伺う。
身長は私より高い。霊夢と同じか、少し高いくらいだろうか。
見た目は童顔なのだけど、雰囲気は大人っぽいものを感じる。
綺麗な長い黒髪。前髪をピンで、横の髪を一房、蛇のような髪留めで括っている。
顔を隠すように大きな丸眼鏡をつけていて、表情や顔の印象がぼんやりと薄れている。
少しだけ涼しい秋空の下で、がっつりと肩を出しているノースリーブの薄着は神職のように清潔で穢れを知らない白に青色の縁付。
腕から手首にかけては博麗神社の巫女服のように袖だけがある。青色のスカートは呉服の生地と違い、ひらひらと風に遊ぶドレスのような作りだ。
なんだか、デジャブを感じる服装。霊夢の巫女服に似ているからだろうか。
「本当に助かりました。まさか日本国内で日本円が使えないなんて……」
きっと異邦人なのだろう。
幻想郷の貨幣を知らないことと、奇抜な服装をしている時点でそう予想していたが当たっていそうだ。
いや、まあ。服装に関しては私もとやかく言えないのだけど。
女の子はそう言いながら、緑のがま口財布から紙切れと硬貨を取り出して「これは何の価値もないのですね」と渋い顔をしている。
「……外の世界のお金ですよね。知り合いがそういうの、集めているので買い取りますよ」
「え、ごめんなさい。なんて言っているんですか?」
「あ、ごめんなさい何でもないです……」
小声過ぎて聞き取ってもらえなかった。くそう。自分の内弁慶さが嫌になる。
なんだか向こうが慌てて少し屈み、耳をこちらに寄せて「も、もう一度言ってもらえますか?」とずいずい近づいて来る。
勢いに押されて怯みながら、香霖が買い取ってくれるだろうという事をようやく伝えるとほっと息を吐く。
梅のような香り、椿だろうか。木のような香とお花の匂いがしてドキドキした。
「ごめんなさい、不躾に! その、私、少し空気が読めないところがあるので……」
「いえ、その、こちらこそはっきり喋ってなくてすみません……」
往来でぺこぺこと頭を下げ合うのが邪魔になるとようやく気が付き、私たちはそのまま通りの横、楓の木の下まで場所を移すことにした。
「先ほどは助かりました。後日お礼をしたいので、お名前を伺いたいのですが」
「あ、魔理沙っていいます」
怪しくないようにちらりと女性の顔、その大きな丸眼鏡を見る。
眼鏡からは魔法のような力を感じるのだ。
おそらく認識阻害をされているのだろう、外の世界の人にしては珍しいものを持っているんだな。
私も似たような物を阿求から借りる事があるので気がついたけど、この女性は顔を隠したい事情があるのだろうか。
「マリシャさん、素敵なお名前ですね」
「え、あの……」
「申し遅れました、私は東風谷早苗。最近この幻想郷に引っ越してきました」
早苗サン!?
記憶の中にある『東方Project』の登場人物に思わず面食らい、記憶と違う姿に目を白黒させる。
こんな地味な見た目だっただろうか。自分の記憶に自信がない。
「マリシャさん? なんだか驚いた顔していますけど、私の顔になにか付いてますか?」
言いながらペタペタと自分の顔を触り、首を傾げる姿は確かに整った少女だが、なにか記憶との違和感を感じるモノだった。
*
「ぷふふ! マリシャ! 似合っているわよ、いい名前じゃない!」
「笑い事じゃないぜ!」
銀杏が色付いて、参道に落ち葉を散らす博麗神社。
本殿の賽銭箱前で、箒を抱えた霊夢が私の話を聞いて思わず吹き出し笑い始める。
早苗に変に誤解をされた後、どうにか名前は魔理沙だと認識してもらってから神社に来たのだ。
抱えている紙袋から、まだ温かい焼き芋をいっこ取り出す。
「とにかく、妖怪の山に新しく神社ができたっていう話だ!」
「といってもねぇ。あんな不便なところに神社があっても、人間の里からどうやって参拝するのよ」
「それは……たしかにそうだな?」
年々、昔は覚えていたはずの『東方原作』を忘れている気がする。
そもそもこれは異変だったのだろうか。
神社ができて、だからなんだっていうんだろう。
「うーん?」
首を傾げながら、芋を割って片方を霊夢に差し出す。
霊夢は箒を傍らに置き、まだ温かい芋を受け取ってホフホフと息をはいて頬張る。
私の保温の魔法は食べ物の保温と保存には少し自信がある。買ってから時間が経っていても、ほぼ出来立ての温度を保って持ち運びができる。
私ももう半分の芋を嚙り、ホカホカのそれに魔法の上達とお腹に満足感を覚える。
「まあ、山の事は天狗とかその辺に任せておけばいいじゃない。こちらに火種が降りかかるわけでもないし」
「たのもーう!」
上空から先ほど聞いた声が響き渡ったのは、まさに油断を絵に描いたようなそんな時だ。
木に留まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、萃香が寝ぼけて鳥居から落ちてまた眠る。
穏やかな神社の空気を割り大声を響かせたのは、早苗の声だ。
その姿は先ほど人間の里で見たものと違い、眼鏡を外しているだけ。
あの眼鏡に掛かっていた認識阻害のそれが大きな力を持っているからか、それともただ私が看破できていないだけなのか。
眼鏡を外しただけなのに、髪の色が黒から鮮やかな緑色に変わっている。
その姿は『原作』で私が記憶しているものと同一で、ようやく違和感の正体に気がついた。
長い緑の髪。蛇の髪飾りでひと房飾り、前髪を蛙のピンで分けている。
そうだ、黒髪じゃないもんな。きらきら光を反射する緑髪は珍しく、そりゃあ目立つから忘れるわけがない。
きょろきょろとあたりを伺いながら、大声で人を探している様子。どうやら本堂の軒が丁度影になって、私たちを見つけられていないみたいだ。
「ほら、向こうから来たぜ」
「……マリシャが呼んだのじゃないわよね」
「マリシャは呼んでない!」
「あ、こちらにいましたか」
まだ揶揄ってくる霊夢に言い返すと、その声を聞いたのか早苗が神社の裏手からこちらに降りてきた。
なんでもないように飛んでいるが、こいつも道具などを遣わずに単独で飛行している。
最近幻想郷に来たって言っていたのに。外でも普通に飛んでいたような、自然な飛行だ。
「あ、マリシャさん」
「ま、魔理沙だぜ!」
「訂正できてないじゃない」
ぱっと顔を明るくさせて安心したように手を合わせ、にっこりと微笑む早苗は人間の里では持っていなかった杖のようなものを持っている。
細い木材の先端に紙だろうか、白い四角が取り付けられた棒。
霊夢が持っているお祓い棒のような雰囲気で構えているので、同じような役割のものかもしれない。
「わたくし、守矢神社の風祝にして現人神の東風谷早苗と申します」
「あらどうも。博麗霊夢よ」
「霊夢さん、よろしくお願いします」
おっとりとした雰囲気の早苗がそのまま深々と頭を下げてあいさつするので、調子を合わせて霊夢が軽く会釈して頭を掻いている。
霊夢のことは聞き間違えないんだな。
そりゃそうか、小声でぼそぼそ喋る私が悪いか。
今更また早苗に会った嬉しさが込み上げてくるが、人間の里での態度を気にしてしまい、気づかれない程度僅かに霊夢の影に隠れた。
「今は大きな山に引っ越してきたのですが、どうも人間や里にとっては不便な場所でございまして」
「はあ」
「そりゃあそうだろうぜ」
「話を聞くとこちらの神社はあまり信仰を集めていない様子なので、どうかお譲りいただきたく」
「は……?」
そうだ! 思い出した!
慇懃無礼な早苗のその言葉を聞き、今回の話をようやく思い出す。
新参の神様たちとして訪れた早苗たちが、信仰を集めていない博麗神社を乗っ取ろうとしてくるんだ。
たしかそれで、妖怪の山まで神様に文句を言いに行くんだ。そうだそうだ!
「……えーと?」
「はい。あ、もちろん準備が整ってからで構いません。私達も準備がありますし、今日はそれだけお伝えしたく」
言って再び浮かび上がると、ぽんっと手を叩いてこちらに視線を向ける。
「あ、マリシャさん。もし良ければこの後お時間ありますか? 先ほどのお礼をしたいのですが」
「お、お礼って……?」
マイペースな早苗に霊夢が困惑している。
悪意には悪意で返す霊夢だけど、あまりにも自然に言い放つ言葉に意図を汲み取りかねている。
異変解決の時以外は天然ぼけぼけ少女なので、見るからに霊夢はまだスイッチが入っていない。
私も対応を決めかねて、それが態度に出てしまう。
「はい。本当にお腹減って困っていたので、助かりました! よければうちでご飯でも。丁度神様もいますし、こちらの人間を見てみたいと言っていたので」
にっこりと邪気のない笑みを浮かべている。霊夢に言った言葉を覚えていないのだろうか。
というか、ひとりで焼き芋3つも食べたのか。
色々な衝撃で私も言葉をなくして飲み込んでいると「あ、霊夢さんも良かったらご一緒にどうですか?」なんて早苗は嬉しそうに笑みを浮かべている。
今日はお昼を博麗神社で食べたから、晩御飯は元々家で1人の予定だった。
せっかく最短ルートでボスまでたどり着けそうな誘いなので、霊夢も一緒なら心強いと様子を伺う。
「私は無理よ、せっかくだけど。人間の里でお呼ばれしてるもの」
ああ、そうだった。だからお昼ご飯だけ一緒に食べたのだった。
霊夢は珍しくお仕事で出掛ける予定があるので、巻き込むことは難しそうだ。
「マリシャさんはいかがですか?」
「わたしは大丈夫だけど……」
いや待てよ。これは異変とも言えないものだから、別に霊夢の出番は無くても良いんじゃないか?
最近の異変は霊夢に頑張ってもらい過ぎている。
春雪でも永夜でも、私はなんにもしていない。紅霧も同じだけど、あれは対外的には2人で解決したことになっている。
「あー……。じゃあ、お呼ばれするぜ」
「わぁ、良かった! 引っ越してきたばかりで知り合いもいなくて、不安だったんです!」
「ん? あれ、魔理沙。断らないの?」
霊夢が変な顔をして振り返るので、こっそり耳元で小声で話す。
「なんか早苗が変なこと言ってるけど、ここは私に任せておけって!」
どうせ異変にもならないような出来事だったんだし、さくっと神社のこととか信仰がどうだとかも解決してやるぜ。
「新参者にちょっと幻想郷のことを教えてあげるだけだろ、簡単簡単!」
「……なんでかしら、とても不安になったわ」
*
翌日。
天狗が運ぶ号外の記事を見た霊夢は大いに憤り、お祓い棒を掴んでまっすぐ妖怪の山へ向かう事になる。
新聞を運んできた射命丸は「よし狙い通り!」と指を鳴らし、偽の記事を回収してその韋駄天を活かし、先に山へ戻って行くのだった。
『山に現れた神社 新たな巫女は普通の魔法使い⁉︎』
残念ながら記事が全て回収されたわけでは無く、霊夢が広げた物はちゃぶ台の上に残されている。
見出しの下には少し顔を赤くしとろんと蕩けた目をしている魔理沙が笑顔で巫女装束に身を包み、早苗と並んで神社の境内に立つ写真。
早苗も顔を赤くし、魔理沙の肩に手を回しながら親しい様子で、まるで勝利したようなピースを掲げている。
それは酒に酔って悪ふざけで着替えた衣装なのだろうということは、冷静であれば察しが付く。ただ、まるで魔理沙がその神社に所属したような写り方が火種を呼ぶのだった。
即落ち2コマ