A.閑話!
天高く馬肥ゆる秋。
秋の澄んだ空気が気持ちのいい快晴の空、食べ物の良い匂いがする通りの中。
初めて訪れた幻想郷で、人間たちが住まう里では市場が賑わい旬の食べ物が誘惑の匂いを漂わせている。
お山には妖怪たちしかいないので、これだけ人間が多いと、つい気が緩むというもの。
活気に満ちたその場所でひとり、心が弾み浮かれているのを感じる。
ここには幻想郷に元からある神社や人間たちの信仰について把握するために来たのだ。
神奈子様の言いつけはもちろん頭に入っているけれど、買い食いぐらいは良いだろうと私は石焼き芋の屋台を訪れていた。
「え、これじゃあ払えない?」
「うーん。もしかして里は初めてかい?」
円だとか銭だとかの表記違いや、随分物価が安いのだなとか。
思えば引っかかりそうなものだけど、言われてから初めて思い至る。
店主のおじさんが困り顔で手元の10円玉を見ながら眉を下げ、参ったなぁと零した。
「これはお金じゃないよ、うちでは使えないなあ」
「そんな……日本円ですよね? ええ、困ったな……」
ぐぅっとお腹が鳴り、良い匂いを漂わせるお芋をついついじーっと見てしまう。
同じ日本なのに、通貨が違うなんて思わなかった。
目の前のお芋に目がくらみ、碌に確認せず買い物をしてしまったのが仇になってしまったか。
神奈子様からも悪癖をそそっかしいと注意されているのに、いくつになっても治らない。
お腹が空いているとはいえ、おじさんに迷惑を掛けたいわけではない。
ここはなにか別の手段でお金を稼いでくるか、身の回りの物を売るしかないのだろう。
仕方なく空腹を我慢して、頭を下げる。
「あの。お困りですか?」
いつの間にか傍に居たのか、小さく遠慮がちに声を掛けられて横を見る。
黒白の魔女。綺麗な金の髪を一房三つ編みにして横に垂らし、箒を抱えている三角帽子の女の子がおずおずと話しかけて来ていた。
さすが異なる文化の場所。
着物を着ている人たちしかいないのも感動したが、こういう奇抜な格好もいるのか。
その子の格好に多少面食らっていると、おじさんの方が代わりに返答する。
「ああ、このお嬢さんがどうやらお金を持っていないみたいで」
おじさんはぶっきらぼうな調子ではなく、すこし声を柔らかくして厚手の手袋をつけたまま頬を掻いている。
頬に黒い炭の線が入るが、気にせず笑って対応していた。
馴染みの相手なのか有名人なのか、声や態度は配慮と親しみを感じるものだ。
明確な疎外感、外からきた私に対する警戒心とは違うもの。
当たり前のそれに今更気が付いて、一歩引いて足元を見つめる。
「そ……それ、私が買います」
意を決したような雰囲気で、誰も急かしていないのに、ばたばたと懐から巾着袋を取り出す。
立てかけてある木札を確認し巾着袋を振ると、硬貨がいくつか飛び出しそれにまた慌てている。
「え、そんな! 悪いですよ」
こちらも慌てて制止すると、女の子が勢いよくガバッと見上げてきて一瞬怯んでしまった。
「大丈夫、気にしないで! その、一緒に買うので! ついでなので! あと2つください!」
一瞬の後に、有無を言わせぬ調子で声を大きくしながら捲し立てる。
こちらがその勢いに何も言えずにいると、おじさんは笑顔でお金を受け取り、新聞紙に包んだ焼き芋をポンポンと紙袋に3つと2つ分けて入れ、気を付けて持ちなさいよと言いながら渡している。
小さくお礼を言って受け取り、こちらに向き直って大きい紙袋を差し出してきた。
「え、あの……」
女の子が何も言わず、じっとこちらを見つめて受け取るのを待っている。
口を堅く結んで差し出してくる様はなんだか必死で、受け取らないとこっちが悪いような。
おじさんからの視線も感じる。
「あ、ありがとうございます!」
「い、いえ……」
遠慮するのが悪いというか、その心遣いを無下にしたくない。
そっと受け取ると、ふわりと笑みを浮かべて安心した様子。
ふーっと大仕事を終えたような息を吐いて、自分の紙袋を抱えたまま胸を撫でおろしていた。
失礼ながらそんな姿を見て、きゅんと心にときめきを感じているとじーっと見つめる視線に気が付く。
じろじろと無遠慮な様子というより、ちらちらと上目で、なんだかこちらが話し始めるのを待っているような雰囲気だ。
「……本当に助かりました。まさか日本国内で日本円が使えないなんて」
口角が吊り上がるのを感じ、口元を抑えながら声を掛ける。
同時に再びお腹の音が鳴ってしまったので自分のお財布を振り音を出して誤魔化す。
「これは何の価値もないのですね」
じゃらじゃらと蛙のがま口から取り出した紙幣と硬貨を見つめ、改めて別の世界に来たんだと実感する。
心には不安よりもこれから起こることへの興味や、自身を偽り飾る必要がないという解放感が大きい。
別の世界だと理解したつもりになっていたけれど、こうして実際に差を感じることでよりそれらが大きくなっていくのを感じる。
私の手の中にあるお金を見ながら、女の子がぽつりぽつりとなにか喋ったが、往来の喧噪でその音は拾えなかった。
先ほどのやり取りで、この子が恥ずかしがり屋さんなのは見てわかる。
「え、ごめんなさい。なんて言っているんですか?」
「あ、ごめんなさい何でもないです……」
普通の調子でつい聞き返すと、俯いて謝ってしまった。
慌てて少し屈み耳を近づけてみると、テンパりながらもどうやら外の世界のお金を集めている知り合いがいるらしい、ということは聞き取れた。
無遠慮に肩に手を置いてしまったので、今更顔を近づけ過ぎて失礼かもしれないと反省。
ただお芋以外の甘い匂いがした、とだけ。
「ごめんなさい、不躾に! その、私、少し空気が読めないところがあるので……」
「いえ、その、こちらこそはっきり喋ってなくてすみません……」
でへへ、とだらしない笑みが浮かぶのは自覚できたが止められず、それよりももっとこの子とお話をしたくなった。
恥ずかしそうに頬を染めて俯く姿はなんとも言えない気持ちにさせてくる。
別に軟派な心でそう思ったのではないが、一食の恩人なのだ。しかも可愛い。
なんでそんな恰好をしているのだろう。もしかして本当に魔法使いなのかしら。
お名前はなんていうのだろう。その箒はなにに使うの?
金の髪が綺麗ですね。幻想郷のことをもっと教えてほしいのですけど。
頭を下げ合っている状態の中でも、心にどんどんと興味の芽が生えて止まらない。
「こ、ここではお邪魔になりますのでよければ向こうでお話ししませんか?」
「あ、はい」
お礼をしたい一心とその子への興味を抱えながら、私はその女の子を木陰に誘った。
今まで私の周囲にはいないタイプの人物に、興味が尽きない。
少しぐいぐい行き過ぎているだろうか。
元々友達を作るのは得意でないので、適切な距離感なんてわからないのだけど、嫌がってはいない。と思いたい。
「先ほどは助かりました。後日お礼をしたいので、お名前を伺いたいのですが」
色付く楓の木の下で、すこし勇気を出して名前を聞いてみる。
また小声で俯きがちに喋るのではっきりとは聞こえなかったが、なんとか名前は聞きとれた。
「マリシャさん、素敵なお名前ですね」
口の中で転がすと、なんと可憐な響きだろうか。
素直に素敵な名前だと思えるし、魔法使いらしい、またその見た目に似合った名前だった。
「え、あの……」
「申し遅れました、私は東風谷早苗。最近この幻想郷に引っ越してきました」
ふむーっと満足感と感慨に浸りながらこちらも名乗り返すと、なぜかびくっと肩を揺らし驚いたように目を見開くマリシャさん。
「あ、あれ……? え、本当に?」となんだか呆然としている。
「マリシャさん? なんだか驚いた顔していますけど、私の顔になにか付いてますか?」
うかがうような視線ではなく、まっすぐ見つめられるのに少し照れてしまい自分の顔を触って誤魔化す。
その時にはっきりと目を見ることが出来た。金色にきらきらと光る瞳は驚愕に見開いているが、とても綺麗。
テレビや映画、雑誌とかで見るような容姿の整った外国の女の子が、こんな近くでじーっと見つめてくるのは少し緊張してしまう。
「あ、あー……。そ、そうなんだ。早苗、さん」
「はい、なんでしょうかマリシャさん」
「えと、早苗って呼んでもいいかな」
「ええもちろん!」
やっぱり名前も知らない人と一緒だと警戒しますよね。
私もマリシャさんの名前を知って、より親密になった気がするのでその提案に嬉しくなってこくこくと頷く。
「わ、わたしはあの、マリシャじゃなくて……まりさだけど。その、名前、呼び捨てにしてもいいぜ……」
「えぇ!」
いきなり名前を呼び捨てになんて!
なんだか、仲良くなりたいと思っていたのが私だけじゃないと感じて、より嬉しい気持ちが膨らんでいく。
神奈子様ありがとうございます! まさかこんなに早くお友達ができるなんて!
「ま、マリシャ……。い、いえ! やっぱりまだ慣れるまでは、マリシャさんで!」
「あ、うん……。え、魔理沙だけど」
「すこし待っていてください! 慣れたら、慣れたら呼び捨てにしますので!」
すこし残念そうなマリシャさんに心苦しくなるが、友達のいない私にいきなり呼び捨てなんてハードルが高い。
同級生にも壁を作ってしまうのは自身の立場と能力故に仕方ない事だったが、ここではそれを気にしなくていい。
わかっていても、そうだとしても。
まだ自分の心の弱さが準備を必要としてしまうのだ。
「あ、うん。えと、名前わかってるんだよな?」
不安そうにこちらを覗き込み、私の袖を握ってくるマリシャさん。
さっきまでのおどおどした様子がいきなり、なんだか積極的だ。
「い、いつか呼び捨てで呼びますので!」
幻想郷すごい、やっぱり異文化の土地なんだ!
貨幣もそうだけど、名前を伝えあうだけでこんなにいきなり気安くなってくれるなんて!
*
「私も連れて行ってください」
深々と本殿へ頭を下げ、願いを口にする。
困った顔をさせたいわけではなかった。けれど偽りのない私の願いだ。
諏訪子様が姿を現さなくなったのは、現世の信仰が失われつつある証拠。
失われたものは取り戻せない。私の努力は実を結ばない。
「私には居場所がありません」
信仰を集め現人にして神として、神の末裔として奉られるこの身。
信仰などなくとも生命を繋ぐこの身。
「神奈子様、どうか」
私は現世が息苦しいのです。
貴方たちの傍でしか、呼吸ができないのです。
「どうか、どうか御傍に仕えさせてください」
私の名を呼ぶのは、貴方たちだけなのです。
私は東風谷早苗として生きたいのです。
父のように思うのは神奈子様だけなのです。
母のように思うのは諏訪子様だけなのです。
おふたりと離れるのは、考えただけで心が裂けるように苦しいのです。
カエルの鳴き声、雨の境内。
制服のまま全身を濡らしながら、私は切に願った。
妖怪だらけの恐怖の世界。しかし奇跡が根付く場所。
諏訪子様が生きることのできる、失われたものたちの楽園。
私に迷いなど、あろうはずが無かった。
「私も連れて行ってください」
こう、なんていうか……。
ゆっくりと小出しにしているつもりではなく、
じっくりと調理の準備にかかる過程も大事というか……。