妖怪の山にはいくつかの入り口があり、麓にある樹海もそのひとつ。
妖怪の山になぞらえて、その名を妖怪の樹海。
背の高い木々が日を遮り、日中でも暗く恐ろしい雰囲気の場所だ。
「早苗のところの神様はなんの神様なんだ?」
顔と名前くらいは憶えているけれど、守矢神社の神様ってそういえば何のご利益がある神様だったんだろう。
竹籠を箒に吊るし、最初のころより幾分ゆっくり目に飛びながら。
私たちはそんな場所を、変わらず一緒に飛んでいた。
「神奈子様は山の神様です。
「へえ。兼任しているのか」
「兼任……そう聞くとなんだか身近に感じられますね」
静葉みたいに枯れ葉と紅葉ーっていう近いものじゃなくて、山と戦いだなんて、関係が薄そうな物なのに。
外の世界でも有名な神様だったから、知名度とか『信仰』とかが幻想郷にいる神様よりも強くあるのかもしれない。
神話の時代まで遡ると、山と戦いは密接だったのかな。
「そういえばよく博麗神社には行くけど、外の世界の神社の作法は知らないなー。失礼にならないように教えてくれよ」
「作法と言ってもマリシャさんは私のお客様ですし、ここは幻想郷ですから自由で構わないと思いますよ」
「ふーん。じゃあ、失礼なやつだー! って怒る神様じゃないんだな」
「ええ、ご心配には及びませんとも! すこし過保護なところがありますけれど、優しく心の広い偉大な神様ですから!」
神様の話をしている時の早苗はとても嬉しそうだ。
それだけ大好きなんだろうけど、早苗のその様子が嬉しくて何度も話を振ってしまう。
それだけ興味があるなら入信しますか? なんて言われたけど、霊夢に悪い気がしてそれは断っておく。
「まあまあ。それはまた追々とゆっくり話しましょう」
「ううん、宗教家の顔をしているぜ」
「うふふ。でも大丈夫、無理に勧めたりはしませんよ」
――ひきかえしなさ~い。
そんな風に話をしていると、道中で黒いモヤモヤがそこら中に現れてきた。
ルーミアがいるのかと思ったけれど、そこまで深い闇ではない霧のような。
霧にしては暗い、嫌な予感を感じる物。
早苗も同じように思っているのか、私たちはそれを避けながら飛び続けていた。
「あら? マリシャさん、なにか聞こえませんでした?」
「え、なにかって?」
「なんだか、声のような……」
――危ないわよー。ひきかえしなさ~い。
立ち止まり、耳を傍立てると木々の隙間から周囲に木霊する声。
言われないと気がつかない程度の微かさで、それは引き返すように忠告しているようだった。
「なんでしょう。まさかお化け?」
お祓い棒のようなものを構えて周囲を見回す早苗。
私もミニ八卦炉を手に警戒する。
だんだんと声が近づいてきて、私にも気配がわかるようになってきた頃。
気配はついに大きな木を挟んで、この木の向こうになにかがいる、ということまで知覚できるようになった。
「ひ、ひきかえしなさーい!」
遠慮がちな声と共に、周囲に黒い靄を纏わせた人形のような可愛らしい女の子が顔をのぞかせてきた。
「ここから先は妖怪と神々の領域。人間が踏み入る場所ではないわ」
赤いリボンを頭のてっぺんで結び、緑の髪を胸元でひとつに結んでいるドレス姿の少女。
まっかなドレスはゴシック調で白いフリルが可愛らしく、それが余計に人形のような印象だ。
ああ、ついに!
「妖怪の山には何度も入ったことがあるんだけど」
「あの、私もその山に家があるのですが……」
「えぇ……? あなたたち人間よね? それとも変化が上手い妖怪なの?」
木の裏に再び引っ込んでしまい、声だけがこちらに聞こえる。
それはこの厄神の配慮による物で、私達と顔を合わせるのを嫌がったわけではない筈だ。
「私は人間の霧雨魔理沙! こっちは早苗!」
「あ。どうも、東風谷早苗と申します」
「……私は厄神。鍵山雛と言いますわ」
厄神、鍵山雛。
雛と私は直接の面識がない。
にとり経由で話を聞いたことはあるのだけど、人間は関わらない方が良いと言われていた。本当は厄を除けるため、話に出すこともしない方が良いそうだ。
去っていく後姿をちらっと見たので、噂に聞く“厄”の黒いモヤモヤを見たことはあったけど。面と向かって会ったことはなく、声も知らなかったので最初はその正体に心当たりはなかった。
「ああ。あなたが、にとりが言っていた人間の子供なのね」
大きな木を間に挟み、結構な距離をあけながら雛が再び顔を出してこちらに声を掛けてくる。
話に聞いているだけだった私たちは、ようやくお互いを認識し合うことができた。
にとりの言う通り可愛らしい容姿の女の子だ。
記憶にも合致する。そう、『東方Project』の鍵山雛が目の前にいる。
「厄神様ってはじめてみるぜ!」
幻想郷で、ぜひ会いたい神様のひとり!
自然と声が大きくなってしまうのを自覚する。
明確に人間を避ける神妖とはなかなか会えず、こうして異変、いや今回は異変未満だけれど。時期が来るまでは諦めていたのだ。
会いたいと思いながら今まで会えなかったのは、雛の方から避けられていたからだろうか。
この辺は確かに危ない場所だし、ひとりでふらふら探索することも難しい。だいたい誰かが一緒なので、自由に探索することもできない場所だ。
早苗と一緒だからか、人間しかいないから警告しに来てくれたのだろう。こうしてようやく会うことが出来た。
「マリシャさんでも初対面の方がいるんですねぇ」
「そりゃそうだ。幻想郷はひろいからなー」
距離を離されているのは“厄”がこちらに影響を及ぼさないようにという配慮で、こうして声を掛けて来たのはこの先の山が危険な場所だと伝えないといけないから。
そんな親切心しかないような神様が鍵山雛だ。
人間の里で知られる存在ではないけれど、ずっと厄を引き受けている。
なんて健気! 代表してお礼のひとつくらい言いたいと思っていた。
「いやあ、一度会いたいと思っていたんだよ! 何度も山に行ってたのに、なかなか会えなくて!」
「あ! だめよ、それ以上近づいたら危ないわ!」
少し近づくと先ほどよりも大きな声で雛が警告する。
私は不用意に近づいてしまった箒を慌てて止め、止めながら自分は大丈夫だという根拠のない自信で言い返す。
「そうはいっても私も魔法使いだし、少しくらいの不幸なんて……」
ぶつり。ぶち。
何かが切れる音が聞こえ、見下ろすとブーツの紐が千切れていた。
「……」
不幸とか不運というのが、こんな風に目に見える形ではっきり表れるものなのか。
ほんの少し近くにいるだけ。だからこの程度で済んだのかもしれない。
「ほら、危ないから少し下がって?」
木の裏から顔だけ出した雛が、困ったようにこちらへ再び声を掛ける。
声は言い聞かせるように穏やかで、これ以上の不幸を望まない雛の優しさを感じる物だった。
大人しく少し下がると、安心したようにほっと息を吐いている。
お礼を言うなら距離は関係ない。
だけどすごすごと引き下がるのがなんだか情けなく、どうにか近づく方法がないか私は考えを巡らせていた。
「ええっと、鍵山様は厄神……。疫病神ではないんですよね?」
一連のやりとりを黙って見ていた早苗が不思議そうに雛に声を掛ける。
「ええそう。私は人間たちの“厄”をため込んで神様にお返しするしかできないの」
周囲に浮かぶ黒い靄のようなもの。
目に見えるほどにため込まれた厄があるせいで私はこれ以上近づけない。
「本当はお話をしたりするのも避けた方が良いのよ。今度神社で厄払いを受けてね」
「これから山の上の神社に行くから、丁度いいな」
軽口を返すが今まさに厄除けを持っていないことを、こんなに後悔することになるなんて。
「にとりから、少しだけ話を聞いたことがあるぜ」
「私もあなたのことを聞いたことがあるのよ」
また木の裏に顔を引っ込めてしまい、声しか聞こえない。
けれど、声は楽しげで歓迎しない雰囲気ではない。
「厄神は人間の里の厄を引き受けてくれてるんだって」
「ええそう、厄こそ私のエネルギー! 最近は流し雛が少なくて、里に厄が溜まっていて心配だわ」
明るい声は人懐こく感じ、きっと笑ってるのかなとか、もっと見たかったな、とか。
やっぱり正面から話ができないことにもどかしさを感じる。
「えと……ずーっと厄を引き受けてくれてありがとうな! 私も里に住んでいた人間だから恩恵を受けていたんだろうし、お礼だけ言っておこうと思って!」
「別に良いの。あなたは普段呼吸をするのに、草木に酸素をありがとうって言う? それと同じで、私にとっては当たり前の事なの」
「でも草木は喋らない。私たちは喋れるからお礼を言うぜ」
「あっ、そう。じゃあ素直にお礼は受け取るわ」
くすくすと楽しげな笑いが聞こえ、私もお礼を言わせて貰えて同じように笑ってしまった。
きっと仲良くなれそうなのに。
これからもきっと、中々会うことは出来ないんだろうなという予感がする。
「私は厄を溜め込むしかできないの。だからあなたたちの厄も引き受けて、もう行くわね」
「あぁ! ちょ、ちょっとまってよ!」
話を長引かせたいわけじゃない。
だけど終わりを感じるのが寂しくて、つい引き止めてしまった。
「も、もう少しだけ話はできない……?」
「ううん。気持ちは嬉しいけれど、近くにいるだけで厄が影響してしまうから……」
「厄って、この黒い霧みたいなやつですよね。たしかにこれ、なんか嫌な感じするし鬱陶しいし……」
早苗がパタパタと手を振り黒い靄を払って霧散させ、ふむ、と腕を組んだ。
「しつこい感じしますよね。けどなんの影響があるんですか、これ?」
人間の厄が目に見える形となるまで集結しているのだから、そりゃあ嫌な感じなのだろう。
影響もすぐに目に見える物じゃないので分かりづらいのだと思うけど。
「……あれ、早苗なんで厄を払えるの?」
あれ?
「え? ああ、マリシャさんの近くにも……。いやですねぇ。ほらポンポンっと」
「ひ、雛ー! ちょっと見てー!」
*
「へぇ〜。あ、でも厄そのものが消えるのではないわね。散るだけというか……。一時凌ぎって感じ」
「これも信仰の為せる御業、ということになりませんかね」
「なんだかわからないけど、早苗がいたら雛と話してても大丈夫なんだな!」
今度、永琳に幸運の液体を少し分けてもらえないか交渉しよう。
そうまで考えていたから、意外な解決が目の前に現れてくれた。
雛の近くに寄ることもできて、正面から雛を見つめることができる。
雛もすこし戸惑っていたけどはっきり目を見てお礼を言うと、律儀なのねー、なんて笑ってくれた。
「けど全部が払えるわけじゃないですし、油断したらまた元に戻ってきますよコレ」
「少しくらい良いよ、たぶん大丈夫! ありがとう早苗!」
「えへへ、いいんですよ〜これくらい!」
早苗と一緒に来たのは偶然だったけど、本当に良かった!
適当に振っているように見えるのに、早苗の振るうお祓い棒でどんどん黒い靄が晴れていく。
「また今度さ、一緒に話がしたいんだ! 雛は人間と関わることってあんまりないんだろ? だから雛が守ってくれてる里の事とか話ししたいし、聞きたいことなんでも聞いてほしい! 雛のことも、もっと知りたいぜ!」
「あはは、熱烈なの! うん、私も人間の味方として、もっと知りたいと思ってた!」
「あ、もちろん、早苗が大丈夫だったら……なんだけど」
「美少女ふたり……森の中、なにも起きないはずが無く……。え? ああ、もちろん一緒に行きますよ、私は全然オッケーです!」
*
妖怪の樹海を抜け出し、雛に手を振り私たちはまたゆっくりと山へ向かっていた。
日が沈みかけ、夕暮れの赤が空を焼いている。
紐の千切れたブーツを脱いで、靴下だけになって足先に風を感じる。
ブーツは無事な方の靴紐で結び、箒の後ろにぶら下げていた。
「早苗ってすごいんだなー」
「ええ? なんですか、マリシャさん」
当たり前のように空を飛ぶのもそうだけど、人間なのに厄の影響を受けず更に払うことができる。
私も空を飛ぶことができるけど、いまだに箒がないと飛べない。
だからこそ、早苗の凄さがよくわかる。
「びっくりしたぜ、なんでも出来そうだ!」
生まれ持った力の差はあれど同じ人間だ。その領域まで行き着くために、早苗がどれだけ努力を重ねたのか。
同じように飛びながら。だからこそ、凄さをより実感するのだ。
「い、いえそんな……。これは、神様たちのお力を借りているだけで」
「本当に借りているとしてもだよ。借りることが出来るようになるまでと、今はそれを自然に使いこなしているのが凄いと思うけどなー」
私がのほほんと過ごしていた人里での幼少時代。
霊夢みたいな修行時代が、早苗にもあったのだろうか。
「私は走り出すのが遅かったからなー」
魔力の成長は幼少期の経験が重要だと言われている。
私だってまだまだ伸びる余地があるけど、もっと幼い頃から当たり前に努力している天才たちにはなかなか追いつけない。
いつかは追いつけるだろうけど、それでも今ある差が大きい。だからこそ、追いついた時の事を考えると楽しみになる。
「私は、普通の人間ですよ」
「いーや! 努力家の人間だね!」
「ふふ! ……じゃあ、そうかもしれません」
しばらく笑い、山を目指す。
そして私は早苗にバレないように、先ほどから感じていた違和感にそっと脇腹のあたりを抑えた。
雛の厄の影響を受けた時。
千切れる音は、二重で聞こえた。
最初は気が付かなかった。
けれど、時間を置くとそれが違和感となって私を襲い、なかなか言い出せず今になってしまった。
――やっぱりそうだ。
シャツの下。
衣服の違和感。
――サラシが千切れたんだ。
感じる布の感触に擽ったさを覚えながら、私は悟られないように汗を拭った。
*
東風谷早苗は人間にして信仰を受ける現人神。
普通の人間とは違い、既に神としての格も備える早苗には只の人間の厄は影響しない。
早苗の『奇跡を起こす程度の能力』は偶然の頂点にある奇跡を起こすもの。
そこに幸不幸は関係がなく、どちらにも左右されず、幸せな出来事も不幸な出来事も奇跡の御業。
人間の不運や不穏な物の集まりである“厄”にとって、最も縁遠い存在が神であり早苗だった。
左右されず、影響を受けない存在。目に見えるほどの厄を略式で簡単に払うのは、早苗にしかできないことだった。
不幸=ハプニング=ラキスケ
そりゃあ起こるよ、コメディだもの。