僕と天華寺は、村崎の家に上がらせてもらうことになった。
「どうぞ、上がって? お飲み物用意するわね」
「い、いえ。お気遣いなく」
「スプライトありますか?」
気遣わせんなって!!
あ、いや。天華寺は確か村崎のお母さんと仲良いんだっけか……ならこれくらいの距離感は普通なんだろう。
きっと僕の過剰反応だ。
「ごめんね、うちにはジュース置いてなくて……美穂ちゃんは前に一度だけ会ったわよね? セイユーマートで」
「あっ、はい」
一回だけかよ! しかもスーパーでかよ!!
その距離感で炭酸要求するのどんなメンタリティしてんだ。
「それで、そっちの子は……?」
……って、天華寺のことを言えた立場じゃないな。僕の方は正真正銘の初対面だ。
「は、初めまして。僕は……」
「もしかして七家君?」
「なな……えっ?」
名前を名乗ろうとした瞬間、被せるように名前を当てられて僕はきょとんと頭を上げる。
「あっ、やっぱり! 彩芽ったら最近ずっとあなたの話ばっかりで……」
「もう、ママ余計なこと言うな〜!!」
「あら、聞いてたの!? あんたはさっさと寝てなさい!」
「あ゛〜! せっかく七っち来てくれたのに最悪〜!!」
部屋の奥から村崎(彩芽)の声。
……さっき出てきた時、彼女の額には冷却ジェルシートが貼られていた。
「……彩芽さん、体調が悪いんですか?」
「うん? まぁ……ちょっと、ね?」
村崎ママがそう言って苦笑する。
……なんだか含みのある言い方だ。
「さっ、どうぞ」
そうして村崎ママに案内されたリビングは整然としたイメージで、まるでオシャレなカフェにでも来たような錯覚を覚える。
「すみません、急に押しかけてしまって……」
「あはは、いいのいいの! 彩芽が家に友達呼ぶことなんて滅多にないもん!」
「……そうなんですか?」
僕にとって、それは意外なことだった。
村崎はいつもクラスどころか学年の中心だ。きっとプライベートでも付き合いは深いんだろうと思っていた。
村崎ママもとても綺麗な人で、それは予想通りだが見た目から受ける印象は村崎とは大きく異なる。
……改めて、僕は村崎のことを何も知らないんだなと痛感した。
「七家君、コーヒー好き?」
「あっ、飲めます。エスプレッソ」
「おっ、いけるねぇ。美穂ちゃんはミルクでいい?」
「牛乳好き」
「よかった。すぐに用意するわね」
そう言って、村崎ママがダイニングの向こうに消えていった。
「私も家に来たのはまだ2回目」
「えっ、そうなの?」
「うん。別に来てほしくないって言われたわけじゃないけど」
……村崎と一番仲がいいだろう天華寺すらそうなのか。
「彩芽は結構、人見知りするタイプだよ」
「……」
全っ然、そうは見えないから困るんだよな……。
「逆に、七家はすごいね」
「えっ」
「お母さんとちゃんと話せてるし」
「いや、当然でしょ」
当たり前のことじゃないのかそれは。
……だがそういう当たり前から逸脱している少女が天華寺美穂だ。少なくとも人の家にいきなり上がり込んでスプライトを要求する女を僕は他に知らない。
「ううん、村崎ママ。嫌いな人は家に上げないから。結構有名だよ、知らない?」
「えっ……?」
……あったか? そんな話。
あっ、いやそうか、二年の時。確か、ある男子生徒が授業参観の時村崎の母親に娘との交際を認めてほしいって猛プッシュしたんだっけか。だけど村崎の母は取り合わなかったという。
なるほど。あの優しそうなお母さんが……。
「はい、どうぞ」
ダイニングから出てきた村崎ママの手には、コーヒーカップとグラスに入った牛乳。
「あっ、いただきます」
「いただきます」
……今更だが、クラスメイトの部屋に入るなんて人生初のことだな。
それがクラスカーストトップの村崎彩芽の自宅だなんて、数十日前の僕に言っても絶対信じなかったはずだ。
人生とはわからないものだ。
「二人とも、彩芽のことを心配して来てくれたんでしょう? ありがとう」
「あっ、いえ。とんでもないです」
「ずずずずず」
飲むのをやめろ。んで牛乳をそんな汚い飲み方するな。
「改めまして。村崎彩芽の母、香織です。娘がいつもお世話になっております」
「あっ、七家俳人です。いつもお世話になっているのは、むしろ僕の方で……」
「天華寺美穂です。彩芽は具合が悪いんでしょうか」
天華寺が珍しく敬語で話している。口の周りに白ひげがなければ完璧だったかもしれない。
「うん、実はね? さっき彩芽は体調が悪いって言ったんだけど、半分は本当で、半分は実は嘘なの」
「嘘……ですか?」
「そう。最初はね、ただ学校に行きたくないって駄々こねてただけなのよ? ふふふ」
「あぁ……」
……その気持ちはとてもわかるなぁ。
学校に行きたくないことに、きっと理由はないんだ。気分が乗らないとか、なんとなく気が重いとか、そういう些細なこと。
だけどそれを蓄積し続けていると、風船が膨らむようにいつか割れてしまう。
そうならないように、適度な休息をして空気を抜くことが大事なのだと僕は思う。
……そして多分、村崎の風船を膨らませた空気を入れたのは僕だ。
「でもね? そうやって布団の中に入ってるうちに……本当に熱が出てきちゃったの! だから仕方なく休ませたってわけ」
「な、なるほど」
……病は気から。まさにその言葉の通りだ。
「……あの、娘さんの不調のことなんですけど」
だが、やはり大元の原因は僕にあるのだろう。
この家に足を踏み入れたその時から、村崎に一切関わらないようにと宣告を受ける覚悟はできている。
だから僕は、自分の犯した罪を告白しようと口を開き。
「いいの」
「……えっ」
香織さんが唇に人差し指を立てた。
「彩芽、あれで結構傷つきやすいのよ。繊細すぎるくらいね。だから悪気はなかった一言でずっと悩んで、こういう風に休んじゃうことは、時々あったの」
「あっ……」
……そう言えば、飯田が僕に詰め寄った時も。
村崎は責任を感じて、僕から離れようとしてたっけ。
「だから気にしないで? こうやって会って話してみれば、七家君が悪い子じゃないっていうのはわかるから。きっと彩芽が勝手に傷付いただけなのよ。放っておけばいいわ」
「え、えぇ……」
……それはどうなんだろう。
「ね、それよりさ。彩芽が学校でどんな風に過ごしてるのか教えて? あの子、全然話してくれないのよ〜」
「えっ、どういう風に過ごしてるか、ですか。そうですね……」
例えば……。
「お母さん! もういいでしょ!?」
バタンッ!
と、ドアを開けて出てきたパジャマ姿の村崎。
慌てて飛び出してきたようで、わずかに服が乱れている。
「……あっ」
そして僕と目が合った瞬間、村崎は目を見開き。
「の、覗き見禁止!」
「えぇ」
バタムッ、とまたドアが閉められた。
「な、なんで……」
「すっぴんだからね」
「すっぴんだからかな」
そうなの!?
なんで女子にはわかるんだ。そのシナジーが……。
「七家、彩芽と話してきたほうがいい」
「えっ」
「このままじゃ永遠に、ずっとこのまま」
「ま、まぁそれは……そうかもしれない。けど……」
……村崎は僕と話したいんだろうか。
「大丈夫よ」
「え……」
「彩芽、七家君のことが嫌いになったわけじゃないから。今はちょっと恥ずかしがってるだけよ」
……そ、そうなんだろうか。
「うん、七家は行くべき」
「……うーん」
……そこまで言うんだったら。
「わかった」
僕は立ち上がり、廊下を進む。
「……」
そして立ったのは、「あやめ」と看板が吊るされた扉の前。
僕はまるで魔王の扉を開けるように。
ゆっくり、ゆっくりと、解き放った。