「やっぱり、そうなんだ」
ちょっと待て。
今、何が起きた??
僕は何を言われたんだ??
「……なにを言ってるのかわかんないかな」
「隠さなくていいよ、別に」
いや、本音だ。
なにを言ってるのかわからない。え、なんでバレたんだ本当に……。
「……なんでそう思ったの?」
「なんとなく。七っち、“天地”のこと好きだと思うけど、一歩引いた目で見てるっていうか……どっちかっていうと、読者のことすごく気にしてるなーって思って」
……天才なのか??
まぁ、村崎彩芽が天才なのは今に始まったことじゃない。
なにせ彼女は成績優秀。
どれくらい優秀かと言えば、新入生代表の挨拶を務めていたくらいには優秀なのだ。
今とあまりに見た目が違いすぎて、ほとんど気付いている人はいないが。
「……いや、でもそれだけじゃ」
「前に美穂と話してたときさ」
「えっ」
「“勝新のことモデルにした”って言ってたじゃん」
……。
「それで、“あっ、確定かな”って」
そらバレますわ!!!!
「……」
でも、そっか……。
バレちゃったかぁ。
「……そっかぁ」
体のありとあらゆる穴から力が抜けていくような、そんな感覚がする。
虚脱感というのか、無力感というのか……。
なんだか、無性に……。
「……ぅっ」
「え?」
なんだ、これは。
いや、なんでそうなる?
おかしいだろう。流石にそれは。
「ふっ、ぐっ、う……!」
なんで泣いてんだよ、僕は。
……あぁ、そうか。僕は多分、自分なりに作品のための最善を打ってきたつもりだったんだ。
全てが完璧だったわけじゃないし、辛くて、心が折れそうになったことも何度もあったが。
それでも、取り返しのつかない失敗はしてこなかったと思う。
そんな自分なりの努力の数々が、無駄に終わってしまったからこんなに悲しいんだろう。
「……ごめん」
僕は涙を流しながら、そう言うしかなかった。
僕の力が及ばなかったばかりに、僕の気が回らなかったばかりに……大事なファンの一人を……いや。
僕にとって、世界一のファンを失望させてしまった。
それが例えようもなく悲しいんだ。
「ごめん……っ」
涙は次から次へと出てくる。
あぁ、なんだ。ようやく気づいた。
僕は自分の正体を隠すのは人のためだと言っておきながら、実際は自分のことしか考えていなかったんだ。
自分が傷つきたくなかったから、人と距離をとっていただけなんだ。
失敗するのも当然だ。そんな弱気な姿勢でいたなら。
あぁ、やっぱり、僕はあの時から変わらず──。
「七っち」
不意に、体を包む。
優しい温かさ。
「一回しか言わないから、よく聞いて?」
耳が、こそばゆい。
「好きだよ」
そして耳元で告げられる、突然の言葉。
まさか──。
「ウチ、『東風先生』のこと好きだよ」
……。
あ、うん。
嬉しい。すごく嬉しいよ!? けど、なんか……!
……いや、嬉しいんだからそれでいいか。
僕は安堵と、そしてわずかな落胆と共に息を吐く。
「でも、七っちのことはもっと好き」
そして次の言葉で再びフリーズした。
「……友達として?」
「……そこまで言わせんの?」
「す、すいません」
村崎がムッとする気配がした。
「……一応、聞いておきたいんだけど」
「うん?」
「どうして、僕なのかなって」
そう聞くと、村崎はますます顔を顰めた。
「……そんなに怒らせたいの?」
「い、いや。そういうわけじゃ……」
……まいったな。
喋れば喋るほど彼女を苛立たせてしまう気がする。
「……七っちはさもしかしたら、自分が“天地”の作者だってバレたら、ガッカリされると思ってるんじゃない?」
……思っているも何も、事実としてそうだろう。
一体誰が読みたいと思うんだ。僕なんかの作品を。
「ウチはさ、“そうなんじゃないかな”って思った時からさ」
僕を抱きしめる村崎の力が強くなる。
「もっと、もっと“天地”のことが好きになっちゃったよ?」
抱きしめる村崎の腕から、充分なほどにその感情が伝わってくる。
彼女が本当に僕の作品を好いていてくれてるのだとわかる。
……。
「ごめん」
僕は、彼女の腕を振り解いた。
「えっ……?」
後ろで、呆気に取られたような声が聞こえた。
「……やっぱり、村崎には応えられない」
◆
「おっ、おかえりー」
ドアを開け、リビングに戻ってくると天華寺がバリバリとお菓子を食っていた。
……彼女のこういうところは見習うべきかもしれないな。
「あと一応言っとく。おめでと」
「えっ?」
「いや“えっ?”じゃなくて。彩芽に告られたんでしょ?」
僕は目を見開いた。
「……知ってたの?」
「いやまぁなんとなく? そうなんじゃないかなーって」
「あら、やっぱりそうだったんだ」
「私でもわかるくらいだったし」
……そうか。天華寺でもわかるくらいか。
相当だな、それは。
「それくらい、僕のことを……」
後ろを振り向き、村崎の部屋のドアを見返す。
「いきなり惚気るのやめてくれる? まぁ付き合いたてならそうなるのもわかるけど……」
「付き合ってないよ」
「……は?」
僕が後ろを向いたままそう言った。
それに天華寺が素っ頓狂な声で返す。
「……告られたんじゃないの?」
「……ううん、好きって言われたよ、確かに」
「じゃあ、なんで……」
と、そこまで言って……天華寺が目を見開いた。
「……そう」
見開かれた天華寺の目は、徐々に細められ、色を失い。
「そっか」
そして最後には、伏せられてしまった。
「……」
「……お茶、注いでくるわね」
天華寺が顔を伏せ、香織さんは……少し、寂しそうな顔をして。ダイニングへと入っていった。
「……」
僕はその場に立っているのもどうかと思い、天華寺の隣に座る。
「……あのさ」
天華寺は、顔を手で覆い隠して、疲れたような声で言った。
「空気、読んでほしいんだけど」
それは初めて聞く。
天華寺の氷点下の温度しかない声だった。
「別にさ、彩芽のこと好きじゃなくていいよ。付き合わないってのも、自由だし。いいと思う。けどさ……」
天華寺が顔を上げた。
「なんでわざわざ、これ以上彩芽を傷つけるの?」
その目には確かな憎悪が籠っていた。
……学校で詰められた時のような勘違いから来るものではない。本当に彼女は怒っている。
そして、その怒りは全くもって正当なものだ。
「……昔さ」
天華寺の怒りは否定しない。間違っているのは全て僕だ。
だからこれは、ただの言い訳だ。
僕は自己保身のために必要なことを言うのだ。
「僕の小説を読んでくれた子がいたんだ」
脳裏に思い浮かぶ、ボーイッシュなその少女。
最初は彼女のことを、男だとばかり思っていたっけ。
「“文章が下手”、“感情移入できない”、“もっとキャラに奥深さを出せ”って、散々ダメ出しされてさ」
「……」
「その子、文芸コンクールで最優秀賞をいくつも取ってたような子だったんだ」
彼女のような人を、きっと天才と言うのだろう。
ただの文字がまるで感情を持って踊り出し、読んでいるだけで途方もない“熱量”を感じさせる。そんな体験は、彼女の作品以外では味わったことはなかった。
「だけど結局、僕は彼女の名前も知ることはできなかった」
それは言ってしまえば、ある種の呪いなのだと思う。
「彼女の最期の言葉は、今でも覚えてるんだ」
これは僕を……10年ほど、縛り付けている呪いだ。
「“あなたの書いた作品がテレビに映ったら、結婚してあげる”って」
そう言って、彼女はいつものように夕暮れ時に帰っていく。
それ以降彼女と会うことはなかった。
風の噂で聞いた。隣町で難病を患っていた少女が、しばらくの間実家に帰省していたことを。
その少女は、最後に会ったあの日に容体が急変したらしいことも。
彼女は最期に“やくそく”という言葉を意識も混濁している中で発していたことを。
「僕の作品は、アニメになったんだ」
僕の書いた作品は、テレビに映せるようになった。
「席は空けておきたいんだ」
誰も座ることはない席だとしても。
僕はそこを空白にしておきたかった。
……ただそういう理由があるだけの、くだらない言い訳だ。