「……」
僕は村崎の家を出て、帰路についた。
……これで良かったはずだ。
天華寺は“家の方向、違うから”と言って、先に帰ってしまった。
ちなみにその方向は僕の家の方向とおんなじだ。
『……すみませんでした、色々と』
『ううん、いいの。気にしないで』
香織さんは最後まで、僕を責めるようなことは言わなかった。
僕は深く頭を下げ、申し訳なさと情けなさから彼女の顔を見ることができなかった。
……僕が謝るようなことはもしかしたら、何一つないのかもしれない。
だって、僕と村崎はなんでもない関係なのだ。これが婚約していたのにそれを一方的に破棄した、とかなら責められるのもわかるが。
僕が村崎の気持ちを受け入れなきゃいけないような義務は一つもなかったはずだ。
そもそも、村崎が僕に抱いている好意が本物かどうかなんて……。
「……」
……結局のところ、全てが僕の弱さのせいだ。
正直に言おう。僕は村崎との関係が進むのが怖いのだ。
僕は作者で、村崎は読者。その関係性が心地いいしそれでいいと僕は思っている。極論、僕は彼女と友人関係でありたいとすら思っていない。
友人というのは、きっと一般的には頼もしい存在なのだろうが……僕にとっては気が重い存在だ。
例えばSNSでメッセージを送ってきたら返信しないといけないし、話しかけられたら最低限言葉を返さないといけない。
義務が発生する対人関係ほど面倒なものはない。
お互い、何の気兼ねもなく、既読スルーをしようが無視をしようが軽口を言い合おうが気軽な関係でありたい。
そして多分、僕と村崎はそうはなれない。
例え恋愛関係になっても、破局の未来しか見えないのだ。
だから距離を取っただけ。
これで良かったんだ。
僕は自分にそう言い訳して。
一人、家への帰路を歩いていった。
◆
『──さぁ、ということで本日のゲストは! 今、話題沸騰中の人気アニメでヒロイン役を務めていらっしゃいます人気声優! 笹倉絢音さんでーす!』
『よろしくお願いしま〜す』
『うわ〜、やっぱ生で見ると一段とかわえぇなあ〜。ごめんな? こんなおじさんばっかの番組に呼んじゃって〜』
『おめぇもだろうが!!』
──会場の笑い声。
『──笹倉ちゃん、今高校生なんでしょ? 大変じゃない? 学生と勉強と声優と、全部両立じゃん!』
『はい。最初は大変だったんですけど、でも、もう慣れちゃったので』
『うわ〜! すごいしっかりしてるなぁ!! そんだけ出来るとさ、やっぱ結構モテるんじゃない〜?』
『あ、私、好きな人いるので』
『えっ!?』
──会場のどよめき。
『本当に!? 初めて聞いたよ! えっ、誰? 学校の子? えっ、ちょっと俺にだけ教えてくれない?』
『おいふざけんな!』
『ふふ、学校の人じゃなくて。お仕事で関わり持った人で、気になる人がいるっていうか……』
『えっ! じゃもしかして、アニメの主役やってる声優の……?』
『あっ、声優さんじゃないんですよ』
『ん? じゃあ収録現場のスタッフさんとか……?』
『そうでもなくて……』
──笹倉絢音の顔が大きく映し出される。
『このアニメの小説版の原作者さん……“東風面太先生”っていう方がいるんですけど』
『え……?』
『その方です』
……
………。
「ただいまー」
自宅に帰ると、いつもの通り誰の声も返ってこない静寂だけがそこにあった。
「……うん?」
ふとスマホを見ると、なぜか大量の通知が届いている。
それらは全て、僕の作家アカウントに寄せられたものであるらしい。
はて、今日はアニメの放映日でもなければ原作の更新もしてないが……。
「ま、いっか」
僕はそうした諸々の心配を後に回せばいいと、家に上がる。
「……」
1LDKのアパートの一室。
ほとんど物などはなく、殺風景なこの部屋が僕の帰るべき場所だ。
あるものと言えば少々の本と、教材と、わずかばかりの“天地”のグッズ商品くらいである。
一見、どこにでもいる無趣味な人間のどこにでもあるようなスカスカの家。という印象を受けるこの部屋。
そして実際、この部屋にあるものはそれ以上でも以下でもない。
僕はいつものようにゲーミングチェアに腰掛け、天井を見上げた。
そのまま、しばし数秒。
「よし」
立ち上がり、僕は再び玄関口へと向かった。
扉を開け、家を出て、鍵を閉める。
外に出ると、沈みかけた太陽が空を薄暗く照らしていた。
カツ、カツ、カツ……と道を歩く。
「お兄ちゃん、アイス買って〜」
「もう、沙優! あんまり俳人のこと困らせないの!」
「うーん、俳人は沙優に甘いからなぁ」
「あんたもでしょ!」
いつの間にか、足音が増えていく。
この道を通る時はいつもそうだった。
僕以外の足音も引き連れて、歩道を歩いていく。
──。
不意に、真横を車が通り過ぎて。
目の前には、歩道の隅に備えられた花束があった。
……僕はそこにしゃがみ込む。
「母さん、恋愛って、やっぱり難しいね」
コンビニで買えるレモンサワー。
「父さんでも出来たんだから、僕にも出来ると思ったんだけど」
ちょっとお高い日本酒をカップに。
「沙優は、もう彼氏出来たかな」
あの子はミルクティーが好きだった。
……やはり、好きなものを貰えるのが誰だって嬉しいだろう。
「この花が枯れたら、もう持ってくるのやめようかと思うんだ。邪魔になっちゃうし」
それに……。
「僕も、ここを通るたびに思い出したくはないかな」
……ずいぶん昔のことだ。
今となってはもう、僕は最初から一人で暮らしていたような気さえしてくるくらい昔のこと。
僕には家族がいた。
世間一般から見れば、その家族は不幸な結末を辿ったとして一時期テレビで取り沙汰され、取り残された長男は悲劇の子として紹介された。
だけど、あれは悲劇なんかじゃなかった。
あれは殺人事件だった。
世間じゃ被害者とされていた長男による、一家殺害事件だったのだ。
そして彼は今ものうのうと生きている。どういうわけか、ラノベ作家をやっているらしい。
おかしな話だ。
人を死に追いやり、不幸を作った彼が、まるで当たり前のようにこの世で生き続けている。
その上、どういう風の吹き回しか自分を愛してくれる相手を見つけて、人並みの幸せを手に入れようとしているのだ。
そんな機会などないことは、彼女が死んだ時に理解できただろう。
他人と関わるのは怖いんだろう。期待されたり、その期待を裏切ることはもう飽きたんだろう。
ならばそれ相応の格好をしているべきだ。
作家という道を選んだのは、誰にも自分の中の世界を開けずただ浸ることが許されていたからだ。きっとそんな日々を過ごすことを僕は望んでいた。
そうしてその通りになったのだから、もうこれ以上を追い求めるべきじゃない。
今更ブレるな。お前はもうすでにその道を進んだのだから、あとはもう突き進むしか道はない。
「……振り返るな」
強く、自分自身に念じるようにそう言う。
振り返ったところで何も戻ってはこない。そこにあるのはただ広がる虚無だけだ。
誰とも関わることのない道は、誰にも干渉されることがない道でもある。干渉されないと言うことは、守られているということでもあるのだ。
この守りの中から出ることはしない。守りの中から身を乗り出せば、僕は一瞬のうちに周囲からあらゆる方法で傷つけられることになる。
全て忘れて、安寧の時の中で過ごせ。それだけが唯一の救いの道だ。
「……はぁ」
……最近は考え事が多いなぁ。
こういう時は際限なく気分が沈んでいってしまう。
なにか……なにか、気分転換になるような物があれば……。
「……うん?」
「えっ」
立ち上がると、不意に影がさした。
「……何してんの?」
立っていたのは、目立つトゲトゲのパンク少女。
黒瀬奏石だった。