この世界では、ダンジョンというものは立派な外観をしているものでは無い。入り口にあたる場所に、不気味な裂け目が開いているのだ。かつては、そこに飛び込むと場所に応じたダンジョンへ飛ばされる仕組みだった。
裂け目といっても、ダンジョンじたいは洞窟だったり廃洋館だったりとお馴染みのものだったので、VRなら普通に入り口がある可能性もあるんだけど。
「あれ…ですか?ダンジョンって…」
「あ、そうそう。ばっちり裂け目だね、変わって無いや」
城下町を出てほど近く。折角だからと買い込んだクロワッサンをぱくつく私達の目には、紫色に淡く光る裂け目が映っている。
…その前には、見覚えのある姿を含めた数人の人影。
さっき街で見かけたやつだ。金の髪を揺らして、周りにいる奴らと何事か口論している。格好からして、他は全員初心者だろう。
近づく私達にいち早く気づいた男が、ちらりと此方を見た。ツユリを一瞥し、私のまじまじ見てくる。そして、何故か手にした短杖をこちらに向けてきた。
「…何か、ご用ですか?」
冷ややかな声だ。まるで威圧しようとしている様な、温度の低い声色。
びくっと身をすくませるツユリを一歩下がらせ、なるべく丁寧を心がけて口を開いた。
「いや、そっちに用は無いんだ。そこのダンジョンに用があってさ、入るか退くかしてくれたら嬉しいんだけど」
その言葉に、一緒にいた奴らの1人が露骨に嫌そうな顔をした。ダンジョンには複数パーティーで同時に入れるし、此処でわざわざ留まっている理由は無いはずだ。順番待ちだ、とかふざけた事を言われたら優しく斬ってやろうと自然な動作で刀に手を置く。
そのまま何か言おうと口を開きかけたところで、男が手で遮った。そのまま、傍に退く様に指示をする。
「ええ、構いませんよ。このダンジョンの引率を任せる者がまだ来ていないので、待っていたんです。揃い次第入らせますから、お先に」
「ならあんたが引率してやれば良いのに…。ここ、難易度も高くない筈だしあんたなら余裕じゃない?強そうだよ」
にこやかに笑いかける顔も、どこか冷たい。だが、私の言葉に困った様子を浮かべた時は、ふと緩んだ気がした。
「私もそうしたいんですが…やる事があって。先輩として色々教えるのはプレイヤーの基本ですからね。貴女もそうでしょう?」
「その出で立ち…此処で見るのは初めてですが、見た事ありますよ。私も装備は弄っていませんから見た目は変わってないのですが…見た事、ありません?」
覚えてない。少なくとも、こんな馴れ馴れしく話してくる奴は私の交友網から即ハジキだ。小さくかぶりを振って、ツユリの手を引いて横を通り過ぎた。
「ごめん、覚えてないや。また会ったら教えてよ」
返事は聞く必要もないだろう。相手の言葉を待たずに、口を開けた裂け目に足を踏み入れた。
▼▼▼
2人、ダンジョンへ脚を踏み入れていく。その1人、銀髪の女の言葉は繰り返し反響している。
覚えていない。なら、それでいい。私の居所を探られたわけではなかった、私を斬りに来たわけではなかった。
謝罪するべきだと思った。けれどそれを考慮する様な性格で無い事は、知っているつもりだ。
画面越しでない姿は初めて見るが、あれはやはり。
「キク…恐ろしい、強い女だ」
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ぐわんぐわん、と身体を揺さぶられている様な感覚だった。
ものを食べてすぐにダンジョンに入るべきでは無い、肝に命じよう。クロワッサン自体は、完全再現といっていい美味しさで今日イチの良いことになりそうだ。
隣で目を回しているツユリをゆすりつつ、辺りを見回す。ここは元々、町の近くにある洞窟だ。内部はあまり広くない、初心者の大半が最初に訪れるダンジョンだったはず。
「ほら、いつまでも目回して無いで。短いとこだから、さっと済ませよう」
「は、はい…でも此処、何か良いものとかあるんですか…?」
きょろきょろと辺りを見回しながら、そう尋ねてくる。確かにここまでの道すがら、戦闘は特にしなかった。ツユリの初戦闘は此処になるのだが、その理由は。
「あー…さぁ…?」
「えっ」
「だって私、ここに来るの初めてだし…」
単純に、道中の敵を相手するのがめんどくさかっただけだ。ワンクリックで済むものが此処では実際に刀を抜き、振らなければならないのだ。ゲームとしての醍醐味はそこだが、多少なり効率を重視した結果と思って欲しい。
「でも昔やってたんですよね⁉︎」
「やってたよ。けどほら、私って来てすぐ前のクランに入って行動してたからさ…もっと効率の良い狩場を教わってた、っていうか」
じゃあそこに連れていけ、と言いたげな視線を受けて目を逸らす。
そう言うところはパーティー前提、今のVRゲームじゃ私はともかくツユリはあっという間に街に逆戻りだ。
実際に身体を動かす都合上、ゆっくり慣らしていかないといけない───といった話をして納得させながら、ゆっくり散策をしていく。
すると、前方から小さな音がした。
何か蹴り転がしているかのような音。実際に来たことはなくてもデータはある、ここの敵の事は分かっている。
だから、私は一歩前に出た。
「キクさん?」
「私が指示するまで防御だけしてて。ちょっと気になる事がある」
前方の暗がりから、こつんと小石が転がってきた。初期装備のなまくら刀を抜いて、構える。
やがて現れたのは、石の塊…とでも言うべきモノだった。
私の腰くらいまでの小ささ。大きめの石から手足じみた小さな石が伸びているだけの簡素なエネミー。
ダンジョンが天然のもの、つまり洞窟や鉱山なんかではこうしたゴーレム系の敵が多く出てくる。岩の見た目から分かるように、私の刀の様な物理への耐性が高く魔法が効く。
耐性があるとは言っても、pc時代はだいたい一撃だった。だが実際に、刀で切りつけてどうなるかは未知数だ。レベル差で倒すのは容易なのか、バランスが変わって本物の岩よろしく刃を通さなくなったのか。
ひとつ踏み込み、しっかり握って振り下ろす。私の刀ははたして、岩の身体をすぱんと一太刀で両断した。
いや、その表現は誤りだ。
刃を通した瞬間、凄まじく不快な音が響き渡った。黒板を爪で引っ掻く様な不協和音。顔を顰めながら、半ば押し切る様に振り抜いたのだ。
痺れに似た感覚が、じんと腕に残っている。一撃で倒せる事は倒せるが、やはり斬撃は効きが悪いというより不快だ。精神的に参ることこの上ない。
「ツユリ。こいつら動きは遅いから、しっかり攻撃止めて叩いて!」
「は、はい!キクさんは、刀…」
「あんま斬りたくないね。攻撃だけ引きつけて、そっちが空いたらターゲットうつすよ」
パーティを組んだ場合、トドメを刺したメンバーは経験値が多く入る。多少時間はかかるが、戦闘経験を積む意味でも丁度いい。
ここは刀を納めて、躱す事に注力するとしよう。
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「これでー、終わりっと」
ぱかん、と鞘で叩いた岩が砕け散った。気づけば私も戦闘に参加してしまっていたが、大多数はツユリが倒したからいいだろう。
レベルも幾らか上がったようだ。
「いいね。私VRは初めてだけど、私より動きに慣れるの早い気がするよ。逃げてきたってわりには、怖がってる感じもしないし」
「身体を動かすのは、元々得意なので…。それに、この敵は狼とか、他の人に比べて怖く無いから…なんとか」
確かにこいつら、硬いだけで見た目はつるつるの石の塊だからか。でも顔も何もない敵の方が怖くないか?私は怖い。顔のついている敵は顔を叩けばいいが、ついてないのは対処に困る。
さておき、思った以上にスムーズに戦闘が終わった。ダンジョンの詳しい広さは覚えてないが、このペースならそう時間もかからないだろう。
「じゃ、このペースで進んでこうか!」
こくりと頷きながら、じっとこちらを見つめている。私を…では無いな。私が取り出したパンをか。
「たべる?」
「いえ…でも、食べ過ぎじゃ…」
美味しいから、仕方ない。食べられるなら食べた方が得なのなんて、分かりきった事だろうに。
右手に刀、左手にパン。
もくもくと食べすすめながら、ダンジョンを進んでいった。
〈tip・character〉
・ツユリ。
初プレイの初心者プレイヤー。キクとパーティを組み、ある程度までのレクチャーを申し込む。
現時点でのレベルは3。装備は片手のハンマーと大型シールド。