雨が多い六月に入り、湿気で不快な日が続くこの頃、ジャンは湿気とは別の理由でイライラしていた。
「誰だ?」
ジャンは六月に入った頃から授業中に妙な視線を感じていた。敵意と言うわけではないのだが、嘗め回すような目つきに生理的な悪寒を感じるほどである。
ついに我慢が出来なくなったジャンは、五番町飯店の仕事あがりに小此木に相談した。
「小此木……ちょっと相談したいことがあるんだが」
「どうしたの、ジャンが相談だなんて」
「それがな……ここ最近、ガッコ―の授業中に妙な視線を感じるんだ。お前は何か知らないか?」
「視線?」
小此木は相談されても解らないと言ったふうに小首を傾げる。
「もしかして、ジャンの事が好きな女子がいるとか?」
「そりゃあねえだろ。お前と違って俺はプレイボーイじゃないぜ」
「それってもしかして北条さんの……」
「先月のデート以来、お前ら目に見えてアツアツじゃねえか。結構噂になってるぜ」
「本当? ちょっとまいっちゃうな」
小此木は自分が噂される以上に、美代子が噂されたら困るだろうなと感じていた。小此木個人のつもりで言えば仲のいい女友達ではあっても、相手が男女の間柄だと思われることを好ましく思っていないと考えていた。
「いいじゃねえか減るもんじゃねえし」
「僕としては構わないけど、北条さんの方が……」
とりあえずこの話は一旦切り上げて、この日は家路についた。銀座五番町飯店から安アパートへの帰り道、後ろを付ける黒い影が忍び寄ることにも気付かずに。
――――
このころになると、ジャンは一年生の中でも目立つ存在の一人になり始めていた。十傑候補ジュリオ・ロッシ早乙女や崩の継承者大文字崩一に対する勝利、さらには第一回中華料理人選手権での準優勝など着々と勝ち星を挙げているからだ。
元薙切えりな派閥の水戸郁美への勝利やから揚げチェーンもず屋を出し抜く新商品の手腕でそこそこ名が通り始めていたソーマ、ひそかにファンが多い北条美代子のお気に入りとして違う方面の手腕が目立つ小此木と、転入生三人は頭角を現し始めていた。その中でもジャンの成績は頭一つ抜けていた。
そして大文字崩一との食戟で披露した祖父階一郎形見の包丁の存在に惹かれる一人の男がいた。
「なあ、アンタ小此木タカオだろ」
「そうだけど、キミは?」
「美作昴っていうんだ。よろしくな」
ある日小此木に、同じ学年の一人の男が声をかけた。名を美作昴と言い、一部では悪評が通った生徒なのだが小此木はそれを知らない。
「後学のために五番町飯店や秋山の事を教えてくれないか? 代わりに俺もお前にいろいろ教えてやるよ。秋山は中華の人間だから、洋食屋や和食で困ることもあるだろうし」
「ジャンの? でもちょうどいまシャペル先生の課題で悩んでいたところだし、それくらいお安い御用だよ」
「よし契約成立だ。よろしくな、小此木」
小此木は下手に接してきた昴を信用し、シャペルの課題を手伝ってもらう代わりに小此木が知る五番町飯店やジャンのことを教える。無論汚点は教えないが、これまでジャンが作って来た数々の必殺料理についてはあらかた昴に語った。
夕刻まで根掘り葉掘り聞かれて小此木は昴と別れ、いつものように店に出勤した。
「これで必要なピースはそろった。後はトレースするだけだ……フフォフォフォ」
自宅に戻った昴は中華の食材を机の上に並べ、一人我慢しているかのような笑いの呼吸をした。
――――
小此木との邂逅から一週間後、ついに昴は動いた。
「秋山醤、おれと包丁を賭けて勝負しようぜ」
「誰だ? テメー」
「美作くんじゃないか。この間は課題を手伝ってくれてありがとうね」
「それくらい朝飯前だ。それよりも秋山、俺と勝負しようぜ」
「料理は勝負だ。だから勝負は構わねえが、包丁って何の話だよ」
「聞いたぜ。お前が使っている包丁は、覇王秋山階一郎の遺品なんだってな。俺はそういうのに目が無くて、力づくでも奪いたくなるんだよ」
「奪うだあ? まるでもう俺に勝ったつもりじゃねえか。いいぜ、包丁でもなんでも賭けてやるから、俺と勝負しようじゃねえか」
「交渉成立だ。実はもう準備は万全だ。ついてこい」
まんまとジャンを挑発して勝負に持ち込んだ昴は、こみあげる笑みを必死にこらえながらジャンを第三調理場に案内した。いつぞやのロッシと戦った場所と同じ舞台にジャンは再びたった。
「確認するぜ。課題料理は炒飯、賭けの対象は互いの包丁。お前は覇王の包丁、俺はコレクションの中から秋山が気に入った包丁を一つ差し出す。それでいいよな?」
「構わねえぜ」
両者の合意の元、炒飯対決の火ぶたが切られた。だが開始早々、二人は食材を眺めて一歩も動かない。
「秋山は出す料理を決めかねているのか?」
審査委員席から二人の動きを観察するシャペルはそうつぶやく。二人とも空鍋に火をともして鍋肌を温める以外に何もしないのだからさもありなん。十分ほど経過して鍋肌がチンチンに熱くなったところで昴が先に仕掛ける。
「カーカカカ!」
昴はジャンのお株を奪う高笑いの後に乾貨で濃厚な海鮮出汁を取り始める。充分煮出されたスープが完成すると、そこに一口大にダイスカットした豆腐を入れて一煮立ちさせて味を含ませる。その調理手順はジャンにとって見慣れたものであるのだから、流石にジャンも反応する。
「それってもしかして、豆腐の炒飯を作るつもりか?」
「とぼけるなよ。お前は俺の事を知らないだろうが、俺はお前の事をよく知っている。だからこれがどんな料理なのか、お前は知っているはずだよなあ」
「チッ! 誰に聞いたかは知らねえが、そんな古い料理で勝てるとは思うなよ」
「料理は模倣だ! だがそのままコピーするような俺じゃないぜ!」
昴が作ろうとしている豆腐の炒飯は、ジャンが五番町飯店に来て初めて作った料理である。無論昴もそのまま出すわけではなく一工夫を加えることが前提であり、豆腐をごま油で揚げて厚揚げに似た表面にしつつ、再度海鮮出汁で煮ることで味を濃く含ませる手順を組んでいた。これは昴が導き出した、秋山醤が考える理想の豆腐炒飯を組み倒すためのレシピである。
「テメーの手は見せてもらった。だがなあ、そんなチャチな工夫じゃ秋山の魔法には勝てねえぜ」
「ぬかぜ! 秋山の魔法なら俺も使っている」
「なにい?」
昴の挑発に、流石のジャンも驚く。昴は豆腐の準備中に用意した別の鍋二つを充分に熱すると、待ってましたとばかりに二つの鍋を構える。
「うおおおお! カーカカカ!」
昴はジャンの口調をまねながら、香港映画さながらのアグレッシブな動きでメシ、豆腐、薬味を二つの鍋でお手玉する。これはジャンが豆腐の炒飯を作るときに行う、豆腐を崩さずに炒飯に仕立て上げるために使っていた二刀流の業である。
「でかい口を叩くだけはあるみたいだな。だがそれで俺に勝ったつもりかよ」
ジャンは本家本元の力を鼓舞するように昴と同様に二つの鍋でお手玉する。皆が昴の奇行に注目した隙を突き、昴と同様の豆腐炒飯を作っていたのだ。だが二人の料理には決定的ともいえるほどの差が存在した。
「あれでは煮込む時間が少なくないか?」
シャペルは思わず口を出してしまった。昴とジャンを比較した場合、先に調理を開始した昴が調理時間におけるアドバンテージを持っているにも関わらず、すぐに調理手順が追い付いているからだ。昴が煮る工程に時間を余計にかけた可能性も無きにしも非ずとはいえ、ジャンが昴よりも豆腐に味を含ませていないことは明白である。
「「豆腐と貝柱の炒飯、完成だ!」」
ジャンと昴はほぼ同時に料理を完成させた。
「俺の炒飯は冷めても美味い。だから先行は秋山に譲るぜ」
「ぬかせ。だがまあ、くれるというのなら遠慮なくいかせてもらうぜ」
昴の提案で試食の順番はジャンが先になる。昴がジャンを先にしたのには一つの目算があった。
「(秋山の炒飯はあっさり風味だ。先行を譲れば遠慮なく先に行くとは読んでいたぜ。だが……俺の濃い口はその程度で評価が覆る一味じゃねえぜ)」
ジャンが薄味の繊細さを肝とする炒飯を作ったところで、そのカウンターとも言うべき濃い味で上書きして叩き潰す。それが昴の作戦だった。ジャンを挑発し、ジャンがかつて作った豆腐炒飯を模倣と銘打って作れば同じ料理で挑んでくるところまで予測済である。
昴はジャンが自分の掌に上で踊っているかのような錯覚を覚えてにんまりと笑みを浮かべる。
「豆腐とホタテ貝柱のハーモニー……いつもながら見事な料理だ、ムッシュ秋山」
「そういうセンセーも相変わらず口が美味いぜ」
審査員たちは先にジャンの料理を堪能し、満足げな表情を浮かべる。その様子に当然だろうという顔をしたジャンを横目に昴はこれから起こるであろう状況に胸をワクワクさせる。
「秋山の試食は終わったぜ。次は俺の番だ」
審査員たちは昴に言われるがまま、昴の豆腐炒飯を口に運ぶ。
「これは……濃い!」
「秋山の料理と比べるとむせかえるようなホタテのうまあじ!」
「それを受け止める厚揚げ豆腐のこってりとしたアクセント」
「ムッシュ秋山をケンポーメートルに例えるなら、こちらはボクシングのヘビー級さながらだナ!」
審査員たちは一様に昴の作ったこってりした味わいに舌鼓をうつ。その高評価に昴は絶頂を迎える。あまりの興奮におかしな笑い声をあげる昴に、ジャンは苦言を呈する。
「あひゃひゃひゃ!」
「もう勝ったつもりかよ」
「悪あがきはみっともないぜ。口ではそう言っても、内心気付いているんだろう? 俺の……」
「まあ黙ってみていろ。このソーロー猿真似野郎」
ジャンのあまりに余裕たっぷりな態度に、昴は思わず冷や汗をかく。何を言っているんだこの男はという未知への恐怖心なのかと疑心暗鬼になりつつも、それをテンションで覆い隠す。
そしてシャペルの一筆で勝利者の名前が色紙に書かれ、それが公表された。
「満場一致……勝者、秋山醤!」
「な……なんだとぉ」
ジャンは勝利宣言にもさも当然と言った態度なのだが、逆に先ほどまで勝利を確信していた昴は腰が抜ける。あれだけ俺の思い通りに事が運んでいたはずなのにと言う気持ちが現実の直視を拒むからだ。
「秋山の薄味に対して俺のむせかえるほどの濃い味……どっちが上かは明白だろう? まさか全員が薄味党なんてオチはねえよな」
「そんな個人的趣向で決められる勝敗ではないぞムッシュ美作。認められないのなら、キミもムッシュ秋山の魔法を堪能するといい」
「魔法……」
昴はシャペルに言われるがままジャンの炒飯を食べた。口の中に広がる淡い味わい。だがそれはただ単に淡いだけではなかった。
「なんだ……何なんだこの炒飯は。薄味のようで濃厚な味わい……豆腐がまるでホタテの貝柱のようにむっちりフレッシュな風味を醸し出している。これと比べたら俺の炒飯は味が濃いだけの野暮だぜ」
「間抜けなお前にもわかるように解説してやるよ。今回俺が作った炒飯には一口大の豆腐の中に、同じ形に整えた生のホタテも混ぜてあったんだ。あっさりした淡い味わいとホタテの強調を両立させるのなら、ホタテそのものをぶち込んだほうが手っ取り早いのは当然だろう?」
「いつの間に」
「テメーが厚揚げ豆腐をホタテ貝柱で煮込んで鼻を伸ばしている隙にやらせてもらったぜ。速さは美味さってのは中華の鉄則、それくらい手早くやらないとうまくねえんだぜ」
「なん……だと? だが俺が予測した秋山醤という男がそんな小手先の技で挑むとは……技術にはとことん技術で挑む性分ではなかったのかお前は。少なくとも俺が付け狙った三週間ではそんなそぶりは一度も……」
「ほう……最近妙な目線を送っていたのはお前だったか」
「そうだ! だから―――」
「だから俺がガチンコから逃げてホタテ炒飯って変化を選択したことが不服か?
逆だぜ。先にテメーが手の内をさらけ出したから、まったく同じ料理で返すなんてつまらない真似をしなかったんだよ。
でも不服と言うのなら今から同じ料理を作ってやるよ。下ごしらえまでお前がやった状態からの続きでな」
予想が外れてうろたえる昴にジャンは言い寄る。まるで予想外の行動をしたから負けたと言いたそうな昴に、ジャンはならば力でも勝てると証明しようというのだ。
本来ならパーフェクトトレーサーの異名通りにジャンの思考をトレースしきれなかった時点で昴は敗北しているのだが、ジャンの煽り技術の前に昴は飲まれ、そのことにすら気が付いていない。
ジャンは昴が用意したホタテ出汁のしみ込んだ厚揚げ豆腐とメシ、薬味を並べると、先ほど同様に鍋を熱してジャッグルは始めた。
燃え盛る業火で手早く火を通したジャンは、ものの一分で炒飯を完成させる。
「さあ、食ってみろよ」
昴はジャンに言われるがまま豆腐炒飯を頬張る。
「ふ……ふまい」
昴はその味に思わず鼻水を垂らしてしまった。中華一番な顔芸は昴の心がぽっきりと折れたことを象徴していた。
「俺の炒飯とは全然違う。確かに同じ味わいだが、秋山の方が食べやすい。これと比べたら俺のはしつこいだけだ。同じ手順で作っていて、何故こうも違うんだ」
「仕上げの酒と醤油の使い方が違うんだ。調味料のさじ加減ひとつでここまで味わいは変わるんだぜ」
「負けた……もう俺も潮時かもしれん。俺はこの学園からずらかる。だから好きな包丁とは言わず、全部くれてやっても構わねえぜ」
心が折れた昴は敗北を認めた。今回の食戟は全校放送のためいままで包丁狩りをしてきた多くの敗北者も見ていることだろうと思うと、昴は彼らに敗者としての無様な姿を見せたことで、今後碌なことにはならないと思っていた。
だがジャンはそんな昴に手を差し出す。
「ストーカー行為は迷惑だが……それ以外は気に入ったぜ、お前。それだけ猿真似できるんだから技術も申し分ないし、何よりこの間は小此木が世話になったからな。今後も仲良くしようじゃねえか」
「秋山、お前は情けまでかけるのか? 料理は勝負、だから敗者は―――」
「確かに料理は勝負だ。だからこそ一度負けたくらいで尻尾を巻いて逃げ出すような腰抜けは料理人としての資格もないぜ。それはテメーに負けて包丁を取られたヤツら全員にも言えることだがな。
テメーも今まで自分が負かして来た腰抜けの同類と言うのなら、そんな奴から包丁を貰ったところで自慢にもなりゃしねえよ。好きなところに行っちまいな」
「俺は……料理を続けてもいいのか?」
「あたりまえじゃないか。僕たちまだまだひよっこなんだよ。ジャンみたいに強くなるために失敗の一つや二つ、当然じゃないか」
「まあ小此木は一つ二つじゃ足りないけどな」
「いったなあ」
小此木の説得もあり、昴はこのまま学園に残ることにした。こうして生粋の遠月学園生としては初めての男友達がジャンたち編入生組の輪に加わった。
ソーマ本編ガン無視でIKEMENを友達にする話
ちょっと展開が強引かもしれませんけど、ジャンのワザマエには自慢のコピーでも後手になるということで
E&Eなネタを思いついたら一本な不定期更新