幻想乙女と遇の少年 作:クロンデジゾイド
(強い……!)
迫りくる自身と同程度の半透明の拳の雨を躱しながら、射命丸文は内心で呻く。
機敏な、しかし確実に追い詰められる烏天狗を見下ろして、大天狗は左手で顎を撫でた。
「っくっく、ほれ足掻け足掻け。儂を愉しませろ」
性格の悪い事だ。
この状況は、大天狗の能力が大いに関係していた。
見下す程度の能力。物理的な高低差が、そのまま実力差へと直結するという能力だ。
大天狗が階段一段分でも上に居れば、それより下の者達との戦力差は数倍にも及ぶ。翼があり、空を縄張りとする天狗という種族にとって屋外戦闘になった際の無類の強さ。
文が追い込まれているのも、この能力のせいだ。
ただでさえ、大天狗は加速度的に力を取り戻している。それに加えて、能力による高所を得たことによって加算されたバフ。
唯一勝る速度の観点は、まだまだ追い付かれる事は無いがその他の面が不味い。
(力、妖気、神通力、風、耐久性。いずれをとっても、大妖怪クラスの中でも上澄み!嫌な方々を思い出しますねぇ……!)
掠めるだけでも全身を持っていかれそうな神通力を固めた拳の雨を躱しながら、文の脳裏を過ったのはかつてこの妖怪の山を根城としていた者たち。
只管、暴力に優れた者達だった。その剛力と耐久力は妖怪の中でも随一。
暴力的な妖気に充てられたからか、文の動きが精彩を欠いた。
「――――隙だらけだなァ?」
「ッ!?しまっ――――」
いつの間にか眼前に迫っていた大天狗。
荒鷲の羽団扇を振り上げ、振り下ろせば見えない円柱のような衝撃が、真上から文を襲った。
「がっ……ぐぅぅぅ…………!?」
抗えない。咄嗟に反転して両腕を体の前で交差して円柱を受けるようにして、どうにか直撃を阻んだだけでその隕石のような落下スピードは一瞬たりとも緩まない。
勢いそのままに、伸び続けた円柱は文諸共山の一角に激突。衝撃と土煙を巻き起こす。
濛々と立ち込める土煙。大天狗が左手を軽く払えば、巻き起こった旋風が瞬く間に煙を吹き飛ばして刻まれた破壊痕を露出させた。
「ぐっ……」
円形に抉れた地面の中央で、文は大の字になりながら空に居る大天狗を睨みつける。
慢心があった事は否定しない。それでも勝てると踏んだのだから。
だが、大天狗の力の伸び幅は文の予想を大きく超えてきた。特に能力仕様の際のバフは凄まじい伸び率があった。
(骨が……何本か逝きましたか………厄介ですね、あの能力。上から下へと撃ち落とされれば、その落下距離の分威力が鼠算式に増えている……)
せり上がってくる鉄臭い塊を飲み下して、文は冷静に今の戦力差を考えていた。
見下す程度の能力は、彼女の想定以上に厄介だったのだ。
上から下への攻撃が強すぎる。そして反撃として、下から上へと攻撃すればその威力は距離があればあるほどに減衰してしまう。
つまり、常に大天狗と同高度、或いは一センチでも上の位置を取っておかねば真面に攻撃を行う事すらも難しい。
身を起こそうとする文。だが、
「ガッ――――!?」
体へと負荷がかかり、円形の抉れがさらに一段深くなった。
その縁へと、大天狗が降りてきた。
「っくっく、無様だなァ烏天狗。中々の速さだが……一撃の重さが軽すぎる」
「う、ぐっ………」
「心配するな。力のある妖怪、それも女ならば使い様があるのでな」
動けない文は、その大天狗の言葉にゾッとした。
つまり
彼女も見た目の良い、美少女と言っても良い容姿をしている。その体つきもまた、男の見蕩れる物だろう。
故に、そういう対象とみられる事もあった。同時に、そんな相手を足蹴にするだけの実力も射命丸文にはあった。
しかし、今この瞬間はどうだろうか。地面に縫い付けられるように神通力で押さえつけられ、このまま意識を失えばまず間違いなく――――
「ッ」
最悪の想定に、文は唇をかんだ。だからといって何ができるというものでもないが。
「――――暗殺に声を出さないのは良い判断だ。実力が伴えば、猶良いがな?」
「ッ!」
大天狗の背後。斜め上から飛び掛かる様にして振り下ろされた大刀の刃は、振り返る事無くその屈強な指によって挟まれて止められていた。
大刀を振り下ろした椛は、自身の力の無さを悔やむように唇をかんだ。
だが、彼女の動きは無駄ではない。
大天狗の視線が外れ、文へと掛けられていた神通力の束縛が緩んだのだから。
そして、この隙を逃さない者たちが居た。
「ッ!」
横から倒れた文を攫うようにして飛び込んできたのは、頬に白いガーゼの目立つ龍成だ。
ぐったりと動けない少女の身体を横抱きに、その場からこけるのではないかと思えるほどの慌ただしさで攫って行った。
無論、大天狗もその動きに気付き、神通力を行おうと逃げる背中へと視線を向け――――
「チッ……煩わしい犬め」
椛渾身の妖力弾がその荒鷲の翼を背負った背中へと叩きつけられた。
傷一つつかないが、それでも注意を逸らすには十分だ。
「死にに来たか、それとも儂に尾を振りに来たか?」
「知れたこと。貴様を討ちに来たッ!!!」
「っくっく、蛮勇だなァ?そして、随分と躾がなっていないらしい」
嘲る大天狗。それも当然の事。
白狼天狗である椛と、大天狗の間には文以上の天と地ほどの明確な実力差があるのだから。
それでも彼女は、この絶望的な戦場へと戻ってきた。
「…………」
@
駆ける。ただ駆ける。
息を切らしながら、それでも懸命に龍成は山の斜面を駆け下っていた。
「っ……」
「ごめん、射命丸、さん!今は、ハァ!止まってられないんだ……!」
足をもつれさせながらも、それでも決して転ばない様に駆ける。
彼がこの戦闘に横殴りを掛けたのは、偏に椛の行動から。
千里眼によって文の戦闘を観測していた彼女は、上司がピンチになると同時に遮二無二にとりの家を飛び出してしまっていた。
反射的に、その後を追ってしまったのだ。治療を終えたばかりだというのに、にとりが止める間もなかった。
当然、椛は龍成に戻るよう告げた。自分ですら足手纏いだというのに、ただの人間に出来る事は無い、と。
それでも龍成は引き下がらなかった。せめて、的を散らすぐらいはしてみせる、と。
しかし恩人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。そう考えた椛は、自分が囮になりその間に文を救う役を龍成に任せた。
そして、今に至る。
逃げて、逃げて、逃げて。そして、
「ッ!!」
龍成は文を抱えたまま、駆け足の勢いをそのまま踏切へと使って空中へと飛び出した。
直後、先程まで彼が走っていた地点が雑巾絞りの様に絞り潰される。
文を庇うようにして背中から斜面に着地し、少し滑って止まった龍成。
首だけで後方を確認すれば、見たくもない高い鼻の赤ら顔。
「態々、自分から死にに戻ってくるとは、な。手間が省けて良いが」
「………犬走さんは」
「あの犬の事か?っくっく、案ずるな。貴様と違って使い道があるのでな。虫の息だろうが、死んではおらんだろうさ」
「…………」
震えるほどに恐ろしかった。龍成は、近くの木の幹に寄りかからせるようにして文を下すと改めて大天狗へと向き直る。
その右手には、ポケットに入っていた黒い石を握り込んでいた。
奥の手、もとい唯一の抵抗手段。どれほどの攻撃手段になるかも分からないが、それでも顔に押し付ければ何かしら効果はあるだろう、と。
もっとも、ソレは接近できればの話。
今までは逃げ回っていただけ。だからこそ、大天狗の攻撃も散らす事が出来た。
だが、今回はその逆。真正面から突っ込むしかない。
幸いなのは、大天狗が光井龍成という人間を舐め腐っている事。これは妖怪と人間の間に横たわる圧倒的な力の差。
先程、白狼天狗と大天狗の力量差に言及したが、人間と大天狗ならば更にその差は大きく、広くなる。
「スー……フゥー…………」
深呼吸を一つ挟む。腹を括って、龍成は前に。
「阿呆め」
大天狗の目が怪しく輝く。
瞬間、龍成は横へと転がる様に飛んだ。間髪入れず、彼が先程まで居た地点が圧殺される。
彼が気付いた神通力の対処法は、視線と音。
前者は、対象を見て焦点の合った地点を潰すと分かったから。後者は、神通力が発生する瞬間音が消える事に気付いたから。
着地すると同時に、すぐさま大天狗目指して駆ける。
二度、三度と躱せば最早偶然ではない。
「………チッ」
大天狗の舌打ち。しかし、彼は空飛ぼうとはしなかった。
それは、プライドに因る所が大きい。力が戻ってきているからか、同時に彼の自尊心は尋常ではない高さとなっているのだ。
故に、大天狗はその場から動くことなく自分の周囲に神通力を押し固めた半透明の巨大な手を幾つも造り出し浮かび上がらせた。
「手慰みだ、小僧。その小賢しい頭蓋諸共、叩き潰してやろう」
言うなり、大天狗の背後に浮かぶ巨大な手が拳を象り、砲弾もかくやと言わんばかりの速度で射出される。
「まずっ――――」
躱せたのは、奇跡だった。
腰を抜かしそうだった体を無理矢理投げ出すようにしてその場から離脱すれば、音を削る様にして人一人と同じ大きさの拳が通過していった。
最早、接近をどうたら考えている暇もない。全力で走るのみ。
「うわぁああああああああ!?」
情けない叫びだと笑われるかもしれない。しかし、龍成には最早逃げるしかないのだ。
一発当たれば、彼の背後で粉砕された巨木の如く殴り砕かれる。
加えて、神通力の圧殺は止んでいない。寧ろ、半透明の拳の連打と相まって狙いがより正確になり、龍成の冷や汗と脂汗が止まらない。
そして、逃げ続ける事もまた出来ない。
「ッ!?」
突風が吹き荒れ、巻き上がった砂埃が龍成の顔を襲う。
反射的に目を瞑ってしまい、そうなれば駆けていた足もまた止まる。そして、足が止まれば暴力の的になるだけだ。
「ギッ……!?」
横殴り。身体の右側から飛んできた半透明の拳が、龍成の身体を捉える。
一撃捉えれば、後は流れで。
「カッ………ァ………!?」
最早悲鳴も出ない。大型のトラックが突っ込んでくるようなモノなのだ。
肉が潰れ、骨が折れ、溢れた血液が外に舞う。
五体が千切れ飛ばなかっただけ、御の字。最早生きているだけで奇跡。
その奇跡も、もう間もなく終わる。
「っくっく、儂の手を煩わせた罰だ。苦しんで死ぬと良い」
神通力を消し、破壊痕に転がった龍成を一瞥した大天狗は踵を返す。
(寒い……)
手足は辛うじてついているが、その内側の骨はボキボキで折れた骨の尖った部分が皮膚の内側から刺し貫いて白い断面を覗かせている。
口の中は血の味しかせず、現在進行形で血腥さと口の中が濡れる感触は止まらない。
指先の一つも動かずに、見上げた空は霞んでいく。
最早どこが痛いのかも分からない。そもそも、痛覚がオーバフローを起こして真面に機能していない。
ただ、
意識が混濁し、自身の死を恐れる事も、嘆く事も出来ない。
幻想郷ではありふれた外来人の死。それがいま、光井龍成という少年に訪れただけ。
彼の溢れる血液は、腕を伝って掌へと向かった。
血の向かう先。右手の平の上に転がるのは、件の黒い石。これだけズタボロにされて、何処にもとり落さなかったらしい。
その黒い石に、血液が触れる。
それが、始まりだった。
流れていた血液が黒い石に触れた瞬間、水滴を熱した鉄板へと落としたかのようにジュッと音を上げた。
同時に、黒い石そのものも変化する。
独りでに転がり、そして浮かび上がった。
浮かんだ黒い石は、腕を添うようにして宙を進み。やがて辿り着くのは、龍成の胸の上。
折れた肋骨が内臓各種に突き刺さり。背骨も脊髄含めてぐちゃぐちゃとなったその胸の上だ。
黒石は、バキバキと軋む様な音を立てて鋭くその先端を尖らせつつ、同時に大きくなりながらその表面に亀裂を走らせていく。
走った亀裂には、赤熱した赤が幾重にも通っていた。
それは、炎。黒い石が姿を変えるごとに舞った火の粉が、龍成の身体へと降ってくる。
もっとも、既に少年の身体は瀕死。既に目は見えておらず、意識も辛うじて残るだけで心臓ももう止まる。
最後の拍動の瞬間、黒い石が動いた。
その鋭くも雑に尖った先端のままに、龍成の胸の中心へと突き立ったのだ。
瞬間、巨大な火柱が吹き上がる。
@
下草を踏み分けて、大天狗が向かうのは気に凭れかかる烏天狗の下。
彼女と、それから自身に刃向かった白狼天狗。この二人を、まずは躾をしよう。そう下卑た心で考えていたのだ。
既に、殺した同然の少年の事など最早頭には無い。尋ねられても思い出す事に苦労する事だろう。そもそも、思い出さないかもしれないが。
だからこそ、彼の足は無理矢理に止められた。
「………何?」
止めたのは、膨大なまでの熱。それが、背後に突如として巻き起こった。
振り返れば、火の気の一つもなかったというのに、見上げるほどに巨大な火柱が巻き起こっているではないか。
大天狗の脳裏を過ったのは、新たなる敵対者の出現。同時にその可能性を思い浮かべた瞬間、その口角が吊り上がる。
果たして、業火の火柱は突然に消え、辺りに焦げ臭いニオイと黒い煙を齎した。
円形に焼け焦げた地面。その中央に立つのは、
「…………何だと?」
大天狗は、見た。
冷え固まった溶岩の様に黒くも、その内へと未だ煮え滾る熱を内包しひび割れた様な外皮。
その胸部には瞳に宿るのと同じ、青白い閃光が大きな縦の亀裂の隙間から覗いている。
更に、右手に握るのは、三メートルほどある黒い棒。
表面はこれまた体表と同じく黒い冷え固まった溶岩の様だが、数多走った亀裂の部分は煌々と赤く輝き流れを有していた。
怪物。それは、一人の少年が力を得た結果誕生した存在。
「――――ブッツブス」
光井龍成の再誕である。