幻想乙女と遇の少年 作:クロンデジゾイド
蝉の無く声が、鼓膜を揺らす。
縁側に腰掛けて、目を閉じていた光井龍成は自身の幻想入りの経緯を思い返してその瞼を開けた。
「ハァ……まあ、人って意外にどこでも生きて行けるもんだからね」
吐き出される吐息が、夏の空へと溶けていく。
パーカーを着た彼の格好は、実に暑そうだが能力に覚醒してから熱への耐性を得た龍成は涼しい顔。袖を捲る事無く、夏の空を見上げていた。
幻想郷で生きると決めたあの日、龍成が最初に取り掛かったのは自分が暮らす場所を定める事。
その為に向かったのが、幻想郷で唯一人が集まって暮らす人里。妖怪の賢者の庇護と、人里の守護者が裏表で守る場所。
紆余曲折を経て、龍成が得たのはこの小さな借家とそれから人里の何でも屋という立ち位置。
能力を持つ事から、妖退治屋の方が都合が良いのかもしれないがそれはそれ。彼の性格上、頼まれた場合断れないため何でも屋となった。
食うに困らず。衣住も足りている。もしかすると、その都の世界に居た時よりも充実した時間を過ごせているかもしれない。
しかし、平穏の後には慌ただしさが待っていた。
バタバタと騒がしい音が聞こえ、誰かが駆ける足音を龍成の耳は聞き取る。
足音は借家の正面から横を抜け、裏手の猫の額ほどの庭へと向かってくる。
「居るか!何でも屋!」
「あ、こんにちは参太郎さん。どうしたんです?」
「里の外の畑に妖が出たんだ!直ぐに来てくれ!」
駆け込んできた男性の言葉に、龍成は目を丸くするとすぐに立ち上がる。
そして、足元に乗れるだけの大きさの火煙を発生させると、そこに足を掛け男性も乗せてから一気に空へと舞いあがった。
黒煙の線を引きながら、向かうのは人里の外。
幻想郷で人間の安全圏とされる人里だが、この中で人々の生活すべてが完結する訳ではない。
飢えないために畑や田んぼ、牧場などを作るには広い土地が必要となる。そして、その場合人里として囲われた面積ではどうしても足りない。その他にも林業や、場合によっては湖での漁業など。
ただ、コレは幻想郷を維持する上で必要な措置だった。
妖怪は、人々の畏れによってその存在を維持している。裏を返せば、妖怪の恐ろしさを忘れられてしまえば消滅する他ないのだ。
そのために、妖怪が人を襲いやすくする構造が必要だった。
とはいえ、人間側もむざむざと襲われるだけでは終わらない。その為に、里には退治屋などが居るのだから。
もっとも、彼らの実力はピンキリが激しい。中には詐欺紛いの者も居り、本当に困っているのなら、博麗の巫女に依頼をする方が確実だったりする。
その中で、光井龍成はというと、比較的信頼のおける退治屋と認識されていた。彼は、何でも屋だが。
果たして、人里を越えて眼下に広がる畑の一角。
「アレですか?」
「そう、アイツだ!」
参太郎が指さしたのは、眼下で暴れる火を纏った熊。
体長は三メートル程だろうか。焦げ茶色の毛皮に、屈強な手足。そして背筋を伝うように赤い炎が揺れ、その両目と大きく開いた口からは炎が揺らめく。
どういう理由で暴れているのかは分からない。だが、このまま暴れ回れば広い範囲の畑が炎の熱と熊の剛力によって荒れてしまう事だろう。
「それじゃあ、行ってきます。火煙は、ゆっくりと降りますから地面が近づいてから降りてくださいね」
そう言って、龍成は右手を顔の高さまで掌を空へと向けて持ち上げた。
持ち上げられた掌の上に、小さな火が灯りその内側から黒い石が現れる。
石はその全面に亀裂を走らせると、ひび割れ砕けながら一気に左右に伸びていく。
一秒と掛からずに、龍成の右手には二メートル強の一本の棒が握られていた。冷え固まった溶岩のような黒で、その波打つ表面がまるで紋様にも見える一本。
棒を右手に、龍成は火煙から飛び降りる。高さは、軽く二十メートルを超えているのだがそこに気負いの類は見受けられない。
空中で風を切る音を聞きながら、頭上で振るわれる黒い棒。
端を両手で握り大上段で構え、落下の勢いを乗せた渾身の振り下ろしが妖の頭部目掛けて振り下ろされた。
妖は、妖怪と違って会話が出来ない。本質的には野生動物に近いからだ。ここから長い年月を経て完全な妖怪となる場合と、妖のまま自然の化身のような存在へと変ずる二通りがある。
だが、基本的に妖がそこまで生き延びられる事は少ない。特に、幻想郷では。
理由は簡単で、彼らには根本的に知能が無いからだ。本能に則した行動をとり、その強まった力のままに
結果、人里に近付き過ぎて退治される場合が殆どだからだ。
今回も例に漏れず。熊が頭上の脅威に気付いた時にはもう遅い。
地殻にも勝る強度の棒を、落下の勢いを乗せてその頭部へと叩き落されたのだ。分厚い毛皮も、堅牢な骨格も意味がない。
頭を肉体に埋め込むように叩き潰されながら、妖の三メートルはある巨体が1.5メートル程迄圧縮され、絶命する。
崩れ落ち、完全に炎も消えて死んだことを確認して龍成は右手に棒を持ち後ろに回し、左手を胸の前にまで持ち上げた。
片合掌。龍成自身は仏教徒ではないが、彼が自身の力を発揮する場合何かしらの掌印が必要だったのだ。
一番簡略で、且つ片手が塞がっていても印として機能する。
練られた力が炎として左手に灯った。
「――――
片合掌が、そのまま炎を宿した手刀へと化ける。
手刀を振るった範囲から、更に二メートルは広い範囲を炎が薙いで行く。当然、その過程で妖の死骸も巻き込まれていた。
瞬く間に、残った巨体が炭となり、灰となり、この箱庭の肥料となって消えていく。
何でも屋、光井龍成。
彼の地位は、確かに人里にて確立されていた。
@
突発的な依頼であったとしても、仕事は仕事。熟せば相応の金銭を徴収するのが、商売というものだ。
「本当に良いのか?」
「はい。相手もそこまで強い妖じゃありませんでしたからね」
「でもよォ、こいつは相場よりも三割は安いぞ?」
唇を尖らせてぼやく参太郎。
彼の言うように、龍成が請求した依頼料は通常の妖退治の相場よりも三割は安い。
だが、龍成としては大した労力も無かったのだから寧ろ報酬を請求しても良い物か、と思っていたりする。
一応それ以外にも彼には言い分があった。
「でも、一部とはいえ畑に被害が出てますよね?あの焼けた分を修復するのなら、相応の金額がかかるんじゃありませんか?」
「いや、そうでもねぇぞ?元々、種まきもしてない場所だったからな。耕し直して、均せば良いんだからな」
「……とにかく、俺としてはこの額で十分です。そもそも、食うに困ってる訳でもないんで」
「そうか?…………あ、だったらうちで出来た野菜を持って行ってくれよ。夏野菜は瑞々しくてうめぇぞ?」
「夏野菜……」
それは中々に魅力的。龍成の頭に、幾つかの野菜の姿が思い浮かぶ。
少年の反応に参太郎も頷いた。
彼含めて、龍成が人里に住み着いてから仕事の依頼をした者は少なくない。
今回のように妖退治から、店番、子守り、お使い、従業員、家政夫、配達、護衛等々。
文字通り、何でもやった。何でも屋を名乗ったから。
如何に
同時に、その評価も一定のものとなった
基本的に龍成は仕事を選ばない。それこそ、報酬が確約されておらずとも困っていれば受けてしまう。
そんな彼へと苦言を呈する者も居た。
「おや?龍成」
「ん?あ、慧音先生。こんにちは」
報酬の野菜を取りに家へと戻った参太郎を待っている龍成に声を掛けてくるのは一人の女性。
青混じりの白い髪に、変わった青い帽子。それから青い衣装。
人里で寺子屋の教師をしている、上白沢慧音である。そして、龍成の報酬問題に口を酸っぱくする者の一人。
「ああ、こんにちは。ここでいったい何をしているだ?仕事か?」
「あ、いや、その……」
「おう、何でも屋!こいつを持っていけ!」
慧音の問いに言い淀む龍成だったが、この間に参太郎が戻って来てしまった。
彼の籠一杯に乗せられた夏野菜。
キュッと慧音の視線が細くなる。
「龍成?」
「いやいやいやいや、先生?まずは話を聞いてくれません?ちゃんと俺、報酬も受け取りましたから」
「相場より、三割安かったけどな」
「参太郎さん!」
「龍成?」
声を荒げた龍成の頭が、後ろから鷲掴みにされる。参太郎から野菜入りの籠を受け取って両手が空かない彼は振り払う事も出来ない。
ダラダラと冷や汗が頬を流れる。そして、この状況を前に参太郎は選択した。
「……んじゃ!また頼むぞ!」
というのも、この上白沢慧音は純粋な人間ではない。半人半獣の後天的に人外となった少々特殊な立ち位置の人物。
そして、この人里に住む者達は大半が彼女の寺子屋で世話になった者ばかり。
故に知っているのだ。この女教師の折檻方法を。
「龍成」
「っ……お、お慈悲は…………」
「無いッ!!」
肩を掴んで振り向かせ、籠を避けるように一歩詰めた慧音の頭突きが龍成の頭を捉えた。
@
夏の定番、冷や麦。それから、夏野菜の天ぷらに浅漬け。
「イテェ……」
「自業自得だ。前にもお前には説教をしただろう?」
大きなたんこぶを頭に拵えて、しょもしょもと冷や麦を啜る龍成。
その対面でちゃぶ台を挟み、ピシリと音が鳴りそうな正座で同じく冷や麦を啜る慧音。
そのまま、慧音のお説教と報酬として受け取ったたっぷりの夏野菜を消費するという名目で彼女の家で夕食と相成ったのだ。
二人の中心点に置かれたガラスの器から冷や麦を取りながら、慧音は口を酸っぱくお説教。
「前にも言ったが、自分を安売りするものじゃない。私はまだ半獣として人よりも頑丈だが、お前は違うだろう?」
「そうですけど…………でも、困ってる人を見て無視するのはちょっと……」
「無視をしろと言っている訳じゃない。報酬をちゃんと受け取れ、と言っているんだ。それは、お前の頑張りが明確な結果として出た証なんだから」
「でも……やっぱり困窮している人は居るじゃないですか。子宝に恵まれ過ぎた家とか、大黒柱が抜けた家とか……」
龍成の言い分はそこだ。
外の世界と比べて、弱肉強食の色合いが強い幻想郷。当然、人里であっても弱いものは淘汰される事になる。
勿論、助け合いの精神はある。だが、この助け合いにも限度があった。
皆それぞれに自身の生活というものがあるのだ。他人を優先し過ぎれば、自分や身内に不便を強いる事になってしまう。
龍成はその点、思うのだ。
彼は、この幻想郷で身内と呼べる人間はいない。友人には恵まれているが、彼女らは彼女らで確りと自立している。
故に、苦労をしている人を見ていると放っては置けないのだ。なまじ、失うものが無い分、そのフットワークの軽さと平気で相手の荷物を背負ってしまう軽率さがあった。
慧音とて、その善性を否定するつもりはない。だが、行き過ぎた献身は、自殺と何ら変わらないという側面を持ち合わせている。
つるりと冷や麦を啜って、慧音は首を振る。
「龍成。お前が、人里の為に動いている事は私も分かっている。皆もな。だからこそ、自分の事も大切にしてくれ。報酬が多いと言っていたが、妖退治は命懸けの仕事だ。その報酬が安すぎれば、命を懸けてその仕事に従事する者達の価値を下げる事になってしまう。私の言いたい事は、分かるな?」
「……はい」
しおしおと萎れた龍成は、大人しく夏野菜の天ぷらを齧った。
返事は良いのだ。ただ、それを実際に身をもって行動を起こせるかどうか。
良い子過ぎるのも考え物、とは慧音のボヤキだ。
そのまま冷や麦を啜る音と、それから天ぷらの衣がサクリと音を立てる。風が吹き、風鈴が鳴って。縁側に置かれた蚊取り線香からは独特のニオイが流れてくる。
不意に、その大きく開け放たれた縁側に面した庭に足音が近づいてきた。
現れたのは、真っ白な長髪に所々お札を結んだ赤地にお札柄のもんぺ姿の少女だ。
「よ、慧音。それに龍成も」
「妹紅。何かあったのか?」
「こんばんは、妹紅さん」
「ん。いや、何。ちょっとした散歩のついでに寄っただけだよ」
よっこらせ、と藤原妹紅は縁側に腰掛けるともんぺのポケットから掌に収まる程度の箱を取り出した。
タバコだ。一本取り出し口に咥え、右手の人差し指の先に小さな炎を灯して火をつける。
紫煙が、空へと昇っていく。
「妹紅、タバコは体に良くないぞ」
「んっふふ、平気平気。それに、吐いた煙もそっちに行かない様に風下に居るからさ」
「私は、お前の心配をしているんだけどな。夕飯は食べたのか?」
「まだだけど……今日は良いかなぁって」
「ハァ……少し待っていろ」
全く、困ったといわんばかりの溜息と共に席を立つ慧音。世話焼きな彼女が、夕飯を食べていない友人を放っておくはずもなかった。
準備をしに行ったのだろう。妹紅は半分も吸っていない煙草を指に挟むと、その手は瞬く間に真っ赤な炎に包まれた。
数秒と掛からず、灰も残さず燃え尽きたタバコ。それだけ確認し、妹紅は靴を脱いで部屋へと上がり込んだ。
「龍成は、また頭突き喰らった訳?」
「んー、まあ。報酬がねぇ……」
「あっはは!確かに、直ぐに終わった仕事を考えるとその報酬量で良いのか迷うのは分かるよ。んで、慧音の言ってる事も分かる。でしょ?」
「まあ…………安く買いたたかれて、食い物にされないように、って先生が心配してるのは分かるんだけどさ……」
妹紅に答えながら、龍成は唇を尖らせる。
彼とて、この世が善人ばかりで回っている訳ではない事を知っている。悪辣な者は、人妖問わずに存在するとも。
だが、同時に思うのだ。その可能性を見過ぎた結果、助けられたであろう相手に手を差し伸べる事が出来なかったのなら、本末転倒ではないか、と。
悶々と煮え切らない少年に、少女は笑みを浮かべる。
「悩みなよ、若人。悩んで悩んで、その先にどんな答えが待ってるにせよ、悩む事はそう悪い事ばかりじゃないからさ」
そう言って、枝毛の無い髪をくしゃりと混ぜた。