坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではありませんが、そういうことありませんか? 兄弟関係ではないですが、私はあります。
(快適だ……)
燦々と降り注ぐ日光を浴びながら、少年は経口補水液とブドウ糖液を飲んでくつろいでいた。なぜ栄養失調で死なないのかが神秘となっていそうな少年の名は陸八魔シン。
最近になって固形物を食すと吐いてしまうことに気付き、ミレニアムサイエンススクールが発売した完全栄養飯なる液体がメインの食事になっている哀れなストレス蓄積限界少年である。不憫な事だ。まともな学園に入っていれば、こんなことにはならななかったかもしれないというのに。
「ソロモン、ヤバい。快適だ」
『体温の上昇を確認。平熱に戻るまでに時間がかかったな、マスター』
砂漠のど真ん中、トレーラー車の上でくつろぐなど、彼ぐらいしかできないだろう。ましてや、栄養不足で低体温になっていた体を温めるために砂漠で日光浴をする人間など。本当になぜ死んでいない?
「あ゛あ゛あ゛……極楽だ……極楽って、ストレスのない世界なのかな。行ってみてぇ……ゲヘナの喧噪から解放されたら行ってみるか……海に沈めば行けるか?」
『皮肉を検知。海に沈んでも見えるのはアトランティスではないか?』
「アトランティスかぁ……」
会話インターフェイスを搭載したソロモンとの会話で精神を安定させるシン。ソロモンは彼の体が如何にボロボロなのかを知っているが、何故か死んでいないことや、学習の結果『ゲヘナ学園=信用ならない』、『ゲヘナ学園=給食部以外大体敵』という結論を弾き出したために、ゲヘナの病院に連れていくことをしない。
「ソロモン、バアルの電力使って給油に行くか」
『了解。No.01
記述し忘れていたが、ソロモンはハイブリットカーである。ガソリン、電気、どちらでも動くが、燃費が悪い。ミレニアムに入れば専門の機材を使って燃費の向上もできるだろうが、勝手に改造される可能性もある。ロマンの塊過ぎたのだ。
「んじゃ、給油行きますか……給油所どこだ? ソロモン、地図」
『検索開始……完了。アビドス高校付近に、給油施設を発見』
「んじゃ、そこまでナビ頼む」
『了解。ナビゲート開始』
どれだけ疲れていようが、ストレスが溜まっていようが、運転の腕は全く衰えないのがシンクオリティ。造物主であり、運転手たるシンの運転はソロモンにとって心地良いものである。
ブドウ糖液を飲み終えたシンは、ミレニアム製サプリメントの経口補水液で流し込みながら痛み止めのシガレットを口に含む。
「あ゛ー……全身の痛みが消えていくぜ……筋トレ増やすか……」
『まずは食事改善を提案。退学及び入院を推奨』
「どこの病院がいいと思うよ」
『ミレニアムサイエンススクール自治区内、大型総合病院を推奨』
「あそこかぁ」
治安も安定しているだろう場所だが、金が足りるだろうかと考えるシンは、砂だらけのアビドス高校自治区の道を進む。ソロモンは技術屋シンの夢が詰め込まれたマシンだ。砂漠だろうが海だろうが沼地だろうが湿地帯だろうが関係なく踏破するホバークラフトやキャタピラも搭載されている。アビドス砂漠、なんのその。雪道踏破も楽々だ。フウカの頼みで作った『調理補助ロボット・グラトニー』の納品を阻止しようとした美食研究会を轢き飛ばしても、途中で突っ込んできた暴走列車と衝突しても壊れたりしない。ヒナの機関銃による一斉掃射を喰らっても壊れない。
なお、その時のシンの全身の骨に罅が入り、脳震盪なども引き起こして昏睡したが二日で完治している。貴様なぜ生きている?
「そのうち行くわ。そのうち」
『マスター、早死にするぞ』
「この程度で死んでたらこんなことになってねぇんだわ」
『マスターの生命力は理解不能の領域へと到達している』
なぜ温泉開発部の発破に巻き込まれても、美食研究会が起こした火事に巻き込まれても生きているのか分からない彼は、ミサイルの直撃に巻き込まれても死ななかった。ちなみヘイローは持っていない。なぜ死んでいないのかは神にも分からない。恐らくギャグ時空の人間なのだろう。
「にしても、人が少ねぇな……アビドス自治区って、マンモス校じゃなかったか?」
『砂嵐による過疎化が進んでいるからだろう。それと、マンモス校だったのはかつての話だ』
「マジ? ……マジだ。うわぁ、古い情報しか拾ってねぇな…………待てよ? まさか……」
ソロモンがただの自動運転機能付きトレーラーキャンピングカーだった頃。アルが真面目だった頃、こっそり定期的に通っていたラーメン屋があった。名を、柴関ラーメン。今と違ってがっつり系を食べても全く体に負担が来なかったシンが、外食と言えばここと言って通っていたラーメン屋である。
「柴関ラーメン、潰れてないよな……?」
『隠れた名店としてまだ残っているそうだ』
「よっしゃあ! 食いに行くぞ! 給油終わったら!」
『身体への負担を考慮し、ラーメンは不推奨』
「心のプロテインだ。胃腸のダメージは必要経費だぜ」
『吐くことになっても知らんぞマスター』
自動給油所に入ったシンがタブレットでハイオクとレギュラーをタップし、ロボットがソロモンに給油を行っていく。ソロモンの燃料タンクは複数存在するのだ。メーターが満タンになったのを確認し、現金支払いを行う。本来ならクレジットカードでスマートに支払うところだが、ゲヘナ風紀委員会によって口座を凍結されているシンは現金を持ち歩くようになった。哀れなり、陸八魔シン。
お釣りを受け取り、再起動したソロモンを運転して目指すは柴関ラーメン。食べる予定のメニューはワンタン麺。可能な限り胃に優しいものを、という本能が引き起こした悪足掻きである。食べ終えてからバレないように手洗い場に向かい、吐瀉物をぶちまけることが確定しているのだ。
燦々と照り付ける太陽を窓越しに感じながら、シンを乗せたトレーラー車は走る。途中、ヘルメット団らしき少女がカツアゲをしようとしたが、銃弾を弾き飛ばすソロモンの装甲にビビッて逃げた。
何か今いたなぁ、という漠然とした感情を浮かべながら、目的に到着したシンの心は普段の三倍は浮足立っており、小躍りしそうになるほど。なお、小躍りしたらバランスを崩して転んで骨折する。栄養不足で骨の強度がゴミ以下なのである。カルシウムを毎日取り込み、日光を浴びているはずなのに脆すぎる。*1
「すいません、一名なんですけど……」
店に入った瞬間から香る、ラーメンの良い香りに頬を緩ませていると、カウンター席の向こう側でネギを切っていた柴犬の姿をした男が顔を上げる。
「いらっしゃい……って、おお! シン君じゃねぇか!」
男は少し訝しむような、記憶を探るような顔を浮かべた数秒後、懐かしむように笑った。
「……分かるんですか」
「ちょっと危うかったなけどな。イメチェンか? 髪色も変わっちまって一瞬だけ分からなかったぜ」
柴大将の言葉に思わず苦笑してしまいながらも、いつも座っていたカウンター席に座ったシンは、店内を見回して懐かしさに浸る。
店内の内装も、小さく流れている音楽も、何もかもが変わっていない。
「さて、何にする? いつもの行っとくかい?」
「あーいや……今日はワンタン麺で! 昔は微妙だと思ってたんですけど、再チャレンジっす」
「ははは! そうだったな! ワンタン麺一丁、それ飲みながら少し待ってな!」
そっと出された水は冷たいものではなく、白湯。白湯だけではなく、あっさりとしたスープも小さな器に注がれて提供された。シンは思わず瞳から雫を零した。優しさに包まれるとは、まさにこのことだろう。痛み止めを吸わないと消えないキリキリを通り越してギリギリと痛む胃に優しい味と、濃さ。柴大将の優しさに触れて、シンは号泣しそうだった。
「美味ぇ……美味ぇよ……優しさで泣きそうだよ、マジで」
「あれ? あんたもゲヘナ学園の生徒?」
「んぁ?」
情けない声を上げながらシンが顔を上げると、柴関ラーメンの制服を着た見覚えのない少女が立っていた。
長い黒髪をツインテールに纏め、三角巾を頭に装着した猫耳少女からは、どこか家庭的ながら詐欺に騙されていそうな雰囲気が放たれている。
「ああ、まぁ、一応……ゲヘナ学園の生徒だよ。出席できないからオンラインで授業を受けてるけど」
「まさか、いじめ? 大丈夫なの?」
たはは、と力なく笑うシンを見て、猫耳少女は正義感に燃えるような目を見せた。見ず知らずの人間に対してそこまで正義感を燃やせる彼女は、間違いなく善良な人間なのだろう。少なくともシンはそう感じた。
「いや、いじめじゃない。面倒事に巻き込まれやすくてな……はは、笑えてくるぜ」
「トラブル体質ってこと?」
「いや……どうなんだろう……姉のせい四割、馬鹿のせい四割、俺のせい二割って感じか……?」
ゲヘナ学園での自分がどういう状況なのかを簡単に話すと、やはりワナワナと憤りで震える猫耳少女。やはり優しい人だとシンは苦笑する。こんなに苦労しそうな性格も無さそうだと。自分に特大ブーメランが突き刺さっているとも知らずに。
「何それ……! ほぼほぼあんた関係ないじゃない!?」
「そうなんだよ。巻き込まれてんだよ、俺。体重が25キロしかないって言ったら笑うか?」
「にっ────!? 笑えないわよ!?」
「だよなぁ」
他人事のようにぼやくシンと、そんな状態になるまで気付かなかったシンの姉とその仲間や、巻き込んでくるゲヘナ学園の人間への憤りを隠さない猫耳少女。久しくしていなかった善良な人間との会話は、今にも折れたり崩壊を起こしそうな角に少しだけ強度を回復させるくらいの癒しを与えてくれた。
「おまちどう。ワンタン麺一丁!」
「いただきます!」
「セリカちゃんも一旦昼休憩しときな。ほれ、これ食べて午後も頼むよ」
「あ、えと……ありがとうございます」
ワンタン麺を少しずつ口にするシンの隣に座ってラーメンを啜るセリカと呼ばれた猫耳少女は、チラリとシンの手先を見てみる。
車を運転するための指ぬきグローブから見える爪はトップコートを塗っているのか艶があるが、よく見るとひび割れており、手荒れも確認できる。毛髪も、所々白い部分があり、現在の髪色が染めたものである事を如実に語っていた。
ストレスによる変化を見たことがないセリカでも、シンの状態が異常であることは理解できる。どこかの救護騎士団団長が彼を見たならば、救護対象として強制緊急搬送を行うだろう。
「あ、俺、陸八魔シン。よろしく」
「黒見セリカよ」
「よろしく。……ところで、最初に言ってたゲヘナの生徒ってのは?」
「ああ、あれ? 会社を建てたっていう四人組のゲヘナ学生の生徒が用事があるとかで────」
ベキ。
突如として送られてきたストレスの要因となりかねない情報に、シンの角が砕けて折れる。
「ちょっ、大丈夫!? 角折れたけど!?」
「ああ、うん。大丈夫。そのうち生えてくるから……もう痛くないし……」
折た角の根元から流れる血を止めながら空笑いを浮かべるシンの目は死んでいた。死んでいるが、どこか怒りと呆れが含まれているようにも見える。
「全くそうは見えないわよ!?」
「マジマジ。
「慣れてる!? 慣れていいものなの、それ!?」
店を汚さないように止血したシンは、今にも砕け散りそうになっている捻れ角を養生テープで固定しながら、セリカに問いかけた。
「セリカさん。その四人組の特徴は?」
「え、えーと……一人はおどおどしてて、一人は悪戯っ子? 一人は大人っぽくて……あ、最後の一人はあんたの髪色に似てたわ」
「……うす。ありがとうございます……大将、お会計……」
「……大丈夫かい、シン君。凄ぇ顔色悪いが……休んでかなくていいのかい」
「大丈夫っす……これ、丁度……あ、お手洗い借りていいですか」
「おう。そこの角だ」
能面のような表情のシンは軽く会釈してから、手洗い場に駆け込み、さっきまで食べていたワンタン麺を全て吐き出した。
「オ゛エ゛ッ……! ぅ゛え゛え゛え゛え゛っ……!!」
ストレスによる嘔吐はワンタン麺を全て吐き出した後も止まらない。胃液を全て吐き出して、口の中が苦くなるまで嘔吐は止まらなかった。
アビドスに来たのは、姉が率いる便利屋68のことを忘れて心を休めるための慰安と、風紀委員、美食研究会、温泉開発部の連中から逃走が目的だったというのに、姉が社員を連れて来ている。しかも仕事で。
別に、姉とその愉快な仲間達が嫌いなわけではない。ちょっとだけ嫌いになりそうな時はあるが。しかし、仕事のことになれば話は変わってくる。
「ああ……嫌だ……嫌だなぁ……腹痛いなぁ……辛いなぁ……!」
口を濯ぎ、携帯端末を使ってアビドス高校への緊急ホットラインへと繋ぐ。結果、繋がらない。回線が切れているのか、シンの携帯端末が壊れているのか。その判断をできるほど、シンの精神は安定していない。
「行くしかないのか……アビドス高校に……」
絶対に姉達がやらかして、事を盛大にしてしまうのが想像できる。ゲヘナ学園自治区ならば問題ない。問題だが、問題ない。治安が混沌としているのはいつものことだから。
しかし、ゲヘナ学園外でやらかしたとなれば話は別。連帯責任だなんだと自分に大きなとばっちりが来るのが目に見えている。
行きたくない、死にたくない、辛い、ふざけんじゃねぇ、廃業してしまえ、など罵倒が湧いては、普段ならいい人達なんだと言い聞かせて覚悟を決める。ここで頭を下げてケジメを約束しておかないと、痛い目を見るのは自分なのだから。
手洗い場から出たシンは、集まる視線やかけられる声にも気付かず、停めていたソロモンに乗り込み、アビドス高校へとアクセルを踏む。全ては自分に降りかかるであろうストレス緩和のために。自分の身の安全のために。姉達がやらかしてしまうであろうことに、土下座とお金でなんとか許してもらうために。
ストレスによる変化は便利屋68のメンバーも、ゲヘナ学園の人達も知らない。勘づいているのは多分フウカぐらい。