阿鼻叫喚とはまさにこのことと、後に先生は振り返る。
アーキバス系列病院の医師をほぼ総動員しての医師団の大規模派遣によって、その日の午後四時までに全ての遺体の死亡診断が完了した。出身自治区の内訳は、先生が訪れたことのある場所だけでも、犠牲者の多い順にゲヘナから五十四人、トリニティから二十三人、ミレニアムから十四人、レッドウィンターから九人、百鬼夜行から五人、アビドスから一人。この他に五百を超える自治区と連絡を取らねばならず、とても一人では手が回るものではない。必然的に連邦生徒会の手を借りることになったのだが、そこでリンから待ったがかかった。
“これは……おいそれと公開できるようなものではありません。私達の方で稟議にかけます。どうか、どうか時間をください……”
さしものリンも、ここまでの規模に被害が拡大しているとは考えていなかったらしい。先生は彼女の吐き気をこらえるような顔が忘れられなかった。
キヴォトスにおいて、死と殺人は外界以上に忌み嫌われている。誰もが気軽に銃を撃ち合う非常識な常識は「誰も死なない」安心に裏打ちされており、ヘイローを壊す為に要する多大な労力が殺意の存在を浮き彫りにするからだ。そんな環境で、九百人もの生徒を実験材料として殺し続けていた組織がいるなどと知れたら――否、それ以前に、自分と同じ自治区を出自に持つ者が人の悪意に呑まれて死んでいたなどと知れたら、この学園都市全体が恐怖のどん底に叩き落されるだろう。それはある意味、かつてキヴォトスに迫った世界の危機すらも凌駕する混乱を招きかねない劇薬だ。
リンもそれがわかったからこそ、一度連邦生徒会で情報を止めることを望んだに違いない。どの道彼女達に情報を開示し多大な負担をかけることになるのに変わりはないのが、先生は何より悔しかった。暫定トップすらあの様子では、稟議も会議もまともに運ばれるとは考えられない。
「“……はぁ……”」
時刻は深夜。シャーレに帰れば山のように書くはずだった報告書の業務も、先方からストップされては遂行しようがない。どうにか落ち着こうとして淹れたコーヒーにも手が付かないまま時間だけが過ぎて、先生はオフィスに誰も聞く者がいないのをいいことに疲れ切った溜め息を吐いた――帰ってくるなり早々に入浴して寝てしまったツネコ含む便利屋の面々は、やはり事の次第を何も知らないようだった。
アロナとプラナのハッキングもとい照会により、亡くなった生徒達は皆学籍のない状態で実験体になっていたことがわかっている。各学園の所属生徒から死者が出たことには(建前上は)ならないのが不幸中の幸いだが、先生に言わせれば気休めにもならなかった。こんな理不尽で大勢の子供の命が失われることなど、教育者として、大人として、到底受け入れられるものではない。
「“……アミダのところに行こう”」
先生は老人のように椅子から立ち上がり、視聴覚室に足を向ける。彼自身、精神的にかなり参っている自覚があった。完全な味方とは認められないにしろ、生徒という(弱みを見せるのが不適切な)存在ではない相手と話して、少しでも苦痛を紛らわせたかったのだ。
シャーレビルの廊下を重い足取りで歩き、灯りの消された視聴覚室に入る。シャーレビルを訪れるなり強引にこの部屋を借りていた当のアミダは、組んだ足を机上に投げ出す恰好で椅子にふんぞり返り、リモコンを片手に正面のスクリーンを眺めていた。
「――酷いざまだな。付き合わないか、などと抜かしてそんな体たらくか、シャーレの先生が」
「“……返す言葉もないよ”」
「他の連中はどうした?」
「“今日は皆帰らせたよ。あの子達には、感情を受け止める時間が必要だから”」
「それで自分は受け止められていない訳だ……まあ、お前も人の子か」
アミダは頭さえ動かさずに先生の醜態を詰る。キヴォトスに来てからというもの、自分の至らなさを何人かの生徒に――この場合はだらしなさという方が近いか――指摘されたことはあれど、大人からそれを言われるのは先生にとって初めてのことだ。既に成人しているとはいえまだ年若い彼には耳の痛い話であった。
スクリーンに目を向けると、実験に供された生徒のものと思しきX線写真が、アミダの手元の操作で次々表示されていた。彼は時折操作を止めて、クリップボードに固定されたチェックリストのようなものに素早く何かを書き込んでは、再び画面を動かし始める。
「“……何を見ているの?”」
「連中の残した実験データだ。山野ツネコを含めた強化人間九五一人分が揃っている。廃棄された者も込みでだ」
自分から訪ねておきながら、自分の不出来から話題を逸らそうとするような質問をしたことを、先生は激しく恥じ、そして悔いた。それを挽回する手段が思い浮かばず、スクリーンの画像を見ながら言葉を探すも、最早過去でしかない、どうしようもなかったとわかっている筈の情報の奔流に、先生の心は余計に軋むのだった。
「“……こんなことを、どうしてやろうと思ったんだろう……”」
「理由か? なら教えてやる。あの連中が何を夢見て、何を間違えたのかをな」
やっとのことで絞り出した、殆ど独り言のような先生の問いをアミダは拾った。硬いアミダの指がリモコンに連続して接触する、トトトト、という小さな音と共に、先程までの画像が消えたスクリーン上で目まぐるしくカーソルが動いてウィンドウが展開される。
「人間を生体CPUに改造する――正直虫酸の走る発想だが、メタ思考的な視点を持てば悪くないアイデアだ。人間の脳なら複雑な命令も理解できて、十分な教育ができれば行動パターンも画一的にはなりにくい。だから問題はそこじゃない」
新たに開いた画像フォルダは、先のものよりファイルサイズが明らかに小さかった。OKB621で回収した膨大なデータの中から、アミダが重要なものをスクリーンショットなどの形でピックアップしているようだ。
「連中が被験体の脳内に作ることを目指していたバイオコンピューターは、正式な名称をAMS――『
登録番号がずらりと並んだ表は、アミダが次々画像を変えても横にあるのは「廃棄」の文字ばかりだったが、途中から「保存」が現れ始め、唯一
「だが再現性がない。山野ツネコの改造手術は複数回行われているが、それより後にも他の被験体の手術が行われた記録が七十件以上残っている。その殆どがあの保管庫に置かれていた遺体のものだ。恐らくは山野ツネコの実験結果からのフィードバックを受けているのだろうが、大抵は想定した結果を出すことなく、過負荷による異常発熱や脳内出血を起こして死んでいた」
Tr024以降に「試験中」が現れることはなく、「保存」の割合が体感的に増えた程度。敢えて悪し様に云うならば、ツネコという成功例は、ムラクモに非道な実験を継続させる余計な成功体験を与えてしまったのかもしれない。
「そもそもが土台無理な話なんだよ。人間の脳は電力的・容量的な制約の中で進化してきた為に、高密度なセンサー入力に対しては意味単位での高度な抽象化が行われる。時間同期された高次元数列や統計構造のない符号列のような非圧縮な生データを階層的な意味構造化が施されたトークン群に変換するだけならまだしも、原理上まるで処理速度が足りていない。ワイルドキャットのような機動兵器を、既存のマンマシンインターフェイスを介さず、十分な反復訓練もなしにあれだけ動かせる筈がないんだ」
コトリも舌を巻きそうな説明の嵐――それ自体は理解できなかったが、おかしいということは先生にもわかった。思えばワイルドキャットはアミダの発明品で、ツネコのような生体CPUが搭乗することは本来想定していなかった筈である。コックピットは狭いとはいえ、ツネコが機体と繋がれば無用の長物であろうディスプレイが残っていたのがいい証拠だ。
「わかるか、先生。山野ツネコの脳は、明らかに現代の科学では説明できない力が働いている。これをそのままの形で模倣することは、どんなにサンプルを集めても不可能だろう。奴らの愚かなところは、そこで基礎研究に戻るでも別のアプローチに切り替えるでもなく、あくまで神経接続での機体制御にこだわり続けたことだ。それができる見込みもない癖に、自分達の理論と技術を疑いもしていないことだ!」
ドン、と机を殴る音。自分より低能な他者に常にイライラしているようなアミダといえど、ここまで怒りを露わにすることがあるとは、先生は思いもよらなかった。その怒りのベクトルこそ(彼自身あの蟲達を兵器として生み出しているからか)一般的な感性とは異なるものだったが、そこには一種の誇りや矜持も垣間見える。
アミダはここでようやく先生の方を向いた。彼のヘッドパーツは感情表現に使われる部位の一切が存在しないタイプのものだったが、先生には彼が神妙な顔で自分を見つめているように感じた。
「……知っての通りだが、俺は面倒が嫌いだ。こんなことは俺の仕事じゃない。だからお前に押し付けることにする」
「“何を――”」
言うが早いか、アミダの手元のクリップボードから数枚の紙がくしゃりと取り去られ、残りが先生の胸元に突き出される。受け取って見てみれば、生徒の名前と顔写真、出身自治区等が記載されたプロフィール、その数十五枚。
「まだ無事か、そうでなくともましな状態の奴がどこかにいる。そいつらの先行きを決めるのはお前の仕事だろう」
「“!!”」
「早く終わらせろ……この馬鹿げた実験を」
キヴォトスには、砂狼シロコという人物は二人いる。生物学的に同一人物である二人のうち、一方のシロコがアビドスの自宅で熟睡していた時、もう一方――
「“あれ、シロコ――と、黒服!?”」
「ん、こんばんは先生。夜遅くにごめんなさい。先生と話したいって言うから、監視に来た」
「クックック……ご安心ください、先生。同行は私からお願いしました。用事もすぐに終わります」
招かれざる客と共に――と言いたいところだが、実際には頼みを受けたシロコがこの場に連れてきた形だ。
キヴォトスで暗躍する謎の組織『ゲマトリア』、その構成員の一人たるこの異形の男・黒服は、本人の意図はさておき先生とは敵対関係にある。そんな彼が、かつて彼らを壊滅に追い込んだシロコの前に身一つで現れ、先生の元に連れていってほしいと依頼してきたのだ。
下手な動きをすれば蜂の巣にされるリスクをわざわざ自分に課すのは、黒服なりの誠意の現れなのだろう。事実シロコには彼一人を制圧するなど児戯にも等しい。自分がいる限り先生に危害が加えられることはないと判断し、シロコはこの世界に来るまでに得たポータル展開能力で以って、二人でシャーレにやってきたのだった。
「“……何の用だ?”」
「まあそう邪険になさらず……あなたにとっても有意義な情報ですから。ここに住んでいる重要なリスクファクター、山野ツネコに関するものですよ」
「“ッ?! それは……”」
黒服への不信を隠さずにいた先生は、その名前が出た途端明らかに動揺していた。一瞬シロコの方に向けられた視線は、秘匿していた情報が拡散してしまうことへの恐れ故か。黒服の行動への警戒は怠らずに、シロコは先生を安心させようと口を開いた。
「大丈夫。ホシノ先輩から大体聞いた。大変なことになってるんだよね」
完全武装でアビドスを発つホシノを目にしたこの世界のシロコから、気にかけておいて欲しいとは言われていた。その日の夕方、ホシノの自宅前で待ち構えていたシロコが会ったのは、真っ青な顔で帰ってきたホシノ。何としても仔細を聴き出さねばと思ったが、意外にも向こうから打ち明けてきたのである。
“ごめんシロコちゃん……ちょっと私、本当に辛くて……一人だと、抱えきれない……”
普段の昼行燈な「おじさん口調」すら消えたホシノの口から語られた、山野ツネコという生徒の事情、そしてムラクモ=ウェンズデイの恐るべき凶行。元の世界で多くの死に触れてきたシロコでなければ、今のように泰然自若としてはいられなかっただろう。ただし慣れているというだけで、決して愉快な気分ではないのは確かだ。関わった者達に先生が当初は口外を控えるよう頼んでいたのも頷ける。
「……OKB621での事の顛末は私も把握しています。私が今ここに来たのは、その前提知識を先生に得て貰う必要があったからです」
先生とシロコの顔色を窺うように、黒服が再び話し始めた。
「まず始めに、山野ツネコ……彼女は、『ドミナント』です」
「“ドミナント……?”」
聞き慣れない単語に、シロコの警戒心が煽られる。黒服がホシノの神秘を付け狙っていたことを思えば、ツネコというその生徒もまたゲマトリアの標的にされていたのではないかという疑いが生まれ、シロコのアサルトライフルを握る手に力が篭った。それを知ってか知らずか、黒服は淀みなく説明を続けていく。
「戦いに関する才能を先天的に備えた存在……かつてキヴォトスで提唱されながら、証明できないとして捨て置かれた理論です。しかし我々は独自の手法で、山野ツネコがドミナントであることを突き止めました。彼女がトリニティに入学した時点では目立たないものでしたが、恐るべきは彼女の成長性。何事もなく過ごしていれば、山野ツネコはいずれ究極の戦闘体として覚醒し、単騎で色彩の勢力を撃退せしめる程の圧倒的な戦闘能力を有していたことでしょう。そういう意味で、彼女は我々の保険であり、希望だったのです」
二人の砂狼シロコの姿が異なるものになった原因である謎の存在『色彩』。その尖兵と化し、この世界を滅ぼす為に遣わされたシロコや、その影響で出現した数々の脅威を単独で打ち破る程の潜在能力を、ツネコは備えていたのだという。あの時ツネコがいたのなら、あんな事態にはならなかったのではないか――そんな考えが浮かぶ一方、ヘヴンズロックでの戦いについてホシノから聞いた限りでは、そこまでのポテンシャルがあるのかについては疑わしくもある。
「しかし、そうはならなかった。彼女がドミナントというのも今は過去形。ムラクモの人体実験は、その過程で山野ツネコの神秘を大きく歪め、体質諸共変化させてしまった。最早彼女は、機械に頼らなければあなたにも負けてしまう弱い生き物です。ムラクモの所業がカイザー本社に漏洩するよう仕向けたのは、それに対する我々の意趣返しでした。我ながら大人げないことをしたと自省しています」
シロコが元の世界でツネコに会ったことも名を聞いたこともないということを考えると、彼女はそちらでも人体実験を受けていたばかりか、シャーレに依頼を出すことさえできずに死んでいたのかもしれない。いずれにしても、ドミナントとしてのツネコの力を利用するゲマトリアの計画は計画倒れに終わり、この世界のツネコはシャーレの庇護下で(五体満足ではないにせよ)安全に暮らしている。
「そして、これは駄目で元々なのですが……」
同時に、この黒服らしくない切り出し方の依頼が、彼女の平穏を破るものであることも、シロコは察していた。
「先生、私はあなたに依頼したい。目標は、ムラクモの持つあらゆる技術とその産物を、このキヴォトスから一掃すること。このままでは彼らの手で神秘が好き勝手に歪められ、世界にどんな影響を与えるか予測がつきません。正常な形の神秘が減れば、私の研究も滞る」
「“断る”」
当然の反応だ。黒服の言葉は即ち、ツネコを含むムラクモの人体実験を受けた生徒達全員のヘイローを壊せと言うようなもの。先生がそれを受諾するなど天地がひっくり返ってもありえない。黒服自身無理を承知で言っているらしく、特に動じる様子もなかった。
「そうでしょうね。我々が如何なる対価を用意したとしても、あなたを満足はさせられない」
「“対価の問題じゃない。ムラクモは必ず解体するし、構成員は全員捕まえて罪を償わせる。でもツネコや、強化人間にされた生徒達には何の咎もない。仮にあったとしても、それを子供の命で贖うことなんてあってはいけないんだ”」
「ええ、あなたならばそう言うと思っていましたよ、先生。クックック……」
何が可笑しいのか、自分を睨む先生の鋭い視線を受けて、黒服は静かに笑っていた。
しばらくその声だけがオフィスに木霊して、それから黒服は改まった様子でこんな言葉を残し、何をするでもなく去っていった。
「さて、先生。ここまでが私の役割、後はあなたの役割――我々はいつでも、あなたを見ていますよ……」
シャーレに生徒が泊まり込んでいる――その噂を聞きつけた狐坂ワカモは、その日のうちにシャーレビルへの夜襲を計画した。「不届きにも先生を独占しようとする不埒者を成敗してやる」などと息巻いていた、先生就任初日での一目惚れ以来の恋心に暴走する彼女だったが、それ故相手が何の目的でシャーレにいるのかについては知る由もなかったのだ。
照明を制御する人感センサーも切られる深夜、実に静かにビル内に押し入ったワカモは、
「ひいぃっ!?」
曲がり角の先で床を這っていた手足のないそれを目撃し、心臓が凍り付くような思いをした。
「……随分、遅い……来訪だな。あまり、大きな声は……控えてくれ。皆が……起きてしまう」
「え、あ、え、はい……え、その……申し訳ございません……?」
何か異様な存在がいるのだと錯覚していたワカモだったが、向き直ったそれもといその人物に諭されて、これまた酷く面食らった――思わず疑問形で謝ってしまう程の動転ぶりである。
もしや、彼女がそうなのだろうか。混乱の中でも何とか浮かんだ疑問は、本人自ら答え合わせが行われた。
「狐坂ワカモ、だな……先生は……やはり……とても、顔が広い。私は、山野ツネコ。故あって……自立までを、ここで……過ごしている。早速で、悪いが……少し、手を、貸してほしい」
ツネコと名乗ったその人物が必要としていた助けとは、吸飲みに水を入れることだった。背中に生えた鉤爪付きの翼は、失われた腕程器用ではなく、彼女は一人ではコップから水を飲むことができない。またシャーレに置かれたウォーターサーバーの構造上、吸飲みに直接水を入れることも難しい為、ツネコはウォーターサーバーとしばらく格闘した末、諦めて寝床に戻るつもりだったのだという。
『災厄の狐』と悪名高いワカモといえど、自力での水分補給にさえ難儀する身体障害者を相手に銃を向けることは流石に良心が咎めた。結局当初の目的は叶うことなく、ワカモは自動販売機の照明灯に照らされるベンチにツネコと並んで座り、ちびちびと水を飲むことになったのだった。
「感謝する……先生の、見込む通り……悪人では、ないようだ」
「い、いえ……」
まさに自分が襲おうとしていた相手からの感謝。ワカモはキリキリと胃が痛むのを感じた。先生に叱られた時とはまた違った良心の呵責は、彼女にとって初めての経験である。もしまだシャーレが明るい時間帯だったなら、ワカモの顔に浮かぶ冷や汗がツネコにもはっきり見えることだろう。
吸飲みを半分程空にした頃、ツネコがふと口を開いた。
「……礼の、つもりで……聞いてくれ。今日、思い出した……昔話を、しよう」
「昔話、ですか?」
「ああ……キヴォトスが、学園都市になる、遥か前……一つの文明が、破滅に向かっていた……その頃の話だそうだ」
正直ツネコから対価を受け取ることさえ気が引けたワカモだったが、彼女の話に純粋な興味もあって、大人しくそれを聞くことにした。ツネコは数秒の間を空けて、おもむろに語り始める。
「神は、人間を……救いたいと、思っていた。だから……手を差し伸べた」
神――翼を持つことからトリニティの出かと目星は付いたが、ある意味トリニティらしい題材だとワカモは感じた。ツネコが手足を失くした経緯は不明ながら、単なる事故だとは考えにくく、彼女ならば神を呪っていてもおかしくはない。しかしその割に、話はあくまで淡々としていた。
「だが、その度に……人間の中から……邪魔者が現れた。神の作る、秩序を……壊してしまうもの。神は……困惑した。人間は、救われることを……望んでいないのか、と。それでも、神は……人間を、救いたかった」
続く言葉に、ワカモは度肝を抜かれた。
「だから……先に、邪魔者を、見つけ出して……殺すことにした」
「――ッ?!」
「……そいつは、『黒い鳥』と、呼ばれたらしい。何もかもを……黒く、焼き尽くす……死を告げる鳥」
自分一人ではまともな生活も送れないような体の持ち主が、こんな物騒な話をするとは思わなかったのだ。途端に、ワカモには達磨になったツネコの肉体が、かつての壮絶な戦いの証左であるかのように見えてくる。手足が揃っていたなら、彼女はどれ程の強さを備えていたのだろうか。
「この話には……教訓がある。“理由なき強さ程危ういものはない”……今の形で……シャーレや、便利屋や、エンジニア部……仲間に、出会わなければ……私は……この街の命を、焼き尽くす、人間の意志……キヴォトスの戦火、そのものに……なっていた。はっきりした……根拠は、ないが……そんな、確信がある」
そして彼女の語り口からして、それは単に戦闘能力だけを指すものではないと見える。
「……では、今のあなたは? 何の為に強く――」
そこでワカモが問うた時、
「……ぐぅ……」
「……寝てしまいました。仕方ない人ですね……」
既にツネコは夢の中に旅立っていた。
余談だが、帰る前にツネコを抱えて居住区の寝室に入ったワカモは、布団を敷いて寝相悪く寝ている便利屋の面々を見て、彼女らだけでも鉛玉を叩きこんでおくべきか迷ったという。
大変お待たせしました。
黒服の説明台詞はかなり前から作り置きしてはいたのですが、それ以外の部分が難産でした。ツネコの水分補給シーンも前後の展開とどう繋げるか悩みに悩んだ末、全く関係ないワカモと絡ませることで解決しました。
この話で、ツネコが実はとんでもない奴だということが理解できたと思います。
特に書く予定もないのでネタバレしますが、ツネコが何事もなく成長していた場合、
・神秘のエネルギーで全周囲シールドを貼る
・使う武器が超絶強化(ほぼ常時ヒナビーム化)
・魔力放出の要領でクイックブースト&オーバードブースト
という人間ネクストが誕生していました。
プレ先世界でもツネコは強化人間にされてどさくさ紛れに死んでいますが、ツネコが強化人間にならないと最終章前に人類種の天敵ルートに突入してバッドエンドまっしぐらだと想定しています。つまりツネコが強化人間になることは必要な犠牲だったわけです。
まことしやかに囁かれる連邦生徒会長タイムリープ説を採用すると……ユメ先輩の死を許容するのと同じくらい重大な決断だったのでは?