その日はひどい雨だった。玄関の扉が開かれるまでは雨が降っているなんて、上水流 英理佳は夢にも思っていなかった。
「パパ! ママ! どうしても行かなきゃダメなの?」
父親譲りのさらさらな金髪と、ぱっちりと開かれた青い瞳を持つ幼い少女は必死に両親の袖をぎゅっと掴む。どうにかして引き留められないか、自分と一緒に居てくれないか、考えた末の小さな抵抗。
「ごめんね英理佳、お母さん達は絶対にやらなきゃいけない仕事が入っちゃったの」
「英理佳はいい子だからおばあちゃんと叔母さんとで、お留守番できるよね?」
父親のごつごつとした大きな指が薄黄色の髪の毛を行き交う。そんな簡単な仕草一つで英理佳は強張った表情をとろけさせる。その様をみて両親達は微笑みを向け、更になでてやるのだ。
「今度帰ってきたらみんなで旅行に行こう、日本! 東京のおばあちゃんにも会いに行こう。ほら、指切りげんまん」
そう言って母が小指を差し出してくるので、同じようにして小さな小指を絡ませる。そうして日本人に伝わる、わらべうたを二人で歌うと両親は家から去っていた。
──そんな約束を交わして早十一年。それは未だに果たされないまま、英理佳は十六歳になってしまった。両親達はクリスマスや誕生日という大事な日には帰ってきても長くは滞在しない。大抵は昼間にやってきて夕方にはとんぼ返り。一緒に居られる時間は僅かだった。
しかし英理佳とて両親に仕事を蔑ろにして欲しい訳でもなかったし、その重要性も分かっていた。それでも彼女は納得することは出来なかったのだ。次第に両親への気持ちは反転していくのだった。
そのうち両親達が帰るタイミングを見計らって留守にしたり、友人と外出したりしてエンカウントしないようにした。もう六年近くは顔を合わせていないだろう。だから今更、彼女は両親に何かを望んだりはしない。期待するだけ無駄、そんな言葉を小学校へ上がる前に憶えてしまったのだ。
「噓つき……」
吐き捨てた言葉と共に空き缶を蹴り上げる。今日は英理佳が生まれて十六年になる日だった。昔なら飛んで喜んだような特別な日も、年を重ねればなんてことない、ただの一日となんら変わりないことに気づいていくのだ。そして今年も同じように過ぎ去っていくと彼女は学校への道を歩きながら、そう思っていた。
舗装された道を一歩一歩と進む途中で英理佳はサッと茂みへと姿を消す。そこは学校へのショートカットになっている獣道──なのだが多くの生徒が頻繁に利用するから、ほとんど人間道と言っても良いだろう。そんな薄暗い自然の道を進んでいく。そのまま行けば光が差し込み、学校の傍に出る……はずだった。
「おっ?」
夢中になって歩いていたからか、英理佳は足元に出来ていた大穴に気づかず、そのまま崖を滑り落ちていってしまう。幸い派手に転がり落ちることはなく、滑り台のようにして落ちたから大した怪我はなかった。だが……。
「あーもう、サイテー! 服が台無しじゃん!」
彼女は足腰の泥を払いながら悪態をつき、自分の擦り傷よりも服の汚れが残らないかを憂う。そうして自分が元居た場所を見上げるとその高さに目を見開いた。
「こんなとこに落とし穴なんて……」
深さにして五メートル近くの崩れた崖。今まで英理佳が通った時には、こんな派手なものはなかった。しかもこの道は昨日も通っていたのだ。だからこそ、こんな分かりやすい自然の罠があれば、すぐに気づけるはず。──だったのだが生憎、英理佳はこの道を頻繁には利用しないし、通り抜けるのも、さっさと済ませる。虫が嫌なのだ。
「もーマジ激萎えー……今日は学校サボろー」
自分に言い聞かせるためにわざわざ口にして彼女は踵を返すと、あることに気づいた。何かが這った様な跡があるのだ。それは樹木をなぎ倒しながら前へと進んでいる。英理佳がその先を目を凝らして見るが何の姿もない。どうせ、この後の用事は無いからと好奇心に駆られた彼女は、その後を追って歩き始めた。
そうして歩みを進めていると、木々の奥で蠢いている黒く大きな影を見かける。大きいとは言うが、その大きさは熊とかイノシシとかなんてものじゃない。一番近い陸上生物をあげるなら象とかのレベルになる。
「あれは?」
恐る恐る、影へと近づく。その度に影の動きが非常に緩慢で引きずるような動きだということがわかる。そして、それが生物のような皮膚や毛皮を有していないことも。
「マジ!? これがリクレイマーってやつのグランチャー!?」
蠢く影の正体は這いつくばった薄い灰色のアンチボディだった。ミシミシと不協和音を奏でながら、不慣れな匍匐前進のように腕だけで前進している。そんな巨体にちっぽけな少女がそろりと近づいていく。
英理佳からすれば目の前のそれは他の民間人と同様、未知の存在。だが不思議と呼ばれているような気がしてならなかった。ゆっくり、しかしその巨体に追いつくように歩みを進める。そしてあと数メートルといったところで、アンチボディが英理佳へと顔を向けた。
「うわっ! あんたは違うの?!」
素人目にもブレンパワードとグランチャーの違いくらいはわかった。だがこのブレンは普通のものとは違い傷だらけだった。中でも目立つのが目元の大きな傷と、破かれたような前腕の装甲。例え人間でなくとも、それは非常に痛々しいものだった。
「あれ? 怪我してる?」
そう言って近寄るが突如として、大きな手が英理佳に向かって振り降ろされる。それを咄嗟に避けると、彼女がさっきまで居た場所にクレーターを生み出された。
「ちょ! あぶねーじゃん、どうすんのさ! ペラペラのハムになったらさ!」
彼女の気性からか怯えて逃げるでもなく、面と向かって抗議をして徹底抗戦の態度。対してブレンも低い声で唸りながら瞳を光らせており、何か言いたげな様子だ。
「大体ねぇ、そんな図体じゃあ動くだけでも危ないんだから! ちょっとは気ぃ付けなよ!」
英理佳が人差しを突き立てて自分よりも何倍も大きな相手に説教をする。だが相手も黙っている訳にもいかない。また目元のスリットから輝きが漏れだし、アンチボディ特有の声で喋り出した。
「え?ウチらが小さすぎる? 米粒なんかじゃないしさ、そっちが気をつけてよね」
自然にブレンに返答しているが、英理佳本人もそのことには気づいていない。そうしていると目の前のデカブツはのそのそとした動きで立ち上がる。地面に這いつくばっても相当な大きさだったが、いざ直立すると間近で、その顔を拝むたびに首が痛くなるサイズだ。これでは米粒ほどに見えても仕方あるまい。
「ほー、やる気なんだ?」
威勢のいい台詞だが彼女の声は少し震えている。どんなに勝気でも英理佳はまだ成人もしていない少女、こんな巨人を前にしてしまえば怖気づくというもの。だが一歩も引かないのが上水流英理佳という子、例え相手がアンチボディだろうとナメられるのは気に食わないのだ。
逆光でシルエットがはっきりと浮かぶブレンを英理佳が見上げていると、もう一つ黒い物体が視線を横切る。
「何?」
それは鷹のように上空を旋回している米軍の戦闘ヘリコプター。ローターブレードが風を切る音が耳に響き渡る。どうやら標的は立ち上がったブレンパワードらしい。
***
米空軍の戦闘ヘリコプターは空から、お尋ね者を探していた。それは上空からよく目立つ巨大な存在、アンチボディだった。射手が注意深く辺りを観察していると、林の辺りで大きな何かが蠢くのを視認する。
「おい、あれって」
射手は視線を逸らさないまま、操縦手に向かって確認を取ると「ああ、間違いない」と淡白な声で返ってきた。それを合図にヘリコプターはすぐさま、対象へと急行する。そして距離が縮まるにつれて、巨人の姿がより明瞭になり、グランチャーかブレンパワードかが分かるようになっていく。
「ブレンパワードタイプか……リバイバルしたてか?」
「待て、色合いがターゲットと似ている。グランチャー隊に報告を──」
射手が無線通信を試みようとした途端に『その必要はないぜ』とハスキーな男の声が割り込んでくる。これを聞いた二人にはこの声の持ち主が誰なのか見当がついていた。
「ウィーリス中尉ですか。出動なさっていたのですね」
テッド・ウィーリス中尉、アメリカ空軍の航空機パイロット……だったのだが中尉任官の折にアーミーグランチャーのパイロットになったのだ。
『ウォンテッドのブレンパワードタイプ捜索が最重要任務となればな。あれは俺達に任せてくれるか?』
テッドはアメリカ政界でも力を持っている人物の一人息子。例え軍で特別扱いされていなくても、繊細に扱ってしまうというもの。それはヘリコプターのパイロット達も例外ではない。二人はテッドの提案にすぐに納得し、これを承諾した。そうしてヘリコプターは反転をして、去り際に「ご武運を」とだけ残して彼方へと消えていく。
「勝ち試合に運も何もないでしょう!」
有り余る気迫をため込んだテッドのグランチャーは勢いよく、三機編成の戦列から飛び出していく。残された二人はため息をつきながらも、それの後を追うのだった。
戦いの火蓋を切ったのは緑色のグランチャーのソードエクステンションによる射撃の光。放たれたチャクラはよろよろと動くブレンの足に命中し、小さな爆発を起こす。と同時に傍にいた英理佳は巻き添えを食らい、その衝撃波で尻もちをつかされてしまう。
「あれは空軍のグランチャー?」
座った姿勢のまま英理佳が空を見上げていると、突如視界が灰色に染まる。ブレンが膝をつき、両手を地面につけているのだ。
「あんた、やられっぱなしじゃん! それでいいの!?」
グランチャーの一機が旋回しながら様子を伺っている。それに他の二機が合流してデルタの形に陣形を組んだ。それら全てはソードエクステンションを構え、弱々しく縮こまるブレンへと向けている。そんな一方的な蹂躙を周囲の人間達は知りながらも、自分には関係ないと無視をする。誰も戦いなどには巻き込まれたくないから。
「ウィーリス中尉、一気に片づけましょう」
「ハッチやシャッターが開いているということは、ご主人様はお留守という訳だ。もう少しいたぶって時間をかけたほうが給料は出るんだぞ!」
発破をかけたテッドはグランチャー隊に射撃を続けさせる。ここまでくると戦いにすらなっていない。だがブレンはそんな状況でも反撃の色すら見せるないのだ。
その姿勢に呆れた英理佳は、覆いかぶさるアンチボディから離れようとするが、彼女に追随するように巨人が動くのだ。その行動に違和感を覚え、咄嗟に周りを確認する。射撃によってここ一帯は穴だらけ、だがブレンの影の中は全くの無傷なのだ。
「あんた、もしかしてウチを……!」
自分が守られている立場にいる、そう感じた時に英理佳は考える前に走り出していた。目の前で盾になっている、ブレンパワードのコクピットへと。
「あーもう! ウチがやればいーんでしょ! そうすれば戦える、でしょ!?」
そう言って飛び乗った後、英理佳は薄暗いコクピットの中で操縦桿を探すが、それらしいものは見当たらない。それ以前に計器類や座席らしきものもない。取り敢えず座れそうな場所に腰を下ろすと、不思議な感覚が体に伝う。見た目では固そうなのに実際に触れてみるとそうでもなく、ソファーのような柔らかさと固さがあるのだ。
「どうやって動くのかは知らないけど、とりあえず! やられっぱなしは癪ってことで!」
とにかく英理佳は左右の壁面を触ったりして、どうにかブレンを操縦しようと奮闘する。その時、シャッターとハッチが閉まり、視界が共有された。
「これ、あんたが見てる景色?」
その問いかけに様々な言語の文字でブレンが"そうだ"と回答する。そうして残された力を振り絞って再び立ち上がり、グランチャー達へと体を向き直った。相手はこれから反撃が始まるとも夢にも思っていないようで、力のこもっていない生ぬるい射撃を続けるだけ。
「武器は何もないんでしょ? じゃー、ステゴロでやっちゃうか!」
英理佳が掌に拳を打ち合わせて見せるとブレンも同じように真似して、バイタル・ジャンプで一気にグランチャーとの距離を詰める。
「誰か!?」
テッド・グランチャーが反射的にソードエクステンションで袈裟斬りを繰り出すが、ブレンはそれを白刃取りで受け止める。突然の出来事に取り巻き達の行動はワンテンポ遅れてしまう。援護射撃をする頃には、テッドのグランチャーは武器を奪われ、右ストレートで吹き飛ばされるのだった。
「援護がぁ!」
「ノロいっつーの!」
奪い取ったソードエクステンションの射撃によるチャクラ光で取り巻きの内、一人のグランチャーを撃墜する。そんな、あまりにも迅速であっさり過ぎる最期に、狼狽した残りの一人は敵前逃亡を図り、来た方向へと消えていく。その小さくなっていく点をブレンは追おうとするが英理佳がそれを制止する。
「あんなのは放っておけばいいよ」
説得を受けたブレンは地上に戻ろうとするが、何かが風を切る音が近づいてくるのを聞いた。先ほど飛ばされたテッド達が再び襲い掛かっているのだ。
「抜け殻ごとき!」
ブレードヒルトを展開して目の前の標的へと腕を振り降ろすが空を斬る。もう一度と、今度は横薙ぎを繰り出すもやはり当たらない。冷静さを失っているが故に目測がおざなりになっているのだ。そんな踊るグランチャーから距離を置いたブレンはソードエクステンションを構えて一気にとどめを刺す。
「これで終わり♪」
「貴様、肉入りか!」
撃ち出されたチャクラ光がテッド・グランチャーの頭部を貫き、見事に爆散。乗り込んでいた男はというと、強制的に外へと放出されてしまったが、予め用意してあるパラシュートで事なきを得た。だが彼には今後消えることの無いであろう敗北の傷跡が残ることとなる。
「あのブレンパワード……まだあんな力が……」
***
あの後、英理佳はブレンを隠せる場所を探し回っていた。結局、見つけられたのは放置された、この廃船のみ。甲板にブレンをゆっくりと着地させると床が若干沈み、船はミシミシと不快な鳴き声を上げた。気づけば空はすっかり茜色。
「大丈夫かな……」
廃船の様子を確認するために外へと顔を出すと、太陽の眩しさに目が眩む。海へと沈みゆく星に二人は目を奪われる。
「ここには何度か来てるんだけど、こんなに綺麗な場所だとは思わなかったなぁ……あんたは初めて?」
するとブレンはコクピット内で自分の見た映像を映し出してくれた。その中に、富士山の初日の出があり、英理佳は驚愕する。
「これって富士山じゃね? あんた日本にいたの?」
ブレンはその問いかけに答えるように、次々と記憶の中にある日本の景色を見せた。緑に囲まれた村落、その間を流れる川、そして発展した街並み。
だがその後に流れ出したのは、このブレンがアメリカ軍に捕らえられて、船で輸送されるものだった。周りには他のブレンパワードやグランチャーがいくつも体育座りで敷き詰められている。そして隣のアンチボディ達が次々と硬化していくのを、ただただ見つめることしかできない無力感。それを英理佳は感じ取った。
「そっか……そうだったんだ」
この事実を知った英理佳は隠れ場所に廃船を選んだことを後悔した。この子にとっては船というものは嫌な記憶しかないというのに。そこで彼女はある提案を出すために、コクピットから出てブレンへと顔を向ける。
「そんじゃ帰ろうよ、生まれ故郷にさ! 日本にはあんたが見た色んな景色がいっぱいあるんでしょ?」
そう言うとブレンも納得してくれたのか、瞳を強く輝かせて答える。その直後ブレンの体を鮮やかな光が覆い、体色が徐々に変化していく。くすんだ灰色から深みのある赤色へと。同時にオーガニックエナジーが戻ってきたのか、コクピット内の光も強くなり、温度も上昇する。
「そうか。あんたって、こんなに温かいんだね。オーガニック・マシンとかって呼ばれてるけど、機械ってカンジしないなぁ」
ブレンの体を軽く撫でながら言うと、嬉しくなったのか急に飛び上がった。その勢いでコクピットへと押し込まれる英理佳。
「わわっ! いきなりどうしたの? え? もう行くの!?」
こうして二人はバイタル・ネットに滑り込んで、アメリカから遥か遠くの日本まで飛ぶこととなる。ブレンパワードは初めて自分を認めてくれた人を乗せ、里帰りの高揚感を感じながら。一人の少女は壮大な家出に心を躍らせながら。