そう言えば、この小説も一周年ですね。時間の流れが速すぎて驚いています。ここまで続けられたのも、多くの読者様の存在があったからです。
今後ともよろしくお願いいたします。
ノヴィス・ノアへの帰り道。交戦を避けるために英理佳、ナッキィ、カントは高高度を飛行していた。予想通り、ノヴィスを包囲していた艦隊が帰還するのを目にする。
「あれだけの規模が動いていたのか……」
ナッキィがコクピットから顔を覗かせながら呟くと、カントが「アメリカ軍はそれだけ本気って事ですよ」と冷静に分析する。
「ノヴィスが無事だと良いけど」
エリカ・ブレンの手には疲れ切ったアルバートが抱えられていた。今まで両親憎しで生きてきた英理佳でも、目の前で憔悴しているのを放置することは出来なかったのだ。
そうして三人はノヴィス・ノアの周辺海域へと入る。幸いレーダーに敵の反応はないようだ。
「こちらブレンパワード隊。ノヴィス・ノア、聞こえる〜?」
『その声は英理佳? みんな無事なの?』
通信に応じたのは艦長のアイリーンだった。早い返答にブレンパワード隊のパイロット達をひどく心配していたのだろう。
「こっちはウチとナッキィ、カント君の三人だけ。勇と比瑪は戻ってる?」
『いいえ、あなた達が最初よ』
それを聞いた英理佳は、勇と比瑪がまだオルファンの周辺にいるのだと確信した。彼女は事の経緯をアイリーンに話す。
『そういうこと……了解したわ。着艦して頂戴』
三人のブレンが甲板に着艦した頃、夕日は地平線の彼方へ消えていた。医務室へ運ばれたアルバートは命に別状なしと判断されたが、すぐに目を覚ますことも無く。英理佳は飛行甲板で大海原を眺めていた。前までは隣に座ってくれる人がいたのだが、その人を失ってから彼女はずっと独りでそこにいる。
(思っていても言葉にするのは難しい……マリアンヌさんはそう言ってたよね……)
戦闘中の父親の言葉は本心であると、彼女は信じたかった。しかし、当のアルバートは英理佳の言葉を信じなかったのだ。そんな事、彼女が幼い頃は一度たりとも無かったのに。
「オルファンはそんなにも良いものなの?」
リクレイマーに起こされて海から離れたオルファン。今は大地を這い回っているが、そう遠く無いうちに飛翔を開始するだろう。そうなれば地球はどうなるか分かったものではない。それだけの影響力を持つものならば、神にでも喩えたくなるのが人なのかもしれない。そう言うものが心の支えなのだろうと英理佳は納得した。
「心の支えがあれば私もあの時──」
「英理佳? ちょっといい?」
話しかけられた英理佳が振り返ると、曇った顔のアイリーンがいる。その様子を見て彼女は大方の状況を理解した。
「父さんのことだよね?」
「ええ。命には別状無いのだけど、目を覚ますかどうかは彼次第と言ったところね」
「ありがとうございます……」
「大丈夫?」
「……あ、はい」
「あまり気を張りすぎないようにね。明日はメンタルチェックだから、忘れないようにね」
そう言い残してアイリーンは踵を返す。遠ざかる背を見つめながら英理佳はその場に腰を下ろし、甲板の冷たさを肌に感じた。自分の中にある支えなんて、足をつけられる場所くらいだろうと自嘲気味に笑う。そんな自分がいることにハッとした英理佳は頬をビシッと叩いた。
「だめだめ、こんなことで落ち込んでちゃ」
こういうことにならないためのメンタルチェックなのだと、その重要度を再確認した英理佳。これ以上、思い悩まないように彼女は自室へと戻って今日は眠ることにした。
翌日、早朝に英理佳は予定通りのメンタルチェックを受けていた。これはアメリカにいる頃からの習慣だったが、もう数年もやっているので慣れっこだ。しかし、アメリカを離れたことで担当者がアイリーンに変わってから変化があった。普段から元気な英理佳の心の奥底に眠る不安をアイリーンが見つけ出したのだ。それを発散させるために、彼女はこうして定期的にメンタルチェックと称して話を聞いてあげていた。
「お父さんの事で悩んでない?」
「……どう接すればいいのか、わかんないんです」
俯きながら英理佳が呟く。それに対してアイリーンは更に質問を続けた。
「ずっと憎んでいた人だから?」
「ウチ、土壇場で躊躇っちゃったんです。ずっと一人にされて、怒ってて。痛めつけて、ウチの痛みを教えてやろうって思ってたのに。母さんが死んだのを思い出して……この人をやったら、今度こそ本当に一人になるって思って……」
少女は相反する気持ちに葛藤しているようだった。憎と愛、どちらに従えばいいかわからないのだ。
「親御さんを愛すればいいのか、憎めばいいのか、わからないのね。でも生きていれば、どちらともって事がほとんどよ」
「どちらとも? それって時には憎むのも普通ってコトなんですか?」
「そうよ。いくら親子でも違う人間同士なのよ。そりが合わないことなんてあるし、軍人として仕事を全うしているなら当然。私情の入る余地が無いから衝突するのは当たり前ね」
そう言われていくらか心の錘が軽くなった気がした英理佳。暗い表情に光が差す。しばらくしてメンタルチェックが終了し、英理佳が医務室を退室しようとすると入れ替わりで人がやってくる。医療クルーの一人だった。
「艦長! 例のアメリカ軍人が!」
「どうしたっていうの?」
「逃げ出したんです!」
その言葉で一同はすぐに動き出す。アイリーンは艦内放送まで出そうとしたが、意外にも目的の人物はすぐ近くにいた。壁に手をつきながら、よろよろと動く背が英理佳の目に入り、言葉をかけた。
「父さん……」
「英理佳……」
アルバートは顔だけを後ろに向けるが足を止めることはしない。お互いに言葉を交わすべきかを迷っているのか、親子は静寂を保っている。そんな気まずい空間を破るのはアイリーン。彼女は医者としての責務を全うせんとする。
「アルバートさん、安静にしていなさい。貴方の体はまだ動くには適していないのよ」
「問題ない……俺は軍人だ。このくらい……」
そう言った矢先に彼は体勢を崩して膝をつく。アイリーンと医療クルーが肩を貸すが振り払われてしまった。この時、英理佳も足を前に出して向かおうとしたが躊躇っていた。代わりに彼女は喉元でつっかえていた言葉を放つ。
「父さんは何でこんなことしてるの?」
「俺がこんなとこに長くいるのは良く無い……」
「ノヴィスがオルファンに核を撃ったと思ってるから?」
鋭い言葉にアルバートは伏せ目がちに「いや……」と答える。それが良く無かったのか英理佳は「そう」と低い声で返した。見透かされたような気がしたのかアルバートは先ほどよりも歩く速さが速くなっている。
「ウチの事、まだ信じてる?」
父親は振り返らずに「ああ……」と娘だけに聞こえるように呟く。
「ならさウチを信じるんだったら、その周りの人たちも信じてよ。ここの人たちは父さんが思うような人らじゃないよ」
「それでも俺は──」
言葉を遮るようにして英理佳は「信じてないの?」と圧をかける。アルバートの足が止まり、全身が冷えるのを感じた。もう有耶無耶にする事はできないと悟ったのか、彼は振り返り口を開く。
「……事実はどうであれ、世間的にはノヴィスは核を撃った“こと”になっているんだ。たとえ誰かがでっち上げた嘘だとしても、人々が真実だといえば真実になってしまう」
厳しい言葉を投げかけられた英理佳は、現実と理想のギャップに目眩を起こしそうになる。自分の頑張りが世間に評価されていないことを理解してしまい、ひどく落ち込んでしまった。
「ウチは……こんなことのために戦ってたんじゃないのに……」
「気を落とさないで、挽回するチャンスはまだあるわ。それまで諦めないのが私達よ」
アイリーンの励ましに、傍にいた医療クルーがうんうんと頷いた。そんな雰囲気を自然に作られるのがノヴィス・ノアなのだ。
「アイリーン艦長はいるか!?」
突然、勇の声がしたので一同はその方向へと目をやるとフリュイドスーツ姿の男女の姿があった。一人は勇なのだが、彼は赤茶色をした髪の少女に肩を貸していた。リクレイマーのフリュイドスーツを見にまとった彼女こそ、伊佐未依衣子ことクインシィ・イッサーだ。
「勇、何があったの?」
「この人、姉さんなんだ。診てやってくれないか?」
「クインシィ・イッサー……?」
アルバートが目を細めながら呟いた。その反応でクインシィがリクレイマーであることをその場の皆が知る。だとしても助けを求められたアイリーンは拒むことなく、敵である少女を受け入れた。その様子を目にしたアルバートは気が変わったのか、来た道を戻り始めたのだ。
「どうしたの? 逃げるなら今だと思うけど?」
「いいや、もう少しここにいることにしたんだ」
「偵察ってワケ?」
アルバートは娘の手厳しい態度に思わず笑い声をもらす。父親のまさかの態度に英理佳は拍子抜けしてしまった。
「何がおかしいの?」
「いや、そういう厳しい態度はクリスみたいだなって思っただけだ」
そう指摘されて英理佳は思い当たる節があったのを思い出す。確かに今の彼女があるのは叔母であるクリスティーナ・クロフシュタインの存在が大きかった。その証拠に服装や喋り方、価値観等はもろに影響を受けている。
「まぁ、勝手にすれば?」
「そうするよ」
アルバートはまた小さく笑い、手を振りながら病室へと戻っていく。記憶にある父親と何ら変わりない姿を目の当たりにした英理佳。違和感を覚えつつも、少しの嬉しさも感じていた。
それから彼女はブレンの格納庫へと向かった。エリカ・ブレンのこともあったが、それよりもクインシィ・グランのことが気がかりだった。ノヴィスにクインシィが長く居座るのだとすれば、グランチャーの面倒を見てやる人が彼女以外にも必要だろう。
英理佳はエレベーターで下層の格納庫へと降りる。てっきりグランチャーだけだと彼女は思っていたが、既に先客がいた。一人は燃えるような赤髪のナッキィで、もう一人は孤児の少年ミハイルだった。
「ん? 何だ英理佳か」
「何だとはなんなの~?」
「おはようエリカ」
ミハイルはグランチャーから英理佳へと顔を向けてペコリと頭を下げる。彼は前の一件から日頃の態度を改め、今ではユキオと共に孤児のまとめ役として働いている。
「よっミハイル。朝からグランチャーの手入れ?」
「そうなんだ。ナッキィさんに頼まれて」
「こいつは他の子供と違ってグランチャーを怖がらないからな。時折、頼んでるんだ」
ナッキィがそういうと少年は首を縦に振り、ナッキィ・グランを見つめた。赤いバイザーの奥に眠る瞳は強くなくとも、光を帯びている。ノヴィス・ノアに蔓延するオーガニック・エナジーはオルファンのものとは違い、グランチャーには良い影響をもたらさない。その為にナッキィやミハイルが手入れを欠かさないのだ。
「赤い子はどう?」
「だいぶ疲れているようだ。それに気が立っているように見える」
英理佳がクインシィ・グランの顔を覗き込む。今は落ち着いてはいるが、あのクインシィのグランチャーだ。何か大事を起こしても不思議ではない。
ふと英理佳がコクピットハッチへ目をやる。意外なことにそこは解放されており、誰でも潜り込める状態になっていた。若しくは何時でもクインシィが戻って来られるようにしているのか。
「入ってみよ」
不思議な引力に誘われた英理佳はクインシィ・グランのコクピットへと向かう。いつものようにアンチボディの脚を使って登ろうとした、その途端……。
「あ……」
英理佳はクインシィ・グランが義足である事に気づく。戦いで失ったのだろうか、無くなったその部位にはオーガニックな気を感じられない。
人は手足を失くした際に"幻肢痛"というものを感じるそうだ。失った部位がまだ存在するかのように感じられ、それと同時に痛みを伴うという。アンチボディも幻肢痛を感じるのだろうか。クインシィ・グランは今も痛みに悶えているのだろうか。そんなことを頭に英理佳はコクピットへと入り込んだ。中はブレンパワードとあまり変わらない構造をしており、モニターやシートといった操縦機器で敷き詰められている。敵と大して変わらない環境で戦っている事が英理佳には意外だった。
そして彼女の不安要素であった"拒否反応"というものは訪れなかった。グランチャー乗りのほぼ全員が味わっていると言っても過言ではない、頭痛となってあらわれる症状だ。
「なーんだ。ブレンとそんなに変わんないじゃん」
気を許した英理佳がシートに腰かけると、壁面のスリットウェハーに文字が浮かび合った。壁には"GET OUT!"と英語で書かれている。例の頭痛が無くとも、拒絶されているのは確かだった。
「まぁ、そうなるよね~。でもウチは気になるんだ、君のこと」
すると、また文字が浮かび上がる。今度は"WHERE IS SHE!"と一際大きく映し出されていた。やはりこのグランチャーはクインシィを待っていたのだ。それほどまでに主を求めていること知った英理佳は驚いた。てっきり大抵のグランチャー乗りは乱雑にアンチボディを扱っていると思い込んでいたからだ。テッド・ウィーリスがいい例だった。
「そんなにクインシィに会いたいの? しょうがないなぁ」
コクピットから軽々と飛び降りた英理佳はもう一度、医務室へと向かった。父親と一悶着あった時に勇が連れていた筈だ。弟でもある彼に聞けばクインシィの状況がわかるかもしれない。英理佳はそう考えていた。
彼女が医務室に辿り着いた時には、クインシィの容体確認は終わっていたようだ。勇は久々の姉に気分が上がっている様子で、らしくもなくクインシィに抱きついていた。
(落ち着いてるようだけど……今グランチャーの話題を出したら、マズイかも?)
英理佳は後退りしながら、その場を離れようとする。だが、依衣子の視線が向いたことで引くに引けなくなった。頭を下げながら英理佳ははにかんだ。
「ど、どうも〜……」
変に恐縮してしまい、いつもの英理佳のペースが乱れる。相手がグランチャー部隊のリーダーであるのなら尚更だ。
「あはは~、上水流英理佳でーす……勇君にはお世話になってまーす……」
「変に身構えなくていいよ。私のことは依衣子と呼んでくれて構わない」
流石に分かりやすかったと英理佳は反省しつつ「ば、ばれてましたか〜」とペロリと下を出した。それを見たクインシィが小さく笑うので、勇も白い歯を見せて笑う。
「姉さんが戻って本当によかった」
「戻ったも何も私はずっとこうだよ」
勇の柔和な笑顔を初めて見た英理佳は、彼の本当の性格を垣間見ることとなった。
それからクインシィはめざましい速さでノヴィス・ノアに馴染んでいく。始めはリハビリとして畑仕事を任されるのだが、経験者であることも相まって手際がよく、同じように畑仕事をしていた子供達からの評価が良かったのだ。彼女も子供達と接しない、なんてことはせずに積極的にコミュニケーションを取っていた。これにはノヴィス・ノアのクルー達は開いた口が塞がらなかった様子。
その様子を傍から見ていた英理佳はクインシィに話しかけるタイミングを伺っていたが、とてもグランチャーの話をする気にはなれなかった。その話題をした事で、何かの拍子にクインシィがリクレイマーに戻ってしまうかもしれない。そうすれば勇は悲しむだろう、そう思ったからだ。
英理佳自身が今のクインシィに好感を抱いているのも理由の一つだった。子供達に優しく、笑顔が素敵な伊佐未依衣子という人格に敬意すらも覚えていたのだ。
だがグランチャーという抗体が依衣子の元に戻れば、彼女はたちまちクインシィ・イッサー、ひいてはオルファンの抗体に戻ってしまうだろう。それは火を見るよりも明らかだ。
かと言ってグランチャーを裏切る気にもなれなかった。赤いバイザーの奥で光る瞳が、怒り、苦しみ、悲しみを訴えていたのを英理佳は目にしたから。違う姿形のアンチボディでも、感情の揺らぎは同じであると知ってしまったから。グランチャーもブレンパワードも、人を乗せなければ動けず、そのまま硬化するしかない性を持つ同士。本質では同じ存在だったから、それを英理佳は憐んでいたのだ。
「ウチは……どうすれば……」
今までならば即断即決で行動出来ていたのに、現在の英理佳は前に進むことを躊躇っていた。それは過去の自分の選択で、傷ついた者、いなくなった者、よりを戻せないかもしれない者が脳裏によぎるから。
一歩も踏み出せなくなった彼女は足踏みすらも出来ずに背を向けることしか出来なかった。